45センチの魔法 45センチの魔法                 〜〜〜a little episode of "Akari kamigisi"


 …それは、遠い日の記憶。

「お母さん、髪結んで。おねがい。」
「はいはい。…でもね、あかり、もう小学生なんだから、
このくらい自分で出来なきゃね。」
「はあい。」
「……」
「……」
「ねえ、あかり…、なんでお母さん、あかりの髪、
 いつもこうやって、編んでるか、知ってる?」
「ううん、なんで?」
「…魔法を、かけてるの。」
「え?魔法?」
「そう、魔法…。ね、あかり、女の子ってね…、魔法が使えるの。」
「髪にね、大好きな人への思いを込めて、丁寧に編むの…。
 その想いが、髪のなかで大きくなって、魔法になるの…。」
「わたしにも、できる?」
「うん。…あかりが、大人になったときまで、大事に髪を編んでいれば、
 きっと、できるわよ。」
「ふうん。」
「…でもね、」
「?」
「この魔法は、一生に一度しか、使えないの…。」
「一回だけ?」
「そう…。だから、大事に大事に、魔法をかけるの。…いい?あかり。」
「はあい。」
「それじゃあ、魔法の使い方、教えるね…。」
「………」
「……」
「…」


            §


 午後7時。私は、部屋の鏡の前にいた。
鏡の中の自分に向かって、軽く、溜め息を漏らす。

「私も…先輩みたいに、奇麗になれたらな…。」

軽く赤茶けた、自分の髪を見つめながら、また一つ、溜め息を吐く。


 きっかけは、休み時間の、何気ない一言だった。

「そりゃな、男ってのは、やっぱ長い髪の毛に憧れるもんだしな…。」

 校舎裏の通路で、来栖川先輩とすれ違ったとき、
浩之ちゃんが、言った言葉。
 あのとき、先輩の美しい黒髪が、午前の緩やかな風に揺られて、
さらさらと流れていた。私も正直なところ、あのような奇麗な髪を、
何度となく羨ましく思ったことがある。

「やっぱり、浩之ちゃんも、長い髪のコの方が、いいのかな?」

 言いようの無い、不安がまた広がる…今日は、一人で学校から
帰ったのだけれど、その言葉が、頭から離れなかった。

 学校から帰る途中、一組の男女を見掛けた。
傍目にも恋人同士と解る彼等のうち一人も、長髪を靡かせていた。
そのとき、ふと、前を歩く男性が、浩之ちゃんに重なった。

 誰とも解らない女性に、優しく微笑み掛ける彼。
それが、浩之ちゃんであること。一刹那、その可能性を垣間見てしまったとき、
私の中で、ほんの砂粒ほどでしかなかった不安が、
両手で支えきれない位に、大きくなった。


「私は、あそこにいることが、できるの?」


いつも、そこにいられればいいと、思っていた。
今も、これからも、変わらずに浩之ちゃんの側にいられると、思っていた。
でも、それは叶わない想いだと、知った。

 鏡の中の、私の表情が俄かに曇る。
やがて、重く押し黙ったそのもうひとりの私は、
雨に打たれた水彩画のように、滲んでいった。

 いつか、浩之ちゃんの隣に、私でない誰かが寄り添って歩く、
そんな日が来るかもしれない。
そのとき、私は浩之ちゃんの後を、ついて行くことが出来るの?


浩之ちゃんは、ゆっくり歩いてくれないよ。
浩之ちゃんは、ときどき振り返ってくれないよ。
浩之ちゃんは、私に声をかけて、くれないんだよ。


それでも、いいの?


 いつしか、私の頬は、大粒の涙で濡れていた。
変わらないでと願う想いと、変わってしまうことへの不安。
その狭間で、私は、ただ、泣くことしか出来なかった。


 いつまでも浩之ちゃんの隣にいる自信も、
私があの、「誰か」になる勇気も、なかったから・・・。



 ……魔法が……つかえるの……



 十数分の、沈黙。色褪せた、空っぽの時間。
それを優しく融かしたのは、あのときの、母の言葉だった。

 涙を手の甲でごしごしと拭い、鏡を覗き込む。
右手の指先が、そっと、三つ編みの先に触れる。
端正にまとめられた自分の髪を遊ばせながら、
私は、あのときの言葉のつづきを思い出していた。


 ……大好きな人への 想いを込めて……


 いつからか、忘れてしまっていたのかな。
私が、十年以上も変わらず、この髪を続けていた、理由。
志保ちゃんに「あかりも、たまには髪型かえたら?」って、
時々言われた時も、笑って誤魔化してた。
誰にも、言えなかった。


そうだったよね

この髪には、浩之ちゃんへの想いが、
いっぱい、いっぱい、つまってるんだもんね。


 あのときから、ずっと、私は魔法を掛け続けていたんだ。
夕暮れが影を伸ばす公園で、浩之ちゃんを見つけたときから…
誰もいない公園で、浩之ちゃんの優しさを見つけたときから…。

 リボンを解くと、私の髪は綿毛のように、ふわりと弾けた。
少し赤茶けてくすんだ髪。
癖は無いかわりに、決してさらさらとは流れてくれない固い髪。
それは決して奇麗では、ないけれど、
世界でたったひとつの魔法で、輝いている様に、見えた。
いつまで経っても自分に自信をもてない私を支えるように、真っ直ぐに。


