デリーの街で2〜ジャマー・マスジッド(11月26日アップ)
オールドデリーにあり、1649年に タージマハルを作った皇帝シャー・ジャハーンが 娘のジャハーン・アーラー・ベガムのために 造ったインド最大のモスクで、 一度に25000人もの人が礼拝出来る
1857年の大反乱の時は、 反乱軍が白装束に身をかためてここに集結し、 市内を制圧したイギリス軍に対し最後の突撃を試み、 この石段は死体で埋め尽くされたとか
礼拝堂は高さ3.3m、幅80m、長さ115mの 基壇の上に建てられ、 中央の広場には池が設けられて、 3つの円形ドームは白と赤の砂岩が交互に組み石され、 屋上には4隅に八角形の大きな望楼と 各辺に小さな望楼が並んでいる
ジャマー・マスジッドから眺めた 門前の土産屋さんなどのお店



デリーの街で1(11月25日アップ)

昨日カード会社から連絡があり、お問い合わせの件は正式ルートで決済されていますと!

実は首都デリーからパキスタンとの国境のハルドワルド、
それからリシュケーシュの町へ旅し再びデリーに戻って、その日の内に日本へ帰るため、
バンコクまでのエアーチケットを取得の為、デリーの旅行社に行ったんです

デリーの旅行社は悪徳な業者が多いと聞いてたので、
何軒か見て歩いた中で店舗も大きくスタッフも多い信用出きるような旅行社を見つけ、
今宵デリー発のチケットが有りますかと尋ねたら余席はあるとの事で頼みました

代金を支払う時、ビザカードでもOK云われ、暗証番号を入れたら、
ノーパスでもう一度、暗証番号と云われ再度入力すれど、このカードでは決済出来ない、
近くのATMで現金化してくれと言われ、暗証番号を入れ、しかもここはデリーなので不安も感じたけど、
フライト迄の時間も迫っていて、利用明細書がマシンから出てこなくサインもしてないのでいいかと、
そこのスタッフの人に案内して貰い、ATMで現金化しその場は支払ったんです

帰国して、是まで問題もなかったのでカード利用明細書等は余り見たことがなかっのですが、
気になっていて後日送られてきたリストを見たらATMで下ろした金額と同じ金額がカードでも使ったようになって請求されてたので、
「やられたな」と思い、カード会社に問い合わせたら、最初のような回答が来たんです

カード会社の担当者に同じ日に同じ金額が使われてるのはおかしく、不正があった証しではないのですか?
サインがなくても決済出来るのですか?
と問えば、暗証番号を入れればサイン無しでもOKなんです、
そして多分その時の当事者は不慣れだったんでしょうとの答えだったので、


こんなあやふやなシステムでは、今後安心してビザカードは利用出来ないから、
早急に再調査し、何故こんなになったかの?末を文書で貰うようにして電話を切りましたが、
皆さんも外国でカードを使う時は、信用ある店で!



デリー4〜フマユーン廟3(11月25日アップ)
最盛期にはデカン高原まで勢力を広げるが、 欧州各国の植民地政策の荒波をまともに受け、 次々と侵食され力を落としてゆき、 最後は インド全土がイギリスによる統治を許してしまった 不名誉な帝国だったと、 インド史に辛い年月を残すことに
フマユーン廟の敷地にあるモスク
同じ敷地内にあるイサカーン廟
同じく敷地内にある廟
同じく敷地内に
西の隅に瀟洒な塔が!



