『少しSFチックな記憶の不思議』 (02/22記)


昔、私が子供の頃時代劇を見てもこれは映画であれは衣装だしセットだから、
本当はこんな感じではなかったんだろうなぁ〜。とは薄々感じていたのが、今
現在例えば60〜80年前のサイレント映画の様な昔の映画を観ると、もう今
の私達にとっては150年前であろうが80年前であろうが、同じ感覚の古さで
あって実際の江戸時代をタイムマシンに乗って覗き見ている感覚に陥ってし
まう。でも、不思議な事にこれらの映画の中に、ある種の懐かしさを感じるの
はいったい何故なんだろう?。

もっと解りやすい話だと自分が生きていた昭和30年代などの風景を今探そう
と思っても見ることは不可能なのだが、当時の現代劇(例えば日活の青春映画
でもいいし、小津映画でもいい)を見ると私にとってはそれこそタイムマシンに
乗った感覚。当時は現代劇だったのに今となると昭和史の歴史映画といっても
いいような古さと懐かしさを感じてしまう。昔の街並みやら建物、車、電柱、看板、
ファッション、電機製品、電話機、それより何より人の顔まで当時の顔をしている。

特に自分の記憶とリンクするのが、冬より夏の方が圧倒的に多いのも不思議だ。
例えば夏に汗にまみれて昼寝をしながら横で扇風機が回っているシーンがあっ
たとすると、その暑さまで思い出してしまう。おそらく温暖化の今より遥かに涼し
かった筈の夏であっても、クーラーのない今と違った暑さを思い出してしまう。
ギラギラした太陽の光や陽炎。真っ青な空、夏の昼間の静寂。蝉の声。金魚売り
の声。風鈴の音。水の乱反射。かき氷の削る音。確実に自分の中にある記憶だ。

更に不思議なのが私が思い出として懐かしいのは10代までの記憶のみである。
それ以降については懐かしさを殆ど感じない。上記は10代までの太陽であり、
10代までの空の話である。10代までの記憶が私の全ての様な錯覚をしてしまう
くらいに、それ以降の記憶についてはあまりにも希薄であり、自分にとってどれほど
の意味があるのかもよく解らないでいる。20代後半から現在までの記憶は、私に
とって幻の様な感じで存在している。在ったのかなかったのか?。在ってもなくても
よかったような、ただ存在していたというだけの記憶。

記憶を存在の証とするなら私は10代までしか存在していなかったのではない
のか?。今の自分は果たして存在しているのだろうか?。今の自分はいったい
なんなんだろう?。自分の記憶に残らない存在っていったいなんなんだろう?。
ひょっとしたら歳をとると、記憶も自分の意思で書いたり消したり出来る様に
なっているのかも知れない。だから重要だと思わない事は全て消しているのか
も知れない。

子供の頃の記憶、夏の記憶、見た事もない更に昔の記憶。消す事の出来ない
記憶っていったいなんなんだろうな。