オーボエを始めるまで-1999/08/20

 よく質問されますが、自分が音楽家になるまでの足跡をたどってみたいと思います。
 はじめて、音楽に接したのは、あれはまだ母親のお腹の中にいるときでした。毎日々スメタナの我が祖国のモルダウばーっかり聞かされたのでした。水の中で聞くモルダウどんなでしょう?想像つきますか?僕はつきません!(聞いてたんだろー!)それから、無事空気のある世界にデビュー!イェーイ!それからは、歌謡曲専門に(今どき歌謡曲なんて言わないよね)美空ひばりはどうやら十八番で鏡台をステージにマイク片手に熱唱してたそうです。それが、あれは3歳の時、隣の家のお友達が(♀)「私ね、ピアノのお稽古行くの」と少年裕雅に言いました。その頃から今とおんなじですが、じゃあ僕も行くと言い、裕雅もピアノのお稽古が始まったのでした。しかし、かつてクラシックに接していた胎教時代からはや3年もう裕雅には、クラシックは苦痛以外の何者でもなくなっていたのです。自分から始めると親にいって始めたピアノでも練習したくありません。しかし親もつわものいつまででも少年裕雅をピアノのイスに座らせてくれていました。あるときは孫の手をもって!(孫の手って知ってますか?)
 その頃の一番の趣味はお散歩、特に集団登校している小学生との散歩は最高な気分でした。おかげでお巡りさんに保護されて、その当時の子供たちのあこがれのパトカーでのドライブも堪能できました。
 そんな裕雅に家でじっとピアノのお稽古できるわけありません。しかし孫の手・・・・
そんな生活が何年も続きました。しかし転機は訪れます。親の転勤でピアノの先生がいなくなりました。なんと開放された気分になったか。とはいえ、小学生になった裕雅は、少し音楽にも違和感を感じなくなって来ていました、またヴァイオリンやフルートにも興味が沸いてきた。とりあえず、ヴァイオリンをやってみました。しかし先生がいない土地に住んでいたので、すぐ中止!今でも無残にヴァイオリンの残骸だけがその当時を物語っています。その後NHKのフルートのお稽古みたいな番組に触発されて、フルートスタートこれもすぐいやになってしまいました。それを経て自分の音楽の適性のなさを痛感していました。小学校の先生にもその当時は、適性のなさを指摘されていました。根気がなく飽きっぽい。これではうまくなるはずがありません。ところが、中学からは変わりました。地元の中学には進学せずに、ちょっとはなれた中高一貫教育の学校に進学、ここでブラスバンドの練習室(専用の練習室がありました。)から聞こえてくる宇宙戦艦やまとのテーマかっこよく感じました。中学では、テニス部に入部して真っ黒に過ごしていたある日のことでした。
 同じクラスのブラスに入っている友達にかっこいいね、といったら見学を進められました。しかし見学に行ったはずなのに中高一貫教育の学校ならでわですが、高校3年生のおじさん達に「ねー入部するよねー」と押し切られそのまま入部。しかしその学校は男子校だったため中2になると高校のバンドで高校のバンドの一員として演奏をばりばりしないといけない責任をおわされ、でもそのおかげで音楽にも興味が湧いてきました。そこの学校の先生は今は生きてませんが、子供たちを指導することはまず何もせずに、自発的にやることに協力する感じの先生でした。気がつくと結構上手になっていて、毎日フルート吹くのが楽しくてしょうがないといった感じで、練習をしなくてはいけなかったお稽古時代とは全然違う感じで、自然と目的を与えられ、それを消化していくことができ、苦労のない日々でした。高校に進級するころ、そんな日々の中で、もしや自分はフルート向いてないんでは?と思い始まりました。結構音楽が好きになっていて、いろいろ挑戦していく中で、思った音がでない!フルートや金管楽器は自分の口や体次第で音決まっちゃう感じがしました。 よしリード楽器始めよう!でももうまもなく高校生クラやサックスでは経験者が多くて大変、じゃあオーボエかファゴットだ!しかしファゴットはへ音記号だ!さよなら、って感じでオーボエを始めることになりました。

オーボエをはじめてみて


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