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※公演は無事終了致しました。ご来場下さった方々、本当にどうもありがとうございました。

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フィリピンひとりぼっち
男の物語+女の物語

"TAONG GRASA"(ヤニオトコ) written by ANTON JUAN(アントン・ファン)
"USAPANG BABAE"(三人のマリア) written by CHRIS B. MILLADO(クリス・B・ミラド)
 

演出=吉田智久 訳=桑山沙衣子 上演台本・芸術監督=坂手洋二

5月10日(火)〜 15日(日) 梅ヶ丘BOX

路地裏の男が自らの肉体を賭け格闘する相手とは?

追いつめられた女たちの孤独な輪舞……。

あなたはこの街で一人で生きてゆけますか?

2004年『フィリピン ベッドタイム ストーリーズ』に続く 燐光群<フィリピン現代戯曲上演シリーズ>第2弾!


(前列左から宇賀神範子、鴨川てんし、内海常葉。後列左から江口敦子、瀧口修央)

 今回は、日本未発表の二つの戯曲"TAONG GRASA"、"USAPANG BABAE"を上演致します。いずれの作品も、現代フィリピン社会において、問題を抱えながらもたくましく生きる人々にスポットを当てながら、同時に、日本及び他の国々にも見受けられるフィリピンの社会状況を映し出しています。
 2002年度文化庁在外研修派遣制度によりフィリピンにて一年間の研修を経て、今もなお当地の演劇関係者との交流を深めている劇団員の吉田智久が、前作に続き演出を担当します。


<作品について>

男の物語 "TAONG GRASA"
腹を空かせた男が、自分の腹と会話するひとり芝居。数々の賞を受賞した燐光群『だるまさんがころんだ』で印象的な父親役を演じた鴨川てんしが出演します。一見ユーモラスに思われるシチュエーションですが、孤独や飢えといった普遍的なテーマを軸に、フィリピン社会に影を落としている貧富の格差、汚職問題等を見据えた作品となっています。モノローグドラマという最小単位の演劇から多様化する社会問題に向き合い、また、食欲という人間の本能を基点にして、異なる文化における「生」のありようを見つめ直します。

女の物語 "USAPANG BABAE"
3人の「マリア」がそれぞれに自分の物語を語る三部作です。1990年、フィリピンにてパランカ賞(文学賞)第一位を獲得。不法就労、家庭内暴力、ドラッグといった社会問題を通じて、現代フィリピンの女性が置かれた様々な状況が浮かび上がります。

<フィリピン現代戯曲上演シリーズ>について

 燐光群は、これまで東南アジア・フィリピンの演劇との交流を重ねてきました。 
 1996年・1999年にPETA(Phillipine Educational Theater Association)及び、そのメンバーであるルドガルド・ラバドによるワークショップに劇団メンバーが参加しています。
 1999年『トーキョー裁判 1999』、2000年国際交流基金共同主催『南洋くじら部隊』の両作品において俳優ノル・ドミンゴ(PETA)を招聘、『南洋くじら部隊』では他にもインドネシアから7名、アメリカから1名の俳優を招いての国際共同製作として、東京及び沖縄にて三都市のツアーを行い、成果を上げています。
 そして、2002年度文化庁在外研修派遣制度によるフィリピンでの一年間の研修を終えた劇団員の吉田智久を中心として、これまでの交流を踏まえ2004年11月に国際交流製作作品『フィリピン ベッドタイム ストーリーズ』を日本初演致しました。
 芸術監督=坂手洋二のトータル・ディレクションのもと、フィリピンの俳優達と燐光群の俳優、演出を担当する吉田智久といった、豊富な経験を持つ新進気鋭のアーティストたちによる、これまでにない豊かな国際交流が実現しています。
 いずれも舞台をベッドルームとしたフィリピンの三本の短編戯曲から成るこの作品を、日本(語)版とフィリピン(語)版の両方とで製作・上演し、高評を博しました。「ベッド」を基軸にした一つの作品として、独自の世界観をつくることができたのと同時に、新たな国際共同製作のあり方を提示することができたといえるでしょう。

……

 『フィリピンひとりぼっち』は、これらの成果を踏まえ<フィリピン現代戯曲上演シリーズ>第二弾として上演されます。フィリピン演劇関係者との交流と、作品を取り巻くメンバーシップを元にした、実験性に富んだ継続的な取り組みです。
 そして、作品のレパートリー化や連続公演を想定しつつ、今一度「国際交流」の原点を見つめ直し、各国で多様化する社会問題へのアプローチを図ります。

