原告側準備書面1」 と被告側「準備書面(2)」の対照表

原告側「準備書面1」200493日提出(固有名詞は一部省略)

平成15年(ワ)第2331号

原告 ○○昭彦 ほか1
被告 桜井昭彦

準備書面1
平成16年9月3日

原告ら代理人 弁護士 池原毅和

[中略]
 被告医師と故幸子の間の転移および逆転移の状況がどのように増悪化したかについて、故幸子の病状期を基準にして以下のように整理し、各時期区分についての特筆すべきことを指摘する。

1 全体の時期区分
 被告医師との関係と故幸子との病状の増悪化
 精神医学点観点から区分すると下記のように区分するのが適当である。

第1期 悪化の基盤形成期(95517日〜118日)
第2期 主治医交代期(95118日〜95121日)
第3期 治療を引き受けたことによって病状の悪化と自殺企図を引き起こした時期(その1)(9512月〜961月初旬)
第4期a 9617日〜96227日)
第4期b  治療を引き受けたことによって病状の悪化と自殺企図を引き起こした時期(その2)(96228日〜961128日)
第5期a  治療を引き受けたこと等によって病状の悪化と自殺企図を引き起こした時期(その3):済世会病院第二セッション:9711月〜994月初頭
第5期b  9946日〜001月中旬)
第6期 治療を引き受けたことによって病状の悪化と自殺企図を引き起こした時期(その4)(20001月中旬〜200052日)

 上記のような時期区分を行う意義は以下のことによる。


 第1期は、@桜井医師の不適切な治療方針A同医師の治療構造を無視した無原則な面接B同医師の逆転移に基づく曖昧で「思わせぶりな」言動等のために、その後の幸子の自死の基盤となる病的な治療者−患者関係が形成された時期である。

 第2期は、そうした異常な治療者−患者関係に家族が気づき抗議した結果、主治医が前田医師に交代するなどチームとしての新たな対応が模索されたが、その一方で引きつづき桜井医師が無原則な対応を続けたため、幸子の行動化が続き、深刻な行動化のために強制退院になった時期である。

 第3〜第6期は、それぞれ桜井医師が治療を中断したり、治療依頼を断るなどの契機があったにもかかわらず、桜井医師が幸子に関わり続けた結果、病状をくり返し悪化させた時期である。

 第4期には無原則な電話での対応のため、軽井沢での自殺企図が起き、第5期には、幸子に対して「恋人にはならないが恋愛感情がある」という内容の誘惑的な発言をくり返し、不安定な幸子をいっそう混乱させ、幸子の自殺企図を誘発した。

 第6期には、中久喜医師と幸子の要請で、「それまでに形成された軋轢を解消する」という利己的な理由で関係を再開するが、再開後もこれまでと同様、無原則な電話やメールで「思わせぶり」で「誘惑的な」発言を続けた。最終的に、電話での不適切な対応が繰り返される事態を招来させ、希死念慮を表明している幸子に対して、「あなたの死を止めることはできない」と回答し、その結果、幸子は自死した。


2 以下では、上記の時期区分の視点から、各時期において特筆すべきことを摘示する。

被告側「準備書面(2)」(「準備書面1」に対する反論:20052月18日提出(固有名詞は一部省略)

前半部分は長文のため、以下をクリック。

「被告準備書面(2)」(2005年2月18日提出)前半

 

第1期、悪化の基盤形成期(95517日〜813日):
 この時期までは、幸子は抑うつ的で希死念慮は認められたが、後に見られるような深刻な二者関係への依存とそれに基づく自殺企図は呈していない。
 この時期に、桜井医師が通常では考えられない治療方針を呈示(「私が幸子さんの恋人役をやります」等)したり、治療構造のない無原則な治療を行うことによって、その後の被告医師への病的な依存(恋愛転移)が形成されたと考えられる。































 時間をおって経過を解説する前に、まず指摘しておきたいのは、以下の2つのカルテ記載から読み取れるように、桜井医師は9711月以降、幸子に対する過去の治療が誤りであり、治療を原因として幸子の病が形成されていると認めていることである。すなわち治療の失敗を当の桜井医師が認めていることをまず銘記されたい。

1、「本日の面接で、私としてはやはり治療のトラウマが問題だと認めざるを得ません。」(971112日付、済世会中央病院カルテより)

2、「恋愛的な感情という(揺れる)基盤の上に、それを見ない振りをしながら治療を一所懸命構築してもうまく行かないのは当然だった」「治療者としての私が幸子さんにどうお詫びしても足りないことです。」(98117日付、済世会中央病院カルテより)。

 以下、時間を追って経過について述べる。

第1期(1995(平成7)年5月17日〜同年11月8日)について
(1)第1段落
@ 幸子は、入院前にも自殺企図を起こしているし(乙A1、3頁)、慶応大学病院入院直後の平成7年3月26日にも、病棟内で自殺企図を起こしている。さらに5月17日には、千鳥が淵で致死的な自殺企図を起こしている。単に「抑うつ的で希死念慮は認められたが」「自殺企図は呈していない」というようなレベルなどではなく、幸子の病状は極めて悪かった。
A 被告が「私が幸子さんの恋人役をやります」という発言をしたことはまったくないし、実行されたこともない。幸子については、複数名の担当医、担当看護婦、病棟婦長を初めとする看護スタッフ、家族に対するサポートからなる、よく計画された複合的な治療がなされ、スタッフ間のコミュニケーションも頻繁にとられていた。幸子の病状が危険であったことから、このような複合的な体制がとられたが、ここまで充実した体制がとられるのは、珍しいことである。
B 治療構造のない無原則な治療など行っていないことは、前述したとおりである。
C 「病的依存」と「恋愛転移」を同等に論ずることは正しくない。境界性人格障害の患者が治療者に恋愛転移を持つことは多くあるが、患者が治療意欲を持っていれば治療は十分可能であるし、治療を中止する危険性も十分考慮に入れるべきである。「病的依存」という点については、幸子は、他人に対する信頼を欠如していたが、被告に対してのみわずかに心を開き、「恋愛」という形で人間関係を保とうとしたのである。通常の人間関係を問題なく持てる個人が、不適切な治療によって病的な依存関係を生じたわけではない。

(2)第二段落
  被告の発言は、治療のミスを認めたものではない。
  境界性人格障害は、治療方法が確立しているわけではなく、治療をすれば必ず治るというようなものではない。
  ただ、幸子は、当然、治療を受ければ治るという強い期待を持って、治療を続けていた。それにもかかわらず、幸子の病状は、完治することはなく、幸子は、「(がんばっても)家族から見捨てられた」という体験に重ねて、治療者から「(がんばっても)期待を裏切られた(病気が治らなかった)」という経験をせざるを得なかったのである。さらに、幸子は被告に対して強い恋愛感情を抱いていたが、当然のことながら被告はそれを受け入れなかったため、幸子は、今度も自分の恋愛感情が受け入れられなかったと傷ついていた。そのため、被告は、「治療のトラウマ」という記載をしたのである。
  さらに、平成10年1月17日付のカルテは、被告から中久喜医師に宛てたものであるが、前述のように、本人に対しては恋愛関係の否定を100%明言することができない(100%明言すれば、ただちに幸子の生命に危機が及ぶことになる)という異常な状況にあったところ、中久喜医師のカルテはすべて幸子本人に閲覧させることになっていたため、幸子が納得できるような表現で、カルテを記載せざるを得なかったのである。

 

195517日、慶応大学病院入院中の幸子が病棟を抜け出し、千鳥ヶ淵で自殺企図する、という事件があった。幸子は無事保護されるが、この直後から、被告医師は「人格障害、特に境界性人格障害の疑い」があると考えた。しかし、そうした診断を確定させるため通常行われる「診断面接」は行っておらず、また境界人格障害患者の治療に適した治療構造を検討したり実施した形跡はない。

 (1)について
@ 本件については、当初から、山田医師と被告による面接、看護スタッフによる会話、病棟での行動観察について記録がなされており、その良は、通常の診断面接をはるかにしのぐ情報量を持っている。診断面接には生育歴を順に聞く方法も、自由連想法を用いて一定回数面接しその内容を検討する方法(予備面接ともいわれる)もあるが、いずれよりも多い情報を既に治療者側は保持しており、診断確定のための資料は十分であった。
A さらに、米国のカーンバーグ一派による半構造化された境界例のための面接は、非常に限られた流派の行う研究的なものであるし、当時の精神医療における実態から見ても、境界例の診断面接は行われていないケースが圧倒的に多い。

 

2)千鳥が淵の事件の後(956月中)、被告医師は父と次女に対して、それぞれ別の日に「私が幸子さんの恋人役をやります」と告げている。また、母も加えた三人がそろった時には、以下3点の「治療方針」を示した。

(2)について
  当時被告がたてた治療方針は、前述したとおりであり、@〜Bについては、原告らの解釈は誤っている。Cは、このような「治療方針」を示したことはまったくない。また、被告が「誤った治療方針に基づいて」「幸子の被告に対する恋愛転移・依存を強化させ」た等の事実もない。

 

1)これまで家族は父親主導であったが、今後は母親主導にする。そのために、母親がより家族の中で発言し、幸子が母親に甘えるようにする。

2)この方針で治療をすすめていくために、母親が毎週水曜日に被告医師と定期的に面接する。

3)幸子のわがままを、両親が許してゆく。

 つまり、家族側に説明した被告医師の治療方針は、

4)「恋人役」

を含めた
4点からなっていた。

 

