【書評】
伊達浩二 『黄金色に輝いた道―大学病院で発生した医療事故そして家族の戦いの軌跡 』太陽出版、2007年、159頁、1200円+税
はじめに
本書は、母親が精神科で医療過誤による被害を受けた経験を持つ、ある男性の物語です。彼は、弁護士にも頼らず、個人の知恵と勇気で、病院という厚い壁に立ち向かい、最後には医師と病院から謝罪を勝ち取りました。
なお、本書のメインタイトルである「黄金色に輝いた道」(おうごんいんろにかがやいたみち)は、主人公が全ての闘いを終えて家路に帰る道が夕陽に照らされていた情景からそのままとられたものです。
文体は大変わかりやすく、ストーリー展開は、どこかミステリー調です。「次はどうなるのだろう?」と読者に思わせ、読者が引きこまれるようにするための工夫が随所になされています。
著者のストーリーテラーとしての才能がかいま見られます。
医学の専門用語が出てきますが、そのあたりの説明も、わかりやすく書いてあります。したがって、医療過誤関連、医療裁判関連の類書と比べると、格段に読みやすいです。
そして、本文は160ページに満たないもので、一日か二日あれば読み切れるでしょう。
価格も、この分量であれば適切だと思います。
本書の性質と登場人物
序文には、本書が「事実を元に作成した小説」であると書かれてあります。関係者の名誉を毀損しないために、固有名詞や設定は全て変えているからです、
しかし、筋書きや医療ミスの内容自体は、おそらく「事実」そのもであると思われますから、「ノンフィクション」として読んでもかまわないのではないかと思いました。
本書の主人公は、コンピューターの入力をする仕事をしている32才代の男性です。お姉さんが一人いて、恋人がいます。
お父さんは主人公が子どもの頃に心臓の病気を発症し、その後、脳梗塞で入院した後、「心不全」で病院で亡くなっています。
さて、本書で医療ミスの被害者となるのは、主人公のお母さんです。
彼女は、主人公が子どもの頃に統合失調症を発病し、その頃から病院の精神科で治療を受けるようになっています。また、10年前、つまり主人公が22歳の頃には、糖尿病を発症して通院治療を受けています。
ストーリー
物語は、母親の容態が急変するところから始まります。
救急車で運ばれたお母さんは、「腸閉塞」という診断を受けました。糖尿病の合併症であれば、その前に血糖値が上がっていたはずです。しかし、そういうことはありませんでした。
救急で運び込まれた直後、お母さんの糖尿病治療を受け持っていた医師がお母さんを診察しています。
実はこの医師、すでに10年前に、医療ミスを犯しています。
当時、お母さんは糖尿病の合併症で左親指に壊疽を発症していたのですが、この医師は、完治した箇所に誤って器具で傷をつけてしまいました。そのため、壊疽が再発し、左親指を切断せざるを得なくなります。
当時、この医師はミスを全面的に認めて謝罪した上で、お母さんの治療に携わっていきたい、と主人公とそのお姉さんに懇願しました。
そこで、彼らは責任問題を追及することになく、お母さんの治療を引き続きその医師にお願いした、といういきさつがあります。
したがって、主人公は、すでに医療ミスを経験済みです。
また、お母さんが統合失調症を発病して最初に入院した精神病院では、お母さんは暴力をふるわれていました。
そこで、精神科がある現在の大学病院に転院したのです。
したがって、主人公もそのお姉さんも、医療というものに全面的な信頼を持っていたわけではない、ということもわかります。
さらに、主人公が成人してから、脳梗塞で入院していたお父さんが「心不全」で亡くなりなりますが、病院から遺体を運び出すときに、看護婦から、「これから、遺体をどちらに搬送するのですか?」とおかしなことを聞かれています。主人公は、この一言でお父さんの死亡原因について疑いを持っていました。
主人公が、医療や病院というものに対して一定の距離をもつことができた背景が、主人公の生い立ちやお母さんの病歴から、それとなく明らかにされています。
さて、本題であるお母さんの緊急入院に話を戻します。
お姉さんの記憶では、緊急入院する一週間前に、お母さんは精神科で注射を打たれ、その直後に鼻血を出した、ということです。
その後お姉さんが、精神科の医師から、一週間前に、外来でお母さんの治療に当たった医師が、「デポ剤」という薬を注射した、その薬の副作用で、人によっては胃腸の活動が低下する可能性があるから、今回の腸閉塞との関係がないとはいえない、と伝えられます。
ここで主人公はインターネットでデポ剤について調べます。
ネットでは、副作用のひとつとして腸閉塞が挙げられていました。こうして主人公は、デポ剤の投与が腸閉塞を引き起こしたとすれば、医療事故の可能性が高い、と考え、さらに調査をするわけです。
ただし、そのような調査が簡単ではないし、素人の主人公には限界がある、ということもわかっていたので、主人公の頭には、「泣き寝入り」という選択肢も浮かんできます。
それに、一番信頼している恋人からも、病院を相手取って責任追及をすることは無謀だ、と反対されます。主人公もそのことはよくわかっています。