<キャスト>

"TAONG GRASA"(ヤニオトコ)
 鴨川てんし …… 男
 
"USAPANG BABAE"(三人のマリア)
 江口敦子 ……… 女1(マリア・エレナ=エレイン)仮面1/近所の女1
 樋尾麻衣子 …… 女2(マリア・パトリシア=トリクシァ)/近所の女たち
 小金井篤 ……… 女2(マリア・パトリシア=トリクシァ)/近所の女2
 内海常葉 ……… ディレクター
 工藤清美 ……… 仮面2/近所の女たち
 宇賀神範子 …… 女3(マリア・フリアニタ=イタン)
 瀧口修央 ……… 警官/ランド
 桐畑理佳 ……… 近所の女たち

<スタッフ>
照明=竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響=島猛(ステージオフィス)
美術=じょん万次郎
大道具=  優宇
衣裳=樋尾麻衣子・桐畑理佳
文芸助手=圓岡めぐみ・久保志乃ぶ・寺島友理子
演出助手=清水弥生
照明操作=向井孝成
音響操作=内海常葉・塚田菜津子
制作=古元道広・近藤順子
Company Staff=中山マリ 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋 下総源太朗 宮島千栄 杉山英之 久保島隆 
協力=高津映画装飾株式会社
   小池陽子 椙本貴子 園田佳奈 高本愛子 西澤あゆみ 福田望 藤木亜耶 宮島久美 八代名菜子 

Special Thanks to Rody Vera, Mailes Kanapi, Gie Onida, Teatro Kanto

平成17年度文化庁芸術団体重点支援事業 
東京都芸術文化発信事業助成

<全席自由>(日時指定)

前売券¥2,300 当日券¥2,500 学生券¥1,500

<フィリピン現代戯曲上演シリーズ>について

フィリピン演劇関係者との交流と、作品を取り巻くメンバーシップを元にした、実験性に富んだ継続的な取り組みです。
作品のレパートリー化や連続公演を想定しつつ、今一度「国際交流」の原点を見つめ直し、各国で多様化する社会問題へのアプローチを図ります。

■当日配布パンフレットより

吉田智久

 "TAONG GARASA"は1982年、"USAPANG BABAE"は1990年に書かれた戯曲だそうだ。
 しかしながら、読んでみると現代フィリピン社会に向けて書かれたものであるように思えてくる。もっとも私の知る現代フィリピン社会というのは、'99年からの4度の渡航、延べ1年半の滞在経験にすぎないのだが……。
 貧困・セックス・暴力といった作品に描かれているテーマは普遍的なものではある。故に執筆後15〜20年弱経過した現代フィリピン社会にも当てはまる、と片づけてよいのか? いや20年弱変わらない社会矛盾をフィリピンは抱えているのではないだろうか。どうやら深刻な問題があるのだろう……。
 しかし戯曲のタッチはいたって深刻ではない。いかがわしさの中で生き生きとした人々が笑っているではないか! なにやら掴みきれない世界との出会いに期待がふくらんだ。しかし、フィリピン人アーティストとの共同製作ではなくタガログ戯曲に挑むのは想像以上に困難であった。作家のアントン、クリス両氏とも面識がない。彼らの描いたフィリピンに出会えるだろうか? 
 不安に包まれてもいるが、ここで今一度決意する。作品に登場する空腹男のようにいかがわしい世界を飲み込んでやろうと!
 いや、その世界に飲み込まれてやろうと! かな?

■吉田智久プロフィール
1995年『反戦自衛官=森の中のまわり道』より燐光群に参加。2000年より演出部員として活動。日本演出者協会の推薦を受け、2002年9月から1年間、文化庁在外研修派遣制度によりフィリピンに留学。
2004年、初演出作品として『フィリピン ベッドタイム ストーリーズ』を発表。


