中久喜医師の陳述書(原告側提出:2005年7月26日付)
*以下の中久喜医師による陳述書は、同医師がテープに録音したものを原告側の弁護士が文章化したものである。以下ではさらに、裁判所に提出したものから、固有名詞を削除し、一部省略した。
私は、[中略]精神科医で中久喜と申します。
今回、私の元患者さんでありました幸子さんの診療に関する事項について、裁判所への報告のための質問を池原穀和弁護士、杉浦ひとみ弁護士から受けました。以下、同質問に回答する形で述べていきます。
私が受けました質問事項は以下のとおりですので、まずそれを掲示いたします。
1 幸子さんと先生の出会い
2 当時の幸子さんの状況
(1)どのような言動が見られたか
(2)その状況は医学的にはどのように理解されたか
3 なぜ被告医師とのセッションを開始することになったのか
(1)なぜその必要性があったのか
(2)このようなセッションを持つことはよくあることか、特異なことか
(3)それを開始するときに先生が留意されたこと
(4)幸子さん、桜井医師に特別に指示を与えたことがあれば
4 先生は桜井医師をどのように見ていたか
(1)これまでの幸子さんとの関わりについて
(2)今後の幸子さんとのセッションを通じた関わりの中で桜井医師がとるべき立場について
5 幸子さんに入院をさせなかったことについて
6 桜井医師が幸子さんに「告白」をしたことの意味
(1)桜井医師に逆転移が起こっていたのか(あるいは何らかの医療的判断から特別な言動をあえてとったのか)、逆転移と認められる典型的な言動が桜井医師にあれば指摘してください。また、逆転移と判断される根拠はなんでしょうか。
(2)桜井医師が「告白」したことが、幸子さんの病状・治療に及ぼす影響
7 2000年3月から5月の間
(1)週一回「世間話をする」という桜井医師の申し出は適切なものであったのか
(2)2000年4月ことに幸子さんの状態が改善されたことについてはどのように評価できるか
8 桜井医師と関わらない時期の幸子さんの症状の改善をどう見ることができるか
9 中久喜先生とのセッションの後状態が改善されることの意味はどうか
10 幸子さんが自殺されてしまった原因は、慶応大学病院入院中に桜井医師との治療関係の中で形成された転移・逆転移(これを含めてこの治療関係の問題点を指摘できる医学的に適切な説明概念等がございましたらご指摘・ご説明をお願いします。)が強度の原因力を形成したと考えているのですが、先生のご見解をお示しください。原因力の形成に当たって重要な鍵となる桜井医師の言動や治療上の関わりをご指摘ください。
11 次に、当初の治療関係で与えてしまった原因力を除去するためには、桜井医師は幸子さんの治療に関与すべきではなかったのに関与し続け、また、その関与において原因力を維持、増幅させる働きかけをしたと考えるのですが、この点についての先生のご見解をお示しください。また、そのように考えられる典型的に不適切なあるいは問題のある関わり方とそれによる幸子さんの症状の増悪がればご指摘ください。
12 さらに、幸子さんが自殺を決行されてしまう前に、桜井医師は電話等で再び問題のある対応をし、さらに、先生に適切な連絡や報告をしなかったことが、最後の引き金になったように思われるのですが、先生のご見解をお示しください。また、問題になる言動や報告連絡すべきであった事項を具体的にご指摘ください。
1 幸子さんと先生の出会い
幸子さんは、それまで受けてきた治療に不満を抱かれまして[中略]私のところに来られました。
2 当時の幸子さんの状況
(1)どのような言動が見られたか
私は、幸子さんに過去の病歴、治療歴をお聞きし、同時にその時点での彼女の精神状態を観察いたしました。彼女の気分状態は抑うつでしたが、それまでの主治医から多剤のお薬が処方されていましたので、いわば薬漬けの状態でありました。したがって、全体として活気のない精神状態でした。家ではごろごろと寝ていることが多く、また外界への関心は乏しいようでした。気分は抑うつ状態でしたが、それは、多量のお薬の作用のために、カバーされているような状況でありました。しかし、思考はまとまっており、いわゆる思考障害は、認められず、幻覚や妄想などの精神病症状は認められませんでした。記憶障害や現実検討能力の障害も認められませんでした。
