「(アサは)父祖達が作った糞像をみな取り除いた」列王第一15:12(新世界約)
証人の二世には、この組織を改革し、システムの是正をしようと考える者もいます。その心意気は若者として当然のことでしょう。むしろそのような若者がおらず、みな盲目的に組織に追従している状態ほど怖いものはありません。
しかし彼らが考えるほど、この組織を改善するのは簡単なことではないでしょう。なぜなら多くの過ちの上に建てられているものです、また構造上の欠陥もあるでしょう。この点に関しては先に論じました。
しかし改善の声を上げなければ、結果多くの人々が苦しむであろうとの声もあるでしょう。もちろん我々はその問題を指摘するでしょうし、憂慮もするでしょう。また必要な行動や困っている人に助けを差し伸べるなども出来るでしょう。しかしこの組織の改革は非常に難しい問題です。
まず我々の責任ではありません。むしろ責任を問われるのは責任を持つ者たちです。ですから私たちがその責任をかぶる必要はないでしょう。もちろんその責任を問うことは出来ますが、この組織を改善する真に責任があるのはその上層部です(もちろん彼らに従っていることにより暗黙の了解と支持を与えているという責任はある、もちろんそれぞれの事情もあるであろうが、この点は慎重に考慮すべき)。しかし彼らはその責任を取りませんし、責任を取らなくても済むような形の組織を作り、それを維持しています。しかしその結果を末端信者は刈り取っているわけです。
我々は彼らの責任を追及できますが、ここまでしか出来ないでしょう。後は彼らの責任であり、彼らに責任を取らせるべきです。それが大人としての彼らの扱い方です。このような改革を自分の責任と思って、自分の人生を犠牲にまでしてやるのは非常に空しいことです。それよりも個人のすべきことしたいことがあると思います。そのようなことで組織に振り回されるべきではないでしょう。結局組織の改革と自分の人生とは切り離して考え、それぞれ独立させたほうが賢明なような気がします。組織の改革が失敗し、自分の人生が犠牲になっても組織は決して責任を取ってくれないでしょう。むしろ改革しようとする者を非情な仕方で扱うでしょう。彼らはそのことに敏感に反応します。保守的で自己の権威を優先する彼ららしいやり方です。むしろ自己の人生を優先させ、それでも必要と感じるなら彼らの責任を追及しながらも、改革するかは分からぬ彼らを離れた地点で冷めた目で見ているほうがよほど健全でしょう。