坂手洋二

 この一ヶ月間ほとんど東京におらず、私自身の関わり方としては、あまりたいしたことはできないなあと思っていたが、結局、想像以上の仕事量になってしまった。
 台本のリライトについては、タガログ語をもとにしたこの戯曲たちのヘソのようなモノが見えにくく、また、英語のように辞書を見ながら原本に当たるということもできなかった。日本語版に関しては、例外的に付け加えた部分を除けば、なるべく原本そのままであろうとしたが、逆にそうとうの「意訳」(「超訳」ともいえるが)になっているのかもしれない。演出家や俳優が「ものすごくわかりやすくなった」と言ってくれるのだから、違和感なく受け入れられているのだろうとは思うのだが……。
 モノローグの部分は一種の「質感の統一」を果たして行く過程で、いろいろ帳尻を合わせることもできたが、会話部分については、「創作」になってしまうことを避けたぶん、あまり仕事ができていない。もちろん、社会の様子を伝えるにせよ、演劇の状況を紹介するにせよ、「フィリピンの現状を丸ごと示す」という意味では、それでいいのだとも思っている。
 美術を担当する「じょん万次郎」としては、実はこのアトリエでいつかやりたいと思っていた、とっておきの手法を導入した。この劇にフィットしてたいへん嬉しいというより、豊かな可能性を持った戯曲の御陰でこのスタイルが実現できたのだと思っている。
 吉田智久君の演出も二本目となり、さらに新しいテーマ・課題に挑んでいる。ディレクションという仕事には、状況から導き出される「必然」からの決定だけではなく、それ以前の時点から、自分で選択しなければならない範疇がある。そこを妙に先回りしてもいけないし、待っているばかりでも仕方がない。言い換えるならば、表現には、意識的な部分と、無意識領域と格闘しなければならないややこしい部分とがあるはずだが、今回はその双方共に自覚的になることが要求されている。
 初の一人芝居に挑む鴨川てんしのみならず、参加する俳優たちの主体性も問われている。 
 チームの可能性が試されるこの公演で、さまざまに新鮮な発見が期待されている。楽しんで頂ければ幸いである。



タオングラッサ ー 胃袋の歴史

私が『タオングラッサ』を書く前には、タガログ語の中に、タオングラッサという言葉が存在しなかった。だから、浮浪者のことをなんと呼ぶべきかと考えながら短いプロローグを書いた。フィリピンにおいて、経済危機が起こる前にはタオングラッサは存在しなかったからだ。そう、人々は村の阿呆の世話をし、食事を与え、彼らが村の歴史の一部分であるかのように一緒に笑ってあげていた。結局、どの村にも阿呆はいたものだった。しかし、私がこの作品を書き始めたとき、アスファルトのように油、煙、泥、そして貧困によって真っ黒に汚れた人々がどんどん増え始めた。

1971年にフィリピンで戒厳令がひかれた頃、私は21歳になろうとしていた。17歳の時から考えていたことだったが、私は演劇と人文学を教える仕事を自分の一生の仕事にすることに決めた。劇作家兼演出家として、私は、演劇とは社会の周辺にある、人々があまりよく知らず、語られることのない歴史や願望に焦点を当てるべきだと考えていた。演劇は、観客を客席でほっとさせることを目的としているのではなく、観客を不安にし、心を乱すような状態にすることを目的としている。そのことによって、私たちは生と死、そして欲望についての皮肉的な葛藤を知ることとなり、逆説的に自分自身を笑うようになる。これは、エウリピデスが言ったところの「自分で痛みを感じる」という行為だ。

フィリピンの戦後の経済には、戦争を乗り越えてはい上がっていくエネルギーがあった。私は、当時ペソとドルの比率が1対1だった頃のことを覚えている。そして、2対5、そして…というように変化していった。フィリピンはアメリカの植民地であったために戦争に巻き込まれてしまい、それは耐え難いことであった。マニラは爆撃を受けたので、古くてエレガントなヨーロッパ風の建物は全て破壊された。破壊されたオールド・マニラを復旧しようとしても、そこには古いドーム屋根の教会しか残っておらず、街全体を元の状態に戻すのにはほど遠い状態であった。結果として、地方からの移民がこの新生・経済都市であるマニラに流れ込み、彼らがマニラに住み着くようになった。人口はものすごい数に増えた。結果として、産業界は労働力をもてあますようになり、職にあぶれた人間はホームレスとなった。心理的にも孤独な状態に置かれたのだった。