(2)その状況は医学的にはどのように理解されたか
幸子さんのその時点での、病歴をお聞きしたところによる、現在の精神状態から、私の診断は1、うつ病、2、境界例人格障害でした。
3 なぜ桜井医師とのセッションを開始することになったのか
(1)なぜその必要性があったのか
(2)このようなセッションを持つことはよくあることか、特異なことか
わたしの治療開始後、緊急の課題は幸子さんを薬漬けの状態から解放してあげるということでした。薬を漸減し、抗うつ剤と少量の抗不安剤を治療的な範囲で、最低限の量まで減量いたしました。それに伴い、彼女の精神状態は活発になってゆき、ご自分の気持ちや考えを明確に話せるようになってまいりました。それに伴い、彼女の桜井医師に対する感情が未解決のまま残されて、桜井医師の治療が終結されていたということが、ますます明確になってまいりました。
そのため、私との信頼関係が安定してきたところで、いつかは桜井医師との治療終結の作業が必要と考えていた矢先に、幸子さんの友人であったQ氏が直接桜井医師に連絡し、幸子さんが桜井医師に会いたいと言っていること、彼女は彼に見捨てられたと感じて苦しんでいることなどを報告して、強引に彼女との面接を要求されたようであります。
桜井医師はその際、会ってもよいが、主治医であるわたしの判断に任せたい旨のファックスを私に送ってこられました。
私は、桜井医師が幸子さんに会うことに合意したのなら、それを機会に幸子さんと桜井医師との関係の終結の作業をし、これにけじめをつけるのが、彼女の治療を進めていくのに極めて大切であると考えました。
(3)それを開始するときに留意したこと
以上のような経緯から、私は桜井医師に連絡し、3か月程度の期間限定で治療の終結作業を行ってもらうということを伝えました。これは、幸子さんを含めて3者間で相互に了解した次第であります。ただ、条件として、二人の間の終結作業は、各セッションごとに主治医の私に桜井医師から報告してもらうということにいたしました。
(4)幸子さん、桜井医師に特別に指示を与えたことがあったか。
桜井医師は、一応精神療法の訓練を受けておられたようで、慶応大学病院では一流の精神療法家として認められていたようでありますので、精神療法を行う資格をお持ちの、独立した精神療法の資格を持った精神科医として認識いたしましたので、終結作業の意味も技能も理解いただけるという判断をいたしました。そこで、私は、幸子さんと桜井医師に対して、この面接は、治療の終結作業が目標であることを強調して伝えました。お二人ともそれに同意されました。
4 私は桜井医師をどのように見ていたか
(1)これまでの幸子さんとの関わりについて
桜井医師は、幸子さんが平成7年の3月に慶応大学病院に入院して以来、主治医として幸子さんを治療されました。退院後は、済世会中央病院の外来で治療されましたが、幸子さんは自殺企図のために長谷川病院に入院し、そこで治療を受けることになりました。そこを退院されたあと、再び済世会中央病院での外来で、桜井医師の治療を受けておられます。
その後、幸子さんに再び自殺企図があり、長谷川病院への再入院となりましたが、そのあとは幸子さんと桜井医師とのコンタクトはなかったようであります。
(2)今後の幸子さんとのセッションを通じた関わりの中で桜井医師がとるべき立場について
幸子さんと桜井医師との関係は葛藤的であったようでありますが、そのことに関して幸子さんは非常に悩んでおられましたので、私との治療関係を深めてゆくためには、まず桜井医師との関係の終結作業を行うべきでありまして、彼もそれに協力して終結作業を行うべきであったと思います。
5 私が幸子さんを入院させなかったことについて
幸子さんの病気の入院治療が効果的であるためには、かなり高度の技術と知識を持った医療チームが必要でありました。当時の日本の精神医療は、現在もそうですが、そういう医療チームを持った精神病院は、日本には私の知る限りありませんでした。しかし、その中では慶応大学病院の入院治療は、民間病院に比べたら質がよかったと考えられます。それでも、幸子さんの入院中に脱院の企図があったり、自殺企図が繰り返されたのであります。
