
はじめに・・・・ 今回の母の骨折からやがて4ヶ月。 その間、思いもしなかった心臓手術まで経験することに・・・ この日記は骨折と聞いた日から、私なりに書いた物です。 3月10日、無事に田舎に戻る母。 HPで公開しようかどうしようかと迷いましたが・・ 長い文章で少し読みにくいかもしれませんが、お許しください。 |
11月14日 思いがけない事が起きてしまった。 母が骨折したと言う電話。恐れていた事が・・・・ 今日は私達夫婦の29回目の結婚記念日だと言うのに・・・・
11月15日 母に電話するけど、ほとんど痛みがないと言う・・・いろいろ忙しい母だから福岡に来るための整理に 丸1日掛かったらしい。
11月16日 11時の飛行機で福岡に来ると言うから、飛行場まで迎えに行く。 なかなか降りて来ないと思ったら、車椅子で・・・ その格好たるや哀れで、もう少しで涙が出るところだった。 そのまま、飛行場からタクシーで家へ。 午後から竹島先生の所へ行く。 レントゲンの結果、やはり、複雑骨折と言う。 「腱板」と言う肩の骨が幾つにも折れてるみたいで、やや難儀な骨折だと言う事を知らされた。 最悪の場合は骨は繋がっても、腕が上がらないことになると聞かされた。 とにかく、今日、大学へ持って帰って「如何にしたら、一番良い結果になるか」検討してくる事を言われた。 前開きの下着を探して歩く。 夜、体を見るとあちこちに打ち身の跡が・・・着物を着てたから、これくらいで済んだと母は言う。 しきりに「どうして、こんな事になったのかしら」というけど、 それがわかってたら、事故は起きないし・・ 「神から少し休憩しなさい」と言われてるんだぁ・・と母。 分かってるじゃん!
11月17日 夕べから雨の福岡・・でも気温は10月並だとか・・・母の容体も今朝は変わりなし。 気持も、昨日、こっちの先生に診て頂いて少し落ち着いた感じ。 先生の指示通りにやっていこうと言う気持になったみたい。 久しぶりに2人でコーヒーを頂く。 私も久しぶりに頂くコーヒー。とっても美味しかった。 こんな母とのひと時も久しぶりだぁ・・・ 昨日から、郷里の人が母の事故を聞きつけて電話が掛かってくる。 それに対して、同じ事を話さないといけないからと少し疲れた感じだ。 志保が会社を休んでいたので、午後から病院まで送ってもらう。 先生の話は2週間くらい後に再度、レントゲンを撮って手術するかどうかを決めると言う事になった。 福大しか、その機器はないらしい。とにかくしばらくは様子を見るしかない。 顎に出来てる「青あざ」をやたらに気にしている。
11月18日 朝から木下さんが見えて、奥さんに付き合ってもらって病院へ。 夫が運転してくれたので、私は家にいた。 今日は、昨日と違って先生から説明があったそうだ。 手術しても腕がきちんと上がらないだろう、しなかったらほとんど上がらない・・・ と言う事を聞いて来て、さすがにショックだったみたい。 月曜日、福大で再検査と言う事になった。努めて優しくしてあげようと思うが・・・
11月19日 午前中は暖かだったが、段々と寒くなった。母を連れて雷山の紅葉を見に出かけた。 少しは気晴らしになってくれたかしら。 昨年も志保と出掛けたが見事な紅葉だった。 母は相変わらず、青あざを気にして日に何度も鏡を覗いている。
11月20日 朝から福大で診て頂く為にタクシーで出かけた。 またまたレントゲンを撮って・・・・ 先生の診察の結果、即入院、22日、手術と言う事になった。 幸いにも、柴田先生と言う、肩では権威の先生を紹介いただいて、母も納得して、手術に同意した模様。 手術を受けないと、50%の回復率で、 手術を受けると7.80%だと言う事だが、完全には帯を結べない状態かも・・と 聞かされていささかショックだったみたい。 幸いにも「福岡リハビリテーション病院」で、柴田先生の執刀の元、手術が行われる。 我が家から歩いても15分くらいなので、私としては大助かり。 木下さんちに寄って、気になってた入れ歯をきれいにして頂いて気持良く入院する事が出来た。 木下さんには本当に感謝してる。 心強かった。
11月21日 福岡リハビリテーション病院での2日目。 明日の手術に向けてあらゆる検査が行われ、その結果、 心臓に「粘液腫」と言うポリープが出来ている事が分かった。 これは自覚症状が全くないから、見落とされる事が多いとか・・・ 母のショックは大変なものだった。見ると顔が青ざめていた。 肩の骨折がなかったら、この心臓の腫瘍も見つからなかったのだから、 考えようでは怪我の功名とでも言った方が・・・・ と言うわけで、肩の手術は一旦白紙になった。
