孔融 (文挙)
孔子といえば諸子百家を、そして中国思想史を代表する大思想家の一人であるが、孔融はこの孔子の子孫であるとされている(但し直系ではない)。孔子第二十代の子孫といわれる彼は幼少の頃より天才の呼び声が高かった。
彼がまだ10才くらいの時のことである、当時、名士とされていた李庸という人物を彼は訪れた。当然門番は10才のガキんちょなど通してくれるはずはない。「先生は友人か親戚しかお会いしません」といわれてしまった。そこで孔融は考えた。「門番さん、私は李先生の知り合いですよ、通して下さい。」門番は不審に思ったが一応李庸に取り次いだ。李庸は10才の子供の知り合いなど心当たりはなかったが興味を覚え通すことにした。李庸が孔融に「君は私の知り合いだといったが、どういった関係だね?」と聞いた。孔融は「私は孔子の子孫です。そして先生の名は”李”です。”李”とは老子の名であります(老子の本名は李)。かつて孔子は老子の教えを請いました。だから私たちはずっと昔からの知り合いです。」と答えた。その場にいた一同は大いに彼のことを褒め称えたという。しかしその中で一人「小さい頃頭がいいやつが大人になっても頭のいいやつとは限らないよ。」とからかう者がいた。幼い孔融は「ではあなたはさぞかし子供の頃頭が良かったのでしょうね。」と返し、一同は大爆笑した。
またその後は兄の友人で中常侍(当時権勢を振るっていた悪い宦官たち)の恨みを買った張検をかくまった。孔融とその兄はその後事が露見し捕まったが、お互いをかばい合い結局兄が処刑された。孔融の人徳はこれを持って全国に鳴り響いた。
そんな孔融も実務となるとさっぱりであった。最初の逸話を見てもわかるとおり彼の理論は机上の空論にすぎず、彼が立てた政策は理論倒れで実行不可能な物ばかりであった。彼が治める北海では、立派な法令はたててあったが、実際には守られることなく悪者が跳梁跋扈していた。しかし彼の名は墜ちなかった。彼が賊軍に追いつめられ劉備に助けを求めると劉備は「孔北海どのはこの劉玄徳を知っていた!」といって喜んだという。結局彼は北海の相の座を追われた。
漢朝擁護派の重臣として曹操に使えた彼は朝議においても盛んに発言したが、いずれも机上の空論ばかりであった。また漢朝復興を目指した彼はその元来のひねくれた性格から、事あるごとに曹操に突っかかった。曹操が禁酒令を出すと、「確かに酒が国を滅ぼしたことはありますが、それならばなぜ陛下は女を禁止しないのですか。紂王の例をご存じでしょう?」と手紙を出した。また、袁紹を破ったときも「周の武王は紂王を討伐したとき妲己を周公(旦)に賜与しました。」と書いて送った。曹操は孔融が博識であったので何かの書物に書いてあったのかと思いその事をたずねた。すると孔融は「現在のことから想像するとそんなところでしょう。」といった(曹操は袁紹配下の者の妻を気に入ったが曹丕に横取りされたので、それを皮肉った)。
とうとう孔融は曹操の逆鱗に触れ処刑されることと相成ったが、彼の息子もまたすごい。父親が処刑されると決まったとき彼の二人の息子は家で双六をしていたが、父親処刑の方を聞いても何も反応せず双六を続けた。そばにいた者が「父親が処刑されると言うのにどういうことだ!」というと「巣が壊されて小鳥が生き残るという事があるだろうか(いや、そんなことはあり得ない、自分達も死ぬのだ)。」といった。
孔融は建安七子という当時の詩の名人の一人であった。彼は死ぬときこんな詩を残している。
言(ことば)多ければ事をして敗らしめ 器の漏るるは密ならざるに苦しむ
川は蟻の穴の端に潰え 山の壊るるは猿の穴に由る
ケンケンたる江漢の流れ 天の窓は冥き室にも通ずというに
讒邪は公正を害し 浮雲は自白を翳う
辞として忠誠なる無きは靡かりしに 華のみ繁くして竟に実あらず
人に両三の心有 安んぞ能く合して一と為らん
三人は市の虎を成し 浸漬は膠と漆のごとくしたしきものをも解く
生存しては慮る所多かりし 長く寝ては万事畢る
孔融は自分のことをよくわかっていたのであろう、それでも止められない自分自身に苦しんでいたのではないだろうか。また確かに彼は漢朝に対し、そして曹操に対し忠実であった。しかし漢朝復興を目指す彼は曹操に忠誠を誓う自分か許せなかったのであろう。だからこそ彼は曹操に皮肉を言ったりしたのだろう(但し彼は皮肉ばかりではなく、ちゃんとした意見も出している。机上の空論が多かったが)。肉刑(肉体を傷つける刑)復活の提議がなされたとき、彼は先陣を切って反対した。「肉刑は紂王が行っていた刑であり、これの復活は全国に無数の紂王を作ることである。」確かに机上の空論であるが、孔融は孔子の子孫としてこういったことには断固反対したのである。
ちなみに彼の死は曹丕によって大変好まれ、曹丕は懸賞をつけて彼の遺稿を捜させたという。父親とそりが合わなかった曹丕の父親に対する微かな反抗であろうか・・・
(参考資料:『世説新語』、『三國志』『魏書』)