被告の文献引用の問題点(最終準備書面添付資料)【表1】〜【表18】


 【表1】

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

<被告準備書面(2)>2頁

 特に、境界性人格障害の患者のうち、知的水準をある程度有するか、あるいは高い人たち@(幸子の場合もこれにあたる)は、自己の内部にある衝動性や怒りを統率し、それを克服しようとする意志や知性を有しているが、Aそれがはからずしてコントロールの域を超えてしまBったり、衝動性を内面化するために、うつ気分や、特に虚無感が顕著に際だってくるC分離不安に基づくD甘えがE強Fく、当初はそれを前面には押し出してこなかったとしてもG治療関係を結Hぶと、治療者を全能視し、すぐに転移感情を示し、Iその恋愛感情が報われないと激しい爆発ないし行動、あるいは医者への激しい罵倒という形に至ってしまう。C

町澤静夫「境界例患者の内的世界」『境界例』河合隼雄・成田善弘編、日本評論社、1998年、53-70頁の、5657

「私は境界例患者は大きく二つに類型化できるように思う。一つは衝動性が顕著であり、自己表現が極めてとぼしいタイプである。そしてこのタイプは概して知的レベルが低い人が多いと思っている。もう一つは知的水準をある程度有するか、あるいは高い人たち@である。この人たちの場合には、衝動性は内面化され、それがむしろ虚無感やうつ気分、不安となっている。[中略]もう一つのボーダーラインタイプについては、私はこれを繊細型(sennsitive type)と呼んでいる。このタイプは自己の内部にある衝動性や怒りを統率し、それを克服しようとする意志や知性を有しているが、Aしかしそれが、はからずしてコントロールの枠を超えてしまBう。また衝動性を内面化するために、うつ気分や、とくに虚無感が顕著に際だってくる。Cそしてまた自己同一性の障害ないしそれに対する感受性も強いものである。さらに分離不安に基づくD依存心の強さ、つまり日本語でいうところの甘えがE極めて強Fいのであるが、それを前面に押し出してこないG。しかし治療関係を結Hべば、容易にこの甘えが強いことがわかり、治療者を全能視し、すぐに転移感情を示し、Iそしてその恋愛感情が報われないと激しい爆発ないし行動、あるいは医者への激しい罵倒というかたちに至ってしまうJものである。しかしそこまで追い込まれない限りは、あまり衝動というものは出てこず、虚無感と自己同一性の障害に悩んでいるといっていい人たちである。

 

引用した原文に下線を引いた箇所と番号があるが、それらは、被告が流用した文言と対応している。

 

1、原文は、町澤静夫医師独自の境界例に関する見解であり、これが一般的なものであるとは到底言えない。

2、左を見れば明らかなように、被告の文章は、町澤氏の文章にある文言を断片的につなぎ合わせているだけである。

3、被告は、「しかしそこまで追い込まれない限りは、あまり衝動というものは出てこず、虚無感と自己同一性の障害に悩んでいるといっていい人たちである」という一文を削除した。

 町澤氏が指摘する通りであれば、境界例は、「追い込まれない限り」は、「虚無感と自己同一性の障害」について悩んでいる、というレベルにとどまることになる。

 被告はこの部分を削除し、他補文章をつなぎ合わせることで、境界例患者に対処することは困難である、という側面だけを強調している。

 

 

 

 

 

【表2】

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

被告準備書面(2)、2頁

これらの患者は、表面的には健康そうに見える@ため、なんのために入院してきたのかなどと他の患者に言われるA患者が多いがB実際Cは、これらの患者の内的世界は、まったく混沌とし、虚無感と攻撃性と愛情欲求に満ちて、あまりに情動が充満してDいる

「衝動型と比べてそのような症例は内向しているので、他人には健康そうにみえる@のである。なんのために入院してきたのかなどと他の患者さんにいわれるAが多いがB実際C、心理療法の場面で示す彼らの内的世界というのは、まったく混沌とし、虚無感と攻撃性と愛情欲求に満ちて、あまりに情動が充満してDおり、それに対応ができず、みずから呆然としてしまうといった現れ方をする」(町澤、59頁)

