アーグラー8〜タージマハル(11月4日アップ)
早朝のタージマハル



全てシンメトリーの中で唯一、 そうでないのが王と王妃の棺
16日間に渡り、ネパール・インド3人旅も、 明日二人は日本へ旅発つので今宵が最後の晩餐 タージが見える屋上レストランで チョッピリ豪華にインド、メキシコ、 日本のそれぞれの言葉で乾杯を! 明日からひとみは新たに看護の道へ、 クリスティはメキシコに帰り日本語学校の先生へ 俺は??



アーグラー7〜タージマハル(11月2日アップ)
タージマハルの左右にあるモスク  これもシンメトリー
タージの後ろを流れているヤムナー川 もしあの時、親子・兄弟の乱がなければ、 対岸には黒大理石のタージマハルがあり 二つの廟を結ぶ橋を渡って行けたかも知れない
モスクの中から見たタージ


タージの周りのプロムナード



アーグラー6〜タージマハル(11月1日アップ)
門と云えども横から見れば、 こんなに奥行きが!
タージマハルから正門を眺む
タージの入り口
コーラン
棺の周りを綺麗な花模様が 大理石に刻まれ守られてありました
タージマハールの上では土足禁止の為、 裸足で歩くのだけど 灼熱の太陽にさらされた白い大理石の床は熱くなかった



アーグラー5〜タージマハル〜暮れなずむタージマハル(10月31日アップ)





クリスと



アーグラー4〜タージマハル(王と王妃の純白な恋の物語)(10月30日アップ)
ある日、 ムガール王朝第四代皇帝 ジャハーンギールの第三皇子フッラームは、 アグラ城で行われた宮廷バザールに参加した。 バザールをのんびり楽しむフッラームだったが、 ガラス玉を差し出してきたペルシアの美しい娘を見て 固まった。 娘の名前はアルジュマンド・バーヌー。 ふたりはこの瞬間、恋に落ちた。 フッラームは父の許可を得ると すぐにバーヌーと婚約した。 このときフッラーム15歳、バーヌー12歳。 5年後、ふたりは正式に結婚した。 1628年、ジャハーンギールが亡くなると フッラームは第五代皇帝に即位し、 世界の王=シャー・ジャハーンを名乗り、 妃はアグラー城で出逢ったペルシャの娘 ムムターズ・マハルと呼ばれるようになり、 王は他の王のように複数の妻を持つことも ハーレムを築くこともなく、 戦いに行く時も必ずムムターズを伴い、 妻はいつも皇帝のそばに寄り添い、 ふたりは愛し合い、 結婚生活約18年の間に14の子をもうけた

1631年、シャージャハーンは デカン地方で起こった反乱を鎮圧する為、 遠征に出てもムムターズ=マハルの姿も傍らにあり、 彼女は遠征先で14人目になる子供を出産しました。 しかしこの出産はひどい難産で 出産後、ムムターズ=マハルは帰らぬ人となりました。 死に際してムムターズは 夫に新しい妃をめとらないことを約束してもらい、 安心して永遠の眠りについたのですが、 シャー・ジャハーンは あまりの悲しみに一夜にして髭を白くし、 1週間公の場所に姿を見せず、 2年間宴を催すことはなく、 喪が明けるとシャー・ジャハーンは政治を半ば放棄し、 インドでは、 お墓を建てるということは非常に珍しいことだけど 妻の墓の建築を心に決めて、 世界各地からあらゆる素材、あらゆる人材を集め、 約20年の歳月と、2万人の労働力を投入し、 1653年、 純白のタージ・マハルを完成させる。 このあとヤムナ川を挟んだタージ・マハルの対岸に、 黒曜石で真っ黒な自分の霊廟の建立し、 その間を橋で渡す計画を立てていた。 コーランが言う最後の審判の日、 復活してその廊下を渡り、 ムムターズと再会するそのときを信じて。 しかし白大理石の廟が完成し 黒大理石の廟の工事にとりかかろうとした時、 悲劇がおこりました。
シャー=ジャハーンは 病に倒れ皇帝崩御の噂がとびかいましたが、 やがて病から持ち直し、 長男のダーラー=シコーに全権を委ね、 公の場から退きました。 強力だったムガール帝国が シャー・ジャハーンの迷走から 力を失いつつあるのを見て、 各地で民族蜂起が起こり、 イギリスが侵略を強めた頃、 同時に皇位継承戦争が激化し、 結局息子たち4人の血で血を洗う闘争を経て、 三男アウラングゼーブが 他の兄弟を殺し皇帝の座に着き、 シャー=ジャハーンは長男の味方をしたという事で、 アグラ城のムサンマン・ブルジュと呼ばれる八角の塔に 幽閉されてしまう。
シャー・ジャハーンは 塔の一室に横たわり、 窓から、 ヤムナ川のほとりに小さく見えるタージ・マハル廟を 毎日眺めながら、 7年間の幽閉ののち、息を引き取った。
アウラングゼーブは幽閉中、 父に1度も会うことはなかったが、 父の死後、遺体をタージ・マハルに移し、 棺をムムターズの隣に安置をする。 それはアウラングゼーブの親子の情愛というより、 一番手っ取り早い方法であった為と言われています シャー・ジャハーンは ムムターズ・マハルに寄り添い、 復活の日を待ちながら、いまも眠っている。
アグラー城  ムガール帝国は アウラングゼーブにより一時全インドを統一しましたが アウラングゼーブの死後分裂し、 急速に衰退 1858年、 イギリスにより滅ぼされ 長きに渡りイギリスの植民地に。