その次のK病院では、幸子さんは退院させてもらうために状態がよいように主治医に見せかけ、退院をさせてもらい、その退院直後に非常に危険な、真剣な自殺企図を行っております。
このような状況で、このような治療経験のあとに、私は幸子さんを治療をいたしましたが、幸子さんは私の治療を始めるに当たって自殺をしないという約束を行ってくださいました。また、死にたいという気持ちが起こったときは私に連絡をしてくださるという約束もしてくださいました。その約束に従って、彼女は私に、危機の状況のときは電話を下さり、そのたびに私は電話で彼女と話して、自殺をせずに前向きに生活をしていくようにカウンセリングいたしました。
6 桜井医師が幸子さんに「告白」をしたことの意味
(1)桜井医師に逆転移が起こっていたのか(あるいは何らかの医療的判断から特別な言動をあえてとったのか)、逆転移と認められる典型的な言動が桜井医師にあれば指摘してください。また、逆転移と判断される根拠はなんでしょうか。
精神療法を強力に行っておりますと、患者は治療者に対して、いわゆる転移感情を発展することが多くありまして、それと同時に、治療者の側にも強い感情が誘発されることがあります。これを「逆転移」といいますが、幸子さんも桜井医師に対して、初めは陽性の転移、それから次第に陽性と陰性感情の混じった感情を起こしていたと思います。幸子さんの報告では、入院治療において、桜井医師は幸子さんに毎朝毎夕病棟で会ってあいさつし、また、週4回の精神療法のセッションを行っていたようであります。
このような頻繁な面接を、彼は他の患者にはしていなかったということから判断しますと、このごろすでに桜井医師は、幸子さんに対して特別な感情、すなわち逆転移を持っていたと推測されます。彼の議論を読みますと、自殺念慮があり自殺の危険があったので、面接の頻度を多くしたと主張しております。
しかし、境界例の患者さんの入院治療では、むしろ他の患者さんと同じように、同じ頻度と態度で面接をすることが治療的であったと思います。自分が桜井医師の特別の患者であるという感覚を持たせたことは、彼女の恋愛転移を助長したと思わざるをえません。
(2)桜井医師が「告白」したことが、幸子さんの病状・治療に及ぼす影響
幸子さんは、桜井医師が告白するまで、彼からも友人からも、幸子さんの桜井医師に対する恋愛感情は彼女の一方的な感情であるから、狂った感情である、つまり幸子さんがおかしいと判断されていたようであります。しかし、桜井医師が幸子さんに告白したことによって、彼女と彼との間の陽性感情は、彼女の一方的な狂った感情ではなく、二人に共有された、恋愛感情であったことを彼女は発見しまして、彼女の精神状態に、良い効果をもたらしたことは事実のようであります。
ただ、この点は極めて重要でありますが、本来行われるべきであった治療関係の終結のためのモーニングワークには、この状況は大変な逆効果をもたらしました。
平成9年12月27日、12月28日には、二日間にわたって長時間の会話があり、桜井医師は自分の過去の人生について語ったり、幸子さんに対する強い恋愛感情、恋愛感情を表現しております。彼の表現によりますと、「双方向に恋愛(原初的ですが強いエネルギーの)感情はある。しかし、現実の外界の世界では、これは不可能…これを見ないようにしたうえで、治療やお世話をするという形でつながってきたのは現実だと思います。」(カルテの117ページ)。この告白は、二人の間の関係が治療関係ではなく、心理的な恋愛関係に入ったことを意味し、彼は幸子さんにとって治療者ではなく愛人となったわけであります。
12月27日、28日に起こった心理的に深い、そして長時間にわたる電話の会話のあと、桜井医師は幸子さんに、自分が年末年始に彼女が物理的にアクセスできないところに行ってしまうので、電話でコミュニケートできないと宣言したそうであります。ところが、友人から「それはおかしい」と言われ、幸子さんは桜井医師の携帯に電話したところ、それが通じた。つまり、彼は彼女に携帯で連絡できる状況にあったということを彼女は知ることになり、がく然としたということであります。つまり、強烈な恋愛感情を表現したあと、彼女を、彼は短期間にせよ見捨てたということになり、彼女の病理を深めてしまったと言わざるをえません。