魔法、使うね…


 すこし、早いかもしれない。そんな不安も、少しだけあった。
でもそれは、解けた髪の先から零れだす想いに流されて、
どこかへ行ってしまった。

「届くかな…私の魔法…。」

 長い夜が、ゆっくりと、動き出した。
昨日とほんの少しだけ違う、明日への期待と予感を抱いたまま。


            §


 次の日の朝。
いつもの角を曲がる。いつもと同じ時間。
緩い坂道の向こうに、浩之ちゃんの背中が見える。
でも、その瞬間、私は小走りに早めていた足を緩めてしまった。

 いつもとは、違うところが、ひとつだけあった朝。
6時前に起きて、鏡の前で格闘した結果が、
私の頭の上で、ふるふると揺れていた。
 ただ、髪を下ろして、申し訳程度にリボンをつけただけの髪型を作るのに、
前髪をどうしよう、リボンの色はこれでいいのかな、なんて、
悩み悩んで何度も試してみた。

 それで、やっと、少し自分でも気に入った髪形ができてご機嫌だったのに、
さっきまで高鳴っていた胸が、早い鼓動はそのまま、
押しつぶされそうに小さくなってしまう。


どうしよう。
だいじょうぶかな。
変だなんて、言われないかな。
いつものほうがよかったって言われたら…。


ううん。
だいじょうぶだよ。
変だなんて、言わないから。
絶対、似合うよって、言ってくれるよ。

とびっきりの、魔法なんでしょ…


 不安と期待の戦いの、終止符を打つのは、魔法の声。
やわらかな春風に押されて、ゆっくりと、走り出す。
私の足音と息使いを感じた浩之ちゃんが、
いつものように気だるそうに、振り向いた。

「おはよう、浩之ちゃん。」
「あ、あかり!?」

 一番最初に漏れたのは、上ずった、浩之ちゃんの声だった。
朝の日差しに隠れて良く見えないけれど、
見慣れないものを見るような視線を、微かに感じた。

「お前、その髪型…。」
「えへへっ、どうかな?」


…魔法、届いた?


「…髪型、変えたのか?」
「うん、ちょっと今朝、早起きして…。」


どう?ほんとは、ちょっとじゃないんだけど…
1時間半もかけて、丁寧に仕上げた、魔法だよ。


「ちょっとヘンかな…?」
「い、いや…。」
「リボンは、やめたほうがいいと思う?」
「い、いや…。」


浩之ちゃんの言葉が、少なくなる。
届いて、くれないのかな?
やっぱり、まだ、早かったのかな?


「もっと他の髪型がいいかなぁ?」
「さあ…。」
「…どうしたの、浩之ちゃん?」
「べつに…。」

「……」


せいいっぱいの勇気、出したんだよ。
似合ってないって、言ってもいいよ。
届いたのなら、何か言ってよ。


「…前のほうが、よかった?」
「…あ、い、いや。」
「やっぱり、もとに戻そうか?」


…ねえ、魔法届いた?


「いや、その方が似合ってるぜ。」


………!


「…ほんと?」
「ああ、似合ってる。なんだか、いつものあかりじゃないみたいでさ、
 ちょっと動揺しちまったぜ。」


今、似合ってるって、言ったよね。
嘘じゃないよね。


「またまた〜、そんなこと言って〜。」
「ちょっとヘンじゃない…?」
「いいや、ちっとも。」


いつもの、浩之ちゃんだ。
はは…やっと、届いたんだね。
ちょっぴり、弱いかも、しれないけどね…


「リボン、やめたほうがいいと思う?」
「いや、可愛いと思うぜ。」


ありがとう、浩之ちゃん。
それが一番、悩みどころだったんだよ。


「もっと他の髪型がいいかな?」
「それが似合ってるよ。」


三つ編み以外は、これしか、思い浮かばなかったの。
ごめんね。


「ほんとに?」
「ああ。」


信じて、いいよね。
ほんとに、届いたんだよね。


「よかったぁ…。」
「浩之ちゃんがそう言うんなら、しばらくこの髪型でいるね。」
「………」


 浩之ちゃんが、少し照れながら、そっぽを向いた。
でも、眼が潤んじゃってて、もう、私も上、向けなかったんだ。
 少し強い風が、背中から追い越していった。
散り始めた薄紅色の桜の花びらをのせた風は、
朝日に向かって螺旋を描きながら、昇ってゆく。
 そのとき私の髪も、ふわりと巻き上がる。
まだ、そんなに長くない赤い髪が、桜と遊びながら、舞っていた。


誰にも言えない一歩は、魔法にのせて
45センチの、ちょっとだけ早い魔法にのせて…


            §


「…」
「……」
「………」
「ママ、早く早くぅ」
「はいはい、ほら、そんなに動かないでね…」
「……」
「ママ、どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ…。
 ねえ、ママがなんで三つ編みしてあげてるか、おしえてあげよっか。」
「うん、なんで?」
「…」
「…」
「魔法を、かけてるんだよ。」
「魔法?」
「世界でたった一つの、たった一度の、魔法だよ。」
「あたしも、使える?」
「うん…」
「……」
「…」


……わたしの魔法、届いた?




「さおりんといっしょ」へいくん
「だ好き」へいくん