 一般的に境界性人格障害の治療では、家族と協力関係を保ちながら、ゆるがない治療構造を構築することが原則とされている。特に「患者を特別扱いしないこと」が主治医への病的な依存を形成させないために重要である。
 ところが、被告医師の呈示した上記の4点のうち、1)は家族の分断を招くという点から、3)は治療構造が破壊されやすくなるという点から適切ではない。さらに「恋人役になる」という治療方針は、「特別扱いしない」という原則とは正反対であり、はっきりと不適切である。
 原告らが問い合わせた範囲では、すべての精神科医が「主治医が患者の恋人役になる」という治療方針は聞いたことがないと話し、仮にあったとしても「少なくとも境界性人格障害の患者には有害無益であろう」というのが一致した意見であった。

 桜井医師は、この誤った治療方針に基づいて、この6月から7月にかけて、幸子の桜井医師に対する恋愛転移・依存を強化させ、その後の幸子の死に至るまでの病の主要原因を形成させた。


 

395610日頃、桜井医師が医局旅行から戻るが、後年(9712月)、済世会中央病院で幸子は桜井医師に対し、「このときから桜井医師のことを好きになっていた」と証言している。

(3)について
  平成7年6月当時、幸子が、被告に恋愛感情を持っている等述べたことはない。

 

4)看護記録によれば、955月終わり頃から幸子が「依存心」を持ち始め、61日からははっきりと桜井医師に対する「依存心」が確認されている。65日のカルテには、芳賀医師が「桜井医師への思慕の念が強い」と記録し、幸子の桜井医師に対する恋愛転移が確認できる。613日、看護婦は「前の彼への期待」が「桜井医師にすり替わっている」と、幸子の転移を指摘している。この時点で桜井医師は、幸子と「転移について」話し合った上で、「主治医は治療を行うのであり、現実的な恋愛関係になることはあり得ない」と明言するべきであった。しかし被告医師は、このような精神科医であれば常識である治療操作を怠った。

(4)について
  この当時確認されているのは、「依存心」と「期待」であった。恋愛感情であることは主治医にもスタッフにも明らかになっていない。5月17日の時点で、「誰も信用しない」と公言していた幸子に、誰かを頼る気持ちが生じたことは、むしろ前進である。この後、幸子の恋愛感情に初めて気づいた被告は、細心の注意を払いながらも、恋愛関係になることはあり得ない旨幸子に伝えている。

 

5)幸子の恋愛転移に関する956月当時の記録(カルテや看護記録等)と97年以降の幸子の記憶およびそれにもとづく発言には矛盾がない。したがって、97年以降の幸子の記憶とそれに基づく発言が正しいことが確認できる。

(5)について
  幸子の恋愛性転移が明確になったのは、平成7年9月始めころになってからである。6月の段階では、「依存」として現れていたし、8月の段階ではボーイフレンドとの関係が重要であった。また、9月初め以前の段階では、被告との間に距離を感じても、希死念慮をもって反応するということはなかった。

 

695613日、桜井医師との面接後、同医師がひいたような気がして「死にたくなる」、「魅かれるのはまずい」、と幸子は看護婦に訴える。この記録によって、桜井医師との面接→幸子の容態が悪化する→希死念慮が生まれる、というパターンが初めて明らかになる。このパターンは6月17日、6月27日、6月28日、7月5日と繰り返され、次第に重篤なものとなっていくが、桜井医師が、面接の意味や面接そのもののストレスを幸子と話し合うなどなどして、このパターンを解消しようとした形跡は全く認められない。

(6)について
@ 6月から7月にかけて、他者を頼れるか頼れないかの葛藤を生じていたのは、改善に向けての順調な経過である。原告らは「次第に重篤なものになっていく」と述べているが、事実は逆である。
A 「面接の意味や面接そのもののストレスを幸子と話し合う」べきであったという原告らの主張であるが、このような面接は当時行っていた。この時点では、幸子は他者と信頼関係を築こうとして努力している途上であったのであるから、面接の否定的な意味(ストレス等)についてだけ話し合うのではなく、いい面、悪い面ともに話し合うなど、慎重に行うことが必要であった。

 

7)千鳥が淵の事件まで、希死念慮はあったにせよ、それは 1)入院前までの人間関係の軋轢と挫折感 2)入院後、入院しても病状改善されず、他方、就職や卒業という目標が達成できないといった本人の焦り 3)家族と切り離された病院での孤独や絶望感、などに基づいたものであった。
 しかし、613日以降見られる希死念慮は、そのほとんど桜井との面接や同医師の態度に対する反応である。すなわち同医師への強い依存が形成された結果、境界性人格障害特有の「見捨てられ不安」が生じ、それが主治医への「しがみつき」や「希死念慮」につながっている。すなわちここからの幸子の希死念慮は、それまでの希死念慮とは全く異なった性質のものとなっていたのである。

 (7)について
@第1段落について
 患者が自殺企図を起こした場合には、希死念慮の原因を想像するのではなく、本人の言葉をよく聞かなくてはならないことは当然のことである。
  原告らが指摘している@〜Bのうち、平成7年5月17日の自殺企図直後に幸子と行った面接で直接確認されているのは、「入院しても病状が改善されない」ことのみである。また、「人一倍、誰かに甘えたい・・・という気持ちが強いにもかかわらず、それを表出せずにため込んだ結果爆発し、その後誰も私を助けてくれないと訴える矛盾したパターン」(H7.5.18、乙A3の4、144頁)というのが、治療スタッフ側の抱いた見解であった。
A第2段落について
  5月の時点では自殺企図という選択肢のみであったが、その後、被告には信頼を持ち始めると同時に、信頼と不信との間で揺れ動くようになったのである(いきなりの自殺企図はこの期間なくなっており、治療関係内での揺れ動きになっている)。
  表面的には被告に対する恋愛転移として現れていたが、前述したとおり、幸子の真の問題点は第三者に対する信頼の欠如であり、唯一信頼できると感じた被告に必死でしがみつくようになったのである。つまり、それまでの幸子の希死念慮と、それ以降の希死念慮の性質は、まったく同じ根を持っているのである。

 

(8)「見捨てられ不安」が生じたこと自体は、境界性人格障害患者の治療中にしばしば認められることであり、医師の過誤とは言えない。問題はその「見捨てられ不安」とその結果生じてくる「主治医へのしがみつき」や「希死念慮」を主治医がどのように扱うかである。
  境界性人格障害患者の「見捨てられ不安」に基づく「しがみつき」や「希死念慮」に対する正しい対応には諸説あるが、多くの精神科医の見解は「見捨てられ不安の存在を指摘して、医師として(個人としてではない)見捨てないことを患者にはっきり告げる一方で、しがみつきや希死念慮に対しては毅然として治療構造を遵守する」ことで一致している。
 すなわち、もし「しがみつき」や「希死念慮」のために、面接時間を延長したり、予定外に頻回に面接をするなど、治療構造をないがしろにすれば、患者はさらに要求をエスカレートさせる。この要求には際限がなく、やがて主治医はそれに応じきれなくなってしまうので、結局のところ、本当に主治医が患者を見捨てることとなり、患者は自殺を実行せざるを得ない精神状態に追い込まれてしまうのである。

(8)(9)について
@ まず、被告が治療構造を守っていたことは、既に述べたとおりである(ただし、前述したとおり、境界性人格障害の患者の場合、治療者が必死に治療構造を守ろうとしても、最後までそれを保持できる事例は極端に少ないと言われている)。病棟という透明性の高い環境の中で、「治療構造を無視した」治療など、できるものではない。
A さらに、前述したとおり、境界性人格障害の患者の治療は困難を極めるが、最も重要なことは、患者と治療者がどれだけ真剣に向かい合い続けることができるかであるといわれている。
B また、「じっと黙ったまま見つめ合っていた」という点についても、前述したとおり、原告らの誤解である。

 

9)ところが桜井医師は、613日をはじめとして幸子の再面接の要求を受け入れるなど、自ら治療構造を破壊してしまっている。カルテを読む限り、桜井医師には元来治療構造という意識が希薄であり、最初から治療構造が不明瞭であるが、6月13日以降、さらに無構造であることに拍車がかかっている。境界性人格障害患者の治療を担当するために必要な知識や認識が欠如していたのではないかという疑念が湧く。たしかに境界性人格障害患者の治療においても、支持的側面や受容的側面が必要と指摘されているが、それはあくまでも「専門家である治療者としての」支持や受容であり、個人的な支持や受容ではない。たとえば、957月頃、父が目撃したような「じっと黙ったまま二人で見つめ合っている」というような治療態度は、単に「二者関係への埋没」を示しているだけであり、精神科治療で求められる支持や受容とはほど遠い。
 また、面接での桜井医師の発言が、「がんばってくれれば、よくなるまでおつきあいします」など、患者から見ると恋愛感情を受け入れるかのような「思わせぶり」なものであったため、幸子の恋愛転移はさらに助長・強化された。
 すなわち@無構造な面接構造とA思わせぶりで曖昧な態度のために、幸子の桜井医師への依存および恋愛転移はますます強化され、病的な依存、つまり嗜癖と呼ぶにふさわしい状況となっていったのである。


 

