インターネット・マングローブ大学
追加講義A「自然は誰のものか」
−マングローブ林域で暮らす人々(その2)−
<講師>マングローブ植林連絡協・事務局長
萩谷 準一4.働き者のワンナさん
南部タイのナコン・シ・タマラート県の一番北にカーノム(
Khanom)という小さな町がある。すぐ隣はスラタニで、沖合いにある「サムイ島」と「パンガン島」は欧米人が多数訪れるタイでは著名なリゾート地である。カーノムは、カーノム川がシャム湾(Gulf of Thailand)に流れ出る河口に出来た町で、漁業中心の町である。カーノム港に所属する「小型底引網漁船」は50隻前後で、それぞれカーノム港にある「エビ買付会社」4社と契約をしている。4社のうち最も大きいのは「コリ・カンパニー」で、半数以上の漁船と契約している。他の「シン・タイ・カンパニー」「カセ・カンパニー」「ミット・カーノム・カンバニー」は、中小の会社で、それぞれ
10隻前後の漁船が所属している。ここで述べるワンナ・シンスワンさん(45歳)は「シン・タイ・カンバニー」の買付責任者で、女手ながら所属漁船の漁獲物を一手に取りしきっている。カーノム漁港の小型底引網漁船は、いずれも乗組員5〜6名で、サムイ島の周辺やシャム湾内で、トロール網を曳いてエビを獲っている。乱獲でシャム湾のエビ資源は年々減少を続けているが、それでも昼夜兼行で網を曳き、何とか赤字にならない程度の漁獲高は上げているようだ。タイ・バーツの下落で、輸入に頼っている「石油燃料」の値上がりは、船主たちにとって頭の痛い問題だ。
漁船が帰ってくると、ワンナさんたちは大忙しになる。漁獲したエビがどんどん水揚げされる。漁港には「荷捌場」と「作業場」があり、作業場では近所の主婦たち(パート)が、テーブルの上でエビの仕分作業を始める。エビを種類別に分け、さらにサイズ別に分類する。エビの値段はサイズによって大きく異なる。大きいサイズのものは高く、小さいサイズのものは極端に安い。仕分けられたエビは、サイズごとにポリ容器に入れられ、これをワンナさんが計量し記録してゆく。われわれ調査団が訪問した日は、サイズ別に「
115バーツ」「161バーツ」「256バーツ(いずも1kg当り)」の値段が付けられていた。大物とクズものでは倍以上の開きがあることが知れる。漁船の船長や乗組員は、わずかな「基本給」と大きな「歩合給」を手にする。収穫量の多い時は歩合給で「懐」が潤う。水揚げを終えた後、船内の掃除や次の航海の準備を始めるが、「荷捌場」の方が気になるらしく、時々横目で見ている。船長はタイ人だが、乗組員はミャンマー人やモン族(ミャンマーの少数民族)の人たちが多い。船上での漁労労働はかなり苛酷で、タイの若者たちは「3K」と言って嫌うらしい。
ワンナさんは、我々の聴取調査に快く応じてくれたが、この日は漁船が一度に2隻も入港したので、超多忙であったと言う。調査の後、今度は対岸の「コリ・カンパニー」へエビの買付けに行くと言う。われわれも現場を見せてもらうことにした。そこでは既にサイズ別にポリ容器に入れられていたが、ワンナさんは手際よく容器ごとの
1kg当り尾数をカウントし、買取価格(単価)をメモ用紙に記入してゆく。値決めと計量が済むと、素早く氷塊を詰め、小型トラックで持ち帰る。荷捌場の駐車場にはバンコク直行の「保冷車」がすでに待機している。鮮度でも勝負なので、ぐずぐずしては居られない。
最後に「カーノム川」の上流に、マングローブの見事な天然林があることを知っているか、とワンナさんに訊ねてみた。ワンナさんはにっこり笑って「
Yes」と答えた。小型のボートでカーノム川を遡上すると、すぐ両岸にマングローブ林が見えて来る。ここでは、タイでは数少なくなったマングローブの天然林が保存されているのだ。川下にあるカーノムの「マングローブ種苗生産センター」のピーセック所長とそのスタッフが、この貴重なマングローブ林を管理している。彼等は結実期になると、天然林の中の母樹から沢山の「胎生種子」を採集して来て、種苗センターの苗圃で立派な苗木に育て上げる。先にも書いたように、カーノム川がシャム湾に流れ出たその沖合いに「サムイ島」と「パンガン島」がある。シャム湾の漁業資源は枯渇して久しいが、サムイ島とパンガン島の周辺海域は、まだエビが獲れる。カーノム漁港の小型底引網漁船は、近海で操業出来るので、恵まれていると言える。思うように漁獲が上がらない漁船は、遠くインドシナやそれ以遠の海域まで、何日もかけて出漁しなければならない。それを考えると近海で操業出来る漁船は恵まれている。
