第一回
原文
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日本語訳 |
@秦良玉,忠州人,嫁石柱宣撫使馬千乘。 A万暦二十七年,千乘以三千人从征播州,良玉別統精卒五百裹粮自随,与副将周国柱扼賊(登+β)坎。 B明年正月二日,賊乘官軍宴,夜襲。 C良玉夫婦首撃敗之,追入賊境,連破金筑等七寨。 D已,偕酉陽諸軍直取桑木関,大敗賊衆,為南川路戦功第一。 E賊平,良玉不言功。 F其后,千乘為部民所訟,病死云陽獄,良玉代領其職。 G良玉為人饒胆智,善騎射,兼通詞翰,儀度嫺雅。 H而馭下嚴峻,毎行軍發令,戎伍粛然。 I所部号白杆兵,為遠近所憚。 |
@秦良玉、忠州の人、石柱宣撫使の馬千乗に嫁ぐ。 A万暦27年、馬千乗は三千人を率いて播州に出征し、良玉は五百の精兵を従えて糧秣輸送の任につき、副将の周国柱と共に逆賊のいるトウ(登+β)坎を陥とした。 B翌年の正月2日、賊軍は官軍の宴会に乗じて夜襲した。 C良玉夫妻はこれを打ち破り、続いて賊軍勢力に入り、山塞7箇所を破った。 D後に、酉陽軍と共に、瞬く間に桑木関を取り、大いに賊軍を打ち破り、南川路の第一の戦功であった。 E賊軍を平定したが、良玉は功を求めなかった。 Fその後、千乗は罪を着せられ、雲陽の獄中で病死し、良玉は石柱宣撫使を継いだ。 G良玉は度胸があり、賢く、騎射に優れ、詞文に通じ、容姿端麗であった。 H厳しく統率し、行軍する毎に号令をかけ、軍隊は粛然としていた。 I部隊は白杆兵と号され、あちこちで恐れられた。 |
注釈 |
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@秦良玉,忠州人,嫁石柱宣撫使馬千乘。 秦良玉は四川・忠州の出身です。正史には幼少期のことについては触れていません。千乗に嫁いだのは、良玉が22か23才の頃だと推察されます。 馬千乗(バ・センジョウ)、字は君錫(クンシャク)といい、後漢の伏波将軍・馬援の子孫と称しています.....が、真実かどうかは定かではありません。もしそうだとすれば、三国時代の馬超一族も馬援の子孫ですから、馬超らの子孫にあたります。ちょっとビックリ。 ○○宣撫使(センブシ)とは、その地方一帯を治める職で、土司(ドシ)とか土官(ドカン)ともいいます。ちなみに石柱の「柱」なんですが、本来は木偏ではなく石偏です。しかしフォントがなく、「柱」の文字を使っている文献もあるため、以後は「柱」で通していこうと思います。
A万暦二十七年,千乘以三千人从征播州,良玉別統精卒五百裹粮自随,与副将周国柱扼賊(登+β)坎。 万暦27年に、播州で起きている楊応龍の乱を鎮圧するために出兵しています。本文を見ての通り、良玉は千乗とは別に兵を率いています。五百の兵と糧秣輸送ということは、最初は後方支援の役割で出立したのでしょう。周国柱という人物についてはよく分かりませんが、四川総督、つまり乱鎮圧のための官軍のトップである李化龍(リ・カリュウ)の参将だそうです。共に輸送の任についたということですね。
B明年正月二日,賊乘官軍宴,夜襲。 C良玉夫婦首撃敗之,追入賊境,連破金筑等七寨。 翌年、つまり万暦28年の正月、夜襲を仕掛けた賊軍を返り討ちにしています。もし本気で宴会をしているところを襲われたら、多大な被害が出て、打ち破ることなどできません。つまり宴会はワナ。反撃して、そのまま一気に攻撃に転じ、砦を七カ所も陥としています。
D已,偕酉陽諸軍直取桑木関,大敗賊衆,為南川路戦功第一。 酉陽(ユウヨウ)は石柱の隣の地で、酉陽宣撫使の冉御龍(ゼン・ギョリュウ)が治めています。この酉陽軍率いる冉御龍と共に、播州に通じる道の喉元にあたる、桑木関を攻め落とします。桑木関は、両側が岸壁で囲まれている天然の関で、ここを陥とすのに千乗・良玉麾下の白杆兵が特に活躍したそうです。理由はIでします。 南川路、すなわち播州進軍の際の第一の戦功と評されています。しかし、乱平定の功績は全て李化龍のものとなってしまい、良玉たちにはなんら恩賞もありませんでした。
E賊平,良玉不言功。 直訳すると「良玉は功を言わず」ですが、前の文と併せて考えると「功を求めず」の方が正しそうです。.....どちらにしろ、公平の評価されなかったことに代わりはありませんが...
F其后,千乘為部民所訟,病死云陽獄,良玉代領其職。 それから後、千乗は獄に繋がれます。理由は公金の横領ですが、その実は宦官に賄賂を贈らなかったから。明末期も今までの歴史と同様に、宦官がはびこっていました。こいつらに権力があるから、たまったもんじゃない。金を贈らなきゃー、罪を並べ立てられ即、牢獄行き。本当に病死したのかも極めて怪しいですし。 千乗の職であった石柱宣撫使は、長男・祥麟がまだ成人になっていないので(12か13才?)、良玉が引き継ぎました。夫亡き後、子供が成人するまで妻が職を代行するのは、四川の風習だったそうです。
G良玉為人饒胆智,善騎射,兼通詞翰,儀度嫺雅。 良玉は、幼い頃から兄弟と共に武術や兵法を学んでおり、成人する頃には兄弟の中でも抜きんでていました。そのため、彼女の父親は「この子が男子だったらならば.....」と何度も嘆いていたそうです。 赤字の部分はうまく訳せなかったのですが、その他の文献で「彼女は常に(男物の)戎装していた。」と出てきますので、そのような意味なのかもしれません。
H而馭下嚴峻,毎行軍發令,戎伍粛然。 I所部号白杆兵,為遠近所憚。 白杆兵とは、先端には鉤、柄の末端には鉄環(輪っか)のついた槍を扱う兵士です。鉄環に鉤を引っかけることで崖を登ることが出来、登攀の訓練を受けた、いわゆる山岳兵が白杆兵です。 良玉は嫁いできた当初、この白杆兵の訓練を買って出たわけですが、その軍律は極めて厳しく、その後の行軍では「秋毫無犯:しゅうごうもおかさず」、すなわち、小さな罪一つとして犯さなかったそうで、この時代、奇跡といってもいい快挙でした。 |
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