10)桜井医師が、この時点で治療構造を厳密にする等の適切な措置を実施できず、思わせぶりな言動に終始した原因は、同医師の逆転移にある。
 幸子のN医師宛のレポートに基づけば(981月提出)、97年から99年の済世会中央病院の面接において桜井医師は、「入院の最初の時期の交流」以来、「お互いに(否認しながら)恋愛感情(少なくともそれに近いもの)を動かした」、「私が彼女に引きつけられたのも確かなこと」、「95年にあなた(幸子)に会って、「自分の中に水が湧いている」のを発見した」(「水」とは明らかに恋愛感情のことを指す)、「私との結婚をかなり真剣に考えていた」と述べている。つまり同医師は、956月の頃に同医師の側に恋愛逆転移、より適切な用語を使うなら「性愛性の逆転移」が生じていたという事実を認めている。

(10)について
  前述したとおり、中久喜医師を主治医とした治療において、中久喜医師は、被告の書いたレポートをすべて幸子に閲覧させるなどの特殊な条件を設定していた。

 

(11)また、性愛性の恋愛逆転移以外に、もう一つの逆転移が生じていたことも、桜井医師は次のように認めている。「(友人の自殺を経験していたので)治療者側の自殺ということに対して弱点を持っていた」、「本人の感情(特にnegativeな方の)を受け止めきれなかったことも危機の契機」になっていた(971030日付、済世会中央病院カルテより)。
  この「弱点」とは、「共依存的なと言っても良いほどの努力には、桜井師の逆転移も関わっており、非常に死んでしまいそうな人に死なれたくない、という保護欲求による逆転移であったと思われる」(200056日付、済世会中央病院カルテより)という記述から考えれば、希死念慮を持つ患者に対する「保護欲求」を過剰にもつ、という逆転移を起こす傾向が桜井医師自身にある、ということである。

(11)について
  幸子は、平成7年5月17日時点で非常に自殺の可能性の高い状態となっていた。およそ医師である以上、「非常に死んでしまいそうな人に死なれたくない」という意識を持つのは当然のことであり、希死念慮を持つ患者を保護したいという感情は逆転移の現れであると考えるのは、誤りである。

 

12)このように、桜井医師は、幸子が慶応大学病院に入院した直後か、あるいは遅くとも千鳥が淵の事件以降、幸子の対して性愛性の逆転移を起こしていた。また、自殺をしようとする幸子に対する逆転移も起こしていたため、「共依存的」な「努力」によって、幸子の恋愛転移、依存を維持・強化していた。これらは桜井医師本人が認めていることである。

(12)について
 すべて否認する。

 

13)しかし桜井医師は、幸子の恋愛転移および自らの逆転移について検討せず、またそれを解消するための努力を行わなかった。
 また、すでにみてきたように、境界性人格障害患者の治療に必要な治療構造を構築せず、それどころか、治療構造を自ら破壊し、その結果、幸子の恋愛転移・依存を強化して病を悪化させた。

(13)について
  幸子の恋愛感情が明確になったのは平成7年9月に入ってからであるが、以後、そのことについて被告や芳賀医師他が繰り返し幸子と話し合いを行っていることは、カルテ等に記載のあるとおりである。つまり、恋愛転移についてチームで扱い、幸子の恋愛転移を解消しようと努力しているのである。さらに、被告は、緊急的に必要な場合をのぞいては、治療構造も守っている。

 

14)桜井医師が境界性人格障害患者の治療において不可欠な治療構造の維持に無頓着であることは、95627日に一日に二回、28日に一日に三回の面接を幸子が要求するままに行っている(それ以外にも多々ある)ことから明らかである。このようなことをすれば幸子はますます桜井医師に依存し恋愛転移を強化させることは言うまでもない。

(14)について
  否認する。前述のように、面接として1時間の枠を取ったのは1日1回であり、その他は通常の精神医療として必要な応急処置である。入院治療において、患者に問題が発生しているのにその場にいる主治医が何もしないのはむしろ不自然であり、このことによって治療構造が破壊されたと考えるのは誤りである。

 

15)たしかに境界性人格障害患者の治療では、主治医がしばしば患者に巻き込まれる。そのため、初心の精神科医が境界性人格障害患者の治療を行う場合には、上級医や指導医にきちんとしたスーパービジョンを受けることが常識である。
 桜井医師は当時の年齢からして初心の精神科医とは言えない。だが、このように患者の恋愛転移も自らの逆転移も適切に対処できず、治療構造も作れない状態で治療に携わるのなら、絶対にスーパービジョンを受けなければならない。だが、桜井医師がスーパービジョンを受けようとした形跡はない。
 桜井医師は自ら性愛性の逆転移を起こし、それを解消できないばかりか、幸子に振り回されていたのであるから、境界性人格障害患者の治療にあたるための能力や資質に欠けていたとは明らかであり、適切なスーパーバイザーがいたならば、「治療の中止」か「主治医の交代」を助言したであろう。実際、山田医師や芳賀医師と幸子との良好な関係を考えれば、桜井医師が退いた方が、幸子の病を治療する上でよかったであろう。

(15)について
  被告は、平成8年の時点で、8年間週1回の個人スーパーヴィジョン(定期的なスーパーヴィジョンのほかに、スーパーヴィジョンを受けることもあった)と、5年間の個人分析を受けている、精神療法のエキスパートである。
  ただ、精神病理の専門家である病棟医長とよく連絡を取り合い、精神療法等を相談しながら治療を行っていた。
  幸子が、被告を信頼していたために、いきなり自殺企図を起こすという状態から抜け出していたことを考えれば、被告が退くことは、即時幸子の自殺企図に結びつく可能性が高かった。

 

16)おそらくこの当時から桜井医師は、意識的・無意識的かはわからないが、幸子にすがりつかれることによって自分の満足を得ていたものと推察される。だからこそ、思わせぶりな態度をとって、幸子が自分にますますしがみついてくるように操作したと断ぜざるを得ない。これは治療の名を借りた自己満足、搾取以外の何ものでもない。

(16)について
  全面的に否認する。
 境界性人格障害の患者にすがりつかれることは、治療者側の精神状態にとってかなりの負担になることである(乙B3)。特に、希死念慮を強く持つ患者にすがりつかれることは、治療者にとって極めて苦しいことであり、治療者が陰性(怒り等のマイナスの感情)の逆転移を起こすケースが多くあることは、多くの文献で紹介されている。しかも、幸子の場合は、すがりつきを否定してしまっては適切な治療関係を築くこともできないという困難な事例であった。「自分の満足を得ていた」など、到底あり得ない。

 

17)また被告医師は、「(患者は)無力で心細い自分は愛されていないと思っている。これは事実であろう。」と627日の面接で発言している。
 患者の発言を真摯に聞くことと、患者の発言を事実と認めることとは全く別である。「事実であろう」と認めるに足る根拠を桜井医師が持ち合わせていたとは考えられないから、これは同医師の思いこみである。このような思いこみが生じるのは、桜井医師が強い逆転移にとらわれているからである。いずれにせよ、こういった「愛されていない」という幸子の認識を「事実」として桜井医師が認めてしまえば、幸子は家族など周囲からの孤立感をますます深め、その一方で桜井医師だけが「救世主」ということになってしまう。すなわちこの発言は、患者の転移・依存を強化し、家族と患者との関係を切り離す作用を持っているのである。
 もし正しく精神療法を行うのであれば、「愛されていない」という患者の発言に対して、「本当に愛されていないのでしょうか」「なぜそう思うのでしょうか」と患者に考えるように促すべきである。そうすれば、これはあくまで可能性であるが、「愛されていないと思いこんでいたが、母親など家族には愛されていたかも知れない」というような気づきが生まれ、亀裂が入りかけている家族との関係が改善したかも知れない。いずれにせよ、この桜井医師の発言は幸子を家族から切り離し、同医師への依存を助長するというきわめて不適切なものであった。

(17)について
  被告は、幸子や原告らの言葉、行動等から、このような判断をしている(他の医師らもこのように判断している)。このことは、すでに詳細に述べたとおりである。
  幸子は、見た目は元気に見えたが、限界いっぱいにがんばってすでに燃え尽きた状態であった。このような幸子を理解することが、病状の改善には最も重要だったのであるが、幸子の苦境は、家族に理解されていなかった。そのため、被告は、幸子と家族の間に信頼関係を作り、幸子が「家族から愛されている」と感じることができるように、家族面接を行うなどしていたのである。
  当然のことではあるが、被告が、幸子に対し、「あなたは家族に愛されていない。」などと述べたことはない。

 

18628日の面接では、幸子が「退院したい」と希望するが、桜井医師は「私が居ないと困るだろう」と言って阻止している。その一方で、同日のカルテには「最近Ptのストレス源は、むしろ主治医」と書いており、自分が幸子のストレス源であると気づきながら、自分から離れていくことを阻止するという矛盾した行動をとっている。これはまさに利己的な恋愛感情によって統制を失った人間がしばしば行う行動であり、利他をその業務とする医師にあるまじき行動である。

(18)について
  幸子は、当時、突然に、「退院する。もう通院もしない。」と被告に述べたが、被告は、幸子の生命の危険を感じて、説得にあたった。
  「私がいないと困るだろう。」という発言は、原告らの主張とは趣旨が異なる。被告が夏休みをとる直前、幸子が退院したいと言い出したため、被告は、「私が夏休みでいなくなってしまうと困るので、退院したいという気持ちになってしまうのでしょうが、きちんと入院して治療を続けた方がいいと思います。夏休みではありますが、出て来る日もありますから。」と述べ、入院治療を続けるように説得したのである。

 

