タージ・マハールに先駆けること約100年前に、
フマユーン廟は、妃が皇帝を慕って建てたもので、
100年後皇帝が妃を想って建てたお墓が
タージ・マハール廟。
立場は違えど皇帝と妃の相思相愛の心が
今日美しい形として残っている。
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中央アジアからインドにやって来て、
のちに大帝国となるムガル朝を創始したのは、
皇帝バーブル で、
その息子である第 2代皇帝フマユーンは
1530年に帝位を継いだが、あまり有能な統治者ではなく
詩歌や葡萄酒を愛したものの、
政治や軍事に十分な腕をふるえず、
即位して10年もたつと
フマユーンの皇帝としての権威はすっかり失われて、
1540年には、
東インドのビハール地方を支配していた総督が、
その領地の独立を唱えて反乱を起こし、
ムガル朝との 2度の戦いにも勝利をおさめて、
スール朝を始めた。
いったんペルシャに落ちのびたフマユーンは、
その15年後にペルシャの大軍の援助のもとに
帰還してスール朝を打ち破ると、
1555年にムガル朝を再建する。
その際、
亡命先から大勢の職人、芸術家などを伴ってきたが、
この非運の皇帝が
勝利の美酒に酔っていられる時間は短かった。
というのも、フマユーン帝は
1556年 1月、宮廷の図書館の階段から落ち、
あっけなく死んでしまったのです
| フマユーン廟は、
広大な正方形の庭園の中央に位置していて、
庭園は水路によって田の字形に仕切られ、
その各々がさらに小さな正方形に分割され、
純粋に幾何学的な構成をしている。
これをペルシャに発する 四分庭園 とよぶが、
四分庭園には 「楽園の思想」 がこめられていて、
中東の砂漠地帯で生まれたイスラム教にとって、
塀で囲まれ、日陰と水が豊富にある庭園は
天上の楽園の再現を!
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高さ 38メートルの中央ドームは二重殻ドームをなし、
屋根をなす外側のドームは白大理石で覆われて
そのまわりに、
柱で支えられた傘のような小塔が建ち並んでいて、
インド風の印象を。
外殻ドームの 12メートル下で内部を覆うドームは、
中央墓室にとってほどよい高さの 3分の天井となり
周囲の墓室や、
四方のイーワーンとを結び付ける
要の空間を作っている。
この廟にはおよそ150人もの死者が埋葬されたとされ
フマユーン帝に加えて
その王妃のハージ・ベグム、王子のダーラー・シコー、
そして重要な宮廷人たちであって、
彼らの支配した時代に、
インドのイスラム建築は
まさにその栄光の頂点に達したのでした。
18世紀の半ばにデリーを訪れたウィリアム・フィンチは
次のように記している。
「広い内部空間には高価な絨毯が敷かれていて
石棺は白い布で包まれ、
その上には天蓋があり手前には故人の書籍や剣、
そしてターバンと靴があった」
| 簡素なつくりだったファサードも、ここでは
赤砂岩に白大理石を組み合わせた
華やかなデザインとなり
その上部には輝くような総白大理石の
大ドーム屋根が架け渡されている
職人たちは、ペルシャ風の象嵌細工もとりいれ
ペルシャではよい石材に恵まれないことから、
基本的な建設材料にはレンガを使用して、
その仕上げにタイルや石を用いたのだが、
富裕なムガル帝国では自然石をふんだんに用いて、
美しい象嵌細工をほどこしてある
| 周りを囲む塀
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