こういう一貫しない桜井医師の態度は、幸子さんの心をひどく傷つけ、その体験は、桜井医師との治療関係の中で繰り返されたようであります。事実、桜井医師は平成9年11月12日の私へのファックスで、その日の面接の内容を報告したあと、感想として「本人いわく、桜井医師とのことは、意地になっても中久喜先生には言わないようにしたので、中久喜先生は最初の恋人とのトラウマだと思っているに違いないとのことでした。しかし、本日の面接で、私としては、やはり治療のトラウマが問題だと認めざるをえません。少なくとも、彼とのことが全面にはありましたが、そして、家族関係にも大きな問題があったと記憶します。しかし、その辺は、今の問題ではなくなってしまっている印象です。これまでの治療について、幸子さんと共有していくことはとても必要だと思いました。私にとってもです。」と私にファックスしてきております。
幸子さんは、桜井医師は言葉で愛情を表現したが、感情や態度ではそれを表現せず、そのギャップに悩んでおられるということを、私に報告いたしました。逆に慶応大学病院に入院中は、その逆で、言葉では彼女に対する恋愛感情を完全に否認しておりましたが、行動や態度ではその反対に、彼の恋愛感情を感じ取ることができたので、心が混乱したということであります。
平成9年11月21日の桜井医師の私へのファックスでは、11月19日の面接を振り返り、入院の最初の時期について「どうやらお互い、お互いに、実際の恋愛関係にはならないという理屈の上での確信はあったので、余計に情緒的、いや、お互いに否認しながら、恋愛感情、少なくともそれに近いものを動かしたということは、明らかのように思いました。確かに、幸子さんと私には妙に話の合いすぎるようなところがあり、彼女いわく『会ってはいけない人に会ってしまったような感じがする』ということです…私が彼女に引きつけられたのも確かなことのようです。また、彼女の記憶にある私のせりふもあいまいで、魅惑的、誘惑的なものがありました。」
桜井医師は異性に対して、つまり幸子さんに対しても、恋愛感情を感じると罪悪感を持ってしまうということを告白しております。当然幸子さんに対しても、愛情を感じたり表明したりしますと、それを打ち消したりする行動パターンを繰り返していたと思います。幸子さんはそれを敏感に感じ取り、桜井医師の拒否の態度を感じ取ったときに、関係を中断、または終結、そして、自殺念慮を持ったという精神状態を繰り返しておりました。
平成9年12月17日の面接のことについて、桜井医師は12月18日に私にファックスを送ってきておりますが、その中で彼は、「私はものすごい力で幸子さんを下のほう、つまり無意識のほうから引っ張っておきながら、幸子さんが近づくと、彼女をバッシングするということを繰り返していたように思います。これは非常に重要なことと感じております。全く虐待であると思います。申し訳ないと思います。」と述べております。
6 2000年3月から5月の間
(1)週一回「世間話をする」という桜井医師の申し出は適切なものであったのか
週1回「世間話をする」ということは、元々は幸子さんの提案でありました。当時彼女は彼から見捨てられ、また、彼女が彼を見捨てたという葛藤的な関係が続いていたのを、結婚前に前向きに修復していきたいという考えを持って、彼に電話をしようとしたり、また、M氏や母上様も彼に連絡して彼女に話をしてほしいと訴えておりました。しかし桜井医師は、これらの要請をすべて拒否し続けておりました。この辺の事情は、幸子さんと私との3月21日の面接で話し、彼女は桜井医師との関係を再開し、桜井医師ともども、心の支えにして生活していきたいと申されました。
私は、その関係再開によって幸子さんがまた傷つけられるのを心配し、その旨お伝えしました。そして、この件は次のセッションでもう少し検討しましょうとお話ししました。私が関係再開についてちゅうちょしたこと、疑念を提示したことに対して、幸子さんは強く反応されたご様子で、その後のお電話で「先生の態度が変わった」「大阪で新しい精神科医を探したい」とおっしゃっておりました。