19)さらに桜井医師は71日には、特に問われもしないのに自らの個人的な情報を幸子に伝え(もし問われていても、それに答えることが正しいとは限らないが)、74日には、通常の枠を越えて2時間もの面接を実施し、翌75日には、「カウンセリングではいろいろな関係がおこるが、ある程度踏み込んでもダメにならないという経験をPtがどうしても必要としているのではないか、とも思う」と伝えている。このような治療操作を行えば、桜井医師と幸子の心理的な距離がますます接近し、恋愛感情を助長することは火を見るより明らかである。特に最後の「ダメにならない経験が必要」という発言は一見もっともらしく聞こえるが、このような方針は「病因接近的な治療方法」と呼ばれ、境界性人格障害の治療ガイドラインでは禁忌事項にあげられているものである。ある程度経験を積んだ精神科医なら、「もし患者に関係がダメにならない経験をさせたいなら、踏み込まないで適切な治療的距離を保つ」と言うだろう。

(19)について
@ 被告は、それまで幸子に個人的な情報は一切伝えていない。
 カルテには、「いろいろ尋ねるので少しお答えする」と記載してある。幸子は、被告の個人的な事項を尋ねてきたが、まったく何も答えないと、幻想がふくれあがって転移が助長される危険性があったため、それらの事情を総合考慮した上で、年齢程度の事柄について返答した。
A 幸子は、7月3日、病棟から両親に電話をかけたのを契機として精神不安的になった(A医師は、「3〜5歳のだだっこでほしいものが手に入らない状態を見ているようだった」「自殺にいたる可能性あり 要注意!」とカルテに記載している。乙A1、107頁)。翌日は、女性の友人が面会に来た後落ち込み、原告Bに電話したところ、「そういう話は聞きたくない」と言われ、原告昭彦も「くやしかったらそれをバネにしてがんばれ」「(幸子のことも)それで教育してきたので今さら変えるわけにはいかない」と述べた(乙A1、108頁)ため、幸子は、自殺企図を心配しなければならないほど落ち込んでしまった。このような状態から幸子を救うために、被告は、緊急避難的に、2時間弱の面接を行ったのである。2時間という記載は、治療構造に神経質な治療者が、枠をはみ出してしまったことを特に記載したものであり、このような特記がない面接においては、時間枠は守られている。
  この際の面接で、幸子は、医師の共感では絶望はおさまらず、面接してもどうにもならない、と述べている。両親に期待しても無駄で、その分、彼、または治療者などに向かってしまうので、とも述べている(乙A1、108頁)。
B 「ある程度踏み込んでもダメにならないという経験」は、病因接近というよりも、「相手に合わせるだけの自分ではなく、自分が自分であっても大丈夫な関係が必要」という非常に基本的なニーズが幸子にとっては満たされていない、ということである(幸子には、典型的な境界例にはない危険な特徴があったことにも、注意が必要である)。

 

20)この当時母親は、「変なこと」を桜井医師が言ってくる、と幸子から聞いている。この「変なこと」とは恋愛転移を助長するような「思わせぶり」な発言であり、9711月以降桜井医師は、そのような「思わせぶり」な言動を自分が行い、なおかつその原因は自らの性愛性の逆転移であった、という事実を認めている。
 こうした発言は慶応大学病院のカルテに記載されていないが、桜井医師自らが認めている以上、同様の発言は繰り返し行われていたと考えられる。

(20)について
  被告が幸子に「変なこと」を言ったという事実はないし、被告が「思わせぶりな言動」を行い、なおかつその原因は自らの恋愛性の逆転移であったと被告自ら認めたという事実もない。

 

21957月半ば頃から、幸子は「前恋人・○○氏との再会を考え始めている」と述べている。山田、芳賀両医師は、この計画に賛同せず、被告医師だけが、曖昧な理由から賛意を示す。山田、芳賀両医師が賛同しなかったのは、自殺企図があるなどすでに不安定で冷静な判断力を失っている幸子をそれ以上のストレスから保護するためであった。ところが、被告医師はこの状況で○○氏と再会させる目的もリスクも検討せず、他のスタッフの見解を聞こうともしないで、偶発的にもち上がった再会の話をそのまま進めさせた。その結果、○○氏の冷淡な態度を目の当たりにした幸子は、被告医師に以前よりさらに依存的になっていくのである。

(21)について
  幸子を元ボーイフレンドと会わせるという提案は、原告から被告に出されたものであるが、被告は、原告と慎重に話し合った。この際、被告は慎重に検討し、結論を留保した。ただ、閉鎖病棟であっても、面会の制限は一定の手続きを経てなされるものであり、元ボーイフレンドに会わせた場合の危険について具体的な予見がなされていたというのでもない限り、面会を禁止することはできない。そのため、被告は、幸子らに一週間考えてもらうことにしたが、それでも幸子と原告が面接の希望を持っていたため、最終的には面接を禁止しなかった。
 なお、当時、B医師は、夏休みのため不在であった。

 

229月3日、幸子は、桜井医師に対して恋人としての関係を面接で求めた。桜井医師は「この関係は治療関係であって、恋愛関係はあり得ない」と発言するべきであったのに、曖昧で多義的な発言で幸子を翻弄し続けた。これに対して幸子は9月5日に自殺企図(薬のため込み)を起こし、これが明らかに桜井医師に対する依存から生まれた行為であると述べている。

(22)について
@ 9月3日、被告は、医師として治療のことを考えている、と明確に答えているのであるし、「納得するまで」というのは、「幸子の諦めがつくまで」という意味以外、いかなる解釈もあり得ない。
A 9月5日、幸子は、密かに持ち込んだ薬を捨てているところを発見されたのであり、これは「自殺企図」ではない(ただし、この、薬を隠し持っていたエピソードは、)9月3日の被告の回答が「恋愛関係はありえない」という意味であることが、幸子に明確に伝わっていたことを示すものである。)。

 

23)その後も桜井医師は、96日に3時間の面接を実施したり、98日には、一日二回も面接を実施するなど、治療構造の破壊を続けた。桜井医師は他の受け持ちの患者に対しても治療構造を無視した面接を行っていたためにそれを目撃した幸子の精神状態は混乱し、無用な病状悪化をもたらせていた。
 913日、916日、919日、921日の面接でも、桜井医師は、曖昧で多義的な言動に終始したため、幸子は期待したり、失望したりのくり返しで精神的な混乱が続いた。さらに926日には「趣味は合う」などと再度誘惑的な発言を行う。これらは医師と患者という関係を明確化していないきわめて不適切な発言である。

(23)について
@ 9月6日の面接に3時間を要したのは、幸子を生きていける状態にするために、どうしても必要な危機的対応であった。
A 他の患者に対して、治療構造を無視した面接を行っていたという事実はない。入院治療の中で通常の診療を行っていても、幸子は、被告が女性患者を診療しているだけで、強い嫉妬心を起こしていた。
B これまで縷々述べてきたとおり、直裁的な言葉では、幸子の生命に危険が及ぶ可能性があった。しかし、カルテを読めば、明確に、被告が面接の中で繰り返し諦めてもらおうとしていること、幸子が、望みはないとわかっていても容易に諦められない状態であることがわかる。

 

24959月頃、母は、被告医師から「今後治療をどうしていっていいかわからなくなって困っている」と告げられている。そもそも医師は、患者の家族に自分の悩みをうち明けて不安をかき立てるべきではない。そういった問題は、チームを組んでいるスタッフと検討した上で、最善の治療方針を家族や患者に提案すべきである。しかし被告医師はそのような対応を怠ったばかりか、患者の家族を動揺させた。

(24)について
  被告が、「自分の悩みを打ち明けた」という事実はない。客観的に、非常に困難な状況であることを伝えたのである。

 

 以上、第1期を総括すれば、入院直後はうつ状態(ないしは比較的軽度の境界性人格障害を背景に持つうつ状態)であった幸子は、被告医師の不適切な治療方針、治療構造の無視・破壊、同医師の性愛性の逆転移等に基づく曖昧で思わせぶりな言動、場当たり的な治療操作などによって、医原性の重篤な境界性人格障害に変えられてしまい、その後の悲劇の基盤を形成したと考える。

第1期のまとめについて
 否認ないし争う。
 前述のように、幸子は、入院後5月17日の時点ですでに、人格の解離傾向(突然別人のような状態になる)を伴う、重篤で危険な人格障害を有していた。
  それに対して治療者側は、事態の重大性を正しく判断し、複数の医師、ナーススタッフを統合した、通常よりも大がかりな治療構造を整えた。治療構造、転移についての扱いもしっかりなされている(面接時間の延長や非常対応が時にとられるのは、危機対応によるもので、まったく誤りではない。)。
  5月の自殺企図を見ればわかるように、幸子は最後に両親に依存しようとしたが、入院後、3月から9月まで、親子関係の問題は繰り返し現れ、そのたびに、持続的に被告が介入した。その結果、親子関係は一時的には改善したように見えるが、また不良の状態に戻るという繰り返しであり、幸子は期待しては裏切られるという繰り返しの中で、次第に絶望感を深めていった。そして、家族には期待し得ない、治療者をいつか自分の家族にするしかないと考えるようになっていったのである。

 

第2期:主治医交代期(95118日〜12月1日)

19511月以降、主治医が前田医師に交代したが、118日に父が治療体制の改善を要求するまで、桜井医師の面接は依然として週3回と決められていた。父親による治療体制の改善への強い要請をきっかけにして、週2回に減らされているのであり、桜井医師自ら治療体制を改善したことはなかった。

 前田医師のカルテを読むと、桜井医師と比較して曖昧な記載が少なく、客観的な分析が行われている。この時期に桜井医師が治療から完全に撤退し、前田医師中心の治療体制が組まれていれば、最初は幸子も激しく反応したであろうが、やがては桜井医師への恋愛性の転移が解消され混乱が解消していった可能性があり、悔やまれるところである。