カーノム川のマングローブ林は、毎年、無数の稚エビや小魚を育んでいる。成長したエビたちは河口から外洋に向って旅立って行く。カーノム漁港で働くワンナさんやパートのおばさんたち、漁船の乗組員やその家族たち、おおぜいの人たちが、エビと関わって生きている。エビの背後には、手付かずのマングローブの原生林があることを忘れてはならない。
6.最後のスズ採掘会社社長のチャイヤさん
マレー半島にはスズの鉱脈が走っており、このスズの採掘が長い間盛んに行われた。パンガ県でスズの採掘が開始されたのは、1685年頃と言われている。最初は法律の規制がなかったので、誰でも採掘が出来た。中国系の資本がどんどん進出して来た。採掘技術も「手掘り」から「放水掘り」「浚渫方式」へと進化した。マレー半島の鉱脈は地表近くに存在したので、露天掘りが行われた。その後「鉱業法」が制定され、スズの採掘は認可制に改められ、採掘業者は認可申請が必要になった。スズのブームは1975〜1985年の10年間で、パンガ県だけでも鉱区が3,000以上に増加した。「鉱業資源事務所」には、採掘業者から多額の利用料が入り、これが財政を潤す結果となった。
スズはタイの輸出品目の第2位となり、タイ国の財政・経済に大きく貢献したのである。ところが、1985年、誰も予想もしなかったスズ国際価格の大暴落が起こった。採掘業者は多額の損失を背負い、倒産が相次いだ。1990年にはパンガ県で最後に残った10社が廃業に追いやられた。ブームは完全に終ったのだ。
現在、プーケット湾で一社だけが生き残って操業を続けている。 「コツチャイ・スズ採掘会社」がそれだ。社長は「チャイヤ・ペッカウ」さん、67歳である。同社は、現在2隻の採掘船を所有しており、プーケット湾で昼夜兼行、3交代制、24時間操業を続けている。プーケット・タウンから夜のプーケット湾を望むと、沖合いに採掘船の明かりが見える。
1999年10月、同社の採掘船に乗せてもらった。海上に浮かぶ巨大な工場だ。約1トンの土砂をすくいあげる巨大な「バケット」が、海底からつながって船上に引き上げられて来る。その土砂を大量の海水を使って洗い流し、比重の違うスズの原石を選鉱するのだ。すべて流れ作業だ。1クルーのメンバーは8人1組。船中は騒音で、大声で叫んでも聴き取ることが出来ない。チャイヤさんは、今では陸上の仕事を担当し、採掘船は息子さんに任している。われわれを案内してくれたのも、息子さんだ。

チャイヤさんは、次のような歩みでスズの会社を興した。1957年、隣接のタクアパ地区で他人から100ライ(16 ha)の土地(水田・果樹園)を購入して操業を開始。地層を30m掘り下げて採掘した。1968年、さらに1,000ライ(160 ha)を取得して、事業を拡大した。取得した土地の20%は陸地、80%はマングローブ林であった。マングローブ林は「国有地」なので、チャイヤさんは、王室森林局に60,000バーツの利用料を支払っている。そしてこの年に、採掘船を導入して「Jaw Pump System」から「Bucket Dredge Technique」による近代的な採掘方法に変更した。
タイ政府の鉱物資源省が採掘業者に対して「採掘許可」を与えていたが、1鉱区300ライ(48 ha)が基準であった。最初、内陸部について許可を与えたが、内陸部が次第に掘りつくされたので、沿岸域の鉱区に広がっていったのだ。マングローブ林では採掘が終った後、植林が義務付けられていたが、再造林がどれだけ実施されたのか不明である。チャイヤさんは1ライにつき2,000バーツの植林費用を負担したと語っている。
1985年、スズの国際価格が大暴落し、採掘業者は相次いで倒産した。60kgあたり12,700バーツから半分以下の5,400バーツに下がってしまったのだ。チャイヤさんは、この苦境を乗り越えて、ただ一人生き残った。現在ではプーケット湾内で2隻の採掘船で採掘を続けている。空港や観光地で売られているスズ製品(ピューターなど)は、同社の製品である。
かってチャイヤさんが採掘を行っていた「バントイ地区」で、地元の人たちが自主的にマングローブ植林を始めている。これに日本人ボランティアも3年間協力した(マングローブ植林大作戦)。チャイヤさんは、必ず参加して、村人と一緒にマングローブを植えている。参加者全員に「Tシャツ」をプレゼントしたりして、金銭的にも何かと協力していると言う。チャイヤさんは「マングローブのお陰で会社が拡大出来た。これからは、そのマングローブに恩返しをしなければ」と述べている。
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