松岡の本音(芸術)

この記事はあくまで松岡の独自の考えでありそれに共感していただかなくても良いというスタンスで書いてますので、その点了解できた方のみお読み下さい。

 楽屋トーク状態の話ですが・・・、
評論家の人や自称評論家の人やアマチュア評論好きの人がいろんな話を好き勝手書きます。専門の評論家の方は自分の意見を雑誌に掲載する際、自分の名前が載るわけで、その人にその評論の責任が発生していますので、それなりの意見を書いていると思います。(そうでない人も残念ながらいます。ちなみにかつてうちのオーケストラの演奏会の曲目がソリスト急病のため急遽変更になったとき評論家は演奏会に来ていなかったため知らずにもとのプログラムで評論していた事もありました。)

しかし、匿名での無責任な評論には非常に頭に来ます。

それは何かというと、我々専門家は当たり前のことですがオーケストレーション一つをとってもなぜこうなっているのか、などといろいろ勉強します。
その中には音楽を純粋に追及するうえで本当は適切ではないのではないか、というオーケストレーションも多々あります。また、解釈の違いでスコアから読むオーケストレーションの色にもいろいろな可能性が出てきます。オーケストラプレイヤーは、多くの解釈の違いをすり合わせ、もしくは指揮者に強要されて演奏しています。

たとえの話になりますが、マーラーは素晴らしい作品を書いていますがオーケストレーションは上手くないとか、ラベルはオーケストレーションの魔術師とかいいますが、そうでしょうか?
マーラーがマーラーの音楽に、またマーラーのサウンドになるのはマーラーのオーケストレーションだからでしょう?マーラーはその音が聞きたかったからそう書いたのでしょう?
ラベルが素晴らしいというけどそれは、想像力というよりは、現場でこういう音もこの楽器にあるんだとか気がつけたということでしょう。でもプレーヤーサイドの意見としてはこの2人をとってみただけでも「じゃあラベルが演奏しやすくてマーラーが演奏しにくい」なんて事はありません。

ただプロの音楽家としてはいろんな作曲家の曲をできるだけ安定供給しなくてはなりません。

その時にアマチュアの人の作曲の都合や演奏者の都合を知らない貴重なご意見には感謝します。事情や都合は関係なく感じる意見を聞けなくなったら我々プロの音楽家はプロではなくなります。
音楽を学問として勉強した人に提供しているわけではないので・・・・・

ここがジレンマになるのですが・・・意見は聞きたい!しかし無責任な評論は困る!!

そこで!評論をする前に・・・・

すっごく簡単に芸術論について簡単な言い回しで触れてみますが、「芸術とは」これの一番大事なことは、送り手と受け手がいることです。たとえどんなに崇高な芸術家を気取ってみてもそれに答える受け手がいなければ芸術ではありません。
さらにこの送り手と受け手の関係が問題です。数学的に説明してみましょう。たとえば送り手である演奏家または画家、作家が100の知識と才能をもっているとしましょう。しかし受け手である人が50の知識と才能であったらそれはあくまで50にしかなりません。
でももし送り手が100しか能力を持っていなくても、受け手が300もっていたらそれは300までは可能性が増えていきます。
こういうたとえではもちろん言葉が足りません。
この受け手と送り手のこの感性の戦いこそ芸術たるものでしょう。したがってこういった感性の戦いはつねに変化しその価値観は安定しているものではありません。時代とともにも変化しますし、個人のその日の気分ですら変化します。これもたとえてかかせてもらうと、ある演奏家が悲しみを精いっぱい表現していたとしましょう、しかしそこに訪れていたとても気分の高揚した人はそれを幸せに感じるかもしれません。
またとても楽しい気分で演奏していた演奏家の演奏を聴いて悲しく思える人もいるかもしれません。(人は本当の悲しさに遭遇したときにその理解を越えて悲しい事すら忘れるかのごとく!)つまり芸術に接する際にいちばん大事なのは人の痛みや苦しみまた喜びに共感できるという最近つい忘れられがちな大事な感性を一番必要としているはずです。
したがって、何か芸術に接した時に何も感じられなかったと言うことはその人の無能さを自己紹介しているだけだということです。演奏がたとえ下手で聴くに堪えない、また文学としてまた美術として成り立ってないとしても必ずその人がしゃべりたい何かその人ならではの何かがあります。
音痴な人が恥ずかしがりながら歌っているカラオケにですら芸術は含まれています。
それを思いやれないで芸術を評論する資格などあるはずがありません。
ただ付け加えるならば人間は生理的に相いれないものがあるということです。百歩譲っても好きになれないものは必ずあります。これはどうしようも無い現実です。そういう芸術に出会ったら、評論する前に理由づけする前に「嫌いだった」で済ませましょう。


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