幸子の中久喜医師へのレポート
中久喜先生、先日はわざわざ電話を頂き、ありがとうございます。
このような手紙を出すことは、御迷惑かと存じますが、先生の帰国後のセッションの前に、先生御不在の間に生じた、桜井Dr.との関係の変化を、私の方から報告することが必要だと思いますし、私自身、大変、精神的に困った状況に置かれており、そのアドヴァイスを頂ければと思い、筆をとります。
[1997年]12/17のセッションでは桜井先生は「すごい量の感情が双方から流れ出して」おり、「以前(慶応HP時代)と、同じもの(感情)をお互いに見出した」「私(桜井先生)自身のこのような感情を、(自分で)理性でコントロールできない。もうとまらない。たとえて言うと、あっという間に沖まで流されてしまった感じ」をうけたと、セッション後のtelで言っており、私自身も、過去の感情のよみがえりだけでなく、過去の“関係”のよみがえりを、感じました。
奇しくも、彼は、私(幸子)自身が中久喜Dr.とのセッションの中で表現した、「とても深いところでつながっている感じ」という表現を使い、12/17、12/24のセッションでは、それを非常に双方(特に桜井先生)感じたものとなりました。
又、12/27・12/28には、長時間、電話で話す機会がありました。その日、桜井医師は、大泉病院の当直をしており、私が外出先で具合が悪くなった時に、ちょうど私からの電話をうけられ、今回は、私(幸子)であると、すぐ認識され、電話で話していたら、終電をのがしてしまい、その日(12/27)は結局、帰宅せず、近くのホテルに泊まって、夜中と翌朝、話をすることになりました。
いろいろな話題が出ましたが、桜井先生自身が意識されて、自らの生い立ちの話をされるのは、初めてだと思います。(断片的な情報は多少ありましたが)小学校から高校までエスカレーター式の国立の学校で(共学)過ごされたこと。「いつものように」周囲から浮いていたが、他にもそういう人間がいたので、救われたこと。芸術家(お父さんは画家)の家庭なので、「何をしても良い」という家風。「しかし私は医者なのでそういう訳にはいかないが。」(双方を何度も強調された)
高校生の時に、大企業(商社)の偉い人と食事をする機会があったが、「君は頭はいいが、ウチ(の会社)ではとらない」と言われ、理系を選び、学者にもなりたかったが、才能が無いと思い、結局食えるところと思い、慶応医学部に進学したが、授業はつまらなかった。
大学5年の時に「手もにぎらないが自分の全存在をかける」恋をしたが結局その人とはつき合うことがなかった。同時期に精神的に具合が悪くなり、精神科につれて行かれた(治療は受けず)。その時、父親が、「あなた(幸子)の家と違って」しっかり動じず良かったこと。
留年してしまったので、同期の友人がいない。精神科医になって、自分がかえって助かった。数年して、仕事が面白くなった時に、友人(男)が自殺し、6年間カウンセリングを受けた。
95年にあなた(幸子)に会って、「自分の中に水が湧いている」のを発見した。水が他にも湧いて出ることがわかったので、結婚した。あなたへの水は、多すぎたので、結婚向きではないと判断した。結婚とはもっと現実的なもので(恋愛とは違う?)そんなものである。今回あなたと再会して、同じように水がわいていると感じる。
私「他の水と私の水は同じ水ですか?」
先生「同じ水だが量が違う。あなたの水はものすごく多い」
あなた(幸子)といると、「あなたからも同じ量の水が流れてくるのを感じる。12/17、12/24にそれをものすごく感じた。」「大洪水になる時もあるし、砂漠の時もある。」等々の会話をしました。(後、他にいろいろあったが覚えていない。「9時に起こして下さい。」と言われ、朝9:00にコールした)
しかし、「なぜあなた(幸子)はそんなにドライなのですか?」と被告医師が問うたように、私自身では、先生に対する大きな感情の流れを感じていても、それを素直に言葉に表現できない(少なくとも直接的な表現ができない)状況に置かれていると感じざるを得ません。
大きな原因の一つには、桜井先生御自身が、私との関係にある“線引き”をしているところにあります。
先生は、「感情面でのpriorityはあなた(幸子)が一番で、一番大切に思っています。しかし、社会的にはそうではありません。」
「私(桜井先生)は浮気はしません。あなたとは社会的な関係は築けません。つまりはあなたとデートをしたり、外で会ったり(これは、先生と、先生の奥さん、私(幸子)、Qさんと飲みに行ったりしないことも含む)はないということです。」
「あなたに対する感情は、現実にあります。しかし、私(先生)の社会的な現実も現実にあるのです。そこをわかって下さい。」
等々と話されており、
