第2期:主治医交代期(95年11月8日〜12月1日)
(1)95年11月以降、主治医がC医師に交代したが、11月8日に父が治療体制の改善を要求するまで、被告医師の面接は依然として週3回と決められていた。父親による治療体制の改善への強い要請をきっかけにして、週2回に減らされているのであり、被告医師自ら治療体制を改善したことはなかった。
C医師のカルテを読むと、被告医師と比較して曖昧な記載が少なく、客観的な分析が行われている。この時期に被告医師が治療から完全に撤退し、C医師中心の治療体制が組まれていれば、最初は幸子も激しく反応したであろうが、やがては被告医師への恋愛性の転移が解消され混乱が解消していった可能性があり、悔やまれるところである。
(2)その後95年11月末に起こした事件により、幸子の強制退院が決まる。退院を主張したのは被告医師であり、後年、被告医師が認めているように、C医師を主治医とする継続入院の可能性もあったにも関わらず、その道を閉ざし、自らが勤務する△△病院への入院を勧めている。しかも退院の際、母が「他院に転院するときには紹介状を書いてもらえるか」と尋ねたところ、「書いてもいいが、幸子さんは私の所に戻ってくる」と脅迫まがいのことを言い、転院して他の主治医のもとで治療を継続するという可能性を閉ざしている。
△△病院は医師の数が少なく、もし幸子が入院すれば、幸子の被告医師への依存は続き、他の医師が少ない分、さらに強化されたであろう。うがった見方をすれば、被告医師は幸子を△△病院に入院させ、他の医師に遠慮することなくさらに濃密な二者関係を構築することを意図していたとさえ類推される。
(3)上記の脅迫まがいの被告医師の発言に脅えた母親、そして、その後同じような発言を聞いた父親は、△△病院への入院を拒否する。だが被告医師は退院と同時に、自分が週一回の外来面接を行うことを決めた。すでに治療が失敗しているのは明らかであり、また逆転移を起こしている被告医師が治療を継続するべきではなかった。
第3期、治療を引き受けたことによって病状の悪化と自殺企図を引き起こした時期(その1):95年12月〜96年1月初旬
(1)そもそも強制退院の時点で、被告医師は治療を引き受けるべきではなかった。もし引き受けるのであれば、それまでの治療の問題点を十二分に検討し、最大の問題点であることが明白な恋愛転移の解消を行うために万全の体制を作った上で、あらためて治療契約を行い、それに幸子と家族の合意を得てから、慎重に行うべきであった。
(2)しかし被告医師はそのような精神科医として常識的な措置を実施しなかった。96年1月6日の渋谷での自殺企図はその帰結である。この自殺企図は、九死に一生を得たものであり、2000年5月のように、実際に死に至っても不思議ではなかった。
その前日の1月5日、被告医師は「内心はともかく、個人的な関係になることない」という、きわめて曖昧で誘惑的なことを幸子に言っており、こうした発言が幸子を混乱させ、翌日の自殺企図のきっかけになったことは明白である。「内心はともかく」というのは、97年以降、被告医師が認めているとおり、この時点でも依然として被告医師の性愛性の逆転移が解消されていなかったことを示唆している。ここからも、被告医師が幸子の治療を引き受けるべきではなかった。
そもそもこういった被告医師の発言が幸子の行動化のきっかけとなり、幸子の自殺企図を招くというパターンは、95年6月以降の経過で明らかであり、事前に予測が可能であった。しかし被告医師は、何ら対策を講じないまま95年12月以降、面接を続け、96年1月5日に至ったのであり、1月5日以前でも、同様の事態に陥る危険性はいつでもあった。
(3)翌96年1月6日、幸子が失踪して捜索が始まると、家族はその旨被告医師に連絡した。その結果、被告医師の指示でA大学病院内で捜索が実施されたようにカルテには記されている。しかし、同日夜、次女が帰宅しようとする被告医師を呼び止め、「お姉さんと一番よく話していたのだから、お姉さんが行きそうな心当たりはないのか」と聞いたが、「勤務時間外であるから答えられない」と言い残して被告医師は帰宅した。
次女は「人殺し」と廊下で叫んだ。つまり被告医師は、幸子が自殺企図を引き起こした面接の担当者であり、長期にわたり治療を継続してきた責任があるのにもかかわらず、幸子が失踪しても、そういった責任に基づいた適切な措置を怠ったのである。
(4)幸子発見後、Q氏から、「主治医に恋愛感情を抱いたことについて、意図して行ったのか、避けるために注意を払ったか」と質問されると被告医師は、「そのようなことを意図することはなく、避けるためには細心の注意を払ったのは事実である」と答えている。まず、「細心の注意」は払われていなかったので、この回答は誤りもしくは虚偽である。すでにみてきたように、95年6月以降、被告医師は、幸子の転移・依存に対して適切な対処をしていない。
そもそも被告医師は「恋人役をやります」と家族に告げているのだから、幸子が「主治医に恋愛感情を抱いた」のは、被告医師が「意図して」おこなったことである。また、「踏み込む」ことを奨励し、自らが幸子の依存の対象となるように「意図して」治療を実施していたことは、カルテから明らかである。したがって、「意図することはなく」という回答が虚偽であることはカルテによっても確認できる。
以上、この時期に被告医師は、自身との面接後、幸子が自殺企図を起こしかねない、ということを認識しながらも、面接を継続し、それまでと同様の曖昧な言動に終始して、自殺企図のきっかけを作り続けた。その上、幸子が失踪した際にも、次女からの支援の要請に適切に対応しなかった。
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