入学試験や、入社試験等で、誰でも一度は面接というものを経験したことがあるはずです。
その時、本来の自分を包み隠さず表現できる人は、本当に勇気のある人か、もしくは何も考えていない人だと思います。
本気でその学校もしくは会社に入りたいと思っている人は、少なくともその場を良く見せようと、普段は使い慣れない言葉で対処し、過去の足跡も都合の悪い部分を明らかにしないまま、その面接を切り抜けひたすら合格を願うのが大半の人の最も一般的な方法ではないでしょうか。
同じような状況は、好意を持つ相手と出会ったときにも当てはまるでしょう。
きっかけを手にしたとき、まずは好感度を高めるためにもあらゆる手段を試みるはずです。
あらゆる手段を試みるというよりも、いかに相手を不快にさせないかという事に十分に気を使うようになると言ったほうが正しいかも知れません。
そして、二人の関係が徐々に深まっていくことを感じることが出来たら、本来の自分らしさを表現していくことでしょう。
もし、本来の自分の考え、服装の趣味、好みの味、娯楽、過去の足跡等それらを隠し続けるなら、相手に対して自分を偽り続けていることであり、それは誠実さを現していることとはならないからです。
それら誠実さの表明として、自分を表現することにより、時には自分の望む結果にはならなくなる場合も十分に考えられます。
それは、確かにつらいことですが、自分の感情に基づいて決定された自分の考え、過去の足跡、といったものが原因ならある種の諦めもつき、次回に本当の自分を理解してくれる相手を見いだすための一つの動機づけともなるのでしょうが、自分の感情に基づかないで決定された自分の考えや、過去の足跡によって二人の仲が気まずいものになってしまった場合、それには、次回に対する教訓を残すどころか、むしろ、次のきっかけに対して臆病にさせてしまうか、若しくは、不誠実にも自分を偽り続けたほうが良い結果を残せるという考えを生み出す温床にもなりかねません。
私も、エホバの証人の二世として育てられ、自分の感情に基づかずに決定された過去の足跡を持つものとして、常に、好意を持つ相手と知りあう機会があっても、この大きなマイナス要因を出来るだけ悟られまいとして、不誠実にも隠し続けられるものなら隠し続けたいと思い続けてきた人間の一人です。
このような考え方は、私のように組織から離れていった大抵の若い人なら常に頭を悩ますジレンマの一つであるように思います。
中には、組織を抜けた若い人でも、一般の人と交際するにあたり早めに自分の過去を明らかにした結果、その過去の規律正しい生活が、現在の人格を形作っているのだから構わない、と理解を示してくれる相手もいるようではあるが、それは運に恵まれた稀なケースではないかと思われます。
大抵の人は、自分が過去エホバの証人であったことを隠しておいたほうが気が楽であり、説明に時間を割くこともなく、思い出したくない過去に悩まされる必要もないと考えるのが自然ではないでしょうか。
また、上記のような状況の中であらゆる紆余曲折を経て、やっと互いに尊重しあえる関係を築いた二人も、自分の過去を早めに明らかにしてもなお関係が揺らぐことなく維持できた二人も、恋愛期間は滞り無く過ごせても、いざ結婚という段階になると状況は確実に変化するはずです。
なぜなら、結婚には基本的に両親の承諾が必要ですし、互いの両親は少しの不安材料の無い相手を望むため、エホバの証人としての生活を余儀なくされた人間に対し、大きな理解力を示す可能性は極めて低いからです。
一方、不信者とくびきを共にしない事が大前提のエホバの証人の親の説得も、かなり頑なな親の場合、乗り越えなければならないハードルはさらに高いものになるでしょう。
現に、私の周囲の数少ない事例の中でもこの問題で頭を悩ませている人もいるのです。
これらの状況が、組織とはなれた若い人の恋愛、結婚観に暗い影を落としている原因の大きな部分を占めているようでなりません。
確かに、若いエホバの証人内においても、恋愛や結婚に関して若い人を対象にした書籍がありますが、その内容は、如何にして自分の中に沸き上がるある種の欲を律するかという部分に重きが置かれ、若い世代が読んだとしてもあまりにも自分の抱えている問題とのひらきがありすぎるので、具体的な対処は最終的に自分の中で決着をつけなければならないため絶えず消化不良の状態が続く有り様なのです。
この問題は、人と取りまく環境はそれぞれ違うので、私が何らかの結論を出すわけにも行かず、私自身も結論を出せるほど自分の中で決着がついている立場でもありません。