私にとって、『タオングラッサ』は、'20年代、'30年代のハリウッドの影響を受けて育った、演劇の一種である古いヴォードビルのピエロだ。だから、私はタオングラッサに、笑いがどのようにして、街が死にゆくような悲しみに変化していくかという警鐘を鳴らしてもらいたかったのだ。しかし、ピエロは生き延びた。窓の外を通り過ぎる人々の数と、歩数、魚の背骨を数えながら、列車の車両を数えるように、時を数えた。彼は、街の胃袋を通して、自分の胃袋に語りかける。そうすることによって、一人の歴史の伝達者となるのだ。今や、ぶら下がる吊るし窓のように、女性は自分のセクシャリティにしがみついている。日本からのフィリピンへの買春ツアーが大きな問題となったことがあった。タオングラッサはモノローグの中で、ジュークボックスに向かって感傷的なラブソングを歌っている娼婦を見かけるが、彼女は失恋と、失った時間によってつぶされてしまっている。そういった問題が続くなか、何にも気づかずに眠っている人々がいる。そしてタオングラッサは何が起こっているかを知っているのだが、彼らが眠っている間になぜこれらのことが起こったのかを告げることはない。タオングラッサは他の人が眠っている時に目を覚ましている。そして、心情として、彼らが自ら目覚め、なぜ歴史がこのように破滅していったのかを自分で理解してもらいたいと思っている。彼は言う。「その理由を私が口で告げることはない」と。

いまや、タオングラッサという言葉がフィリピンの辞書の中に存在している。これは、演劇によって言葉が創造されるという一つの例だ。この演劇を書くことは辛いことだった。『タオングラッサ』は私の初めての作品であり、これから私が書いていく全ての作品の中に登場することになるだろう。

私は、この現代フィリピンの演劇を上演するという燐光群の努力に感謝したい。フィリピンの演劇の中には、幅広い歴史と、私たちの国が経験してきた痛みについて語る作品が他にもある。私は、この場を借りて、数年前に私を日本に導き、大野一雄氏と能の北学派について学ばせてくれた日立ファウンデーションにもお礼を言わせていただきたく思う。

私は世界中、どこにでもタオングラッサがいるということを知っている。ますます物質的になっていく残酷な社会において、彼はいつもそこに存在する。そして私たちに警鐘を鳴らす。私たちはみな、彼の胃袋なのだと言えよう。

アントン・ファン
"Taong Grasa" 脚本家

TAONG GRASA: HISTORY FROM THE INTESTINES
Playwright's Notes by ANTON JUAN, Ph.D.

Before this play, "Taong Grasa" was written, there was no word in the Philippine language that referred to them. This is why I write a short prologue asking what is it to call them. This is because before the onslaught of economic crises in the Philippines, there was no phenomenon like the  "Taong Grasa." Yes, there were village fools whom the folk took care of, gave food to, laughed with as though they were part of the village's history; after all, every village has a fool. But no, when I began this play, more and more of the soot people, asphalt people, persons whose skins were black from grease and smoke and mud and poverty.

After the declaration of martial law in 1971 in the Philippines, I was turning twenty-one. I decided to get a job teaching theatre and humanities which I had decided since 17 years old was going to be my life. As a playwright-director, I believe that theatre should signal history and the aspirations of the marginalized parts of society, the unfamiliar, the unspoken. Theatre does not aim to make the audience settle in the theatre seat, it aims to unsettle, to disturb, to make us know more about living and dying and the struggle between, the comic ironies about our desires so we can, in turn, laugh at ourselves, and in order, as Euripedes said, "to make us feel pain." 

The economy of post-war Philippines had an energy to rise above the war. I remember then the peso to the dollar was one is to one, then two then five then The Philippines was thrown into the war because of its being a colony of America was devastating. Manila was bombed so the old elegant European buildings were all torn down, and the reparations for the total devastation of the old Manila where nothing remained except the dome of a church- were not enough to build back the entire city. As a result of this and the migrations of provincial people into the only viable economic city, Manila, slums started to settle in Manila, and the population grew to an enormous mass of people. As a result of this, the industrial economy could not accommodate enough employees, many became homeless, and psychologically, alienated.

I chose the "Taong Grasa" to be a clown in the old vaudeville variety theatre of the Philippines that grew as a result of Hollywood in the twenties and thirties. This is because I wanted him to signal how the laughter tutns to bitterness the way the city dies. But the clown survives, counting the steps, counting the spines, counting the people at windows, counting time, like tracks of a train. He walks through the intestines of a city, and talks to us through talking to his intestines, and in doing so becomes its historian. The windows are now hanging, the people hang by the teeth on busses, the women hang to life with their sexuality. There was a big scandal about sex tours to the Philippines from Japan, and in one part of the monologue, he sees a prostitute singing to the Jukebox a sentimental love song eaten up by lost loves and lost time. And while all of these problems continue, there are those who sleep, unaware, unknowing and only the Taong Grasa will know, and he will not tell them why all of these happened to them while they slept. The Taong Grasa is awake while the uncaring sleep. And ideologically, he wants them to wake up and know why all of these ruptures of history have happened. Because, as he says, "I will not tell you why."
There is now a word for them in the Filipino language. This is one instance where language is formed by the theatre. I pained writing this play. It was my first child. And for always, I know the image of the Taong Grasa will follow me, appear on the pages of every play I will write.