3月28日のセッションでは、幸子さんはこのことについてさらに深くお話ししてくださり、真意を伝えてくださいました。それらは、
1、桜井医師との関係の再開によって、死んでしまっている自分の心を再生させたい。自分の生命力を賦活してくれるのは、ただ一人、桜井医師のみであること。
2、彼との関係は、恋愛関係や医師・患者関係、友人関係とは異なり、自分の生命力と関係がある、深いものであること。
3、確かに過去には、この関係性の中にポジティブな面とネガティブな面とがあったが、ネガティブな面を切り捨て、ポジティブな健康な面を伸ばしていきたいということ。
4、具体的には週1回くらい電話で世間話をすることでよいということ、それが自分の生命のともしびになればよいというような内容でありました。
私は、幸子さんの積極的な、前向きな姿勢に大変感心いたしました。わたしに仲介をしてほしいとおっしゃいましたので、「桜井医師がこれについてどう反応するかわからないが、以上の趣旨をお伝えする」ことを約束いたしました。そして、もし再開されたら、「世間話的な、ソーシャルな話のみをすること、私はこの関係には直接介入しないが、2,3か月ごとにお二人の間の関係性を3人で評価すること」で同意に達しました。
3月29日に私が桜井医師と連絡がつき、幸子さんが私に伝えてくださった上記の趣旨を彼に伝えました。彼は、それでは一応幸子さんとお会いしたいと申されました。
3月31日に彼から連絡があり、彼が幸子さんとその日にゆっくり電話でお話しできたこと、幸子さんが以前お話ししていたころと全く変わっておられたこと、お二人の間の和解ということで、幸子さんには問題がないということなので、彼もそれならOKということでした。
その後、幸子さんと桜井医師のお二人の間で電話やメールの交換があったようです。
(2)2000年4月ことに幸子さんの状態が改善されたことについてはどのように評価できるか
幸子さんのご要請に桜井医師が応じ、関係を再開したことにより、同年に、4月以降、それまで凍りついていた幸子さんの心が解け始め、それが再び動きだし、幸子さんの新しい生活が始まったと解釈することができます。彼女は再び日常の活動を開始し、バイオリンを弾くことができるようになり[中略]全体に活発になられました。将来の計画についてもプランを立て始めました。
7 桜井医師と関わらない時期の幸子さんの症状の改善をどう見ることができるか
桜井医師によって、関係終結の宣言を彼女は受け止めることができました。それまでに、私との治療関係が信頼のおける安定したのとなっていたことが受け皿になったからだと思います。私との治療の中で、彼女は、それまでの彼との関係をレビューし、また生活においても、前向きの姿勢で活動、行動しました。ヨーロッパにも一人で旅行し、そこで知り合ったM氏との関係を深め、ついに婚約するに至りました。
病状の改善は、桜井医師との神経症的な関係から自由になったことと関連していると思われ、思います。
8 中久喜先生とのセッションの後状態が改善されることの意味はどうか
私の面接では、幸子さんの日常生活において体験した気持ちを言語化していただき、感情を表現できるような、環境をわたしは作りました。私は、彼女の感情に共感し、そして幸子さんの心の中にある健康な自我を尊重して、それにアピールしてその成長の促進をさせるような治療関係を維持してまいりました。私の一貫した共感的、理解的な態度は、動揺しやすい彼女の心を安定化するのに貢献したと思います。
9 幸子さんが自殺されてしまった原因は、慶応大学病院入院中に桜井医師との治療関係の中で形成された転移・逆転移(これを含めてこの治療関係の問題点を指摘できる医学的に適切な説明概念等がございましたらご指摘・ご説明をお願いします。)が強度の原因力を形成したと考えているのですが、先生のご見解をお示しください。原因力の形成に当たって重要な鍵となる桜井医師の言動や治療上の関わりをご指摘ください。