患者が自らの内面にある情動に対応ができずに呆然とする、という記述を消去している。それにより被告は、患者が自らの「情動」に当惑している、という側面ではなく、「情動が充満している」という側面を強調し、その内面を治療者が容易に理解できないものだ、という主張に組み替えている。

そもそも町澤氏は、この論文全体で、「繊細型」の患者が「治療者への激しい転移感情、つまり恋愛感情を抱き、それがかなえられないということになって、行動化に繋がった」が「やがてその行動化を契機に治癒していった症例」を、患者が描いた絵とともに紹介している。つまり、困難ではあっても治療が成功した例である。

 また、この論文のテーマは、「内的世界」を分析する、というところにとどまり、治療技法を解説したものではない。  

さらに、これは1991年の時点で町澤というひとりの医師が示した、独自の類型化と特徴付けである。これをあたかも境界例の代表的な「内的世界」に関する分析であるというのは、適切ではない。

 

 

【表3】

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同被告準備書面225頁全般について

 

小川捷之「境界例と臨床心理」『境界例』日本評論社、1998年、88-103

以下、上智大学教育学部に勤務していた小川捷之氏(1996年没)という一臨床心理士の論文から、細切れに文章を切り張りして流用しているにすぎない。大学の学生相談の経験にのみ依拠しているため、精神医療に適用できず、一人の臨床心理士の見解に依拠したものに過ぎず、多くの専門家の同意を得られる保証は全くない。

 

 

【表4】

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

<被告準備書面(2)>22122行目

(2) 境界性人格障害の治療について(乙B第3号証「境界性」河合隼雄他編集)

@ 総論

 境界性人格障害の患者の病理の根は深く、神経症水準の人の心理療法と同列に考えることは困難であり、治療も困難である。

小川捷之「境界例と臨床心理」『境界例』日本評論社、1998年、88-103頁の10378行目からの引用。以下、原文。下線部が被告引用箇所:

「また、次の問題は、他の心理臨床家とどのようにしたら有効な連携ができるのか、という問題である。境界性人格障害の患者の病理の根は深く、神経症水準の人の心理療法と同列に考えることは困難であり、治療も困難であるある治療者が、ある時期、全力を尽くして治癒的努力を行っても、双方ともに限界がある。したがって、クライエントの動きに応じて、他の治療者を紹介し、そこで、ある局面の作業を進めるといったネットワークを作る必要がある。支援体制もなくただ一人でこうしたクライエントに立ち向かうことは、治療者側に多大の犠牲を強要することにもなりかねない。スーパーヴィジョンを含めた治療者側の相互支援の交流が必要である。この場合、問題は、理論や技法が異なるとき、果たして有効に機能しうるかということである。われわれは、理論ではなく、この種の心理療法の臨床経験を共有できる場を、より積極的に作ってゆかなければならないのではなかろうか。(小川、103頁)

被告が流量している文言は、小川氏による原文では、治療が困難であるから、複数の治療者によるネットワークを作る必要がある、という提言の中にある文言である。またこの文言の直前では、「他の心理臨床家とどのようにしたら有効な連携ができるのか」という問題がある、と述べられ、引用された文章が続き、さらに、ネットワークづくりについての提言が続いている。全体として読めば、治療を困難としている原因には、治療者が孤立していることがある、という指摘がある。これは、大学で学生相談をしている臨床心理士であればあてはまるが、病院でチーム医療をしていた被告には適用され得ない話である。小川氏が「困難」である、といっている前提は、臨床心理士の学生相談である、ということがわかる。被告は、そのような文脈から切り離し、恣意的に文言の一部を流用したに過ぎない。

 

【表5】

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同上

 境界性人格障害の患者の心理療法では、適切な治療技術であるとか、方法は、ほとんど効力がない。無力であるといってよい。治療の過程も患者のもつ特質と治療者のそれによって、きわめて個性的な展開を示す。また、神経症水準の患者のように、なんらかの洞察によって治療の局面が大きく変化したり新たな展望が得られたりすることはほとんどない。

「境界例の人との心理療法では、適切な治療技術であるとか、方法はほとんど効力がない。無力であるといってよい。治療の過程もクライエントのもつ特質と治療者のそれによって、極めて個性的な展開を示す。また、神経症水準のクライエントのように、何らかの洞察によって治療の局面が大きく変化したり新たな展望が得られたりすることもほとんどない。」前掲、小川、100頁の1〜4行目)