先生の医者としての“立場”又は結婚しているという“立場”を私(幸子)が充分理解した上で、私が先生に対する(恋愛)感情を先生に向かって表現したり、先生との関係を築くことを望んでおられるので、私は先生の“立場”を察した上で、その“立場”をおびやかすことのない発言、態度等々を取りながら、その上で、先生への感情を表現しなければならないという、非常に難しい“立場”にあると感じざるをえませんし、実際、そうせざるをえません。
しかし、当の桜井先生ご自身は、私に関しては、そのような“線引き”を全くされません。
「私(先生)はあなた(幸子)を独占していたい。私にも独占欲があります。特にQさんとあなたが仲良くしているのは、面白くない。あなたとWさんとの結婚の話も、もちろん、治療者として良くないことだと思うけれども、僕個人としても非常にいやです。」
などと、おっしゃり、(社会的にも独占したいと暗に言っているように私には思われたので、結局のところ最後には、 「先生は、私を独占したいと思っている間は、できますよ。」と返答したのですが)私が色々つっこむと、
「もちろんそんな事を言えた義理ではないし、あなたに捨てられても、社会的には文句が言えない立場なんですが.....とにかく私を捨てないで欲しいんです。」
というような返答が返ってくるという事が数多く見うけられます。
又、先生の“線引”きそのものが狂ってしまうという時もあります。
12/23(?)のtelでは、私が、
「私(の思い)が10なら、先生は、2か3だわ。私の思いの方がより重い」
といったのをうけて、先生が、
「感情の量は、私(先生)とあなたとは同じか私の方がより多いような気がする。ただ、あなたと私の賭けているというものが違うというだけで。」
私「でも、こんなこと(セッションやtel)を続けていると、10が20,20が30になってしまう。先生の方は変わらないのでは?」
先生「10が20,100になったら、その時はその時。色々そういう可能性も考えていますし、考えてしまうこともありますよ。」
(どういう可能性なのかあえて聞かなかったが、先生には、どのようにもとれてしまう<<しかし、私にはその時1つにしかとれない>>発言が多く、その多くは無意識からでてきてしまうらしく、先生自身言った事をすっかり忘れてしまっていることが多い。さっきの「先生の独占欲」の発言も、後に「父親やセラピストにも独占欲がありますよ。帰ったら、お父さんに聞いてごらんなさい」とおっしゃっていた。)
12/27のtelの発言
先生「あなたとの心中の可能性がなくなりました」
私「どういう事ですか?昔もそういう事を言っていたけど。」(慶応HP時代「あなたと恋愛したら最後は心中ですよ。」と二度ほど言われた事がある。)
先生「あなたと心中するというのは、とてもリアルなものだったんですよ。」
私「今はない(過去形を使っている)というと....。そういう(社会的な)関係にないし。第一、御結婚された今となってはそんな事も考えなくなるでしょう。」
先生「そういう事ではないんです。」
(その後我々は「失楽園」((渡辺淳一のベストセラー小説。最後に主人公たちは心中する))にはリアルな心中は感じられない。桜井先生は、「愛の嵐」((ヨーロッパ映画。主人公たちは、最後、心中に近い形で殺される))には納得すると話し、私も同意する。)
私「結局どういう事なんですか?」
先生「いや、いざとなったら、北海道にでも行って、万華鏡でも作って生活するのもありかなと思って。」(私からのクリスマスプレゼントは、北海道で夫婦で万華鏡をつくっている作家の万華鏡であった。)
などと発言されているところをみると、先生の“線引き”が確固としたものではなく、ゆらいでしまう時もあり、そうなってしまうと、私自身どういった態度を取ったら良いのかわからなくなって混乱をきたしたり、私自身が思っていることの正反対の発言を、私自身がせざるをえないという(精神的につらい)立場に置かれてしまいます。
今のところ私は、桜井先生の“線引き”に基本的には従って、言動しています。しかしそれは、本当の私が欲したものではないのは明らか(私の意志に反している)で、私の本当の気持ちを桜井先生に伝えることを非常に難しくしています。
12/24のセッションに桜井先生への手紙を持参したのですが、その手紙すら、非常に抑制した表現を使い、他の人(特に、先生の家族や他の先生方)の目にふれても、先生が困らない様にとても気を使って書いた為、私の真意の1/50位しか書くことができなかった上に、そんな手紙すらも、先生の心の負担になってはと、その日には渡せず、翌日(12/25)Qさん(済世会で2h程先生と話した)から渡して頂きました。