ただし、これらの問題は、どの若者でも確実に考え、何らかの結論を出そうと努力している問題の一つでもあります。
今回、何故私が自分なりの結論を出せない問題をあえて記事にしたのか、それは取り巻く環境の違う若者たちの意見を幅広く集めるための起爆剤としたかったからです。
若い人たちが避けて通れないこの話題は、環境が異なる人それぞれに何らかの意見が必ずあると思うのです。
上記に掲げた状況は、組織を離れた若い人なら自分を含めてこのように考えるのではないだろうか、という推測の元に書かれているので具体性に欠けているのは事実です。
だからこそ、色々な意見が聞きたいと思っています。
もちろん、我々と同じ世代に限らず、人生経験の豊かな方の客観的な意見もお待ちしています。
「元証人の語る証人内部の結婚事情」by A
証人の中では結婚に関してやたらうるさかった。もちろん結婚するかしないかは個人が決めることなのだけど、精神的方向付けはいろいろされます。‘独身の賜物’とか言って、何度もものみの塔研究で独身でいることを薦められたりするから、既婚の姉妹たちが「独身はいいわよ。私が真理を学んだとき独身だったら結婚はしなかった。」なんてやたら独身を励ましてくれるのです。そうなると結婚したくても結婚したいとは言えない雰囲気となり、婚期を遅らせるか逃すことになるのです。いつしか本当に「結婚とはしがらみの大きいものだ」と結婚に対するイメージが悪くなり、「私は結婚したくない」と言うようになるのです。無意識的には結婚を渇望していてもです。
次の問題は子供をつくるかどうかです。子供を持つという問題についてもこれまたものみの塔研究でよく扱われていました。そこでは‘ハルマゲドンを目前に控えた困難の時代に妊娠・出産・養育といった世俗的な事柄に煩わされるのは賢明ですか?’と唱えられる訳です。結婚しても子供を持たない夫婦は結構多くてそのような夫婦にはより多くの特権が与えられていたようですし、集会中子供の訓練で大変な思いをしている親を見ていますから、だんだん「子供は持ちたくない」と思うようになるのです。しかし意識のどこかで「もしハルマゲドンが来なかったら私は子供を産むということをせずに老年を迎えてしまうのか」という気持ちもあるのです。そんな気持ちを常にかき消す努力は人によって様々でしょう。結婚問題にしても出産問題にしても取り返しがつきにくいのは、どちらかというと子供を作れる期間の短い女性と思います。私は証人をやめて2年半経ちます。ときどき証人内の仲の良かった友達は今ごろ結婚しただろうか、子供が欲しければそれが可能なうちにそうして欲しいなと思います。
ところで証人は結婚するまで純潔を保ちます。それはそれで結婚するまで楽しみがとっておかれるという点では良いことだと私は思います。組織の要求の通りにできたカップルの場合、幸せな結婚となりますが、ちょっと道を踏み外したカップルの場合苦難の日々が待っています。それでは愛情も冷めるのではないかと思うほどです。
まず、結婚をしようとして付き合い出す場合、実質的には長老の許可がないと付き合うことができないようでした。男女のどちらかの霊性が低いと判断されると「ちょっと待て」となる。それでも強引に押し切って付き合っても罪ではないので、長老は何もできないはずです。次にお付き合いが始まるといろいろ助言をいただきます。部屋や車で2人だけにならない方が賢明だとか、デートはできるだけ円熟者同伴でとか云々と。だから恋愛中もパァッと公に遊べません。多くの場合付き合っていることは極秘にされます。‘みんなの公認のカップル’といった形態を私は見たことがありません。まあ、それでも本人たちはそれなりに幸せでしょう。しかしここでついついある段階以上に進んでしまうと後が大変です。結婚式は多分延期されるし、特権からも降ろされるでしょう。これは本当に悲惨です。なんでそんなことを詮索するのか私には分かりませんが、バレなくとも恐らく本人たちはずっとずっと罪悪感を引きずることになってしまいます。ついでに言ってしまうと結婚後も性行為の形態によっては助言されたり排斥になったりしてしまいます。とにかく「ノーマル」でないとだめなのです。そんなことを聞き出したり助言したりする方が「アブノーマル」と思いますが。