第2期(1995(平成7)年11月8日〜同年12月1日)について
 (1)について
@ 当時、主治医は被告とC医師の2人であった。ただ、前田医師は、1年目の研修医であり、突然の自殺企図の危険がある極めて困難な境界性人格障害の患者の治療にあたったという経験を有していなかった。
  また、幸子は、以前として被告に信頼を寄せているという状態であった。したがって、週4回の面接を行っていたことは、まったく妥当なことである。

A 「最初は幸子も激しく反応したであろうが」というが、境界性人格障害の場合に、主治医を変更するに際しては、万全の注意が必要であることは乙第3号証に記載してあるとおりである。再び幸子が誰も信用できない状態に落ち込み、突然の自殺企図が起こる可能性を(しかも主治医は1年目の研究医である)、開放病棟の中で防げたかどうか、極めて疑問である。
 また、幸子の転移の真の原因が、第三者に対する完全な信用の欠如であることに鑑みれば、恋愛性の転移を解消しても「混乱」は解消できず、また新たな恋愛性転移を生じるか、または突然の自殺企図を繰り返すという状態に戻る可能性が極めて高かった。

 

2)その後9511月末に起こした事件により、幸子の強制退院が決まる。退院を主張したのは桜井医師であり、後年、同医師が認めているように、前田医師を主治医とする継続入院の可能性もあったにも関わらず、その道を閉ざし、自らが勤務する大泉病院への入院を勧めている。しかも退院の際、母が「他院に転院するときには紹介状を書いてもらえるか」と尋ねたところ、「書いてもいいが、幸子さんは私の所に戻ってくる」と脅迫まがいのことを言い、転院して他の主治医のもとで治療を継続するという可能性を閉ざしている。
 大泉病院は医師の数が少なく、もし幸子が入院すれば、幸子の被告医師への依存は続き、他の医師が少ない分、さらに強化されたであろう。うがった見方をすれば、桜井医師は幸子を大泉病院に入院させ、他の医師に遠慮することなくさらに濃密な二者関係を構築することを意図していたとさえ類推される。

(2)について
  退院時は、家族と主治医等の間で十分に話し合いを行い、被告は、大泉病院への転院、主治医を変えずに通院加療、家族が医療機関を選んでの転院という選択肢を提示した。
  継続治療が可能かどうかについては、主治医2名(被告と前田医師)、病棟婦長などを交えた面接を行った上で話し合われ、その上で病棟婦長と病棟医長(渡辺医師)が合議した結果決定されている。前田医師が主治医となって入院継続するのは、前述の理由から困難と判断された。
  被告は、紹介状については、はっきりと「書きます。」と返答しているし、原告らが選ぶ医療機関への転院も選択肢として提示している。後に幸子は、家族に伴われて東大病院を受診したが、治療を断られたと被告に話している。
  被告は、当時、大泉病院に週2日勤務していたが、大泉病院を選択肢の一つとして挙げた理由は、@精神科専門病院であること、A閉鎖環境であり、突然の自殺企図という不安を防いで安全感をもった治療が可能なこと、B他の医師も閉鎖環境での困難な病状の治療に熟達した医師ばかりであり、主治医不在日等でも集団で安全を確保することができること、Cスタッフが精神科の専業で経験が長く、困難な患者にも無理なく対応できること(総合病院では、看護スタッフがローテーションなので、必然的に精神科の経験が少なくなるし、開放病棟の病院では、困難な患者についての経験が浅い。)、D当時の状況の下で被告との治療観系を保持することは、幸子の生命保持上最も有効と判断したこと、である。

 

3)上記の脅迫まがいの桜井医師の発言に脅えた母親、そして、その後同じような発言を聞いた父親は、大泉病院への入院を拒否する。だが桜井医師は退院と同時に、自分が週一回の外来面接を行うことを決めた。すでに治療が失敗しているのは明らかであり、また逆転移を起こしている桜井医師が治療を継続するべきではなかった。

(3)について
  原告らは、上記のように、主治医らとの面接に参加し、大泉病院を見学したあとに最終的に意思決定しており、「脅えた」からだとは到底考えられない。

 

第3期、治療を引き受けたことによって病状の悪化と自殺企図を引き起こした時期(その1):95年12月〜96年1月初旬

1)そもそも強制退院の時点で、桜井医師は治療を引き受けるべきではなかった。もし引き受けるのであれば、それまでの治療の問題点を十二分に検討し、最大の問題点であることが明白な恋愛転移の解消を行うために万全の体制を作った上で、あらためて治療契約を行い、それに幸子と家族の合意を得てから、慎重に行うべきであった。

第3期(1995(平成7)年12月1日〜1996(平成8)年1月6日)について



(1)について
  被告が幸子の治療を引き受けるのが最も適切な判断であったことは、前述したとおりである。

 

2)しかし桜井医師はそのような精神科医として常識的な措置を実施しなかった。96年1月6日の渋谷での自殺企図はその帰結である。この自殺企図は、九死に一生を得たものであり、20005月のように、実際に死に至っても不思議ではなかった。

 その前日の15日、桜井医師は「内心はともかく、個人的な関係になることない」という、きわめて曖昧で誘惑的なことを幸子に言っており、こうした発言が幸子を混乱させ、翌日の自殺企図のきっかけになったことは明白である。「内心はともかく」というのは、97年以降、桜井医師が認めているとおり、この時点でも依然として同医師の性愛性の逆転移が解消されていなかったことを示唆している。ここからも、同医師が幸子の治療を引き受けるべきではなかった。
 そもそもこういった桜井医師の発言が幸子の行動化のきっかけとなり、幸子の自殺企図を招くというパターンは、956月以降の経過で明らかであり、事前に予測が可能であった。しかし桜井医師は、何ら対策を講じないまま9512月以降、面接を続け、9615日に至ったのであり、15日以前でも、同様の事態に陥る危険性はいつでもあった。

 (2)について
@ 被告は、幸子に自殺の危険性があると判断したからこそ、慶応大学病院退院時に、より安全な治療である入院治療継続を提案したが、原告らは同意しなかった。入院を選択しない以上、自殺のリスクが高まるという説明は、退院時に十分原告らに対して行っている。
A カルテの記載は、省略した記載になっているが、被告は幸子に対し、「私はあなたと医師患者関係を越えて個人的な交際はしません。」などと述べている。当時の幸子の状況から言って、「心の中にも恋愛感情は一切ありません。」と断定して答えることは、生命に危険が及ぶ可能性があったからである。
B 幸子の入院中の自殺企図は、平成7年4月(廊下で首つりを図った)、5月17日、12月19日(両親と諍いを起こして窓から飛び出そうとした)などもあり、被告の発言が幸子の自殺企図を招くという明確な「パターン」があったわけではない。
C 被告は、1月5日の内容から、自殺企図の可能性を捨てきれないと考えたため、幸子本人に危険行為をしないという約束をさせ、同伴していた原告久美子にも事情を説明して入院を勧め(転院の場合は紹介状を書く旨も伝えている)、原告昭彦にも電話で事情を説明している。

 

3)翌9616日、幸子が失踪して発見された後、Q氏から、「主治医に恋愛感情を抱いたことについて、意図して行ったのか、避けるために注意を払ったか」と質問されると桜井医師は、「そのようなことを意図することはなく、避けるためには細心の注意を払ったのは事実である」と答えたとのことである。しかし、956月以降、同医師が、幸子の転移・依存に対して適切な対処をしてきた形跡は認められない。

 そもそも桜井医師は「恋人役をやります」と家族に告げているのだから、幸子が「主治医に恋愛感情を抱いた」のは、桜井医師が「意図して」おこなったことである。また、「踏み込む」ことを奨励し、自らが幸子の依存の対象となるように「意図して」治療を実施していたことは、カルテから明らかである。したがって、「意図することはなく」という回答が虚偽であることはカルテによっても確認できる。

(3)について
  カルテを見れば、被告と幸子の間で、幸子の転移について繰り返し面接がされていることがわかる。他の医師らもしばしば介入し、平素から複数のスタッフにより観察され評価されている(患者の情緒状態について、複数のスタッフによりここまで観察され記録される治療はあまり例がなく、幸子の病状がいかに困難なものだったかがわかる。)。
  「恋人役」という発言も、したことがないのだから、以下の原告らの主張も事実と異なる。

 

 以上、この時期に桜井医師は、自身との面接後、幸子が自殺企図を起こしかねない、ということを認識しながらも、面接を継続し、それまでと同様の曖昧な言動に終始して、自殺企図のきっかけを作り続けた。その上、幸子が失踪した際にも、次女からの支援の要請に適切に対応しなかった。

(4) また、原告らは、「幸子が失踪した際にも、次女からの支援の要請に適切に対応しなかった」と主張しているが、カルテにも記載のあるとおり、被告は、病院内の危険箇所などを見回るようスタッフに指示したり、看護士に情報を伝えるなどしている。

 

第4期a (96年1月7日〜96年2月27日)

 