11月22日 本当だったら、肩の手術の日だったけど、朝から福大に検査のために出かける。 今日も木下さんが付き合って下さった。 採血、採尿、心電図、レントゲン、心臓エコー・・・これをすべて検査してもらい、最後に 執刀医の先生(岩隈昭夫先生)に詳しい説明をして頂いた。 病名は「良性左房粘液腫」で過去に20名が手術をなさったんだそうだ。 手術は人工的に一旦心臓を停止させた状態で血が固まらない状態で手術と言う大変な手術だ。 人工心肺・・聞いた事もない説明で分かったような、分からないような??? 6〜8時間は掛かるらしい。 しかも、本当だったら400万〜500万円もするらしくて役場に早々に書類を送ってもらい、 所謂医療費の補助をしてもらえるわけでその書類を早々に手続きをしないといけなくなった。 準救急と言う事で、28日に福大に入院、12月4日、もしくは6日に手術と言う事になった。
11月23日 午後から射場さん、和子さんがお見舞いに来て頂いて、母も元気になった。 お天気に恵まれ、久しぶりに母と並んで散歩した。何年ぶりだろうか、母と散歩をするのは。 約1時間は歩いたろうかぁ・・・
11月24日 午後から植月さんに乗せてって貰って福大に例の書類を届けた。 18銀行に入ってる母の預金を私の西銀へ移す 母のはキャッシュカードがないから何かと不便なもので・・・ 私の通帳の残高は360円(^_^;) この額だと母のと間違うはずはない。
11月25日 髪が気になるらしくて、朝から美容院へ連れて行く。 奇麗にカットして頂いて、気分が良くなったみたい。 何かと「もうどうでも良い・・」と言う母に少し渇を入れる。 みんな廻りも懸命に母のために力になって 頑張ってるから、痛い思いをしてるのは分かるけど廻りと一緒に母も元気を出して頑張って欲しい。 廻りの親切に感謝して、頑張ろうという気持ちになって欲しいし、 そんな投げやりな言い方はして欲しくない。
11月26日 追い討ちをかけるように,またまた誠が交通事故。始め、相手の保険屋さんからの電話で誠の 「逆走,無ライト」と聞いた時にはもうビックリ。 でも誠に確かめるとそうでないことが分かったが居眠りをしていたのではなかろうか。 相手の人は救急車で入院してしまったというけど誠は大丈夫だろうか。 あの車からすると無傷が信じられないくらい。心配して植月さんが飛んできてくれる。
11月27日 今朝はだいぶん落ち着いて、昨日のことを引きずってても仕方がないから保険屋さんに任せる事しかないなぁ・・ 母に取り乱した所を見せてしまったぁ・・ だって、そんな良い顔ばかりもしてられないし、私だって人間だから、もがいてしまうよぉ・・・・
11月28日 予定通りに母を連れて,福大に入院。5階南505号室に落ち着いた。 早速、心臓血管外科の岩隈先生から術後の合併症の話を伺った。 あくまでこれは最悪の場合の話であって、でも、心配するなと言われても・・・ 「なにぶんご高齢だから・・・」75歳と言う事を母も今更ながら自覚。 自分は若いつもりでいるらしいが、世間は「高齢者」としか、見ないよ。 2時から、胃カメラからまずは始まった。 6日の手術まで検査のカリキュラムが目白押しだけど、頑張って欲しい。 初めて、バスカードを買った。
11月29日 整形外科の柴田先生から今後の予定をお聞きする。 それによると今回の心臓手術が如何に大変な事であるか、改めて思い知らされる。 先生の話に寄れば、すでに肩は固まって行きつつあるから、例え手術しても機能的な効果は ほとんど変らないと・・・・・・だったら、手術して、痛い思いをしないほうが・・・・・ 午後から「心臓カテーテル検査」が行われてた。 詳しく説明して頂いたけど,よく分からない、私の頭では。
11月30日 病院行きはお休みを頂いて久しぶりに部屋の掃除をした。せいろう兄さんが見えると言うから 寝具の点検をする。 家にいても何となく落ち着かないし、人恋しくなってしまう。そうなると涙が・・・・ 夕方母から電話があり、厳原から小田先生が わざわざお見舞いに来てくださったそうな・・・・