I would like to thank the Rinkogun theatre for their efforts in producing contemporary Philippine plays. There are other Philippine plays that also speak about the wide range of history and pain our country has gone through. I also would like to take this chance to thank once again the Hitachi Foundation for bringing me to Japan years ago to study with Kazuo Ohno and the Kita school of Noh.

I know that everywhere in the world there is a Taong Grasa, Where there are cruel societies that become more and more materialistic, he will always be there, signalling to us. He speaks to us. We are his intestines.


■アントン・ファン プロフィール
演出家、劇作家、映画監督、振付家。演劇・比較文学・美術史の教授でもある。高等学校時代にDulaang Sibol(Spring Theatre)で初演出。これまでの作品数は200を越える。フィリピン大学で比較文学の芸術学士号、アテネ大学で記号論の哲学博士号を取得。古典から前衛的な作品、劇場での公演からストリートシアター、工場での5分のショートピースから刑務所での教育的な演劇の演出まで、幅広い演劇活動を行っている。
今回の"Taong Grasa" (パランカ文学賞)をはじめ、"Tuko! Tuko"(アレクサンダーオナシス演劇国際賞 劇作部門)、"The Price of Redemption"(フィリピン共和国文学賞 演劇部門)、"Death in the Form of a Rose"(パランカ賞と批評家金賞)など代表作多数。フィリピンの実験映画においても、Eagle First Prize を受賞。2001年にはフランスのKnighthood of the Order of National Meritを授与されている。現在は、Dulaang U.P. Theatre company の芸術監督を務めている


"Usapang Babae" の戯曲のアイデアは、都市部の貧困地域に住む女性たちによるグループとの対話から生まれました。そのグループは地域の女性たちがドメスティック・バイオレンスに立ち向かう手助けをしています。この戯曲は10年以上前に書いたものにもかかわらず、女性を取り巻く状況はそれからほとんど変わっていません。フィリピンでは、いまもニュースで家庭内暴力の生存者(サバイバー)の映像が流され続けています。
つまり、わたしたちは、男性・女性に関わらず、女性の権利の代弁者であり続けなくてはならないのです。日本のように高度に発展した社会でも似たような事態が起こっているのは驚くべきことです。
この"Usapang Babae" の日本での上演が、こうしたことを話し合うための機会になることを願います。

クリス・B・ミラド
"Usapang Babae" 脚本家

The idea for the play "Usapang Babae" came from an interaction with a group of women from the urban poor who were helping other women in their community stand up against domestic violence. Although the play was written more than ten years ago, the condition of women has hardly changed. In the Philippines, we continue to see images of survivors of domestic abuse in the news - a sign that we should continue to advocate for women's rights whether we're male or female. One wonders if a highly developed society like Japan, if similar situations happen? This Japan production of "Usapang Babae" is an opportunity for dialogue.

CHRIS B. MILLADO
Playwright "Usapang Babae"

■クリス・B・ミラド プロフィール
演出家、劇作家。フィリピン文化センターの芸術助監督。フィリピン大学の舞台芸術課程で学士号をとり、フルブライト奨学金を得てニューヨーク大学のTisch School of the Artsでパフォーマンス学についての修士号を取得。1989年から1991年までthe PETA Kalinangan Ensemble(ペタ・カリナンガン・アンサンブル)の芸術監督を務めた。Tanghalang Pilipino(タンハラン・フィリピノ)の芸術助監督を歴任。また、ロックフェラー財団の支援を2回受け、イタリアのベラージオに滞在したこともある。演出・劇作作品に、フィリピンバレエ団の"Darna"、タンハラン・フィリピノの"Insiang"、ペタのための"Balete"、ニューヨークのメイ-アイ シアターの"Lil Brown Brothers"、ハワイのケネディ・シアターの"Nikimalika"、カリワットのヨーロッパツアーのための"The Water Drummers"など多数。

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