第4期b  治療を引き受けたことによって病状の悪化と自殺企図を引き起こした時期(その2):96年2月28日〜96年11月28日

1)渋谷での自殺企図後、東京女子医大病院ICUで奇跡的に一命を取り留めた幸子は、1月9日長谷川病院に入院する。この入院の際、被告医師は、主治医の原医師に対して、誤ったもしくは虚偽の情報を含んだ紹介状を書いている。すなわち、@自らの逆転移に全くふれずA幸子の一方的な恋愛感情が、○○氏との別離によって起きた、というものである。
 しかし、956月あるいはそれより少し前から幸子の恋愛転移と依存心が被告医師に対して向けられ、6月中旬から7月末頃までには、桜井医師の性愛性の逆転移に基づいた不適切な対応によって、これが強化されていた、というのが事実であり、原医師に伝えるべき適切な情報であった。
 このように、原医師の判断を誤らせる間違った情報を伝えたため、原医師は、その誤った情報に基づいて、962月終わり頃、桜井医師との面接再開による幸子の病状の改善を提案してしまった。
 桜井医師はこの要請を受け入れるべきではなかった。桜井医師は、自身との面接そのものが幸子の病状を悪化させてしまっていることを真摯に考え、原医師に全面的に治療を任せるべきであったのに、そういった事情を知らない原医師からの要請を引き受けてしまった。

第4期b(1996(平成8)年2月28日〜同年11月27日)について




(1)について
  被告が長谷川病院に送った情報提供書は、誤りでも虚偽でもない。被告は幸子に対して恋愛性の逆転移は有していなかった。さらに、また、幸子の恋愛性転移が一方的なものであること、元ボーイフレンドとの別離により、すがりつける相手が被告のみとなり、被告に対して恋愛性転移が集中した、というのは、正しい分析である。

 

2)それ以前の961月から2月まで、桜井医師は長谷川病院に入院中あるいは一時外出中の幸子からの電話に応じていたが、慶応大学病院・済世会中央病院(9641日以降の桜井医師の転勤先)のカルテにはその記録が一切ない。
 厳密には治療関係ではないが、自分と接触すれば自殺企図のおそれがある患者から電話がかかってくると無原則にこれに応じ、なおかつそれを主治医の原医師や家族に伝えず、記録をも怠っている。正しい対応は、「このような電話をかけていることを主治医である原医師は知っているのか」と幸子に尋ねた上で、原医師と協議し、そのような電話への対応法をはっきりと決定することである。
 こういった治療外の電話によって、幸子の被告医師への依存が維持されており、また幸子が電話のやりとりに影響されて、被告医師との面接再開を原医師に要請した可能性もある。

(2)について
  被告が入院中の幸子からの電話に応じていたという事実はない。入院後、被告への連絡は原医師からのみであった。

 

3)桜井医師との面接が962月終わりから再開された結果、面接や電話の後で希死念慮が高まり、自殺企図が起きるという以前のパターンが頻発するようになる。
 境界性人格障害の治療においては、電話でのカウンセリングは避けるべきであり、もし行うのであれば、最初から厳密に構造化したうえで実施するべきであると指摘されている。ところが桜井医師が無構造な電話でのカウンセリングに応じるなど不適切な対応を繰り返したため、幸子の病状は再度悪化し、自殺企図も頻発したため、幸子は長谷川病院に強制入院させられることになった。

 (3)について
@ この時期、週1回1時間程度の面接が行われ、できるだけ延長しないようにしていたが、被告が幸子の恋愛感情を受け入れないことや、バイオリンの教師が急死したことなどにより生じた見捨てられ感から、危険な状態となり、1時間の枠を維持することが困難なこともあった(ただ、前述したように、一般的に境界例の患者の場合には、治療構造を守れること自体ほとんどないと言われていることを想起するならば、被告は十分治療構造を守っていたと言える。)。
  幸子に関する全体の管理(入院、家族対応、危機の管理)等は、長谷川病院の原医師が引き受けており、原医師は、幸子が自分の生命を守れない時には、入院を勧める等の危機介入と管理を行った。ただ、幸子が自分の命を守れない状態でも、家族が長谷川病院への入院を決定しないという場面が繰りかえされていたということを、被告は原医師から聞いている。
A また、幸子との電話連絡は、面接を休むという連絡以外は、助けを求める電話であった。このような電話を被告が拒絶することなど、とうていできるはずがない。被告の「不適切な対応」によって幸子の病状が悪化したというのは、事実と全く異なる。

 

4)桜井医師は、幸子との面接が中断して以降、つまり幸子が長谷川病院に強制入院となった968月終わりから11月終わりまで、幸子と何度か電話で話をしていた可能性がある。もしそのような事実があれば、これも病的な依存を維持するという意味では不適切である。また、軽井沢からかかってきた961128日の電話に関する記録をカルテに記載せず、家族にも長谷川病院にも報告しなかった。さらに、軽井沢で幸子が発見された際にも警察に対しては、1128日の電話について報告していない。ところが9711月以降、桜井医師は1128日に電話があった事実やその内容について認めている。すなわち報告の義務を怠り、自らの不適切な対応を隠蔽したのである。また、軽井沢から電話があった時、被告医師は、963月から同年8月まで、電話の直後に幸子が自殺企図を繰り返していた、という事実を認識していた。それにもかかわらず、軽井沢から電話があったとき、「死のメッセージ」であるという可能性を検討せず、冷淡な受け答えをして幸子の自殺のひきがねをひいたのである。

(4)について
  長谷川病院入院中、被告と幸子と電話で話したことは一度もない。
  また、平成8年の済世会中央病院通院の経過では、幸子は助けてほしいときには必ず危険を明言していた。電話の直後に必ず自殺企図をしていたという事実もない。
  11月末に幸子から電話があった際には、危機の明言はなかったし、そもそも被告が、当時幸子が長谷川病院を退院したこと自体知らなかった。

 

 以上、第4期、長谷川病院入院、面接再開(慶応病院→済世会第一セッション)という経緯においては、まず桜井医師が治療を引き受けたこと自体が誤りであることが明らかである。引き受けざるを得ない何らかのやむをえない理由は、記録を検討した限り、どこにもない。
 さらに、何らその治療的な意味を検討をせずに無原則に電話に対応するなど、幸子の転移や依存を引きつづき放置ないし強化させ、その結果自殺企図を招いている。また、このような電話等についての主治医への報告や記録の義務を怠った。

(5)第4期のまとめについて
  すべて否認する。

 

第5期a  治療を引き受けたことによって病状の悪化と自殺企図を引き起こした時期(その3):済世会中央病院第二セッション:97年11月〜99年4月初頭

1)中久喜医師の要請を受けて、桜井医師は9711月、治療を引き受けた。しかし、これまで同様、治療を引き受けたのは誤りであった。







(1)について
 被告が、平成9年11月、中久喜医師からの要請を受けて、治療を再開した事実は認める。その際の経過は、前述したとおりであり、治療を引き受けたことは誤りではない。

 

2)面接を開始してまもなく、桜井医師は「慶応大学病院の頃から恋愛感情があり、今もある」ということを幸子に明言する。これによって恋愛転移・依存が強化された。しかも桜井医師は、「社会的な関係は作れない」つまり「恋人になったり結婚したりすることはできない」と言う一方で、「それでも恋愛感情がある」とも述べた。これによって同医師は、幸子を面接に引き留め続けるとともに、精神的に混乱させた。

 (2)について
  この時期は、多大な危険と困難を抱えながらも、被告の努力により、幸子が成長し、現実を少しずつ理解し受け入れていった時期である。
  ただ、前述したように、幸子との面接には特殊な条件が設定され、かつ、安全網もない特殊な状況の中で行われていたのであるから、カルテの記載も、そのような前提で読まれなければならない。幸子にとっては、親の愛情という表現も、治療者の人間的な愛情という言葉も伝わらず、恋愛で愛されているか、人間存在としても何ら愛されていないのかの二者択一であった。そのため、「水」など、何とか幸子に理解できる表現を使わなければ、即座に死につながる危険が高かった。カルテに記載された被告の言葉は、幸子の命をつなぐための、救命のための努力の結果である。

 

3)面接日は、当初、週一回水曜日と設定されていたが、被告医師はすぐに土曜日にも面接をするようにし、また、それ以外の日も、日曜を除くほぼ毎日、幸子と電話でカウンセリングを始めた。さらに、いかなる治療方針や治療計画にも基づかない、メールや絵はがき、そしてプレゼントの交換を続けた。こうして被告医師は、再び自ら治療構造を破壊し、また、恋愛転移・依存を強化した。
 面接はしばしば深夜におよび、また面接時間もまちまちであり、境界性人格障害の治療において最重要事項の1つである治療構造の構築を怠った。面接室内で飲食を行うこともよくあったが、これも治療構造の破壊、もしくは境界性人格障害の治療では禁忌事項とされる「特別扱い」であった。

(3)について
  前述のような特殊な状況の中、前述したような頻度で面接せざるを得なかったのは、幸子の生命を危険から救うためであり、何ら誤りではない。また、面接時間が伸びたのも、前述したような困難な状況があったからである。面接終了時には、幸子は自分の感情をコントロールできなかったりすることがよくあり、そのため、終了前に、休憩の意味でお茶を飲む時間を設けてクールダウンし、最後に落ち着いてまとめの時間を作ることが時々あった。生きるか死ぬかという消耗しきった状況を考えれば、幸子を落ち着いて帰すためにも、妥当な措置であった。 なお、被告の「プレゼント」は、幸子からの「プレゼント」のお返しであったが、被告がお返しをした理由は、お返しをしなければ、幸子が「見捨てられた」と感じてしまう状態にあったこと、治療者がそばにいないときに、治療者とのつながりを実感できるようにすること(そうすれば、治療者不在時に危機的状況に直面した場合でも、それらを回避できる可能性が高い)、芸術療法的な効果が期待できたこと(患者のきわめて特殊な心性も、芸術の中では居場所を得る可能性がある)、などである。何の理由もなく、漫然と、「プレゼント」を渡したわけではない。
  また、被告の「プレゼント」はすべて芸術に関連したものであったが、幸子が、芸術については鋭敏な感覚を持っていたため、通常の人間社会では活用できない幸子の病理的な感覚も、芸術の世界では活用でき生きる糧になる、という可能性を少しでも教えようとしたことによる。