12月1日 久しぶりにあき兄ちゃんが来て、福大病院まで送ってもらう。 今日は朝からお風呂に入れてもらったらしくてさっぱりした感じだった。 今日の検査は喉辺りにエコーを・・・大体の検査は終わったらしい。 カテーテルの検査でおしっこを取ってもらう装置をつけてもらってたが、 母は「少しも出なくて・・・」と看護婦さんに言ったらしい 「いや、こんなに溜まっていますよ」と、おしっこの入った袋を見せてもらったとか・・ (^_^; アハハ… いろんな経験をしてるみたい。 母のとなりにいるおばさん・・・あんまり見舞いに来る人もいないらしくて、 いつも看護婦さんを何かと呼びつけているらしい。 そろそろ西福岡病院へ転院だとか・・・ 昨日も木下さんがきてくださってた。 夜、わざわざ来てくださった小田先生にお礼の電話を入れる。 この先生からも母が今まで周りに親身になってやってきた事の数々を聞かされる。 私にとっては母は、昔から怖いイメージばかりが・・・
12月2日 8月に出かけたお寺ー佐賀県の・・今日も出かけて来た。 誠の事故の事と、母の手術の無事を願って。 これで誠の件も落ち着くと思うし、母も元気を出して手術に向かって欲しい。 3時ごろから母の病院へ向かう。 相変わらず、木下さんが来て下さっていた。 毎日、良く来て下さるが、それも彼女にとっては病院まで近いから助かっている。
12月3日 2時半から看護婦さんの説明があると言うので慌てて病院へ出かけて行った。 いよいよ6日に迫って来たが、母は意外と落ち着いて見えるが・・・ 夫がみどり姉さんへ母のことを「心臓が悪くて・・」と言う言葉に妙に腹がたってしまい、 爆発してしまった。 もっと言葉を考えて欲しかったし、何も義姉たちに報告する必要はないと思うんだけど、 もし、私がそんな事をすると「余計な事を言う・・」と言って怒るはずなのに・・・ あんまり無神経し過ぎる。 少しのことを言われても今の私には「逆なで・・」にしか受け取れないから。 少し私のいじけかも・・・
12月4日 厳原の大田さんがわざわざ病院まで お見舞いに来てくださり、お茶の話などをして帰られる。 太田さんの励ましに母も嬉しかったみたい。
12月5日 いよいよ明日に迫った母の手術。 気丈にも平常心を装ってるけど、内心は本当に気になって仕方がないと思うけど・・・ お風呂にも入って、さっぱりした様子。病室に遅くまでいて戻って来た。 川村先生が10日にお見舞いにいらっしゃると言う電話があったけど、太田さんに断って頂く。 植月さんから「明日、この本を・・」と言って本を届けて下さる。 彼女の親切が本当に嬉しい。
12月6日 病室の窓から眺む朝日の出 無事なる手術をひたすら願う 朝、5時前に起きだした。 6時過ぎには病院へ向けて出かけた。 壮も来ていたので、母を励ました。8時には予定通りに手術室へ。 般若心経の読本を頭のキャップの中へ入れて・・・周りが苦笑なさってた。 こんなに長い日は久しぶりだった。 あき兄ちゃん、誠も途中掛けつけてくれた。 3時半に手術が終わり、5時ごろ先生から説明を受けて、2分ほど母に会うことが出来た。 小さくなって、あちこちから管を入れられて・・・胸の傷が痛々しい。 9時にも再度面会が許された。 泊り込むつもりだったけど、先生がその必要はないとおっしゃってくださったので、 10時前に病院を後にした。
12月7日 行くと少し意識が・・・・呼びかけると少し反応があった。 ほんの数分だけの対面だったけど、少しずつよくなっていって欲しい。 先生から母の心臓から取りだされた現物を見せて頂いた、 思ったよりも大きかったとの説明に驚く。 左心房の部屋一杯になってた感じ。 留守電に川村先生、大田さんからのメッセージ。 佐護さん、川村先生、大田さんにお礼の電話を入れる。 無事に終わってほっとした。 これからが大変だと思うけど、できる限り病院へ出かけて行きたい。 優しい言葉も掛けてあげたいけど、なかなか出来ないのが情けない。
12月8日 寝た状態・・多分薬の性だと思うが… たった10分の病院で、久しぶりで西新の岩田屋を覗いて帰る。 何も買わないで・・・
12月9日 先生が経過を説明してくださった。 肺にも負担を掛けた状態での手術だったので、 もう少しICUで酸素マスクを掛けた状態で薬で寝てたほうがいいらしい 先日は現物を見せていただいたが、今日は夫と共に写真を見せて頂いた。 やはりかなり大きかったらしくて危険だったみたいでほっとする。 朝から例の佐賀県神崎のお寺に出かけて行く。 これで誠も上手くいくだろうし、母の経過も順調に回復すると思う。