 

第一の問題は、上の【表4】の文章に、全く異なるページから左の文章を抜き出してつなげている切り張りだということ。

第二の問題は、論文集『境界例』には、「効力」のある「治療技法」を紹介する別の論文も収録されている、ということ(例えば、馬場禮子「積極的に関わり、依存させすぎない工夫」202-208頁)。

したがって、この見解も、一人の臨床心理士が、大学の学生相談という制限の中で得た「実感」であっても、精神医療全般に適用できる一般論ではない、と指摘できる。

 

【表6】

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同上

治療者は治療構造を維持し続けようと必死の努力をするが、それも最後まで保持できる事例は極端に少ないと言われている。逆に、治療構造をあらゆる手段によって強固に守り続けることによって、クライエントのなにかが圧殺され、傷つくことも予想される。

 治療者ができることは、これらの患者のを真に受け止め、治療という関係の中での人間的努力を通して、患者が少しでも癒され、成長することだけであろう。そのためには、治療者が強大な努力を持って一方的にそのプロセスを支配し続けることには問題がある。境界例の人の心理療法で最も重要なことは、患者と治療者がどれだけ真剣に向き合い続けることができるかである。

また、治療構造を維持し続けようと治療者は必死の努力をするが、それも最後まで保持できる事例は極端に少ないと考えられる。逆に、治療構造をあらゆる手段によって強固に守り続けることによって、クライエントのなにかが圧殺され、傷つくことも予想される。心理臨床家としてわれわれにできることは、これらの人たちのこころを真に受け止め、治療という関係の中での人間的努力を通して、患者が少しでも癒され、解放され、成長することだけであろう。そのためには、治療者が強大な努力を持って一方的にそのプロセスを支配し続けることには問題がある。境界例の人の心理療法で最も重要なことは、患者と治療者がどれだけ真剣に向き合い続けることができるかである。(前掲書、小川、100410行目)

被告が改変した箇所には下線を引いている

対照すれば、部分的に文言を改変して、原文の意味を大きく変えていることがわかる。

まず、「事例は極端に少ないと言われている」という文被告の文章は、原文では「言われている」ではなく「考えられる」となっている。つまり、小川氏は根拠を示してていないので、同氏の主観的な見解でしかないということがわかる。

次に、被告は、「心理臨床家としてわれわれにできることは」という主語を「治療者」に改ざんしている。これにより、小川氏の見解が、医師よりもずっと権限がない、臨床心理士の見解である、という事実を隠ぺいしている。

小川氏には、精神科医にもこの文言を適用させようという意図がなかったことは明らかである。

 


【表7】

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

<被告準備書面(2)>3

心理療法を開始するということは、その治療者と極めてパーソナルな治療的関係に入ることをも意味するが、こうした「関係」は、境界例の人にとって自他の区別のない一種の桃源郷として映る(理想化転移)。自分の心の癒しにはこの先生しかいないと一方的に断定し、こうした投影のもとに希望を求めて来院する人もいる。

心理療法を開始するということは、その治療者と極めてパーソナルな治療的関係に入ることをも意味するが、こうした「関係」は、境界例の人にとって自他の区別のない一種の桃源郷として映る(理想化転移)。精神分析や心理学関係の本を熟読し、研究したあげく、自分のこころの癒しにはこの先生しかいないと一方的に断定し、こうした投影のもとに希望を求めて来所する人もいる。前掲書、小川、901014行目

まず、上記【表6】100頁にある文章に、その10頁前にある文章をつなげている。それぞれの文章は、別々の文脈にある。この90頁の文章は、面接開始にあたっての留意点について書かれており、面接が始まった後の治療について述べられたものではない。100頁の、上記【表6】の文章は、「治療後期・終期」について述べたものである。つまり、被告は、治療が開始される前の問題について述べている文章を一部抜きだし、治療が終結する頃の問題について述べている文章とつなげているのである。これは、原文を不当に改ざんしていると言える。また、ここでも小川氏が「来所」と述べ、明らかに臨床心理士について限定された問題であることがわかるのだが、被告は、「来所」を「来院」と改ざんしている。

 


