正規開拓奉仕-実りある人生に肝要な手段

 証人の基本的な目標は組織の強化と拡張にあると別の項で述べたと思います。これに対する彼等の考えはやや常軌を逸している部分があります。例えば巡回監督の開く長老と奉仕の集まりに出席した時の事です。若い巡回監督が、この会衆の集会出席者が何故平均以下なのか長老たちに詰問し、年上の長老がしどろもどろに弁解していた事もあります(他に平均以上の会衆があるのだから当然でしょうが)。このように多くの事柄を数字で判断し拡張に資するようにする傾向があります。彼等にとって、それくらい拡張は大切な事です。当然信者にもこの拡張の役割が与えられます。これこそ多くの人々のひんしゅくの的になっている、あの非常識な頻度の戸別訪問の原因となっているものです。それを強力に推進する方法として、多くの者に開拓奉仕(正規開拓者の場合月90時間拡張活動の為に時間を割く、補助開拓者は60時間、ここで開拓者と言うのは正規開拓者を指す)を行う事を組織的に勧めます。特に次代を担う若者たちには開拓奉仕をめざすよう多くの励まし、もしくは圧力がかけられます。

 例えば集会や大会では定期的に開拓者になるような話がなされます。そこでは「あなたは開拓者になれる条件を備えていますか。備えるために一体何ができるでしょうか。何も妨げるものがないのに言い訳をしてこの特権を得ようとしないでしょうか。それは利己的な動機からですか。」等という類いの話をし、正規開拓奉仕者になる事がさも当然であるかのような雰囲気になるわけです。多くの若者が高校卒業と同時に開拓奉仕を目指しています。特に儒教圏の国々での開拓者の割り合いは非常に多く、日本もその優等生の仲間入りをしていました。このため日本の上層部もさらなる開拓奉仕者獲得のために各会衆に圧力を加え、その会衆の長老たちも信者を開拓者になれるよう励ます事をしていたようです。例えば私の以前いた会衆内で異常な頻度での戸別訪問ゆえ当然人々の反感がひどくなり、またそれに直面する伝道者たちの状況を考え、それを何とか押さえようと苦慮して長老と話し合った事があります。我々はこの頻度では人々は決して聞かぬ、もう少し頻度を押さえ、伝道活動の質を高めるべきだと言ったのに対して、彼等は普段宣教に出ていないので状況にうとく、ただ開拓者を増やすため現状維持を申し渡しました(そのあとこれらの状況を言った言い方が気に入らないと個人的に怒られもした)。そしてそれは組織の方針だったそうです。要は質より物量作戦ですが。そのあとは悲惨で二週間に一度の頻度と当然のように人々のさらなる反感に直面するのですが。

 このように彼等は拡張活動の一環として、いかに開拓者を増やし、その増強に努めるかは理解できると思います。開拓者自身はどうでしょう。

 彼等は一年で1000時間を拡張活動に費やさねばなりません。もし仮に週三日の仕事に就きそれを行うなら一日平均5〜6時間拡張活動に費やさなければならないでしょう。当然普通の就職はできません。彼等の多くがパートタイムの仕事に就き一般から見れば貧しい生活をしているのも当然でしょう(そのため「パートナー生活」と言われる開拓者同士が同居し生活費を出し合うというやり方も行われている)。特に必要の大きいと言われる地方のただでさえ職場探しの難しいところでは、無理が祟って体を壊して帰ってくる者もいます。またその活動が本当に楽しい事かは多くの人々の反応から分かるでしょう。それは楽しい事でもありませんし、逆に非常にきつい事でしょう。それくらい人々の反応は(当然でしょうが)冷淡なものです。

 多くの人々が言う程この拡張はうまくいきません。それで喜びを失ったと感じて辞める者も多数いるのも頷けます。それでもメリットもあります。少なくとも証人社会において一つのステータスを持つ事ができるのです。またさらなるステータスのある立場への足がかりにする事もできます。また証人社会と違う一般社会の人々との話し合いを好む者は友好的な人物に活動中に会って安堵感を得る事もあるでしょう。しかしこれは極めて稀な事です。

 総合的に見て開拓奉仕は割りの合う仕事でもないし、組織の拡張に資する時代もあったものの、逆に難しくしている部分も否めません。また質的に言えば、彼等の個人的な時間を犠牲にしているのでしょうがありませんが、とても高いものとは言えない。単なる組織拡張の有力な歯車として用いられているような気がします。これらの役割をこれからが人生だと言う若者に高等教育を諦めさせてまでやらせるものとはとても思えません。これは何ごとも組織の拡張と維持を優先的に考えるがために生み出された遺物に他ならないのです。