日本人の食生活と必須脂肪酸
医療法人
札幌山の上病院
小林 信義
| 2006/09/11 | WWW 用に加筆修正し,説明を要する部分にはリンクを貼り付け |
| 2006/09/24 | 追加の加筆修正 |
生活が豊かになり食生活にも欧米化が浸透してきました.それに伴うかのように疾病パターンも欧米化されています.原因は様々あるでしょうが,私が最近興味を持っている脂肪酸の観点から書いてみます.
生体に多い脂肪酸は20個前後(偶数)の炭素がつながった炭素鎖で,端にカルボキシル基(-COOH)が付いています.すべてが単結合のものが飽和脂肪酸で,二重結合を持つものが不飽和脂肪酸です.3個の脂肪酸がグリセロールに結合したものが中性脂肪であり皮下脂肪などのエネルギー貯蔵に役立ちます.主に飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸が付いたグリセロリン脂質や,ここでは触れませんがスフィンゴリン脂質は細胞を形成する生体膜の重要な成分です.
二重結合が2個以上の場合,両端が単結合である炭素をひとつ挟んで存在します.カルボキシル基とは反対側の末端炭素をω(オメガ)炭素と言いますが,これから数えて9番目から二重結合が始まるものをω9脂肪酸,6番目から始まるものをω6脂肪酸,3番目から始まるものをω3脂肪酸と言います.
炭素数18個のものが基本であり飽和脂肪酸としてはステアリン酸です.二重結合を1個持つのはオレイン酸(ω9),2個持つのはリノール酸(ω6),3個持つのはα-リノレン酸(ω3)です.このうちω9脂肪酸は動物細胞でも合成が可能なので,我々はこれを体内で作ることができます.ω9脂肪酸で最初に作られる二重結合の位置から見てω炭素の方向に,二重結合を追加できるのは植物細胞のみです.ですからω6脂肪酸およびω3脂肪酸は,植物細胞のみが作れます.従って人間はこれらを食物として摂取する必要があり必須脂肪酸と呼ばれます.昔はビタミンFとも言いました.
海にいる植物性プランクトンは種類にもよりますが,ω9脂肪酸からω6を経由してω3脂肪酸まで合成できます.ω3脂肪酸の中でも,藍藻類と緑藻類はα-リノレン酸まで,紅藻類はEPA(エイコサペンタエン酸)まで,褐色の微細藻類(珪藻類やハプト藻類)はDHA(ドコサヘキサエン酸)まで作れます.これらの植物性プランクトンを,動物性プランクトンさらにイワシなどの小魚が大量に摂取します.これらの小魚を中〜大型の回遊魚が摂取します.栄養学的に見ると魚肉は植物に近いのだそうですが,このような食物連鎖により脂肪酸が濃縮され蓄積されるからです.
陸上の植物にもω3脂肪酸まで作るものがあり,たとえばエゴマ(シソ科)のタネにはω3脂肪酸(α-リノレン酸)が豊富に含まれます.次いで,なたねや大豆にも含まれますが,これはむしろ例外的と言った方が良いようで,多くの植物ではω6脂肪酸までが主体と言えます.従って草食動物の肉にはω6脂肪酸が蓄積され,それを食べる肉食動物にもω6脂肪酸が蓄積されます.家畜の場合は餌にもよるのでしょうが,単純化すると獣肉を摂取することでω6脂肪酸,海産魚介類をとることでω3脂肪酸を摂取していると言えます(植物のタネから作られる油には,種類によりω6脂肪酸やω3脂肪酸が含まれます).
近年日本人のω6脂肪酸の摂取が圧倒的に増えているのに対し,ω3脂肪酸はそれほど変わっていません.どちらも必須ではありますが,その摂取割合が重要であることが分かってきました.1994年に厚生省が監修した「日本人の栄養所要量」で推奨されている摂取割合はω6:ω3=4:1です.
アラキドン酸はω6系の脂肪酸であり,リノール酸から作られます.アラキドン酸は生体にとって非常に重要な物質です.その構造を見るとω末端から11番目の炭素を中心として対称性が良く,その前後に2個ずつの二重結合を持っています.そのためか5員環を作り易く2系のプロスタグランジンとなります.他にも2系のトロンボキサン・プロスタサイクリン,4系のロイコトリエンなどが作られます.このようにアラキドン酸からは様々な物質が合成され,免疫応答や血液凝固反応などに関与します.正反対の作用をするものさえあります.これらの反応系は滝になぞらえてアラキドン酸カスケードと呼ばれます.