1997年11月の幸子さんと桜井医師との関係の再開において、二人は慶応大学病院入院時の体験をレビューしております。そこで彼は、そのときも、まだ彼女が入院しておりましたときも、彼女に対して恋愛感情を持っていたことを、告白しております。つまり、幸子さんの桜井医師に対する恋愛転移と同時に、桜井医師も幸子さんに対して恋愛逆転移を起こし、その転移・逆転移の相互交流は、その後の治療に大きな影響を与えることになりました。
桜井医師は、わたし、私へのファックスで述べておりますように、当時の治療関係をレビューすることは、幸子さんにとっても、また彼自身にとっても重要であることを認めております。それに、彼女が大学に在学中に体験した二人のボーイフレンドの喪失体験や、彼女の家族との関係の病理を超えた深いものがそこにはあり、彼と彼女との治療関係は、彼女の心の外傷体験になったことを認めております。
外傷ということについては、説明しますと、桜井医師は異性に対して、ことに幸子さんに対して恋愛感情を持ちますと、それについて罪悪感を持つということが関係していると思います。つまり、強力な愛着のあと、意識的、無意識的にその密着関係を切断するという言行を示したということです。それは1997年に関係が再開されたあとにも繰り返され、そのための傷と怒りのために、彼女は何度もその関係を中断しようと思ったのであります。また、そのたびに抑うつ感と自殺念慮は強まりました。
1997年から98年までのセッションでは、しばしば面接時間が数時間の長さに及び、セッションのあと状態が悪化して、ご家族が同伴して彼女を家に連れて帰ることが多くありました。彼は、長時間の面接を、彼女の自殺念慮を解消するための必死の努力の結果だと述べておりますが、この自殺念慮は面接中の彼の言行によって引き起こされたのであります。
同様のことが、慶応大学病院入院中にも、面接の中で起こったことが容易に推察されますし、また、彼の入院治療の要約の中にも、それが述べられております。
彼の精神療法、技法は、古典的な精神分析理論に基づいたもののようで、週4回自由連想、つまり患者の心に浮かんだことを何でも話し、治療者は中立的な態度をとるという形を持って行われたようであります。
境界例にはこのような方法、精神療法による治療効果はなく、むしろ逆効果になるということは、当時の精神医学では常識になっておりました。つまり、治療者が中立的な態度をとっていると、患者は治療者に対していろいろな空想を持つようになり、当然理想化、恋愛転移、脱価値化などの転移を持ってきます。神経症の患者の治療の場合には、このような転移に耐えうる健康な自我を患者は持っているので、これを徹底操作、またワークスルーすることができますが、境界例の場合は、自我に脆弱なところがあり、感情が衝動的に行動に表れてしまいます。
したがって、境界例の治療では、転移の発展を最小限にとどめ、現実の「今、ここで」、here and nowの感情、思考、行動、を吟味し、共感したり直面化したりして、患者の感情を統合していくという治療作業が必要であります。
時間的、空間的に彼は「治療構造」を提供しましたが、治療内容は全く治療的枠のないもので、しかも彼の意識的、無意識的感情は、彼の行動を通じて彼女に、伝わっていたと考えられます。それは、彼のあいまいな、誘惑的な、ともとれる言語の表現となって表れております。彼女の入院治療中、彼が幸子さんに対して特別扱い、つまり彼女を彼の特別な患者にしたということは、彼女の恋愛感情を増幅したと考えられます。
10 次に、当初の治療関係で与えてしまった原因力を除去するためには、桜井医師は幸子さんの治療に関与すべきではなかったのに関与し続け、また、その関与において原因力を維持、増幅させる働きかけをしたと考えるのですが、この点についての先生のご見解をお示しください。また、そのように考えられる典型的に不適切なあるいは問題のある関わり方とそれによる幸子さんの症状の増悪がればご指摘ください。
私が幸子さんの治療中に、桜井医師との面接が再開され、その第2回のセッションの1997年11月17日に、彼は彼女に、実は彼女が 慶応大学病院入院中も、またそのときも、彼女に対して恋愛感情があると告白しました。関係の終結を目的とすべき作業で、この告白は全く反治療的なものでありました。それによって二人の間の関係は、幸子さんの一方的な恋愛感情から、相互交流的な恋愛関係に入ってしまったのです。そのため、二人の関係を3か月で強制的に終結することは不可能となりました。3か月という制約は、幸子さんの気持ちをさらに傷つけることになると判断されたからです。