【表8】

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同上3

病態その他の条件から心理療法が困難な人でも、治療者が引き受けようと決意する気持ちが動けば、治療が著しく進展する。その逆に、いかに治療的に健全な要素があっても、治療者との相性が極端に悪い場合、治療が失敗に終わる。境界例の心理療法ではこういった要因が著しい。 

病態その他の条件から心理療法が困難な人でも、治療者が引き受けようと決意する気持ちが動けば、治療がいちじるしく進展する。その逆に、いかに治療的に健全な要素があっても、治療者との相性が極端に悪い場合、治療が失敗に終わる。境界例の心理療法ではこういった要因がいちじるしい。(小川、前掲書、91710行目)したがって、境界例の治療にさいして、われわれがもっとも留意しなければならないことは、診断の担当者でなく、治療担当者がこの来談者とやってゆけるかどうか、自分自身の目で判断することであろう。その場合、最も気をつけねばならないことは、不受理を伝える時に来談者に対して、見捨てられる恐怖を惹き起こし、混乱させないように極力努力することである。(小川、前掲書、911014行)

被告は「したがって」以下の文章を削除することにより、「治療の失敗」を強調している。しかし原文において小川氏は、「したがって」以下の文章で、そういった「失敗」を回避するために、「治療担当者」が自分の目で治療の可能性を判断すること、不可能であると判断した場合、「不受理」を伝えることがありうること、そのためには見捨てられる恐怖を惹き起こさないように努力することが必要だ、と指摘しているのである。つまり、面接をする前に、治療を断るという判断も必要である、というのが、原文の趣旨である。被告は、このような原文の趣旨をねじまげ、「失敗」することもありうる、という点だけを際だたせようとしている。

 

【表9】

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同上、3頁

また、治療担当者が次々と変わることのないよう、注意をしなければならないということもある。対象についての一貫性・恒常性の感覚をもてない病理を有する境界例の患者にとっては、大変致命的な外傷体験になるからである

治療担当者が自分の知らないところで次々と変わることは、対象についての一貫性・恒常性の感覚をもてない病理を有する彼らにとっては、たいへん致命的な外傷体験になるということである。小川、前掲書、1416行目)

まず、原文で小川氏は担当者を変更してはいけないなどとは述べておらず、「自分の知らないところで」変えるのはよくない、つまり、患者の同意を得た上でなら、担当者の変更もありうる、と指摘しているのである。さらに原文では、「外傷体験になるということである」と述べられ、この部分が伝聞であるに過ぎないことがわかるが、被告はこれを断定している。

 

【表10

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同上、3頁

A 境界例の治療初期

 境界例の患者は、問題の根が深ければ深いほど、患者はその治療者を著しく理想化する。長年にわたる恐怖の世界から脱出することができるのではないか、という希望を心中深く抱き、治療者の良い子になろうと、それは大変な努力をする。

 

「面接が始まると、筆者の知るかぎりでは、境界例の人たちは、周囲が驚くほど安定する。彼らは、一刻一刻をそれこそ命がけで生きているような大変な自分を心理療法の専門家が引き受けてくれたという事実に、まさしく地獄に仏を見た思いをするといっても過言ではない。そして、問題の根が深ければ深いほど、その治療者をいちじるしく理想化する。長年にわたる恐怖の世界から脱出することができるのではないか、という希望を心中深く抱き、治療者の良い子になろうと、それは大変な努力をする治療者側も、こうした来談者に触れ、はじめは、境界例ということでそれこそ万全の準備をし、面接に望むが、案に相違して、よい動きが現出してくると、どこかで安心する気持ちが生じてくる。とくに、初心者の場合、「境界例はむずかしいとよく聞かされてきたが、たいしたことはないのではないか」「神経症レベルの人よりやりやすい」などと思ったりする。これは、境界例ということで面接に臨んで、自己の心的エネルギーの相当なもち出しをしたことに対する反動でもある。そして、こうしたエネルギーの引き上げを早々とするのは、自己愛的な初心の治療者の特徴である」(小川、92頁)。