Qさんには、「私(先生)は医者の立場は捨てました。」とおっしゃっていたので、少し先生の方からも私の方にアプローチして頂きたいと思い、「一週間も空いてしまうので、一回だけでもいいから電話を下さい。」と言いましたら、何日か考えられた後に、「どうしても電話ができない所に行ってしまうので、どうしても(tel)できません。そのかわり、何か年賀状を出しますから。」と、おっしゃられたので、旅行でもされるのかと思い、その時は納得しましたが、12/31〜1/1にかけて非常に具合が悪くなり、先生の携帯電話の方にもtel(一応確認((不在))のため)しましたところ、コールが鳴る(!)(つまり桜井先生本人が私にtelしようと思えばできる場所にいる)ことがわかり、余計具合が悪くなり、中久喜先生にFAXするような事態に結果的には、なってしまいました。
いくら、セッション・telの中で「私にとってあなた(幸子)は、手もにぎらないが全存在をかけて愛しているんですよ」等々と言われても、そのような人間(対象)が望んでいるささやかな行為を全て(結果的に)否定されてしまっては、私自身としては、本当にそんなことを思われている存在であるとは、とうてい思えないし、もちろん体感できません。全てが疑わしくなってしまうのです。
実際私は一週間声が聞けないと思うだけで、眠れなくなり、桜井先生が(御自身がおっしゃった様に)物理的にどうしても連絡が取れないという訳ではないと分かった(N先生は、海外からでもtelを下さるのに)後では、「私はこんなに桜井先生のことを考えて。(彼の不在を)つらいと思っているのに、先生の方は私の事など何も考えていないに違いない」という一種の確信めいたつらい思いから離れられずに、そのように感じている今(当時)の私の思いを桜井先生にも味わってもらおうと、あれこれ空想をめぐらせていた(例えば、桜井先生が連絡とらない(とれない)この休みの間に私が消えて(死んで)しまい、彼は自分がその間こちらに自分から連絡しない限り、全てが終わってしまった後((葬式の後))でその事を知るしかないといった事態)時もありました。
12/28・1/4に絵葉書を頂きましたが、先生御自身も書いてらしたように、“あいそない”ものでした。(年末に「お便りします。」と桜井先生がおっしゃった時に、「封書にしてください。葉書だと家族に見られてしまいますから。」と申し上げたのですが、二通とも葉書でした。)
中久喜先生、桜井先生が共におられない年末年始が、(先生もご存知のように)かなり危機的なものでしたので、1/7のセッション(うまくいかなかったと思います)後、あまり時間をおかずに、
「私(幸子)が一生懸命ラブレターを書いても、あいそのない年賀状が(桜井先生から)返ってくる状態に耐えられません。色々な場面で、先生は、実際の行動と感情の使い分けを私に要求する私が実際につらい時に相手をしてくれる人間は、主にQさんであって、絶対に先生ではない。しかし、私の心をコントロールしているのは桜井先生です。これでは、私は分裂してしまう。もちろん先生のお立場はわかっているつもりです。本当に私の事が気にかかっているのなら、先生が自分の空き時間に私に電話をくれたり、私の手紙の返事ぐらいくれてもいいのではないですか?言葉だけでは伝わらないものがあります。少しは、私の為に泥をかぶってくれてもいいのでは。」
先生「手紙はsocialなものですから、あのぐらい(葉書のことか)が限度です。」
私「私(幸子)だって、あの手紙は、症例研究会でコピーされてバラ散かれてもしようがないと思って書きましたよ。」
先生「そんな事はしない。大事にとってある。私の場合そうはいかないので、電話も手紙もダメです。」
私「立場と私だと立場の方が重いんですね。」
先生「それは較べられない。ただ、あなたが夜中死にたくなっても私は行けない。」
私「私は先生の立場わかってますから。夜中これはもう死ぬダメだと思っても、絶対に先生の所には電話しませんよ。」
先生「・・・」
私「ということは、やはり、私の命(この表現はわざと使いました)より先生の立場の方が重いんですね。」
先生「ばかをいうんじゃない。私をそんな風に思っているのか。死ぬときぐらい電話をいれなさい。」というtelをAM12:30までしました。(結局telは、先生の立場を考えて幸子がする。特に携帯の方には、あまりtelを入れない事((どうやら死ぬ時はtelをしてもいいらしい))となった。)
この長時間(4h程)のtelの中で桜井先生は、慶応HP時代、私との結婚をかなり真剣に考えていた事。しかし、「10才以上年が違う人に手を出すのは犯罪である。」「年が離れているので私(先生)が頼れないのではないかと思った。」(12/28のtelでも違う意味だが、同じような主旨の発言((「水が多すぎて…」))があった)