デリー3〜フマユーン廟2(11月24日アップ)
タージ・マハールに先駆けること約100年前に、 フマユーン廟は、妃が皇帝を慕って建てたもので、 100年後皇帝が妃を想って建てたお墓が タージ・マハール廟。 立場は違えど皇帝と妃の相思相愛の心が 今日美しい形として残っている。
中央アジアからインドにやって来て、 のちに大帝国となるムガル朝を創始したのは、 皇帝バーブル で、 その息子である第 2代皇帝フマユーンは 1530年に帝位を継いだが、あまり有能な統治者ではなく 詩歌や葡萄酒を愛したものの、 政治や軍事に十分な腕をふるえず、 即位して10年もたつと フマユーンの皇帝としての権威はすっかり失われて、 1540年には、 東インドのビハール地方を支配していた総督が、 その領地の独立を唱えて反乱を起こし、 ムガル朝との 2度の戦いにも勝利をおさめて、 スール朝を始めた。 いったんペルシャに落ちのびたフマユーンは、 その15年後にペルシャの大軍の援助のもとに 帰還してスール朝を打ち破ると、 1555年にムガル朝を再建する。 その際、 亡命先から大勢の職人、芸術家などを伴ってきたが、 この非運の皇帝が 勝利の美酒に酔っていられる時間は短かった。 というのも、フマユーン帝は 1556年 1月、宮廷の図書館の階段から落ち、 あっけなく死んでしまったのです
フマユーン廟は、 広大な正方形の庭園の中央に位置していて、 庭園は水路によって田の字形に仕切られ、 その各々がさらに小さな正方形に分割され、 純粋に幾何学的な構成をしている。 これをペルシャに発する 四分庭園 とよぶが、 四分庭園には 「楽園の思想」 がこめられていて、 中東の砂漠地帯で生まれたイスラム教にとって、 塀で囲まれ、日陰と水が豊富にある庭園は 天上の楽園の再現を!
高さ 38メートルの中央ドームは二重殻ドームをなし、 屋根をなす外側のドームは白大理石で覆われて そのまわりに、 柱で支えられた傘のような小塔が建ち並んでいて、 インド風の印象を。 外殻ドームの 12メートル下で内部を覆うドームは、 中央墓室にとってほどよい高さの 3分の天井となり 周囲の墓室や、 四方のイーワーンとを結び付ける 要の空間を作っている。 この廟にはおよそ150人もの死者が埋葬されたとされ フマユーン帝に加えて その王妃のハージ・ベグム、王子のダーラー・シコー、 そして重要な宮廷人たちであって、 彼らの支配した時代に、 インドのイスラム建築は まさにその栄光の頂点に達したのでした。 18世紀の半ばにデリーを訪れたウィリアム・フィンチは 次のように記している。 「広い内部空間には高価な絨毯が敷かれていて 石棺は白い布で包まれ、 その上には天蓋があり手前には故人の書籍や剣、 そしてターバンと靴があった」
簡素なつくりだったファサードも、ここでは 赤砂岩に白大理石を組み合わせた 華やかなデザインとなり その上部には輝くような総白大理石の 大ドーム屋根が架け渡されている 職人たちは、ペルシャ風の象嵌細工もとりいれ ペルシャではよい石材に恵まれないことから、 基本的な建設材料にはレンガを使用して、 その仕上げにタイルや石を用いたのだが、 富裕なムガル帝国では自然石をふんだんに用いて、 美しい象嵌細工をほどこしてある
周りを囲む塀



デリー2〜フマユーン廟1(11月22日アップ)
ムガル朝第2代皇帝のフマユーンの妃が 1565年に建造 後にこの建物の影響を受けて建てられた タージ・マハルに比べれば やや小さいながらも左右対称の建物は 安定感があり美しい
タージマハルの建屋は四面いずれも対称だけど、 水路は正面だけなのに、 このフマユーン廟は建物も 四面対称ならば水路も東西南北、 全く同じ容で対称に作られている
タージマハルは白の大理石で造られているのに対して、 こちらは赤砂岩に白の大理石を はめ込だ色のコントラストが簡素で美しく 1993年に世界遺産に登録
真後ろから
廟の上
モスク中のアーチの門よりフマユーン廟を!



デリー1(11月22日アップ)
ジャイプルからローカルバスに乗って6時間、 インドの首都デリーへ 途中から初めて道路に 中央分離の白線が引いてある道路を目にして さすが首都のデリー 
ジャイプルの宿のオーナーから、 インド門が見えたら降りろと聞いてたので降りる インド門は 第一次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑 高さ42mある立派な門
此処から、目指してたデリーで泊る宿へ、 地球の歩き方に載ってた指示に向かった積りが、 雰囲気が違うと思ったら 何とそこはインド大統領の館だった
大統領府から見たインド門までの大通り
周りの建物を写してたら、写真を撮ってくれと!
此処、デリーはBPにとっては悪名高き街  幾多の旅人が犠牲になっており、 成るべく問題多きリキシャには乗らない積りだったが 陽も落ち暗くなって来て、 位置関係も解からなくなったので 寄って来た何台かめのリキシャに、 この宿にと地図を示し値段も決めて乗ったが 案の定と云うか、場末の旅行社に連れ込まれた 来たなと思い、此処は痩せても(痩せてはいないけど) 枯れても九州男児の意気を見せどころと、 相手は若く上背もあり体格もガッチリしていたけど、 熊本弁で とぼけるなー  お前達みたいなやからがいるから インド人は悪者だと言われるんだ  云われた宿に連れて行け と、 怒鳴りあげたら、意外と素直に目的の宿に