私がまだ証人だったころのことです。よく証人の子供達(二世と言われる)と集まり自分達の置かれた立場について話し合ったものです。彼等は必ずしも現状に満足している訳ではなかったようです。様々な不満、矛盾点、組織の硬直した方法に常に疑問を持っていました。これは必ずしも模範的でないとされる二世だけでなく、開拓者で奉仕のしもべの者、またベテル奉仕者の中にも同様のことを述べるものがたくさんいました。しかし彼らは影で不満を述べるだけで実際に何かをするわけではありません。もちろん組織に対しての不満、批判はこの証人の中では徹底的に禁じられていることであり、たとえそのように感じていても素知らぬ顔をして従順にしているのが証人の中での賢い行動なので皆そのようにするのでしょう。しかしその結果多くの問題が是正されず同じことが繰り返されるわけです。そのような組織を維持している者の中には不満を抱えながらも何も発言をせず無言の承認を与える表面上忠節な多くの二世も含まれると我々は考えます。
しかし我々が発言をしたところで恐らく彼らは聞かないでしょうし、多くの人々に耳を塞ぐことを命じるでしょう。それでも我々は発言すべきだと考えます。たとえ一人の声は小さくてもたくさんの声が集まり彼らの注目を免れえぬようになったときにそれは大きな効果を生みます。そしてそれは何より自分たちと同じつらい経験を他の人、これから生まれてくる多くの二世達に経験させない結果になるかもしれません。また経験するとしても逃げ場を作ることができるかもしれません。
もちろん我々は二世で証人として育てられて本当に良かったと感じる人がいることも知っています。それらの人々の感情や意思も尊重されるべきでしょう。しかしそれと同じように我々二世になったことに悩み苦しんだ者の感情と意思も尊重されるべきものと考えます。(編者筆)