特権を追い求めよ!

 エホバの証人が良く用いる言葉で「特権」という言葉があります。これは彼等の訳したと言う新世界約聖書にもほとんど出てこない言葉ですが、彼らはこの言葉を良く使います。何かの信仰の務めを行うときにもこの用語が良く用いられますし、一番多いのは、ある立場を得ようとすることを「特権を追い求める」と言います。

 例えばバプテスマを受けた若い男子はまず長老を補佐するという立場の「奉仕のしもべ」という特権を追い求めることになります。そしてさらに「奉仕のしもべ」になれば彼らは会衆の指導層である「長老」を目指すことになるでしょう。他にもベテル奉仕者や特別開拓者、巡回監督、その他様々な監督職や建設奉仕者など多くの「特権」が指し示されるわけです。当然それらは証人社会にあって一定のステイタスシンボルとなります。その事を理解している彼らは常に自分の次に狙うことの出来る立場に非常な関心を抱きますし、また組織もそのように指導します。もちろん二世達にも例外なく。

 さてこれらの立場への登用はいかにして決定されるのでしょうか。これは主に長老たち、またそれより高位にある巡回監督の推薦と統治体による(形式的な)任命によります。それでこれを追い求めようとする若者にはある種の傾向が見られます。つまり彼らは巡回監督の訪問になると自分を良く売り込もうとしたり、また長老たちに気に入られようと努力するわけです。逆に長老たちにそれほど好かれていない若者たちで特権に興味が無いと、このようなことをしません。私も巡回監督に「兄弟は長老を目指していますか」と聞かれ、興味が無いと言って呆れられたこともありますし、あるときなど元ベテルの成員の長老がそこにいた若者たちを励ます話をして自分の経験から全ての人はベテルを目指すべきではないかと言ったとき、そこにいた若者の一人一人が感謝を述べて自分もいつかベテルに行くため努力をしたいと感激して言っていたときに、その長老が私に「兄弟はどうなんですか」と聞かれたので率直に「興味有りません」と言って周りを凍らせてしまったりしました。このような種類の若者は組織は当然歓迎しません。

 私もかつて「奉仕のしもべ」でしたので分かりますが、それら「特権」への推挙の基準というのは結局のところ長老たちの一存であり、基準もあってないようなものでした。むしろこれを彼らの立場に対する欲求を満たす一つのニンジンとしてぶら下げられていた感があります。つまり平社員の前に役職や出世をちらつかせることにより自分たちの言うことに逆らえなくする、いやむしろおべっかまで使うようにする上司や経営陣と変わらない状況だったわけです。こうすることにより不満の矛先をずらすというか。

 ですから不当に「特権」から外される、あるいは任命されないという不満は良く聞かれました。このような制度は彼らの信仰生活にプラスになっているかというよりマイナスになっていると思います。

 また二世から言うとごく若いうちからこのような出世競争を目の当たりにするのですから、彼らが感じるやるせなさや人間不信はひどいものとなることすらあります。またそれに順応した者の行為は本当に会社の歯車になっている人間のようになってしまいます。これらは健全な人間関係を築くことをごく若いうちから阻害しているでしょう。彼らが特権を追い求めることは彼らのためではなく組織の硬直化に役立っているような気がします。もう少し特権などのしがらみから自由になった人々を育てていくべきではないでしょうか。