それでも証人内に好きな相手を見つけた場合はまだ幸せな方です。証人外の異性を好きになってしまったら、これはもう問題外です。上の細かい助言どころではありません。長老の言うことは実質「とにかく別れろ」でしょう。その時点で特権はなくなるし、反抗すれば排斥にもなりかねません。排斥となったら「以前こんな人がいた」と語り種でしょう。
私はこの中で自分の身近で見たり聞いたりしたことについて、できるだけ事実を書いたと思いますが、会衆や地域によってかなり事情が違うというのも事実です。
「性に関しての問題について」by K
この問題は微妙な問題ではありますが、避ける事のできない事柄です。証人・元証人の実生活、精神的なものや感情的な悩みに言及する際この点を述べずにいるなら、根本的な部分を無視している事になりかねません。それで筆者はこの問題を避けたくない、明確にしておきたいと考えます。
しかしある方はこのような問題に触れたくないかも知れません。そのような感情や気持ちも理解できます。そのような方の感情を害するように感じられるのであれば前もって謝らせていただきます。しかし本稿は性に対する見方、価値観、道徳律を破壊する(もしくは押し付ける)為に書かれたのでなく、そのような悩みや問題が現存するという事実に基づいて書かれました。その点をご理解ください。
マスターベーション
一般には若い男性の九十七%女性では九十%がマスターベーションを行うと言われます。しかし証人の若者でそのようなことを行うものは稀です。皆さんの中で嘘だと思われる人がいるかも知れませんが建前上はそうなっています。何故ならそのような行為は排斥にはならないものの「重大なあやまち」であり「秘められた悪行」、「隠された罪」とされています。そのような罪を行う者などいたとしてもごく僅かであり、そのような者はその「性的欲望」という「汚れ」と真剣に戦わなければならぬ、とされています。性的な空想でさえそうみなされます。
例えば「若い人が訪ねる質問-実際に役立つ答え」の中ではこう述べられています。
「聖書の中で直接に非とされていないということは、マスターベーションは無害であるという意味でしょうか。絶対にそうではありません。淫行のようにゆゆしい罪の部類には入れられていませんが、マスターベーションは確かに汚れた習慣です。」
「あなたは、マスターベーションがどれほど重大な罪であると思いますか。」
その模範的な例として「目ざめよ誌」1994年11月8日号ではその習慣があった若者二人が長老にそのことを告白し、やがて克服し立派な信者になった事例まで載せられ、その後にその記事に対する読者からの感謝の手紙まで載せています。
これらの記事に見られるように証人の自慰行為に関する見方は単純で伝道活動、祈り、聖書研究をすれば解決できる、またそれらを親や長老に報告して助けを得るよう若い人に勧めていました。しかしそのような方法が役に立ったとは思えない者もたくさんいました。大体あの若い年ごろにそのような恥ずかしいことを親にさえ言うでしょうか。また若い女性などがそのようなことをしていた場合、男性の長老に言うことでしょうか(大体彼らの多くは若いころは証人でないのでそんな悩みなど理解できないでしょう)。
多くの若者はこの点で悩みます。性欲を抑えようと言ってもかなり苦しいものがあるでしょう。無理に抑えようとしても抑えきれず、図画や映像または想像などの刺激を求め、自慰に走りそれで罪悪感が募り、ますます自己嫌悪に陥り、自分は絶対に神に受け入れられないと感じる場合もあります。しかし性欲を抑圧すればするほどそれは肥大するものです。またそれは性に対する見方を厳しく歪んだものに変えてしまうようです。一般の人々には真面目すぎるくらいの性に対する態度、証人の中では隠れて自慰を行う汚れた存在としての自分。どこにも居場所がなくなるのです。
だからと言って彼らが別に性欲の無い無垢な存在であるわけでもありません。(全部ではないが)多くの若者は隠れてポルノ文書を見たりアダルトビデオを見たりしていますし、ベテル(ものみの塔の印刷施設と指導本拠地)内でもそれが見つかり追い出されたという武勇伝も聞きます。
前述の「若い人」にはこう書かれてもいます。
「圧力を受けたり、緊張や寂しさや失望を感じさせたりするとマスターベーションをしたいという衝動に駆られる・・・」
ある意味で彼らがマスターベーションやその他を重大な罪として圧力をかけ、失望を感じさせること、また多くの要求などの圧力や一般社会との摩擦も、マスターベーションの悪循環の一因になっていることは想像に難くありません。
性の不道徳による排斥