1、被告は、「筆者の知るかぎりでは」という一文を削除し、この部分全体が、小川氏の主観であることを隠ぺいしている。

2、被告は、原文の前半を削除することにより、患者の「病理」のみを強調する文章を作り出している。

しかし、前半部分をみればわかるように、そこでは、「病理」ではなく、患者の置かれている状況が、支援を必要とする危機的な状況である、という点を客観的に描いている。

したがって、依存や理想化が起きるのは、「病理」のみならず、患者の客観的状況を原因とする、ということも理解できるようになっている。

被告は意図的に前段を消去し、「病理」のみを強調し、原著者の小川氏の意図をねじ曲げている。

3、小川氏の原文では、続く文章で、初期治療において患者が安定しているかに見えるので安心する場合があるが、これは、「自己愛的な初心の治療者」が起こす誤った判断である、という指摘があるにもかかわらず、被告はこれを消去している。

 

 

【表11

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同上、3頁、下から5〜8行目

しかし、@境界例の患者は、想像を絶するほどに欲求不満耐性が極端になAく、治療者B側(あるいは一般人)からすればほんのささいなことCをきっかけにして、良好Dであった治療関係E破局にF至り、混乱Gが生じることが多いので、細心の注意Hが必要である。

 しかし、@一見すると、こうした良好D治療関係E破局にFいたる時がやってくる。そして、それも一方的に治療者側の不注意とは簡単に言いきれないような何らかの力が作用して、両者の食い違いがあらわになる時期が到来するといって過言ではない。あるクライエントは、面接終了度の退室時に治療者がなにげなく、「ずいぶんとよくなってきましたね」とつぶやいたことがキッカケで、「なにもわかっていない」と憤然となり、以来、治療者に対し、あからさまな陰性感情を抱くようになっている。境界例の人にあって、こうした場合、すばらしい治療者が瞬時に、最悪の治療者へと変貌を遂げてしまうのである。あとは、おきまりの混乱Gである。[以上、92-93頁]。[中略]これは、筆者の経験であるが、治療者側の細心の注意Hのもとにほぼ二年間、良好な状態が続いていた事例があった(93頁)。[中略]この事例について後から子細に検討してみると、その背後には、こうした事件も、実は起こるべくして起こっていたのであった。つまり、心理療法につきものの「しんどさ」がわずかではあるが、内的に増加しつつあった(increasing frustration)のである。それを筆者はどこかで察知していたのではあったが、このクライエントがこうしたものを自己のうちに統合していくことができるとどこかで楽観視していたところがあり、こうしたプロセスこそが面接の意義であると考えていたのである。しかし、よく考えてみれば、こうした発想そのものが神経症水準の人を対象とする考え方である。境界例水準のクライエントは、まさしく想像を絶するほどに、欲求不満耐性が極端になAいということを銘記していなければならなかったのである。治療者Bから見ればほんのささいなことCであっても、それをつまずきの石とせずにクライエントがそれを受けとめ、自分の裡に統合できたときは、そういうことができたことに強い関心を寄せ、できるだけ評価し、こうした能力が自分にあるのだという感覚(self-esteem)をもつことができるようにフィード・バックすることが肝要である。そして、治療初期でのこうした安定した時期が長ければ長いほど、最終的に、心理療法そのものからよい結果を引き出すことができると考える(小川、94頁)。

 被告の文章の問題点は、92頁から94頁にわたる文章から、一部の文言だけを拾い集めて独自の文章を作成した上、これを文献からの「引用」だと主張している点である。

 原文での小川氏の主張のポイントは、次のように整理できる。「想像を絶するほどに、欲求不満耐性が極端にない」という点を治療者が銘記することによって、治療者から見れば、「ささい」なことでも、それを自分の中に統合できた、ということをちゃんと治療者が評価すると、初期治療の安定につながる、と。

 被告のように、「ささい」なことで「混乱」が生じる、ということを強調しているのではない。

小川氏が強調しているのは、「ささい」なことに治療者が気を配ることで、「混乱」にはいたらない、ということである。

 


【表12

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同上、3〜4頁

治療では、往々にして治療者だけが@よいものであり、ほかはすべて邪悪であるというように世界を一方的に分割(分裂機制)してしまうことがある。A このような場合、治療者は、面接が患者のいうままにすべてを受け入れるだけに終始していいのかという疑問を抱くことがある。Bこうした疑問を治療者が少しでも抱き始めると、C患者は、こうした治療者の心情をあらかも見透かすように治療者を同調させようとする。D それに対し、治療者から心の底からの共感と同調が少しでも得られないと、ほとんどの場合、内的破壊感とでもいえるほどの混乱に陥ってしまう。Eこのような場合、治療者は「ほとんどなすすべがない。F」と言われるているほど、治療は困難である。