アーグラー3〜タージマハル(10月30日アップ)
インドで一番美しい建物、 いや世界で一番美しいと云われるタージ・マハルは 正面に泉水と庭園を前景にして完全に左右対称な姿で、 その完璧なシンメトリーは神秘的でした 白の総大理石で作られ、 大きさは95m四方で高さ67m、四隅の塔の高さは43m
シャー・ジャハーン皇帝が熱愛した妃が死んだのが 1631年、 その死を悲しんだ皇帝は、 国力を傾けて建設しようと世界各地から 膨大な量の石を取り寄せ、職人を集め、 天文学的な費用をかけ、 22年費やし1653年に完成したが、 このため国は経済的に傾いたとか!
皇帝は、 タージ・マハルの後ろを流れてるヤムナー川の対岸に、 今度は黒大理石でタージ・マハルと同じ大きさで 自分の墓を建て、 両者を橋で結ぶ計画をしていたそうです それはイスラム教の教えでは、 この世の終わりに全ての墓から死者が甦り、 アラーの神の裁きを受ける時まで、 子孫代々に守られ安らかに妃と供に 楽園に行けると信じていたからとか!
然し権力の座は はかなくシャー・ジャハーン皇帝は 自分の息子に幽閉され夢破れ寂しく、 この世を去ったそです
皇帝の死後は この妃の横に葬られ、安らかに眠るどころか 大勢の見物人に囲まれ二人は 毎日喧しく思っているのでは! ドームには棺だけしかなく、 この白の大理石の棺に灯りをあてると 中が透けて見え埋め込まれた花が 彩に浮かび上がってきました ここでポンと音を出せば、 こだまみたいに ポン、ポン、ポンと共鳴し暫くは聞こえます
タージ・マハルは 正面だけ左右対称の姿でなく、 四つの面、何処から見ても 建屋、塔とも全くシンメトリーでした



アーグラー2〜タージマハルの正門(10月30日アップ)
マハル(宮殿)と呼ばれているので、 王妃のための宮殿と思われているが、 そうでなく ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャーハーンの妃 ムムターズ・マハルのお墓で、 この死んだ妃の称号ムムターズ・マハルが変化して タージ・マハルと呼ばれるようになったそうです
タージ・マハルに入るには正門から入るが、 この正門に入る前に三つの門があり、これは東門
南門
タージ・マハルは入場料が400ルピーに加え、 別にインド考古学局に500ルピー  合わせて900ルピーの入場料が要るので、 貧乏BPの宿代5日分に相当する高さなので、 中に入らず外から見る人もいるとか! 幸いに我々が訪れた日は、 何かの記念日で3日間、無料で 宿の人からラッキーと云われ、 朝6時から入場開始だけど沢山の行列が!
ムンバイの方で、 同時多発自爆テロが起こっていたので、 入場者一人一人に厳重な身体や手荷物検査が行われてた
西門



アーグラーへ(10月30日アップ)
3等夜行寝台で、アーグラーへ 朝の7時にアーグラー駅に着くはずだけど、 遅れに遅れて10時に到着
列車の天井には懐かしき扇風機
ここでも荷物を盗られない様に、チェーンキーでロック
バナーラスでは、サバイバルな宿だったので、 アーグラーでは、 夜間でもタージマハルの全景が裏庭から眺められる、 ちょっぴりリッチな宿、タージ・ターマに泊る 宿泊客でない人が 庭に入るには200ルピー入場料が必要とか
静かで、綺麗な町でラクダ車も
モスク