もし証人として長い間、歩んでこられた方ならご自身の知り合いが何らかの形で排斥になるのを見てこられたでしょう(そしてそのような方とは道であっても決して挨拶さえしなかったかもしれません)。そしてその大多数が性の不道徳によるものだったことでしょう。
そもそも何故これほど多くの排斥が起きるのでしょうか。
まず彼らの性道徳について考えてみましょう。彼らの基準は非常に厳しく結婚関係以外の性関係は認めません(空想やフィクションも含め)。もちろん婚前交渉も認めません。また信者以外の人間との婚姻も罪ではないが不適当なものとして扱われます。ですから男女交際ができるのは、信者同士の結婚を前提としたもので、それには結婚できる「若さの盛りを過ぎた」落ち着いた年齢であり、性的接触はおろか抱擁や接吻なども欲情し性交渉につながる鎖となるかも知れないので、それらを除いた清らかな交渉、このような条件の元でしか許可されません。もちろんこの枠内に収まる(もしくは収まらなくてもたまたま見つからなかった)方は良いですが、そうでない場合最悪、排斥となるわけです。
大多数の信者は、もう結婚した主婦という人々、また長老などの大多数もすでに結婚していて、結婚前には信者ではないので、今このような男女交際の規定があっても別に困らない人々です(もちろん彼らも結婚関係外の性交渉は禁止されてはいるが)。しかしこれからの若者たちでこれらの価値観に容易についていけない者は苦しむでしょう。多くの場合信者以外の人と恋愛関係になり性交渉を持ち排斥になるケースが一番良く聞くものです。また信者同士で、また婚前交渉で排斥になる者もいます。
その排斥の審理ではかなりプライベートなことまで聞かれます。もちろん答えなければ反省の色が見られないと言うことで排斥です。このように罪悪感で苦しんでいる本人を追い詰め、最終的に会衆内で公に辱めることがなされているようです。これが本人に与える影響は大きいことと思います。
また排斥された後、早く復帰したくて、ずっとつきあっていた相手を突き放すケースもあるようです。また長老が姉妹を誘惑して双方排斥になり、長老だけが復帰するというものも身近にありました。
信者以外の一般の人たちとの恋愛
上記に書いたように信者以外の人との婚姻は不適当なものとして白眼視されます。また男女交際は結婚前提が原則です。ですから信者以外の人との男女交際は危険視されます。
と言っても会衆内のぎくしゃくした男女関係、個人的交際の制限、魅力的な異性の少なさ、もしくは自分に見合った年齢の異性が皆無などの状況。それに反比例して学校、職場、その他一般の環境での異性との接触は彼らにとって大きな魅力となります。まわりの友人達の多くが異性と個人的に付き合っているのを見れば、自分だけこのような状態であることにやるせなさや寂しさを感じることでしょう。そのようなときに魅力的な異性に出会えれば彼らの宗教的な信念(もしくは仲間の圧力)はゆらぎます。
こうして恋愛関係が始まれば、会衆内での後ろめたさなども手伝い自然と足が遠のくことでしょう。また会衆内に留まっていてもそのことが皆に知れ渡れば冷たい視線が待っていますし、もしかしたら長老たちが淫行などの疑いで排斥にするかも知れません。それでも信仰のようなものが残っているなら、その人を罪悪感などで苦しめでしょう。それら幾人かの人は結婚した後にまた証人の活動に戻ってくるようです。
結婚を抑制するような環境の影響
このような種類の環境は多くの結婚を望む若い男女に大きな圧力となります。例えば信者でないということ以外の点では理想の異性がおり双方が好意を持っていても、信者でないという理由で諦めざるをえなかったり、また色々な異性と友人として付き合いながら、ごく自然に恋愛に発展していこうとすると、頭の堅い長老や古参の信者から多くの圧力を受けたり、また結婚より独身で拡張活動に専念することが理想とされ、それに従い、若者のいない地方に組織の派遣で赴き、そこで適齢期を逸してしまうことなど。
もちろんそれらの環境下でも上手くする者もいるでしょう。例えばベテル奉仕者という人々は地方の人々のあこがれがあり、彼らもそれを知っています。それで地方から来た信者にアピールしたり、地方の大会などで自分のバッチにそのことをわざわざ書いたりして、他の若者にひんしゅくをかうケースもありました。
またこのような環境下で男女で友人としてではなく信者同士でしか会話をしていないため男女としての会話も成立しにくいように思えます。多くの信者がこの点、不器用でした。そのため証人を辞めて、一般社会で男女交際をしようとすると不安を覚える者もいます。
