サクルケント峡谷1
羊飼いが今から15年ほど前に偶然見つけたこの峡谷は、 全長約15kmでヨーロッパでも指折りのスケール 発見者の羊飼いはトルコ政府から 49年契約でこの場所を借り 観光客に入場料をとって開放し、 コーヒーショップを公園内で経営して、 なかなか商売っ気が! こんな渓谷にも国旗が! 峡谷はひんやりしていて、 菊池渓谷みたいな佇まいで清流に飲み物が冷やしてある 上流から人が下って来たので、我々も探索に!
サクルケント峡谷2
アキンさん落ちてきた大岩を、鍛えた体で受け止める! この川の清水をお土産として売っている お店の人達とチャイを御馳走になりながら、 ゆっくり語りあってたら、 辺りはすっかり暗くなっていた
オリュデニズ(死の海)
死の海と云われる由縁は、 塩分が濃ゆく生物が生息できないのでなく、 静かで鏡のような海面だから!
サフランボル
サフランが群生していたことから名付けられた サフランボルは 険しい山々に囲まれた谷間に広がる小さな町で 昔ながらのトルコ独特の木造家屋が数多く残っており 石畳が続く坂道、入り組んだ路地や街並みの 山間にたたずむ心温まる町サフランボルが 黒海沿岸と内陸部を結ぶ交易の街として、 最も栄えたのは17世紀から19世紀で、 この街の主な建物はこの時代に建てられたもので 1994年世界遺産に登録 熊本に山鹿灯篭という、 紙だけで作られた伝統ある技法があり 灯篭を頭にのせ、暗やみの中、 灯りをともして踊る 千人灯篭踊りという優雅な祭りがありますが、 このミニ家も紙だけで出来ていて、 造り方がよく似てる 町の広場にサフランの花
日本からサフランボルに送られた庭 トルコの人は大変フレンドリーで特に日本人に対し、 老いも若き人も優しい訳は! 明治23年9月16日、トルコ皇帝ハミル2世が 日本に派遣した特使一行を乗せたエルトゥール号が、帰路、暴風雨に遭い、 和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し遭難するという事故が起き、 この事故で、特使を含む518名は死亡した 死を免れた69名は、地元民の手厚い救護により、 一命を取り留め、この時村人たちは、台風により漁ができなく、 自分たちの食べるものさえ無くなってしまうという状況にあったにもかかわらず、 非常時のために飼っていた、最後に残ったにわとりまでも、 トルコ人に食べさせて介護し、遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬った。 この話は、和歌山県知事から明治天皇に伝えられ、 その後遭難者たちは明治天皇の命により軍艦2隻で トルコに送り届けられ、この話に同情した山田寅次郎なる人物が、 一民間人として新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集め、 遺族に渡すため、それを携えてトルコに渡り、 イスタンブールに上陸した山田は、外務大臣に義捐金を手渡し、 皇帝に拝謁した山田寅次郎はトルコ側の要請で、 そのままトルコに留まり、日本語を教えるとともに、日本とトルコの友好親善に尽くした。 この時の教え子の中に、 後に「トルコの父」と呼ばれた共和国初代大統領となる、アタチュルクがいた。 時代は下って、イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、 イラクのサダム・フセインが今から40時間後に、 イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とすということを世界に向かって発信し、 イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、 どの飛行機も満席で乗ることができなく、 世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、 日本政府はすばやい決定ができなくて 空港にいた日本人は、パニックに陥ったが、そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着し、 トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、 成田に向かって飛び立ったのはタイムリミットの、1時間15分前であった。 なぜ、あの危険な中、トルコ航空機が来てくれたのか、 日本政府もマスコミも知らなかったが、 この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は 昔エルトゥール号の事故に際して、日本人が施してくださった献身的な救助活動を、 今もト ルコの人たちは忘れていません。 私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。 トルコでは今でもこのことを学校で教えているので 子どもたちでさえ、エルトゥール号の事を知っていて、 今の日本人が知らないだけです。 それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです
フェティエ
フェティエのビーチは 地中海屈指のリゾート地であると同時に ヨーロッパ各地から集まるパラグライダー達のメッカ
ダラマン
トルコの南西に位置し、 エーゲ海と地中海が交ざり合う静かなリゾート地 この海を見下ろす小高い丘に 300棟程の別荘が建ち並び、 アキンさんちの別荘も、この一角に! 左の家がアキンさんの別荘 家に着いた時、 夜も遅くおまけに鍵を持ってくるのを忘れ、 このドアーをこじ開けていたら、 お隣の人から泥棒かと間違えられる 目の前がダラマン国際飛行場、 夜中も世界のあちこちから飛んでくる飛行機の音で ややうるさいけど眺めは最高 地中海が望まれるこの別荘地、 半分近くがドイツ人とかで、 アキンさんのお祖母さんは若い頃、単身ドイツに渡り、 服飾デザイナーから 努力し千人を超す縫製工場に育て上げ、 70歳を機に会社は譲り、 ドイツで知った別荘募集のチラシでトルコに帰り このダラマンに一人住み86で亡くなったと。 アキンさん作のディナーでピリ辛ソーセージのスライス トマト、鶏肉に卵やチーズを絡めた一品で 美味かったが、彼は飲まないので、 いつもアルコールないのが残念
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