ブッタガヤ9(10月1日アップ)
ブッタガヤでは宿ではなく パサドさんの家に泊りました。 カルカッタで道を尋ねた人がパサドさんで 以前、銀座のマハラジャで働いていた時、 皆から大変お世話になったので 日本の人に恩返しをしたく、 ブッタガヤに住まいがあるので ブッタガヤに行くなら 我が家に泊りませんかとの言葉に 甘えて3人で泊りました ヒンズー教の信徒で毎朝夕、 家に奉ってあるシバ神にお祈りを捧げられていました
パサドさんの一人目?の奥さんで 朝夕、家庭料理を作って貰いました インドの人が眉間に赤い印を付けているのは テッカと云って第三の目になり、 チャクラのアージュニャーで、 あらゆるものを穏やかに見守る意味があるとか
子供さんが6人で全部女の子  長女の人が名古屋の人にヘナでタトーを!
この日は満月でお祭りでした
次はネパールに行くと行ったら 国境まで、自分の車で送ってあげると! こちらのガソリンスタンド、 1リットル53ルピー(132円)で 他の物価に比してとても高い
長い道のりのあるインド・ネパールの ボーダーに行くまで あちこちの史跡や名所に案内して貰う ここは温泉です



ブッタガヤ8(9月30日アップ)
ここブッタガヤがお釈迦様が悟りを開いた聖地 離れるにあたりもう一度、菩提樹の周りを散策 お釈迦様の悟りとは, この世は全て移り行くもの(諸行無常)で、 姿も心も常に変化するもので、一時も同じではなく、 全てで、因(原因)と縁(条件)によって 変わり行くものであることを悟られました。 お釈迦様が得られたその悟りは、 これで自分はいつ死んでも良いと、 満足に思われた程、最高の悟りだったのです。 お釈迦様はしばらくの間、 この悟りの醍醐味にひたっておられたらしいのですが、 マハーブラフマーが釈迦の前に現れ、 釈迦よ!  そんなに素晴らしいのなら私にも聞かせて欲しいし、 世の中には悩んでいる人が沢山いるのだから 『自分だけは早く死んでも良い』と思うことは、 とんでも無いことだと忠告されたのです。 また釈迦が悟った事は みんなに教えて苦しむ衆生を救ってやるべきだと、 当時の神様の大梵天様も釈迦に勧められました。
それからは、昔からの修業仲間にも、 又 釈迦の住んでいたインド国内の いろいろな所の人々に説法をはじめられ、 釈迦が法蔵菩薩の時 (お釈迦様が若いとき修行されていた時のお名前) 決心して修行され阿弥陀仏になられ、 弟子達とインド国内を説法に始められたのは、 釈迦が悟りを得られた、35歳の頃で、 釈迦が最初の修行で、 お世話になった仙人の師の所にも、 悟りを得たことを報告に行きますと、 その師匠は既に他界され、 悟りの事を伝える事も出来ませんでした。 それで当時の文化・宗教の中心地のペレナスに向かい その郊外で、 かつての、出家仲間で苦行をした五人の同僚達にも、 悟りを得たことを話し、 釈迦が悟りとして得たことを、 『教え』として説いたのです。 最初彼等からは不審に思われたらしいのですが、 釈迦の説いた教えの真理に触れ、同僚の彼等も その教えに感動し、教化され、彼等も悟りに到達  即ち、『解脱』が出来たのです。
悟りを得た35才頃から45年後の2月15日に入滅し お亡くなりになる80才まで説法された事 (弟子達が書き残したお経)は たくさんあり、膨大なもので、宗派の違いによりお経 (伝えられた聖典のメモ)は各派異なり、 日本のお経は全て サンスクリットの古代インド語の原聖典を 中国語の漢語で示し、 それを漢語の訓読みでお経になっています 非常に難解に記されていますので、 簡単な解りやすい言葉で説明したのが 次の『八つの釈迦の説いた教え』です。 釈迦が出家して、昔からバラモン (仏教以前のインドの古代宗教)の教えで 難行苦行・操行潔白を重ねて修行をしたが、 老・病・死の苦しみを解くことは出来なかった。 難行苦行・操行潔白だけでは駄目で、 人間は生きていることが本来『苦』であり、 その苦の原因と、苦から逃れる方法を 釈迦は悟られたのです。 お釈迦様は、 人間の生きている事の苦の原因は、 欲望と執着と嫉みで有ることを見極められ、 それを捨て去る事が大事だと言われ それは『無』になることだと。 この欲望と執着を捨て去る為には 八つの正しい道を実践する事だと諭されました
八聖道(釈迦が説いた八つの道徳) 1、正見(しょうけん)⇒正しいものの見方をし 2、正思惟(しょうしい)⇒正しいものの考え方をして 3、正語(しょうご)⇒正しい言葉で話し 4、正業(しょうごう)⇒正しい行いをして 5、正命(しょうめょう)⇒正しい生活に心がけ、 無理のない適度の努力を重ね 6、正精進(しょうしょうじん)⇒正しい教えを忘れず 7、正念(しょうねん)⇒正しい瞑想をし 8、正定(しょうじょう)⇒正しい心の開放に励む事 何れも平凡で当たり前の様な事で尊厳性は無い様ですが この八つの正しい道を教えられた人は、 実践することにより、 楽しい幸せな人生を送ることができたのです。
こうして釈迦は説法をインド全国でされたので、 釈迦の心に惹かれた人(釈迦の弟子達)は 沢山出来て来ました。 説法は酷暑のインドのガンジス川を中心に 広範囲に続けられ、 インド各地に教団も出来、 釈迦は四十数年間も各地で説法を続け、 80歳の高齢の時、 老いには逆らうことが出来ず死を待つ身体になり、 死が近づいた事を悟られた釈迦は、 遺言と云うべき言葉を幾つか弟子達に残されました。 私はことごとく法を説いてきた。 弟子達に隠す様な秘密の教えはもう何も無い。 私が説いてきた法を見たい者は私を見なさい。 私を見たい者は法を見なさい。そうすれば、私の死後  私が説いた法(お経の根拠になったもの)と 私が決めた戒律(僧になった者の規律)は あなた達の師匠となるでしょう。 自らを光として自らを拠り所として  法を拠り所として修行しなさい と。 戒律: サンスクリットで、 戒は、良い習慣・道徳的な行為のことを言い、 仏陀の教えを実践し 解脱の境地を願う者が行う自発的な行為の基準。 律は、僧院生活者を拘束する法律
その後も、 お釈迦様は教化の旅をされてクシナガラの林に着いた時 きびしい食あたりをおこして、まったく力尽き果てて 『私は疲れた。 沙羅双樹の木の間に頭を北に向けて床を敷いて欲しい と告げ入滅(死)の準備にはいられました。 その時の泣き悲しむ沢山の弟子達に伝えられた言葉は 皆さん 悲しまないで欲しい、 嘆くことをやめなさい。 私は何時も皆さんに教えていたでは有りませんか、 私を頼ってきた皆さんと別かれなければならない。  皆さんに最期に言います 『この世は諸行無常だ』 この世の命のあるものは必ず滅びるものです。 はかない無常な事ですがこれは法、即ち、私が これまで諭して来た存在を貫く普遍的な教えであり 道理だから嘆くことをやめて欲しい と、実に静かな入滅でした。 この釈迦の入滅(肉体の死)を 特に涅槃(ネハン)と呼びます。 釈迦の教た仏教は弟子達によって口伝により伝えられ 原始仏教の聖典の中に書き残されました。 仏教のお釈迦さまは 他の宗教(キリスト教・イスラム教)の聖人と 言われた人々に見られるような、 迫害や逆境は全くありませんでした。