主人公の調査によれば、医療過誤の被害者の多くは泣き寝入りをしています。それほど病院は巨大であり、裁判制度は被害者には不利な仕組みになっているのです。
しかし主人公は、10年前、お母さんの足の親指を切除した経験を思い出し、二度と後悔したくない、という思いから、「たった独りで巨大な大学病院へ闘いを挑む決意」をします。
主人公は、以前法律事務所で働いていたことがあります。そこで、当時同僚だった人物に相談します。その人物からうけたアドバイスは、病院側との会談を全て録音する、というものでした。
また、主人公は、デポ剤投与による副作用で死亡した、というある男性患者の症例について調べていますし、病院と闘う決意をした後、相当な調査を行ったようです。
その後、デポ剤を投与した外来医師と話し合う機会が設けられ、その場で主人公は、のらりくらりと言い訳をする医師を追いつめて、ついに医師に謝罪をさせます。
家族や本人の同意を得ずにデポ剤を投与したこと、つまり、インフォームドコンセントを怠ったこと、そして、これまで投与したことのない薬剤を投与するにあたって、慎重な確認作業をしなかったことが、主人公の追求したことです。
医師が謝罪をしたのは、インフォームドコンセントをせず、確認を怠った、というところまでです。とはいえ、医師が患者の家族に対して率直に謝罪をしたのですから、この主人公の追求は成功したのです。そして、この成功なくしては、最終的な勝利はなかったと言えます。
ただし、以上のように、いったん謝罪を勝ち取った直後から、病院ぐるみで、デポ剤の投与と腸閉塞との因果関係の否定が始まります。
あらゆる医師が、現在のお母さんの病名を、「腸閉塞」ではなく、「虚血性腸炎」とし始めます。これは、デポ剤との因果関係を否定するためでした。
さらに、外来医師が謝罪した、と主人公が反論すると、「それは密室での話だ」としてやんわりと退けられてしまいます。
病院だけでなく、政府を含めて、大きな組織といものは、よくこのようにして、いったん認めたことを、あれこれ理由をつけて覆しますが、この場合もそうだったようです。
この一連のやりとりで、お姉さんは責任追及をしても無駄だ、という結論に達して主人公にも、責任追及はやめよう、と提案しますが、主人公はあきらめきれません。この間に主人公は仕事を失っています。大変な苦境に立たされてしまったわけです。しかし、主人公はあきらめません。理由は、後でわかります。
また、この時に主人公は、以前勤めていた法律事務所で読んだことのある本をもう一度読み直します。こうして勇気を得た主人公は、再度インターネットで調査を行った末、責任追及を行うとすれば、デポ剤を投与した外来医師が、事前に確認義務を行った、という一点である、という結論に達します。
また、その後、お母さんの容態について説明する医師たちの対応や病院の状態を見ていくうちに、お母さんの転院を決意します。こうして主人公の反撃が始まります。
まず、お母さんの退院の予定を告げ、別の病院のセカンドオピニオンで診察をしてもらうため、診療経過報告書を提出するように求めます。病院は、診断書であれば提出するが、診療経過報告書は提出できない、と言い始めますが、主人公の反論にあって、結局、提出することになります。
次の目標は、お母さんの検査報告を受ける席上で、「虚血性腸炎」という診断を覆すことです。病院の各科が口裏を合わせて嘘をついているのは明らかですから、覆すことは容易なことではありません。しかし主人公は医学の勉強をして、診断の嘘を暴く決意をしています。
当日、内分泌専門医、そして、消化器内科、精神科という各科の医師を同席させてくれ、という要請をして、病院側にはこれに合意させ、思惑通り、当日、各科の医師が顔をそろえます。
そのねらいは、それぞれの医師が、自分とは別の専門家を目の前にして、自分が専門外とする医学上の知識で主人公を煙に巻こうとすることを防止するためです。
専門家が目の前にいれば、専門外の事柄については、いいかげんなことを言えなくなります。また、主人公がその場その場で追求していけば、それらの点について口裏を事前に合わせているわけではないですから、医師たちはつじつまのあった説明ができなくなる、というのが主人公のねらいです。
消化器内科の医師は、お母さんの症状は、腸閉塞ではなく虚血性腸炎で、その原因は、糖尿病だ、という、糖尿病の専門家から見れば明らかにおかしなことを主人公に説明してきました。しかしこの会談では、糖尿病の専門家が同席しているので、そのようなことが言えません。
主人公の追求は、消化器内科の医師を追いつめます。結局、彼は、自らの診断を覆しませんでしたが、主人公の主張に反論することをやめます。
ここが本書の山場の一つですが、ここではこれ以上説明できませんので、詳しくお知りになりたい方は、ぜひ本書をご一読ください。
さて、しかしこれで主人公の追求は終わったのではありません。
お母さんは結局退院して別の病院に移ることになりますが、退院の際に、治療に医療ミスの疑いがあるから、入院費用は支払わないで退院する、と告げて病院の了承を得ます。
実は、主人公はこれ以前に、社会保険事務局に相談をして、こういう場合、正統な根拠があれば、入院治療の支払いを保留できる、という説明を受けていたのです。何とも用意周到です。