「あなた(幸子)が悪いわけでもなく、自分のキャリアに傷がつくからでもなく、私(桜井先生)とも関係のない周囲の事情」で結婚はあきらめた事。
(それに関しては、私は以前のBのセッションの中で繰り返し、((私は))「はやく大きくなる(成長する)ので待ってて下さいね。」と言ったではないか。たしかに慶応HP時代の私は幼かったし、ひどい状態だったが、(中久喜先生と知り合って)この1年でそういう(精神的な)意味ではかなり成長したではないか。なぜ(私の事が好きなのだったら)待っていてくれなかったのか? とかなりしつこく食い下がった。
「5年は待たなくてはと思っていた。私(先生)は5年は待てなかった。」というのが桜井先生の返答。
1/9のtelでも、この件が蒸し返され、やはり慶応HPの時に、桜井先生が「あなたとは結婚できない。あなたのお父さんがきらいだから。」と言っていましたねと言うと、「あなたに言った事は覚えていないが、それは確かに思っていました。」と言っていた。)
昔も今も(私に対して?)精神面でもフィジカルな面でも「手も足も出ない事」。私(幸子)が慶応HPの最後から2・3回位前のセッションで、桜井先生に抱きつこうとして、思い切り手を振りはらわれたのが、心の傷になっていると伝えたら、
「他の患者さんは大丈夫なんですけどね。あなただと、自分がコントロールできなくなるとこわいので。だから、そういう体の方の診察は他の先生にしてもらった。」
「昔と違って今回のセッションでは(幸子は)動きませんねえ。」
との先生の答えに私(幸子)「私は一生懸命自分を抑えているんですよ。だから(セッション中は)動かない。また手を振りはらわれるのもイヤですしね。特に手は、先生の手は好きで気に入っているので(かえって)さわらないように注意しているんですよ。」
先生「そうですか。私はそういう抑制は結構平気です。私は今は、あなたにはさわらないと心に決めているんですよ。精神的にもそう。直接的な表現はできない。」
結局、私のtelの最初に出した要求は、「あなた(幸子)の言う事をきくと、全部そうしなくてはならいから。」全て、受け入れられない事。
私「でも、先生は自分の立場だけ要求していて、私の言う事なんか聞いてくれない。それでは折り合いがつかない。」
先生「でも、これしかできないんです。」(これだけ時間をさいたのに。どうして私の気持ちをわかってくれないのか。)
私「では少し(今後のこと)どうするか考えさせてください。」
先生「治療者として言わせてもらうと絶対やめてはダメだ。やめるという判断はN先生が帰ってからにしなさい。」等々がわかりました。
上手にまとまらなかったので、中久喜先生はここまで読まれて困られていると思いますが、最後に、これを書かざるを得なかった私の困った状況について書きたいと思います。
済世会での今回までのセッションで私が感じているのは、以前と同じ、それ以上に私は桜井先生を非常に愛しているという事です。私が年始に自殺をはかろうと思ったのも、私の心が恐らく先生への思いの重さに耐え切れなくなって、一時的に先生をどこか見えない奥に閉じこめてしまい、今度は、あまりに心の空洞が大きすぎて、返って他の全ての希望を見えなくしてしまい、生きている意味がなくなったと感じたのが全ての原因だろうと私は思っています。(現在は、私の心の中の桜井先生(の存在)は戻りました。)
ですから、先生の“立場”の方が私より重いのであれば、私は、結果的には、自分がどう思おうとに関係なく、その“立場”をふまえて、自分の感情を表現せざるをえないのです。これがいかに矛盾してようとも、自分を偽ってでも、私は桜井先生との関係を続けたいのです。
彼が言っている「昔も今も一番愛している人間は、あなた(幸子)である。」という事が、真実であるのだとしたら、そして、(私にとっては)ばかばかしい、くだらない理由で、彼が慶応HP時代に私との社会的な医者―患者を越えた関係を築くのを断念した(まだ自分のキャリアに傷がつくという理由なら納得できます。)のだとしたらと思うと、やり切れない気持ちでいっぱいです。
慶応HP時代から私は桜井先生といつか社会的な関係を築くことを夢見てきました。それだけを望んでいた、と言っても過言ではありません。でも、その時は、先生御自身が自分の感情を否定なさっていたので、それは、私の身勝手な夢でしかなかったのだと思い、長谷川病院で、一生懸命、自分自身に思い込ませようとしましたが、結局できませんでした。
今回のセッションで、私、そして桜井先生双方が、お互いのとても深い部分を共有していて、お互いの心を「なかったこと」にしてしまうと、もう片方の心も死んでしまうという共通感覚がある以上、「なかったこと」にはどうしてもできないし、したくないのです。
