ある日、
ムガール王朝第四代皇帝
ジャハーンギールの第三皇子フッラームは、
アグラ城で行われた宮廷バザールに参加した。
バザールをのんびり楽しむフッラームだったが、
ガラス玉を差し出してきたペルシアの美しい娘を見て
固まった。
娘の名前はアルジュマンド・バーヌー。
ふたりはこの瞬間、恋に落ちた。
フッラームは父の許可を得ると
すぐにバーヌーと婚約した。
このときフッラーム15歳、バーヌー12歳。
5年後、ふたりは正式に結婚した。
1628年、ジャハーンギールが亡くなると
フッラームは第五代皇帝に即位し、
世界の王=シャー・ジャハーンを名乗り、
妃はアグラー城で出逢ったペルシャの娘
ムムターズ・マハルと呼ばれるようになり、
王は他の王のように複数の妻を持つことも
ハーレムを築くこともなく、
戦いに行く時も必ずムムターズを伴い、
妻はいつも皇帝のそばに寄り添い、
ふたりは愛し合い、
結婚生活約18年の間に14の子をもうけた
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1631年、シャージャハーンは
デカン地方で起こった反乱を鎮圧する為、
遠征に出てもムムターズ=マハルの姿も傍らにあり、
彼女は遠征先で14人目になる子供を出産しました。
しかしこの出産はひどい難産で
出産後、ムムターズ=マハルは帰らぬ人となりました。
死に際してムムターズは
夫に新しい妃をめとらないことを約束してもらい、
安心して永遠の眠りについたのですが、
シャー・ジャハーンは
あまりの悲しみに一夜にして髭を白くし、
1週間公の場所に姿を見せず、
2年間宴を催すことはなく、
喪が明けるとシャー・ジャハーンは政治を半ば放棄し、
インドでは、
お墓を建てるということは非常に珍しいことだけど
妻の墓の建築を心に決めて、
世界各地からあらゆる素材、あらゆる人材を集め、
約20年の歳月と、2万人の労働力を投入し、
1653年、
純白のタージ・マハルを完成させる。
このあとヤムナ川を挟んだタージ・マハルの対岸に、
黒曜石で真っ黒な自分の霊廟の建立し、
その間を橋で渡す計画を立てていた。
コーランが言う最後の審判の日、
復活してその廊下を渡り、
ムムターズと再会するそのときを信じて。
しかし白大理石の廟が完成し
黒大理石の廟の工事にとりかかろうとした時、
悲劇がおこりました。
| シャー=ジャハーンは
病に倒れ皇帝崩御の噂がとびかいましたが、
やがて病から持ち直し、
長男のダーラー=シコーに全権を委ね、
公の場から退きました。
強力だったムガール帝国が
シャー・ジャハーンの迷走から
力を失いつつあるのを見て、
各地で民族蜂起が起こり、
イギリスが侵略を強めた頃、
同時に皇位継承戦争が激化し、
結局息子たち4人の血で血を洗う闘争を経て、
三男アウラングゼーブが
他の兄弟を殺し皇帝の座に着き、
シャー=ジャハーンは長男の味方をしたという事で、
アグラ城のムサンマン・ブルジュと呼ばれる八角の塔に
幽閉されてしまう。
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シャー・ジャハーンは
塔の一室に横たわり、
窓から、
ヤムナ川のほとりに小さく見えるタージ・マハル廟を
毎日眺めながら、
7年間の幽閉ののち、息を引き取った。
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アウラングゼーブは幽閉中、
父に1度も会うことはなかったが、
父の死後、遺体をタージ・マハルに移し、
棺をムムターズの隣に安置をする。
それはアウラングゼーブの親子の情愛というより、
一番手っ取り早い方法であった為と言われています
シャー・ジャハーンは
ムムターズ・マハルに寄り添い、
復活の日を待ちながら、いまも眠っている。
| アグラー城
ムガール帝国は
アウラングゼーブにより一時全インドを統一しましたが
アウラングゼーブの死後分裂し、
急速に衰退
1858年、
イギリスにより滅ぼされ
長きに渡りイギリスの植民地に。
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