中原街道 松原通り 〜 大正/昭和初期 〜
ほしかやのアルバム > (写真提供:丸子通・麻生さん) 


  

 2代目野村文左衛門の「八百八橋」で語り継がれる「ほしかや」のアルバムから、大正・昭和初期の貴重な写真をご紹介します。
 参照: MAP13_1910 90年程前の多摩川周辺(松原)

 

大正初期 の「ほしかや」。野村家総本家で「ほんだな」と呼ばれた。右側が、5代目 野村文五郎。「丸子の渡し」から自然堤防に続く坂道をのぼった右側にあった。向いに「もこだな」、料理屋「鈴半」があった。

18世紀中頃、「ほしかや」の2代目 野村文左衛門は、中原街道筋に数多くの石橋をかけた。後年、八百八橋として語り継がれてきた。昭和39年、中原観光協会は、橋を復元して業績を顕彰した。(武蔵小杉駅前)

大正9年、多摩川の堤防工事のため、堤防の内側にあった「 松原通り」(約40軒)や、同じく 当時まだ広い河原にあった「青木根」(約30軒)の集落は、堤防の外側に移転させられた。(移転前の「ほしかや」の前)

ほしか(干し鰯)とは、いわしなどの小魚を干した肥料のこと。干し鰯は、農家が使っていた しもごえに替わる新しい肥料だった。販路は、中原街道沿いの村から海老名方面にまで広がった。

大正10年、松原通りから移転した「ほしかや」は、たばこ屋、荒物屋をやっていた。大正11年、その奥に「中原温泉」(中原湯)ができた。(昭和53年まで営業) 現在、この地には高層マンションが建っている。

昭和初期、日枝神社の夏祭り。神輿を囲んで撮る。(丸子山王日枝神社)

(文中敬称略)

 

 

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