生体に必要なアラキドン酸ではありますが肉食中心の生活をしていると,どうしても凝固系が強く生じたり,免疫応答が過剰になったりします.凝固系が亢進すると虚血性心疾患が増えますし,アルツハイマー病の患者さんは,発症前から魚介類の摂取が少ないという報告もあります.
ω炭素と逆の方向,すなわちカルボキシル末端の方に二重結合を増やすことは,動物細胞でも可能です.こちら側には炭素鎖も2個単位で増やせます.従ってω3脂肪酸の出発点であるα-リノレン酸さえ摂取していれば,EPAやDHAは作れます(これはω6系のリノール酸からアラキドン酸が作られるのと同じ原理です).しかしながら獣肉を食べることで,どうしてもω6/ω3の割合が大きくなってしまいます.菜食主義者でない限り野菜のみでω3脂肪酸の摂取割合を増やすのには限度があるでしょう.
魚に多く含まれるω3脂肪酸のうち,EPAは立体構造がアラキドン酸に似ています.これからも5員環が作られるので3系のプロスタグランジンが生じますが,2系ほど作用は強くありません.ですからEPAにはアラキドン酸の過剰反応を抑える働きもあります.デンマークに移住して生活が欧米化したイヌイットには,グリーンランドで従来通りの生活をしているイヌイットより心筋梗塞や脳梗塞が多いという報告があります.彼らが食する海獣は魚を主食としているわけですから,それを食べることでもω3脂肪酸が摂取できていることになります.
もうひとつω3脂肪酸としてはDHAが重要です.DHAぐらいの長さ(炭素22個,二重結合6個)になるとBBB(脳血液関門)を通過できるようです.そのためか中枢神経系ではDHAの割合が他部位よりも多く,なかでも網膜とシナプス末端に多いことが分かっています.
網膜には桿体細胞と錐体細胞という2種類の視細胞があり,前者は明暗,後者は色の識別という役割を持ちます.DHAは桿体細胞の中にある円板の膜構造に多く含まれます.光を感知するロドプシンという蛋白(Gタンパク共役受容体)の安定化に関係すると思われます.この円板は代謝回転が早く約2週間で総入替えになるそうです.おそらくそのために眼窩の脂肪はDHAを多く含んでおり,DHAを抽出するためには魚の眼球部分が利用されます.
一方のシナプスでは,DHAはシナプス小胞やシナプス前膜・シナプス後膜の膜成分に多いのだと思われます.生体膜は単なる隔壁ではなく細胞接着や標識の役目も持っています.シナプス小胞の中には神経伝達物質(トランスミッター)が含まれていますが,放出のためにはシナプス小胞の正確な輸送や生体膜同士の癒合(開口放出)が必要です.さらに,放出された神経伝達物質は,シナプス後膜の受容体によって,正確に把持される必要があります.
ω3脂肪酸の摂取が少ない場合は,やむなくω6脂肪酸の中でドコサペンタエン酸(炭素22個,二重結合5個)が作られます.これは立体構造がDHAに似ており同じような働きをするのですが,いまいち完璧には代償しきれないようです.
運動・知覚・記憶・学習・感情など,脳神経系のすべての働きはシナプス(可塑性も含め)のおかげです.もし脆弱なシナプス構造のために神経伝達物質の放出と受容体接続が十分にうまくできない場合,運動麻痺や知覚障害といった重大な障害にはならないまでも,意思決定や感情の微妙なコントロールに影響が出る可能性があるでしょう.
ラットにω3脂肪酸を欠乏させて育てた場合,学習や行動パターンが違ってくるという報告があります.単純なことは覚えるのが早いものの,複雑なタスクは苦手だそうです.他にも大学生を被験者とした報告があります.DHAを摂取させた群では,試験などのストレス下で,他人への攻撃性や敵意性の上昇が「抑えられた」というものです.
ω3脂肪酸がシナプス構造の中で果たす役割を考え,想像をたくましくすると狩猟民族と農耕民族の性格の相違,さらには文化の違いにまで行き着くでしょう.これらのことだけで短絡的に考えることもできませんが,最近の「キレ易い」と言う社会現象には,その根底に片寄った栄養面の素因があるかもしれません.
ω3脂肪酸はサプリメントとしても発売されており,その重要性を知っていれば摂取することは容易です.多価不飽和脂肪酸には酸化され易いという弱点があるので,抗酸化性物質との併用が望ましいようです.しかしながらサプリメントは高価ですし,日本人としてはひところ流行った歌のように,魚をもっと食べるべきでしょう.蛇足ながら医薬品として患者さんに使えるものとしては,魚油から作られた製剤があります.またシソ油のω3脂肪酸を多く含むアルミパウチの経腸栄養剤(経管・経口両用)も利用できます.選択肢のひとつとして覚えておいて損はないと思います.