「ただ、ここでわれわれが留意しなければならないことは、治療者がクライエントを心理的に抱きとめ、その結果、面接場面が快適で、真に安心のできるうつわ(容器)として機能しはじめたとき、往々にして治療者だけ@がよきものとなり、他はすべて邪悪であるというように世界を一方的に分割(分裂機制)してしまうことがある。Aこうした時、治療関係はそこからの絶好の逃避場所になってしまうことがある。このような場合、治療者は、面接がクライエントのいうままにすべてを受け容れるだけに終始してよいのかという疑問を抱くことがある。B治療状況そのものが快の報酬を提供する場になるだけで、はたしてそれでよいのか、という疑問を治療者が少しでも抱き始めるとC、クライエントは、こうした治療者の心情をあたかも見透かすように治療者を同調させようとする。Dつまり、他が絶対邪悪で自分こそが正しいということを治療者が実際の態度や行動で示すことを強要しはじめる[改行・段落変わる]。

 そして、それに対し、治療者からこころの底からの共感と同調が少しでも得られないと、ほとんどの場合、内的崩壊感とでもいえるほどの混乱に陥ってしまう。E彼らは治療者からの真の共感と同調を得るべく治療者を激しく罵倒し、攻撃し、時には暴力を振るうことさえある。こういう状況が出現すると、われわれ治療者は、クライエントのこうした投影性同一視にもとづく攻撃にさらされ続けることになる。そして、ほとんどなすすべがないF。われわれは、ひたすら石の地蔵さんよろしく耐えるしかないのである。治療者はこうした事態が到来しないよう、治療の初期には細心の注意を払ってクライエントの内的動向を克明に読むしかないのである」(小川、9495)

被告は小川氏の意図をねじ曲げて、治療の初期の問題として、「分裂機制」による「混乱」に対して治療者が「ほとんどなすすべがない」という点だけを強調している。しかし小川氏は「投影性同一視にもとづく攻撃」が起きているそのときの(限定的な)状況に対しては、「なすすべがない」、「耐えるしかない」と言っているのである。だからこそ、小川氏は、細心の注意を払って「内的動向を克明に読む」という方法によって、「投影同一視にもとづく攻撃」の持続が起きないようにするしかない、と述べているのである。

 被告は「ほとんどなすすべがない」という部分をあたかも一般的な見解であるかのように「と言われている」などと書いているが、原文を見れば明らかなように、「なすすべがない」というのは、小川氏個人の見解に過ぎない。

 

 

【表13

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同上、4頁

 患者は、治療初期の混乱によってひどく退行し、内的な恐怖状態に陥る。そして、ほとんどの患者は、かつての親密な関係を回復しようと治療者を試し、絶望的な努力をするようになる。@ パニック状態になると、早朝でも深夜でも、ところかまわず治療者に電話しはじめるA患者もいる。このような患者によると、こうした行為に「生きるか死ぬか」の大変な恐慌状態で、自分はいったいどうしたらよいのか、さっぱりわけがわからなくなり、治療者に電話するという。B

「心理療法によって状況のもつ底知れない恐怖から自由になるのではないかという希望のもとに、面接場面ではなんとか平静を保とうとしてきたクライエントも、上記のようなキッカケによって、ひどく退行し、内的な恐慌状態に陥る。そして、ほとんどの人は、かつての親密な関係を回復しようと治療者を試し、絶望的な努力をするようになる。@あるクライエントは、パニック状態になると、早朝でも深夜でも、ところかまわず治療者に電話しはじめる。A彼らによると、こうした行為は、「生きるか死ぬか」の大変な恐慌状態で、自分は一体どうしたらよいか、さっぱりわけがわからなくなり、治療者に電話するという。B」(小川、9596頁)。

 小川氏は、患者の「混乱」による問題が生じないように、治療者がクライエントの内的動向を克明に読むことが重要だ、とすでにこの前段にある「治療初期」の最後の箇所で指摘している。つまり、「キッカケ」が生じない予防策が、この文章の前で示されているのである。

