裏表のある生活-二世の知恵

 証人の子供がもっとも信者から、もしくは組織から非難される点はこれです。つまり信者である親の前や会衆内での言動と、学校や友人、職場での言動とを見事に使い分けるのです。そしてこれに対してものみの塔誌の研究記事(集会で討論が行われる)や大会でも(劇を使ってまで)それらを改善するよう何度も勧告しています。また多くの二世はこのことについて集会や長老もしくは親から某かのことを言われたり注意されたりしたかも知れません。

 しかしそれらは結局のところ無駄でしょう。なぜなら二世が証人社会と一般社会双方に順応する、もしくは本来の自分と証人としての自分とを共存させる経験上の知恵だからです。それほど一般社会と証人社会のずれ、もしくは本音と建て前のギャップに二世は苦悩しているのです。

 例えば友人に自分が証人であることを明らかにする二世は少ないでしょう。彼らの奇異な視線を恐れますし、弱い子供であるなら苛められるかも知れません。しかし組織は絶えず自分の(宗教的な)立場をすべての人に明らかにするよう求めます。これもどうしてかと言えば、すべての人に改宗のきっかけを作るという拡張目的がほとんどなのですが、二世自身は損こそすれ、得をすることはあまりありません。むしろ普通に友人として接する際の大きな障害となりかねません。ですから多くの子供たちが自分の立場を明らかにせざるをえない状況を恐れるのはごく自然なことです。

 また多くの禁止事項(協会が定めたものであれ、会衆内の風潮であれ、親が定めたものであれ)は彼らの行う事柄を二重にします。また証人が推奨すること以外に大きな関心の対象が有るかも知れません。そのような内容を話せるのも一般社会の友人と(同じような証人と)しかできないでしょう。しかし会衆内の人間は自分の本当の興味や趣味、生活、友人などから縁遠い存在でしょうし、どうしてもうわべだけの慇懃な関係である場合がほとんどです。それでも彼らと良い関係を築かざるをえないし、また接触の頻度も多いですから表面上の仮面をかぶった付き合いをせざるをえないわけです。しかし彼らはその仮面こそ真の人格にすべきだというわけです。そのため絶えず神の視線を意識するよう言われ、多くの二世に罪悪感を想起させます。多くの二世がハルマゲドンを恐れ夢にまで見る原因の一つでもあるでしょう(逆に一世はこのことをあまり考える人は少ない)。

 しかし彼らにいくらそのようなことを言っても二重の生き方をしている多くの二世には難しいことでしょう。彼らが本音で生きられるような環境を作らず、むしろ一般とのギャップのはざまで苦しませる組織、会衆や長老、親達にも責任の一端はあるような気がします。いくら仮面だけの生き方をしろ、裏の生き方は一切捨てよ、と言ったところで彼らに何の益があるのでしょうか。それは単に自分たちが作った型に押し込み、そこからはみ出たすべてを一切除外しようとする行為に過ぎません。しかしそこに多くの二世の本音と実際があるのです。