その後、転院先の病院では、腸閉塞の原因が、デポ剤の投与である、という結論が出ます。
そして、最後の場面は、精神科責任者である教授との「対決」です。
それまでいろいろな理由をつけて面談を拒否してきた教授を、主人公はお母さんの退院の際に、ついに面談の席につかせます。
教授は、主人公が何を言っても、あれこれと理由をつけて、主人公の主張を全面的に退け、医療ミスではないと主張し続けます。
そこで主人公は、デポ剤を投与した外来医師が確かにミスを認めた、と主張しますが、「密室の会談の中で解釈の違いがあったのではないでしょうか」と言って、教授はこれも認めません。そこで主人公は、奥の手を出します。
「私は、原因がデポ剤であると疑った時点から、各科医師との一切の会談内容を録音しております」(主人公)
この一言で、形勢は逆転し、精神科の教授は主人公の主張に一切反論せずだまり続けます。そして、最後は、事実上、主人公の主張を全面的に認めます。
そして、病院側は、今回の入院費用を支払います。
本書から得られる教訓はあるのか
主人公は、なぜ巨大な病院に立ち向かえたのでしょうか。以下、要因を挙げていきましょう。
まず、主人公が子どもの頃から、両親の通院や入院に関わり、医療とはなじみがある、ということです。
そのため、患者の家族として、一定の医学的知識を持っていました。
また、母親の医療事故を経験し、医療に対する不信感を持っていたことも重要です。
次に、主人公は、現在の仕事をする前に、法律事務所で仕事をしていました。その際に、裁判や法律上の問題に関わってきています。
病院側の発言を録音する、という方法も、法律事務所で働いた経験があったから採用できたと思います。
本書で重要な「録音」という奥の手を使うに至ったのは、その当時の同僚からアドバイスを個人的に得ることができたからです。
主人公は、インターネットや文献で調査をした上で、争点を絞り込んで相手を追いつめる方法を考えています。
32歳という若さですから、気力や体力があったと思います。
それにしても、本やインターネットから知識を蓄積し、それに基づいて論争する上では、一定の経験が必要だったと思います。そのような経験は、やはり法律事務所で勤務していた頃にある程度蓄積していたのではないかと思います。
このように、主人公の「勝利」の裏側には、病院側の「失敗」があります。
たとえば、嘘をつき続けることができなかった、主人公の要求を拒絶して診療経過報告書を提出しない、ということができなかった、主人公の要請通り、会談の席に各科の医師を同席させた、といったことが挙げられるでしょう。
しかし、そのような「失敗」は、そもそも医師たちにも一定の良心があり、病院にも理念があったことに起因しています。
とはいえ、われわれのような凡人には、本書の主人公のように思考し、行動すること、発言していくことは、なかなか難しいことです。
ましてや、患者であれば、病院や医療に立ち向かいたいと思っても、気力や体力がありません。
また、精神科の場合、病気の「原因」は、病院からも、そして患者からも、「家族」に向けられ、家族がせめられるので、家族は自分を責めるようになり、病院をせめられなくなっている、ということも、よくあります。
さらに、「この病院に見捨てられたらどうしたらいいのか」という恐怖心も、家族はもっているでしょう。
患者や家族の権利意識が強くとも、負い目や引け目を感じれば感じるほど、病院や医師に対して疑問をもったり反論することができにくくなります。
しかし、病院と「闘う」場合、もしくは単に「関わる」場合であっても、主人公のように医学についての知識を持ち合わせていた方がよい、ということが、本書を読めばよくわかります。
また、病院とのトラブルを避けて、患者の治療を優先させる上では、セカンドオピニオンが一つの選択肢である、ということも本書から学ぶことができます。
さらに、ICレコーダーが比較的安価に販売されるようになっていますから、医師とのやりとりを録音する、という本書で示された方法は、現在、まさに、医療過誤の疑いを持ちながら医療に携わっている人々にとって、参考になると思います。
ただし、その録音を、どのように活用するか、ということの方が問題です。
録音は簡単ですが、それを根拠にして医療過誤であることを医療サイドに認めさせることは、容易ではないと思います。
そのためには、本書の主人公のように、気力、体力、バイタリティー、知力、経験が必要なのかもしれません。
それは、患者にとっても、患者を抱えて憔悴しきっている家族にとっても、大変難しいことのように思えます。
とはいえ、現在の医療現場の状況を考えると、患者もしくはその家族は、一定の知識を持って医療を受けた方がよいでしょう。本書から得られる教訓は、結局そこにあるような気がします。
本書を「医療過誤対策マニュアル」にできるかどうか。それは本書を手に取った読者一人一人にかかっているかもしれません。
ご関心をお持ちの方は、ぜひご一読を
2007年8月28日 「精神科医を訴える」WEBサイト管理人
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