また同氏は、患者の混乱に対して治療者が「耐える」という方法も示している。したがって、小川氏の主張全体から見れば、「治療中期」に関する同氏の見解は、対応策があることを前提としているものである。。

被告側の文章は、「キッカケ」によって退行が生じる、という部分を削除することにより、小川氏の意図を歪曲している。

 

 

【表14

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同上、4頁

 このような時に、治療者が、電話番号を変え@るなどの陰性の逆転移(患者に対して怒り等の感情を抱くこと)を起こすと、患者は敏感にそれを察知し、治療にとって破壊的に作用してしまうA患者は、人工的な治療関係そのものに欺瞞を感じ、真の人間関係の中で癒されたいと強く願いB始める。四六時中治療者のことを考え、治療者が自分に真に向き合ってくれるように、あらゆる機会をとらえてメッセージを送り続ける。C

電話に限らず、境界例の人たちのもつ、こうした一方的な強引さは治療者の独特の逆転移の感情を惹き起こす。ある治療者は、クライエントの再三にわたる電話でカーッとなり、受話器を数台、叩き毀したと述懐している。また、ある治療者は、境界例の人からの電話にでると、イライラが数時間にわたっておさまらず、仕事ができなくなるので、電話番号を変え@、数人の内輪のものにしか知らせていないという。そうした治療者たちに共通している感情は、他者の勝手な思惑によって不本意のままに自分が行動させられる不快感であり、そこからくるいらだちである。また、いくら努力しても、報われないことからくる無力感でもある。そして、こうした感情が積もり積もって、統制できなくなるほどいちじるしくなっても、それをクライエントである相手に直接ぶつけることができないつらさであり、憤りでもある。

治療者のうちには、こうした感情がいつの間にか、無意識裡にクライエントに向かっていることに気づき、それでまた自己嫌悪の情をつのらせている人もいる。いずれにせよ、こうした治療者側の逆転移は治療にとって破壊的に作用してしまうAといって過言ではない。

このような状況になると、クライエントもかなり不安定になり、必死で治療者の真意を把握しようとするようになる。彼らは、治療者が真剣に、また受容的に接しても、それは、心理臨床に携わる人の職業的なポーズであり、技術なのであって、治療者その人の本来的なものではないとみなす。そして「私は、先生の本当の気持ちを知りたいのだ」といって、さらに治療者の私生活の中にまで入り込んで試そうとするようになる。彼らは職業的・専門的な、いってみれば人工的な治療関係そのものに欺瞞を感じ、真の人間関係の中で癒されたいと強く願いBはじめる。そして、朝・昼・夜、それこそ四六時中、治療者のことを考え、治療者が自分に真に向き合ってくれるように、あらゆる機会をとらえてメッセージを送り続けるC」(小川、9697)。

 被告の文書は、原文を大幅に削除し、被告とって都合のよい文言のみをつなぎ合わせた捏造文書である。

小川氏の見解に従えば、電話番号を変えること自体は「陰性の逆転移」ではない。そのような行動の背後にある治療者のこころのありようが「逆転移」である。被告側の文章では、この点が改ざんされている。

次に、小川氏によれば、「治療にとって破壊的」なのは、「治療者側の逆転移」であり、それを患者が敏感に察知することではない。

ところが、被告は、「患者」の心の動きが「治療にとって破壊的」である、という文章をねつ造している。これは小川氏の主張と、正反対の主張である。

 

 

 

【表15

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同上、4頁

 この時期@、患者以上に活発にA自己の裡に出現してくる感覚を真剣に分析・整理し、統合し、成長を続けようとする治療者のひたむきな姿勢が、治療的に大きな意味を持つB。治療者が本格的に自己と取り組むことを通して、治療関係の自己分析とあいまって真にやり抜くことCが必要なのである。

この時期@、もっとも必要なことは、クライエントに強制されてしぶしぶと屈辱的に自分を見つめるのではなく、積極的にそれを活用することであろう。いってみれば、クライエント以上に活発にA自己の裡に出現してくる感覚を真剣に分析・整理し、統合し、成長し続けようとする治療者のひたむきな姿勢が治療的に大きな意味をもつB。筆者は、この時期、本格的に自己と取り組むことを通して、治療関係を自己分析とあいまって真にやり抜くことCによって、治療者は治療者としてでなく、人間として大きく成長すると考えている」(小川、98頁)。