12月10日 薬の精で寝た状態・・・・ 日曜日だったので、山口さんが弟の武美さんとお見舞いに来てくださったらしいけど、 面会謝絶のためにそのままお帰りになったらしい。 それに、川村先生も武雄の中尾先生とわざわざ福大まで来てくださったと言う事で、 ビックリした。看護婦さんがやはり面会をさせてはくれなかったんだそうだ。 帰りに玄関先で2人連れの着物姿のご婦人に会ったけど、 やはりあの方達が川村先生だったみたい。
12月11日 今日は浴衣を着せてもらって、顔色も良く回復が順調な事が良く分かった。 話したがってたけど、まだ声にならなくて・・・ それでもいつもよりも余計に面会をさせてもらった。 「今日は11日、手術は6日だったから・・・」と言いながら、指をおって見せたら、 「分かった」と頭を振っていた。 個室に入れるのももうすぐだと思うが、今は痛くないと言ってるが・・・ 主治医の先生は今日も手術中と言うことで会えなかった。
12月12日 水道工事に手間取って、病院へ出かけたのは夫が戻って来てからだから、 6時過ぎになってしまった。 昨日は本当に気持ちよい回復を見せていたにもかかわらず、昨日は表情が一変してた。 所謂、赤ちゃん返り?子供みたいに・・・ 朝から私が来るのを待ってたらしくて看護婦さんに何度も「みちはぁ?・・・」と 尋ねていたんだそうだ。 部屋へ入ると「遅いじゃない!」と言わんばかりの顔つきになっていた。 分刻みに良くなったり、悪くなったり・・・・ いつか、たず子さんも母上が同じようにおかしくなったと言ってたけど、 まさにその現象なんだろうかぁ・・・ ストレスともきいたけど、このまま頭がおかしい状態になってしまうのではないかと 、少し不安になって来た。 個室も看護婦さんによれば、「今満員だから・・・」と言ってたけど、 本当はまだまだICUに入れてたほうが良いのかもしれない。 佐護の竹内清志さんの娘さんで森フジ子さんがお見舞いに来てくださったそうだけど・・・・・
12月13日 絵手紙の先生などに、支払いがあったから出かけて行った。 久しぶりに笑いの中に入っていけて何だかほっとした気持ちになった。 3時ごろに病院へ行くと個室に移動させられていた。 すでに木下さんが来て下さっていた。 ところが、「ねずみが部屋のあちこちにいて気持が悪い・・・」と大騒ぎをしてた様子。 先生から「これは誰でも起きるICU症候群」だと言う説明を受ける。 何だか部屋を離れがたかったから今夜は泊まる事にした。
12月14日 骨折から1ヶ月が経った。 立つ事をさせられたが、なかなか思うように体が立たない。・・・ 助手の立川先生が看護婦さん捕まってる母を見て「完全なコワラちゃん状態!」だと言って、笑っておわれた。 ベットの上でのうんちはなかなかでにくいらしい。 少し調子が良くなったから、木下さんに見て頂いてて、家に風呂に入りに戻ってくる。 今夜まで泊まるつもりで・・・・
12月15日 朝からだいぶん調子がよくなった。 でも、「ここは佐須奈の警察?」「どうして、独房に入ってるの?」などなどまだまだおかしい。 午後からは少し歩行の練習が・・・・ 嬉しかったらしくて、元気に歩いて見せた。元の部屋の皆さんにも顔を見せに・・・ ところが、その後疲れてしまったらしくて、 まだ少しおかしな事を言う。佐須奈の話とまぜこぜに・・・・
12月16日 少しずつ食欲も出てきた。でも所謂「ガツ食い」・・・ まだまだおかしい所があって、「猿が・・・」とか佐須奈のことをいろいろ言ってるけど・・・ 頭が錯乱してるらしい。 夕飯まで付き合って帰って来た。 川村先生、和子さん、木の下さんから電話がある。佐須奈のオバちゃんにも電話を入れる 少し心配してたけど・・・ 幸雄兄さんの奥方が見舞いに寄ってくださった。
12月17日 相変わらず、佐須奈の警察の独房に入れられているようで、この部屋は嫌いだと言う。 午前中、先生が見えて、明日にも大部屋に移しても良いとおっしゃったと言う。本人はもうその気になってる。 志保がクリスマスプレゼントにと、ガウンと小さなクリスマスツリー、 それにスリッパを買ってきてくれた。とっても喜んでいた。