 

4)それまでの関わり方と全く同様、被告医師が面接や電話で発言したことには一貫性がなく誘惑的であり、そういった発言が幸子を混乱に陥れると同時に自殺企図を引き起こした。このことは被告医師自身が、たとえば次のような形で自覚し、その見解を幸子に伝えていた。

「私はものすごい力で幸子さんを下の方(無意識の方)で引っ張っている。それなのに寄ってくるとバッシングする。(これが非常に重要なことだと感じています)まったく虐待であると思う。申し訳ないと思う。」(971219日付、済世会中央病院カルテより)

 ある対象に対して一方で心理的に引きよせ、その一方で心理的距離をとろうとすることをダブルバインドと呼び、その状況に置かれた対象はしばしば精神的病気を発症することが知られているが、ここで被告医師が幸子に述べていることは、まさしく「自分が幸子をダブルバインド状況に置いている」ことの懺悔にほかならない。
 ここまでの理解がありながら、単に言葉で謝罪するのみで、そうしたダブルバインド状況を解消する努力を怠り、誘惑し続けているという治療態度は全く専門家に値しない。
 また桜井医師は治療であるにもかかわらず、「これは治療ではない」、「自らは医師ではなく個人である」とも主張する。これも幸子の恋愛転移・依存を強化し、自殺に至るまでの精神的混乱をもたらした。

(4)について
  被告の発言が誘惑的であり、幸子を混乱に陥れると同時に自殺企図を起こしたという主張は否認する。
  この時期は、これまで再々述べてきたおとり、非常に困難な治療を継続せざるを得ない時期であり、被告は、一定の力で幸子を「生きたい」と思える方向に導くが、そこで幸子が恋愛を要求すれば、被告はそれを断ることにあるという選択しかとることができなかった。ただ、被告に責任はなくても、結果的に幸子は被告の治療によって苦しむのであるから、被告は、そのこと自体について申し訳ないと伝えてもよいと考え、このような伝え方をしたのである。
  なお、「個人的である」という発言は、幸子が「医者だから(内心いやいやながらでもいい顔を作って)私に関わっている」と感じており、即座に死につながる危険があると判断したために、述べたことである(一般的に、境界例の患者が、医師に「個人」として接することを要求するのは、前述したとおりであり、治療者側も、単に「医師」という態度だけで患者と接触するだけでは、真の意味では治療とならないという難しさがある。)。

 

5)当初は「恋愛感情がある」、と明言していた桜井医師は、最終的には、「恋愛感情はない」と否定し、さらに幸子を混乱させた。また、そういった発言によって自殺企図を引き起こした。

(5)否認する。

 

 以上のように、第5期で被告医師はこれまでと同様、治療構造を構築せず、誘惑的かつ曖昧な発言を続け、それに加えこの時期からはメールや絵はがき、プレゼントなどによって、幸子の恋愛転移・依存を強化し、その一方で恋愛感情はないなどと言って混乱させた。他方で、こういったダブルバインド状況から抜け出そうとする幸子の努力(見合いなど)を妨害した。

(6)第5期a
否認する。なお、被告が幸子の見合いに対して慎重になったのは、幸子が、実は家族に依存しており、結婚は解決をもたらさず、かえって、結婚によって、本当は頼りたい家族からも見放されたと感じ、病状がさらに悪化する可能性がある、と考えたためであるる(ただ、上記のようにダイレクトに説明するわけにはいかなかった。)

 

第5期b  (99年4月6日〜00年1月中旬)

第5期b(1999(平成11)年4月6日〜2000(平成12)年1月中旬)について
  平成11年4月から平成12年3月31日までの約1年の間、被告と幸子はほとんど接触していない。また、その他、原告らや第三者からも、幸子に関する情報は一切得ていない。

 

第6期、治療を引き受けたことによって病状の悪化と自殺企図を引き起こした時期(その4):20001月中旬〜200052

















120001月中旬、幸子より電話があったが、桜井医師は電話の後で自殺企図が起きる、というこれまでのパターンを想起せず、中久喜医師や家族への通知を怠った。その結果、1月12日に自殺未遂が起きた。

第6期(2000(平成12)年1月中旬〜同年5月2日)について
  幸子の主治医は、平成9年2月以来、中久喜医師であった。被告は、中久喜医師と幸子の家族に要請され、主治医及び治療者である中久喜医師のサポートをしていたに過ぎない(被告は、診察料を一切受けとっていないし、精神療法等の治療行為も行っていない。)。
 被告は、前述したとおり、幸子の家族からの要請はお断りしたが、主治医である中久喜医師からの要請があったため、やむを得ず、サポートすることを引き受けたのである。

(1)について
  1月12日に幸子が自殺未遂を起こしたことは不知。その他は否認する。幸子との電話のあと、自殺企図が起こっていることは、電話全体から見れば稀なことである。特に、平成11年4月からは、被告は幸子と一切接触を持っていないのであるから、幸子が希死念慮を明言しなければ、自殺企図の予測は到底不可能であった。

 

2)この自殺未遂の直後、M氏より「何らかの回答がほしい」と懇願されて手紙と絵を送付するが、これは、幸子の恋愛転移・依存を強化し、あるいは自殺の原因ともなりうるものであり、不適切であった。

(2)について
  幸子は、電話の際に「婚約した」と話していたため、被告は結婚祝いとして送付したものである。また、この時、幸子は、自ら婚約を報告できるまでに改善しており、被告は、幸子が相当程度改善したという印象を持った。

 

3)桜井医師は、M氏より懇願された「幸子との話し合い」をこのときいったん拒絶した。3月半ばにも、M氏および幸子より関係再開の要請があったがやはり1月と同様に拒絶した。
 以上二回の要請に対する拒絶の理由は、「自分(被告医師)が済世会第二セッションにおいて被害を受けたから」というものであり、決して「面接をすると、それがかえって幸子の悪化や自殺企図につながるから」とか「恋愛転移を解消するために、つらいかも知れないがあえて関係を絶ちましょう」などといった幸子の生命の安全や病状の改善を目的としたものではなかった。もし生命の安全や病状の改善を目的とした拒絶であれば、幸子本人にはともかく、M氏や家族にそのように説明するはずであり、また、その後面接を再開することもなかったはずである。要するに、面接を拒絶したのは幸子のためではなく、自分本位な理由に過ぎない。

(3)について
  原告側から「幸子にあってほしい」という強い要求があったことは、既に述べたとおりである。幸子が被告らを脅迫したことを話したのは、被告と幸子との関係がよい関係となりにくいことを説明するためであり、利己的な動機からではない。

 

4)実際、3月下旬、桜井医師は幸子の再度の要請を突如受け入れる。いかなる理由であれ、幸子との関係再開に応じることは危険であり、幸子の生命の安全や病状の改善という観点から、要請を拒否すべきであった。

(4)について
 前述したとおり、これは、中久喜医師からの強い要請があったからである。経緯は前述したとおりである。

 

5)ここで桜井医師が考慮しなければならなかったことは以下の点である。

A.「恋人役」という治療方法を実施したという事実

B.1995年から起きていた自らの性愛性の逆転移、そしてそれが幸子に対する曖昧で思わせぶりな言動につながっていたこと

C.そのような逆転移を背景に95年以降、幸子の恋愛転移・依存を放置・強化し、これを自らの能力ではまったく改善できなかったという事実

D.チームとしての医療が実践できず、ひたすら自分と幸子との関係だけが突出しているという事実

E.幸子の家族とのあいだに協力的な関係が全く築けていないという事実

F.以上の医療過誤によって、幸子が重篤な医原性境界性人格障害となってしまっている事実

G.慶応大学病院・済世会中央病院第一セッション・第二セッションを通じ、自らの面接や電話→幸子の容態の悪化→幸子の自殺企図というパターンが繰り返されているのに、それがまったく改善の方向に向かっていないという事実

H.長谷川病院の原医師からの要請を受け入れたことによって、かえって事態が紛糾し、ますます幸子の病状が不安定になっているという事実

I.中久喜医師からの要請を受け入れた結果、済世会中央病院第二セッションで再び幸子の病状を悪化させ、自殺企図を招いているという事実

 このような一連の事実を冷静に考慮すれば、幸子の執拗な面接再開の要請に応じればこれまでと同じことが繰り返され、決して幸子の回復にはつながらないことが被告医師には容易に理解できたはずである。

(5)について
  A〜Iは、これまで詳細に述べたとおりであり、すべて否認する。

 

6)M氏は999月以降の状況しか、中久喜医師は97年以降の状況しか知らなかった。したがって、以上のような5年にわたる桜井医師と幸子との関係を、客観的に認識できる状況ではなかった。その一方、幸子、両親、次女、そして桜井医師は、95年から97年までに至る状況をよく認識していた。

(6)について
 否認する。ここで「和解」というのは、幸子が被告を脅迫したために治療が中断したという事実を出発点として、独立した人間同士として相手が自分の思い通りにならなくても認め合うという心の過程を経るということである。まったく、「個人的」なものでも「利己的」なものでもない(「個人的」かつ「利己的」なものであれば、そもそも、中久喜医師がこのような面接を被告に要請するはずがない。)。

 