しかし、実際には、「なかったこと」に私の方がせざるをえない状況です。先程の結婚の話題が出た時も、私は、「(桜井)先生がそんな事思ってたんですか。私は全く知らなかった。でも結果的に私と結婚しなくて良かったですね。」(全くそんな事は思っていない。)と答えざるをえないのです。
そういう“立場”を超えそうな発言を先生がなさると、私が打ち消してしまうのが常です。
しかし、本当の事を言ってしまえば、私は今でも、桜井先生と“立場”を超えた、つまりは社会的な関係を築きたいのです。彼の言っていることを素直に受け入れないふり(彼は自分の気持ちが通じていないと思っています。)をしているのも、自分自身それを認めてしまうのがこわいからなのです。
私が、彼の“立場”を侵す思いを持っていることを彼に絶対に知られたくないのです。桜井先生は何度も「あなたは社会的な関係の方は望んでませんよね。」と私にいつも確認作業のように念を押します。その度に「ええ。そんな事望んでません。わかっていますよ。」と自分を偽って答えざるをえないし、そうすべきであるとわかっている事を、その都度認識させられる事は非常につらいです。
でも、彼が自らの“立場”を捨てないと宣言している以上、私は彼の2つの現実を理解して、彼のもう一方の現実とかち合わないように細心の注意を払って、もう1つの現実(=私との関係)を守っていくより仕方がありません。
桜井先生は「私を捨てないで下さい。」とよく私に言われますが、彼の“立場”なり、“現実”なりをいったんでも私が踏みこえた言動をすれば、私の方が捨てられるのは確実で、私はそんな事を絶対にされたくないし、第一、彼を困らせたくないので、絶対にそんな事ができないのです。彼は私に「精神的なpriorityはあなたが一番です」と言った事がありますが、それは「自分を除いて」だと思います。私は本当に自分より桜井先生の方が大切なのです。
桜井先生は、「あなたが幸せにならないと、私も幸せになれない。」と言っていますが、なぜ御自分が私(幸子)の幸せに一番必要であるのだとわからないのでしょうか? と、そんな事を中久喜先生に書いてもしょうがないのですが。
私自身は、恋愛感情を持てる相手が一人しかできない(私の部屋(庭)の鍵は1個です)人間だし、ある人を好きになって、相手も私を愛しているのならば、感情面と行動面とがどうしても一緒になってしまう人間でもあるし、その思いに誠実でありたいということは、中久喜先生もよくご存知だと思います。
しかし、その愛する当の御本人が、医者―個人・行動―感情の2つの二面性を持っていて、しかもそれを無意識に使い分けているのだとしたら、そして、それらを1つにするつもりが全くないのだとしたら(というか、全くないのです。)私はどうすればいいのでしょうか?
桜井先生はそのどちらにも、ものすごく誠実でありたい、それができると本気で思っているのです。桜井先生の言うように恋愛と結婚は別のものであるのだとしたら、私はWさんと(まあ他の誰でもいいのですが)と結婚すべきだった(結局お断りしました)のでしょうか?
私はどうしてもそんな事(つまり恋愛対象にない相手と生活を共にすること)ができないのです。私だって、最終的には、少しで長く時間を共有するためと言うより、そうしたいが為に、愛する人と生活を共にしたいし、唐突かもしれませんが、子供も欲しいのです。
「(本当に)幸せになる」ということの中にはこういう事も確実に含まれると私は(少なくとも)思うのですが。
この前の電話の最後で、桜井先生は、「逃げないで、いやな事をも見据える勇気を持ちなさい。」とおっしゃいました。私も、もうこれ以上逃げたくないので、こうやって書くことにしました。何か人生相談のようになってしまっていて、読んでいらっしゃる先生には申し訳ないのですが、これが私の現状です。帰国直前になってドタバタして申し分けありませんが、アドヴァイスを頂けたらと思っております。
それではよろしくお願い致します。
H10-1-10 幸子
P.S.桜井Dr.のレポートが来ましたら、私も読みたいので、FAXにていただけたらと思います。お手数ばかりかけて申し分けありません。また、この私のレポート(の存在)は桜井先生には、今のところ教えないで頂けたらと思っております。先生を信頼しているので、そんな事はないとわかっていますが、一応書いておきます。おくれましたが、本年もよろしくお願い致します。
[以下手書き]
一応アメリカに送ったレポートですが、日本の方にも念のため送ります。1/14の前にもお電話いただけたらと思っております。お忙しいところ申し分けありません。もちろんこのレポートはあくまで私の視点で書いたものなので、主観が入ってしまっていると思います。
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