ブッタガヤ7(9月29日アップ)
象も立派な乗り物として活躍!
屋根の上も立派な座席
無料のお医者さんで治療を並んで待つ人
菩提樹がある入り口前の広場
モスクの前
仲良く農作業



ブッタガヤ6(9月28日アップ)
ブッタガヤは2万5000人の小さな町、 仏教の聖地であるためか物乞いしたり、 道辺に寝転んでる人の姿も余り見られず 大人も子供もよく働いている
チャイを飲ませる喫茶店
カレー屋さん
なすびだけを売ってる
花を売る子供
野菜を!



ブッタガヤ5(9月27日アップ)
今でも、水牛が農作業の大事な働き手です
荷物も頭に載せて
やしの木
樹齢??年の大木
大木の傍に預言者の館があり、 細木数子さんより当たるそうです (少し不気味で診て貰わず)
占いと魔よけの為の先客あり



ブッタガヤ4(9月26日アップ)
青空教室 授業風景を見たく翌日再び学校を訪れたら、 今日は満月の祝い日で学校は休みでした
先生の自家用車(ポニー)で若き頃のお釈迦様が、 苦行や断食を6年間も続け、 身体が骨・皮だけの骸骨になるような苦行を 続けられた山に案内して貰う 正面に見えるのが修行された山
途中、子供達が!
田植えがあっていれば、近くには稲刈りが!
修行された地へ、歩いて貢物を捧げに行く人
山が近ずいて来ました