7)これら関係者のうち、母親とM氏は、幸子の要求に応じてしまう傾向があった。母親はずっと幸子の看病をし、もっとも心理的に近い位置にいる家族であったのだから、これはやむを得ない行動である。M氏は、母親と同様看護する立場にあったことに加え、幸子と桜井医師との関係について幸子からしか聞いておらず、その病的な依存についての認識ができなかったためである。
 したがって、両者の見解は、この時点で参考にすべきではなかった。参考にすべきは、比較的距離をもって冷静に桜井医師と幸子との関係をみていた父親と次女であった。

(7)について
  この時期の電話の頻度は、週1回程度であった。多くなっているのは、幸子が危機を感じて電話をかけてきたときのみである(4月27日)。4月27日までは、情緒的に安定しており、依存的でもなければ、幸子からの恋愛の押しつけという行為もなかった。「魅惑的な言動によって幸子を済世会中央病院に来るように促し」たという事実もない。

 

8)しかし、そういった意見を聞かずとも、桜井医師は専門家なのであり、また自らの失敗によって幸子の「トラウマ」を形成したという自覚があるのだから、冷静に事態を判断し、幸子の再三の要請をここでも拒絶すべきであった。にもかかわらず、桜井医師は関係再開を受け入れてしまった。しかもその理由は、「幸子が桜井医師と『和解』したいと言っているから」というものであった。つまり、幸子の生命の安全や病状の改善を目指したものではなく、きわめて「個人的」かつ「利己的なもの」でしかなかった。

(8)について
 この頃、幸子の被告に対する恋愛転移は、概ね解消の方向に向かっていた。4月26日の時点で、幸子は、「白い花束」(恋愛ではない愛情)の重要さを語っており、被告に対する恋愛転移にしがみついていたころと比べて相当改善していた。

9)一方、3月末以降、幸子の精神状態は安定し、人間関係も良好になっていた。これは主として、M氏を中心として、新しい人間関係によって幸子が支えられるようになっていたからである。したがって、この時点で桜井医師がいなくなっても、幸子が徐々に恋愛転移を解消し、少なくとも最初の慶応病院入院前の状況にまで回復してゆく条件は整っていた。
 しかし桜井医師は、このような全体的な状況を検討することもせず、治療的な観点は一切もたないまま、きわめて個人的な理由から、関係を再開してしまった。

(9)について

4月27日、幸子は被告に自殺念慮を明らかにしているが、このことが、なぜ「被告医師とのコンタクトが幸子の容態悪化と結びついていた」証拠になるのか、不明である(前述したように、幸子は、5月1日の自殺企図についていろいろな理由を挙げているし、かえって、「今回の自殺未遂ははっきりいって全く彼(桜井Dr)に関係がないのですが・・・。」と中久喜医師に伝えている。)。幸子の自殺の予告は、「自殺を止めてほしい」という意味をもっており、この時、被告は、説得により幸子に自殺を思いとどまらせることに成功した。

10)しかも桜井医師は、週一回、電話で「世間話」をする、という治療構造(この治療構造や治療の目的自体が適切なものとは思われない)をまもなく自分から破棄し、電話とメールによる頻繁な連絡を開始した。さらに422日には、誘惑的な言動によって幸子をB中央病院に来るように促し、面接を実施した。

(10)について
否認する。幸子は、「白い花束」の重要さを語ったり、過去の被告に対する感情を感慨深げに話すなど、被告のみにしがみつこうとしていた以前の幸子とは明らかに異なっており、恋愛性の転移は解消の方向に向かっていた。ただ、表面的に恋愛性の転移は解消しても、真の問題点が根本的に解消されていないために、幸子の問題は解消されなかったのである。
  「ことさら専門家でなくても」「容易に理解できる」というのであれば、なぜ、中久喜医師が被告に幸子との面接を要請したのか、説明できない。

11)この時点で、過去の被告医師への恋愛転移・依存は、再び強化されていた。そのことは、M氏が桜井医師に説明したように、幸子が422日の前日から、同医師からの連絡を待って神経をいらだたせていたこと、同日朝、幸子が同医師からの連絡が来ない、という理由で容態が悪かったことから明らかである。

(11)について

否認または不知。
  恋愛性の転移は解消に向かっていた。そのことは、約1年にわたる長期間の間、入院もしていなかった幸子が、被告と全く接触を持たなかった事実からもわかることである。また、幸子の自殺企図は、平成7年5月17日の自殺企図のように、家族に助けを求めようとして行われたものもあった。

12)桜井医師とのコンタクト(電話・メール・面接)は、明らかに幸子の容態悪化と結びついていた。それは427日、自殺の予告を電話で桜井医師に告げていることからも明らかである。51日の自殺企図も、桜井医師への恋愛転移・依存を原因としていた。また52日の自殺企図も、桜井医師が電話で「あなたの自殺を止めることはできない」と発言したことに端を発している。

(12)について
否認する。
 被告が、幸子の「私の自殺を止めなさい」という要請に対し、「あなたの自殺を止めることはできない」と述べて拒否した、という事実はない。また、具体的に何を指すのか不明であるが、被告が「利己的な類推」をしたことはない。

13)ことさら専門家でなくとも、ここで幸子の桜井医師への病的な依存(嗜癖)が桜井医師との接触により強化され、95年以来の精神状態が再現したことは明らかである。すなわち、桜井医師との接触→依存・転移の強化→自殺企図というパターンである。

(13)について

被告が幸子の自殺企図を「止めることはできない」などと述べた事実はない以上、このような主張も失当である。被告が、中久喜医師に連絡するなど、できる限りのことをした事実は、すでに述べたとおりである。

14)幸子の自殺企図の原因は以下の通りである。桜井医師に強い恋愛感情を持ち、なおかつ嗜癖と言えるほどの強く依存していた幸子は、@桜井医師にもっとかまってもらいたいという依存欲求A曖昧な態度に終始する桜井医師への怒りB桜井医師から見捨てられる不安、等の感情を心の中に保つことができず、行動化して自殺企図を起こしているのである。だからこそ自殺企図は桜井医師との面接後や電話後に起きているのであり、桜井医師に無関係な自殺企図は全くないと言っても過言ではない。それに加え、幸子の自殺企図は、桜井医師に対する復讐という性格ももっていた可能性がある。幸子はしばしば「5年間を返してほしい」と述べていた。

(14)について

否認する。全て、前述した通りである。

15)また、幸子はこのような桜井医師に対する怒りから桜井医師を告訴したいという希望を持っていたが、それがうまくいかないと知って絶望したという側面もあるかも知れない。というのも、994月以降、ある弁護士から「医療裁判は何らかの事件すなわち人命が奪われる、ということがない限り起こすことは難しい」と聞き、「私が死なないと裁判にならない」と幸子がもらしていたからである。52日の晩、M氏が弁護士と知り合いの友人と電話をしていて、「やはり裁判は難しい」ということを話しているのを幸子が聞いたことも一つの引き金になったかもしれない。

(15)まとめについて

否認または争う

16)だが、いずれにせよ、自殺の直接的な最大の原因、決定的なものとなったのは52日の桜井医師の電話による対応であった。なぜなら、「私の自殺をその都度止めなさい」という要請を桜井医師が拒否したからである。こういったパターン、すなわち、桜井医師が何ら問題がなかった、と利己的に類推するやりとりの後で幸子が死を選ぼうとする、というパターンは、慶応大学病院入院時代にはじまり、それ以降、一貫してみられているものである。したがって、幸子の要請にどのように対応するかについては、少なくとも「それはできない」などという結論をすぐに出すことはきわめて危険であることは明らかであった。

否認または争う

17)たしかに幸子が「自殺する」と言うたびに桜井医師がそれを止めることは現実的に無理である。だが、精神科医であれば「どうしてそのようにして(毎回自殺を止めて)もらいたいのだろうか?」と尋ねたり、「自殺を図ることを防止する他の方策はないのだろうか」と一緒に考えたり、「自分が毎回自殺を止めていたのでは、もし自分がいないときに自殺が起きてしまう。だから、もしものときのためにより信頼できる救急医療機関とつながっておくべきではないだろうか」とうながしたり、「あなたが私に復讐したいという気持ちは理解できるが、もしそれだけの目的で死んでしまえば、あなたをこれまで支えてきた他の人々を裏切ることになるのではないか」などと言うことができたはずである。
 あるいは「ここでは結論を出さないで、連休明けに話し合いましょう」と提案した上で、M氏や中久喜医師と協力しながら、自殺の危機を回避する方策を話し合ったり、両親や次女に協力を要請することも十分に可能であった。そのようにしても、おそらく幸子の希死念慮はそう簡単には治まらなかっただろうが、少なくとも「できない」と言ってしまうよりは遙かにリスクが軽減されたはずであり、精神科医であるならばそのようにするのが当たり前である。

否認または争う

18)とはいえ、そもそも、20003月末に関係再開を受け入れた時点で、このような事態になることは予測ができた。それにもかかわらず要請を受け入れたのであるから、当然、そういった事態に対処する心構えと準備をしておくべきであった。また、危険な治療を再開することは明らかであったのであるから、過去5年にわたる治療の失敗を徹底的に点検すべきであった。しかし、そういった準備も点検なく、関係を再開し、なおかつ、治療構造を破壊し、幸子の嗜癖を強化し、過去の関係性を再構築し、その結果、幸子の自殺をもたらした。

否認または争う

 以上のように、20003月末から20005月までの桜井医師の治療は、いかなる計画も方針もないまま実施され、当初から予測できたにもかかわらず、幸子の病状悪化と死をもたらしたものである。

否認または争う


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