交流電圧を高くする(昇圧)には一般にトランスを用います。このようなインダクタンス成分を持つ装置は大掛かりで、また周波数への依存性が大きくなります。
しかし交流の電圧の方向が変化する性質を利用すると、そこに整流機能を持つ素子を組み合わせることで高い電圧を得ることが可能になるのです。
真空管ラジオが用いられていた時代に、家庭用などで利用するには日本の商用電源の100Vでは満足な特性での動作は困難なので通常は小型のトランスを用いて200V前後の電圧に昇圧してから整流して利用していました。しかし戦時中の物資が不足の時代に高性能野鉄芯や銅線を必要とするトランスは供給が困難であるためにトランスを用いない(トランスレス)方式の設計が検討されます。真空管のヒーターについては電流を揃えることで直列で100Vにする設計が行われ、200Vの直流電圧を得るために倍電圧整流回路が用いられました。

この図に示された回路は一般に全波倍電圧整流回路と呼ばれるものです。動作原理は非常に判り易く、ダイオードD1によってのキャパシタC1の充電とダイオードD2によってのキャパシタC2の充電が交互に行われます。従って直流出力はC1とC2の充電電圧を直列にしたものとして交流電圧の先頭値の2倍近くになります。
この回路による倍電圧整流は直流出力の両端子ともに交流入力と等電位ではないことが保守上不都合があることからテレビ時代になってからは下図の回路(半波倍電圧整流回路)が用いられています。

この回路では交流入力のB端子のほうが高電位のときにダイオードD1によってキャパシタC1が符号の方向に交流入力の尖頭値近くまで充電されます。次に入力端子Aが高電位になると入力電位とC1の充電値が直列になってダイオードD2によってキャパシタC2を充電します。その結果C2は入力尖頭値の2倍近くになります。
この改良した倍電圧回路は、各整流素子やキャパシタは入力電圧の尖頭値の2倍の耐力があれば充分ですが、これを積み重ねていけば理論上はいくらでも昇圧することができます。
以下にこの回路を拡張した6倍圧整流回路の例を示します。ダイオードD1によりキャパシタC1に充電、ダイオードD2によりキャパシタC2に充電、以下同様にしてキャパシタC3、C4、C5、C6に充電されます。その結果C2、C4、C6には入力尖頭値の2倍に近く充電され6倍圧の直流が得られます。

20世紀の初頭にイギリスの物理学者であるコッククロフトとウォルトンはこの原理を用いて高電圧を発生させることで粒子加速器を作ることを思いつきました。彼らの時代にはまだ優れた半導体整流器は開発されていなかったので整流には「ケノトロン」と言う商品名の高真空整流器(2極真空管)が用いられました。真空管にはフィラメントの点火のための電源が必要で、これにはそれぞれ高電圧が印加されるので絶縁するためにかなり装置は大掛かりになります。
当時は高電圧の実験には静電気を発生させて、これを帯電させたものを利用していましたが、これでは連続的な電流は得られず、また発生する電圧にも限度がありました。この倍電圧回路で構成された高電圧発生装置は当時としては驚異的な70万ボルトの直流電圧を連続的に発生することができて、これによる粒子加速器の実験の成果によって二人はノーベル物理学賞を得ています。
この回路は恐らく多くの先人のアイデアを総合したものと想像されますが、二人の業績によって「コッククロフト・ウォルトンの回路」として名を残しています。
ずっと以前のことですが、真空管時代に実験装置にトランスを用いることが勿体無いと思って真空管で3倍圧整流を行ったことがありました。整流管に35W4と言うヒーター電圧35Vのものを3個直列にしました。ヒーターとカソード管の耐電圧は規格を超えてしまいますが何とか耐えて300Vを少し上回る出力が得られました。
真空管テレビの時代には重量・コスト・磁力漏洩の関係からシリコン整流器を用いたこの種の2倍電圧整流回路が一般に用いられ、ソニーが最初に実用化したトランジスタテレビでも高圧整流回路には5倍圧整流回路が用いられました。
現在ではシリコン整流素子が安価に出回っており、これにはヒーターの問題はないので1000円以下のコストで簡単に500V、1000Vの倍電圧整流回路を作成することができます。
注意願いたいのは、商用電圧を用いたこの種の高圧電源は非常に危険なことです。よくテレビの高圧回路が危険とかの話題がありますが、これは電流も少なく二次的な被害(ショックでものを壊したりする)のほうが大きいくらいなのですが、商用電源から倍電圧整流で得られた直流は人間を感電死させ、火災を起こすにも充分なエネルギーがあります。
また、市販の電線やキャパシタの被覆の絶縁耐力は500V、1000Vの直流に対しては無力です。さらに注意しなければならないのはキャパシタに充電された電荷は実験が終わって電源を切断しても残っており、これが人間を殺傷するのに充分なことです。
このあたりはアマチュア無線などで自作されるひとは先輩などから注意されるし、電気工学科などでも基礎知識として実験を通じて教えられることですが、みだりに試してみないことです。