【Tokyo City Serenade】
日曜の夜にかかってきた大学時代(2週間しか通わなかったが・・・)の旧友からの
突然の電話。「じつは“Y”が帰京することになったん
で、送別会やろうと思うんだ
けど・・・」。
“Y”とは映画サークルで知り合った。たしか三重県出身だったと思う。ワタシより
2コ下で、当時は病的なほど色白で痩せた少年だっ
た。強烈な嫌味を全身から発散さ
せたヤツで、そのくせ世間知らずのおバカさんなものだから、ワタシを筆頭にして誰
もが彼を毎日か
らかって過ごしていた。みんな二十歳そこそこの頃である。それを
“イジメ”と言われれば立つ瀬がないが、たしかに彼の存在は一種
の気晴らしでもあっ
た。
ワタシが大学を正式に辞めた1992年2月4日以来(なぜか学籍が3年まで残ってた)、
ワタシは“Y”とは会っていない。その後の彼を知
る人間とも疎遠なままだ。風の便
りに聞き知ったのは、彼が現在、某老舗映画雑誌のライターとして活躍してるという
ことぐらい。
いまどんな暮らしをしてるのかなど、お互い知りようもない距離を生きた。この狭い
都市のなかで、誰もが擦れ違いながら生きている。
それが十数年ぶりに顔を合わせる
のだ。そこに意味はなくとも、なんとなく、価値はあるような気がする。
先日、所用で早稲田を訪れた。90年の暮れに大学の正門前にある時計屋で買った懐中
時計を修理してもらうためだった。店主とはひ
さしぶりの再会。お互いを懐かしみな
がら、思わずほころんだ顔を見合わせた。その時計は、ワタシが初めて映画の現場で
得た金で
買ったものだ。正式には「19セイコー懐中時計」というらしい。通称“鉄道
時計”ともいう。かつて旧国鉄職員が持っていたものだ。いま
ワタシが夜の生業にし
ている軌道工事会社の会長(70歳)も同じモノを授与されている。社長(彼のセガレ)
も同じモノを持っているが、
彼のは電池式だ。
偶然とはいえ、縁とは不思議なものだ。その時計を購入した当時いっしょにいたヤツ
らと、修理があがった途端に再会することに
なろうとは・・・。
懐かしさもある。それだけじゃない気持ちもある。
ワタシは当時掛け替えのたびに通った「早稲田松竹」を訪れた。よく晴れた月曜日、
夏に長旅をともにしたバイクのエンジンを鳴らして。
ここがすいぶん前に全面改装されたことは知っていた。そののち何度か訪れたことも
ある。いまではすっかり新しくなって、ここが名画
座ということがにわかには信じら
れないほどだ。古い小屋で封切りを観るくらいなら、ここに落ちるまで待ったほうが
いいとも思う。それ
ぐらい十全とした映画館になっている。
酒浸りの記憶が正しければ、かつてここは220席ほどの小屋だった。いまでは196席。
ただし、広々とした館内の雰囲気は変わらない。
映画と最初に触れ合った頃、ワタシはここに煙草を吸うために来ていた。映画館の片
隅で吸う煙草が、ワタシは好きだった。いつもここ
の右後ろの片隅で、乾ききった木
製の壁にもたれて立ったまま数え切れないほどのシャシンを観た。
ここはデートの場所だったかも知れない。あるいはかつて観た作品をあらためて評価
するための場所だったのかも知れない。たんに
学生たちが、授業の合間に時間をつぶ
すためだけの場所だったのかも知れない。
ただ、ワタシにはそうではなかった。ワタシは若すぎる自分の人生に足りないものを
埋めるために、終映までここにいた。
“いつもの場所”にワタシは向かった。昔のように、壁にもたれて映画が観たかった。
そして、そこに・・・ワタシの知らない“場所”がある
ことに気づいた。
客席右後ろの壁際に、なぜか空洞があった。そのなかに入ってすぐにそれが空調機の
ためのスペースだと気づいたが、ワタシはそれ
を本物の奇遇だと感じた。
4分の1ほど埋まった客席の隅に立ち、映画を観た。
木の凹凸壁はモルタル塗りの白壁に変わっていたが、そこは15年前の早稲田松竹だっ
た。いけないとは思いながらも、ワタシは煙草
に火をつけた。
観た映画のことはどうでもいい。いままで観た何千本のなかのたった1本だ。そんな
ことはどうでもいい。
映画館はタイムマシンだ。時間は果てしなく逆流してゆく。あの当時、遙かな未来に
向かって流れ続けていた時間が、岸辺に戻る波に
なってワタシの足元を洗ってゆく。
来月ここで、『ニュー・シネマ・パラダイス』をやるという。生きている限りワタシ
はきっと訪れる。もうひとつ、忘れられない想い出がそこ
にあるからだ。
ただしそれは、自分の胸のなかに閉じこめておこう。
ワタシには立ち返れる場所がある。
その幸せを与えてくれたこの小屋は、ワタシにとって、永遠だ。
いつかまた、みんなとここで会える気がする。いつかまた、きっと会いたい。
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