被告側は、原文から「筆者は、〜考えている」という主語を消去することにより、小川氏個人の見解を、あたかも一般論であるかのように読みとれるように改ざんしている。

 

 

 

【表16

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

同上、4〜5頁

C 治療後期、終期

  この時期@にも、さまざまな問題が出現するA境界例の心理療法では、治療を中断ないし終了する場合Bかなり長期間、話し続けてゆく必要があるCまたD次なる局面の問題に向かっていくためには、双方ともしばらく期間をおいて気持ちを入れかえ再出発する儀式も必要であるE

 

  この時期@さまざまな問題が出現するA。境界例の心理療法で最も重要なことは、いったん成立した、境界がないまでに密接な「関係」をどのように解消してゆくかである。ある事例では、治療関係の中断のやむなきにいたった後もクライエントが電話をかけ続け、極めて変則的な関係が持続していた。このような場合、治療者、クライエント双方にとって不運である。また、他の事例では、クライエントの希望で他の治療者へと変更した後も今の治療者に比べ、かつての治療がいかに間違ったものであったかという非難・攻撃をする電話を数年にわたりかけ続けている。境界例の心理療法では、治療を中断ないし終了する場合B、そのことについて、かなり長期間、話し続けてゆく必要があるC。そして、中断にせよ、治療者の変更にせよ、今まで、どのような仕事も双方で行ってきたということを、何回にもわたって確認する作業が必要である。

 またD、彼らが内的に新たな力を獲得して次なる局面の問題に向かってゆくためには、双方ともしばらく期間をおいて気持ちを入れ替え再出発する儀式も必要であるE」(小川、101頁)。

【表14】と同様のやりかたで、被告は小川氏の論文を流用しているに過ぎず、引用ではない。  

原文で小川氏は、治療の中断や終結には一定の方法があると述べている。一つは長期間にわたる話し合い、もう一つは、共同作業を行ってきた、ということを確認する作業である。つまり、そういう確認作業をするのが長期間にわたる、ということでもあろう。

 ところが被告側は、終結には、そういった一定の方法がある、という小川氏の主張を消去した。

 

 

 

【表17

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

<被告準備書面(2)>5頁

 

河合隼雄他編集の「境界例」(乙B3)には、境界性人格障害の治療の困難さについて述べた、次のような記述がある。

「境界例の心理療法では、本人の内的な世界をどんどん深め、完全にやろうとする本人に死がかかってきて実際に死ぬことがある。死なないように本人を現実的な枠で守ろうとすると一見うまくいくようだが、家族に事故や病気、時には死者を出すことを体験した。それらを防ぐ意味でまあまあのレベルでいると、クライエントも治療者もしっくりこない。まさに治療の目的が境界的である。結局、治療者自身も全体のなかに布置されたものとして自分の力量や課題を意識しながら『それでも生きている』ということをやりぬくことなのではないだろうか。」

同上、8716行目

この文章は、東山弘子(当時、奈良大学助教授。現在、佛教大学教授)のものである。「治療の困難さ」は、東山が臨床心理士であるから、このように表現されているのである。したがって、これは精神医療の現場に適用できる話ではなく、精神医療現場一般で認められている見解でもない。

 

 

【表18

被告提出文書名と頁数

被告の引用

被告によって利用された資料の原文及び文献データ

問題点

<被告陳述書>3頁、2021行目

 

河合隼雄先生が「境界例」の中で述べているとおり、人格障害の治療は「まさに治療の目的が境界的」なのです(乙B3)。

東山弘子「学生相談にみる境界例」『境界例』日本評論社、71-87頁の、8745行目よりの引用。

被告は河合隼雄という名前によってこの見解を権威付けようとしている。

第二の問題は、それにより、この見解が、あたかも一般論であるかのような印象を与えようとしているところである。

実際には、大学における学生相談、という極めて制限された場で、投薬や入院という権限を持たず、チームにより支援もない臨床心理士の経験に基づいた「実感」にすぎない。


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