同性愛
これは稀なケースでしょうが、幾つか実例を聞きます。例えば地方に赴任した若い男性のルームメイトが同性愛で排斥され、近隣の会衆に巡回監督が「パートナー生活をする若い兄弟同士は一緒にお風呂に入らないよう」と助言して廻ったとか廻らないとか。
もちろんこれは本人のあくまで嗜好ですし、何とも言えないのですが、もしそのような嗜好のある人は非常な苦しみを感じると思います。私が以前見たテレビ番組では同性愛の多くの者が悩みから自殺を考えている、自分が二十代後半まで生きれると思わない者がかなりいる、と同性愛者に関する雑誌上において悩みの相談を受けておられる方は言っていました。
またさらにうがった見方をするなら、上記の多くの異性に対する禁忌も、このような嗜好をもつ状況に追い込んでいるのかも知れません。多くの厳しい性に対する認識を持つ古い宗教、また軍隊などでは同性愛が多いと聞きます。
堕胎などの禁止
また微妙な問題ですが、このようなケースもあると聞きます。ある姉妹(もしかしたら姉妹達かも知れない)が奉仕中、部屋に連れ込まれレイプされ、妊娠してしまった。堕胎が出来ないためにその子供を出産して育てざるをえない。
この事件の後に姉妹達は夕方遅くは必ず兄弟とともに奉仕する、再訪問で相手が男性の際必ず兄弟と一緒に行くこと、などの通達が出されました(いつものことながら遅すぎる)。
ここで問題はその子供を出産すべきかどうかです。もしそれでも育てる気があればまだしも、例えば少女などがこのようなケースになった場合、自殺しかねないような精神状態で絶対産みたくない意思を明らかにした場合にもそれを強要できるかです(以前アイルランドかどこかでも証人ではなくカトリックでしたがありました)。もし堕胎したら排斥するのでしょうか。それとも無理やり妊娠するよう説得するのでしょうか。
ものみの塔の見解は堕胎も結局暴力であり、レイプのような暴力を暴力によって解決できないと言いますが事はそのように単純なものだとは思えません。このようなケースの場合、産まれて、なおかつ疎まれる環境で育てられ、あるいは育てるたびにずっと悪夢を思い出し精神的にダメージを受けるよりは堕胎という手段を残すことも必要かと考えます。はっきりとしない聖句を使って四角四面で物事を扱い、傷ついた人を一生苦しめるより良いでしょう。
高位職の者によるセクシャルハラスメント
このケースも稀ではありますがあります(海外でも色々あると聞きます)。例えばある巡回監督代理や地域大会などで監督職や公の話をしていた長老は少女達の体をいつも触っていました。感受性豊かな十代前半の少女達の恥ずかしさで真っ赤になった顔をさすったり、後ろから手を回し抱きすくめながらヒゲでほおずりをしたり、お腹をさすったりしていたのです。その少女の中の一人がやがて集会に来なくなり、そのお母さんがその長老の不正を訴えたのですが、逆にお母さんの方が罰せられるという事態まで起きたのです。これが少女達に与える痛みはどうでしょう。実際その集会に来なくなった少女と話をしたことがありますが、もう対人恐怖症のような状態になっていて本当に気の毒でした。もしその長老が原因もしくは悪化させる元凶であれば許されざるものですが、現在も彼は長老職に留まっています。このような権威を使った横暴から皆で少女を守ろうとしませんでした。
長老というのは会衆内ではほぼ絶対的権力を手中に持っており、もし節度が無ければこのようなことが可能なわけです。それで皆見て見ぬふりをする様な環境です。これは少女達の健全な成長環境(精神的にも肉体的にも感情的にも)には非常に有害なものだと思います。自分が尊敬し信頼すべきとされている者によってこのようなことをされるのですから。日本支部はこのような者を厳罰で対処すべきだったのですが逆に訴えた側を罰するのですから彼らが信者のことをまるで考えていないでしょう。
彼らの感じる性の悩み、また問題はこれ以外にも多くあることでしょう。あなたももしかしたら同様に感じられる点が有るかも知れません。それは多分あなた一人ではありません。内部の多くの者も感じている事柄です。出来るならば安心できる場でそれらを吐き出すことが出来れば良いのですが。「フィリップスの未来」では、これからもそれらの事柄を皆さんと一緒に考えていくとともに、そのような場を少しでも広げたいと思っています。