12月18日 いつもの時間に行くと、もう元の大部屋に移っていた。歩くのにまだ少しよろよろしてるけど、 ここの方が皆さんの会話の中に、はいっていけて気が紛れるみたい。 うんちがなかなか思うように出ないみたいで今日もパジャマを汚してた。 母の退院後には私にしろ、志保にしろそのパジャマを着れるからピンク系を買って来た。 今日は病室の廊下3周の歩行訓練 明日は5周だと・・・・ 志保が病院まで迎えに来てくれたので、8時近くまでいて帰る。 夜、大田さん、佐護さん、今泉の姉さんに大部屋に移ったことを電話する。
12月19日 昨日よりもずっと顔の表情に活気が出て来た。今日の歩行練習は5周。 昨日は幾分、もたつきが見られたが、今日は本当に元気になっていた。 久しぶりに先生にお会いする。 予定では来週辺りには退院が可能までになってきた。 本人は27日に戻る予定でいるみたい。 これでお正月は我が家で迎えられる事になりそうだ。 今夜も夕飯までいて病院を後にした。 志保が一足先に戻っていて、夕飯を作っていた。 何でも良いから、嬉しい。
12月20日 日に日に元気になっていく。母のベッドの前の人は夕べ、ベッドから落ちてまたまたICUへ入ってた。 気になって・・・・ もしかしたら、母も彼女と同じ運命になってたかもしれないんだから・・・ 食事も皆さんと一緒に食堂で頂けるようになって、嬉しそうだった。 ただ、うんこがなかなかスムーズに出ないのが難儀な事だけど・・・ 手術後、初めてシャワーに入れてもらって、気持良さそうだった。 今日は少し早く5時半頃病院を後にした。 夜、久和さんから電話があった。 控えめな方でほっとする感じの人だ。
12月21日 完全に頭も良くなってきたと思う。 こうなったら現金なもので、「もうそんなに毎日は来なくても良いからね」だって。 岩隈先生に御礼をする。初めはお取りにならなかったけど、 受け取って頂いた。本当に心から感謝してる。 少し歩きすぎたと見えて,少し疲れた感じだった。 夜は壮が夕飯を作ってくれたので食べる。 彼も始めて見る個室での母の様子に少しながらショックを受けてた。
12月22日 午前中は天神で清水さんに会う。 何だか垢抜けされた感じ。 病室へ行くと、梶原さんはもうすでに退院なさっていた。 あの方のお陰で随分と母も助けられて,本当に感謝している。 4時過ぎに、整形の柴田先生の話を聞く。 腕も凄くよくなってたし、この調子では手術もしなくても良さそうだと。 それを聞いて、本人もますます元気になった。
12月23日 今日は少し食欲がないらしくて、目が引っ込んでいた。 まだ手術後半月だから仕方がない事かもしれないけど、少し気になって・・・ 元気を出して幸おいちゃんの所へお見舞いに出かけた、お包みをもって。 奥の部屋の片付けをした。そこでお正月中、過ごしてもらうために・・・・・
12月24日 志保が買って来たクリスマスケーキを持って行ったけど、あんまり食欲がなくて、食べれなかったみたい。 うんこが思うように出ないのが原因かもしれない。 家にあった「浣腸」を持っていく。 川村先生から電話がある
12月25日 予定の時間に行くと、久和さんら女学校のお友達がお見舞いに来て下さって、1時間以上 食堂で楽しそうに話していた。 今日から腕のリハビリも始めたようで、少し疲れがあったみたい。 ゆっくりと1年間くらい掛かる気持でやって欲しい。
12月26日 朝一番に川村先生から、電話がある。色々と心配して頂いての電話で・・・・ 久しぶりに木下さんがお見舞いにいらして話が弾む。 やはり木下さんが見えないと寂しい 佐護さんに電話して、障害者手帳をおくってもらう事にした。
12月27日 手帳が朝のうちに届く。病院へ着くなり手渡すが、これは支払いには関係ないらしい。 先生も窓口にいらして、どうも支払いは後日と言う事になるらしい。 病室が5人になって、賑やかになっていた。母のために羽毛布団を奮発。 長いような短いような1月間だった。自分でも良く通ったと思っている、 初めは毎日行くつもりはなかったのだが・・・
12月28日 退院
その後の母・・・ 1月4日から3月2日まで、始めに入院した、リハビリ専門の「福岡リハビリテーション病院」へ入院。 そこで、作業療法、肩の回復療養に努める。 おかげで、骨折当初、「肩の回復は7割くらい」と言われていたにもかかわらず、 生活に支障なく回復する事が出来た。 福大の先生も「嘘ついたみたいだね」と。 3月10日、4ヶ月ぶりに実家に戻る母。 助けて頂いた命を大切に、これからは少しのんびりと過ごして欲しい。 |