その関係はさらにエスカレートし、同年11月27日から28日にわたる、長時間に及ぶ、電話を通しての会話となりました。ところが、そういう密着のあと、彼は再び彼女を行動的に拒絶するということをしたのであります。このことは上に述べたとおりでありますが、これは慶応大学病院における治療、また済世会中央病院の外来での治療における密着―拒絶、見捨ての繰り返しであったのです。彼女はこれによって絶望的になりました。
その年末年始のころ、私は休暇を取ってアメリカにおりましたので、彼女は私に長い文のファックスを送ってくださいました。私はそれに反応して、彼女に国際電話をいたしました。もし私のサポートがなかったら、彼女はそこで、自殺してしまったかもわかりません。このようなことは何度も繰り返され、そのたびに幸子さんの心は、傷つけられたのであります。
11 さらに、幸子さんが自殺を決行されてしまう前に、桜井医師は電話等で再び問題のある対応をし、さらに、先生に適切な連絡や報告をしなかったことが、最後の引き金になったように思われるのですが、先生のご見解をお示しください。また、問題になる言動や報告連絡すべきであった事項を具体的にご指摘ください。
2000年4月に関係が再開されて、幸子さんが自殺された5月2日までの間、彼が実際に幸子さんを面接で会われたのは1回だけのようです。しかし、電話とメールでお二人はコミュニケーションを続けられていたようです。この1か月の間の二人の間の交流は「お茶飲み話」ということでしたので、第1回目の関係再開のときのように、私は直接的な介入はいたしませんでした。そして、2,3か月ごとに二人の間の関係を吟味、評価しようということで、彼との関係が再開されました。したがって、桜井医師からの連絡はなく、お二人の間のコミュニケーションの内容は、私にはわかりませんでした。
しかし、5月1日の彼女の自殺未遂は、彼とは直接関係はなかったにしろ、彼女は、彼の彼女へのその日のメールに、ひどく心が傷ついたと記しておりまして、その傷ついた状態は続いているとファックスに書いてあります。そして、彼の責任回避的で誠実さの感じられない態度を批判しております。
5月2日に桜井医師からもファックスが私に、話したいという要請がありました。私が彼女にこのファックスを送り、桜井医師と話してよいかの許可をもらおうとしましたら、彼女からそれはしないでほしいという要請があり、その辺の事情は電話で話したいということでした。その5月2日は、私のスケジュールがぎっしり詰まっておりましたが、午後5時半から6時までの30分間が空いておりましたので、そのときお話ししましょうというメッセージを彼女にお送りしました。
5時半にお電話がないので、幸子さんの携帯電話にメッセージを入れました。5,6分たってもご返事がないので、またお電話しましたが、今度はお出になり、「ちょっと待ってください」と言われました。そのまま数分お待ちしましたがお出にならないので、M様にお電話し、私の時間が6時までしかないので、幸子さんとお話ししたいと申しましたら、幸子さんがお出になりました。それが5時45分ごろかと思います。幸子さんは、それまで桜井医師と電話でお話ししていたと申され、桜井医師が友人としてコミットしてくれないので、それについてお話しをしていたということでした。
私は、桜井医師が友人としてコミットしないのはおかしいので、幸子さんと桜井医師との間の友人としての関係性を明確に再定義されたらどうでしょうかとお話ししました。というのは、幸子さんがこの関係を再開されたときの条件は、週に1度ぐらい桜井医師と世間話をするということでしたので、幸子さんのニーズが少し変わってこられたからと思ったからです。そして、その再定義された関係の枠組みの中で、幸子さんのニーズを満たすために、その関係性を治療的に利用させていただくことにされてはどうでしょうかとお話ししました。彼女は、いつごろ彼と交渉したらよいかと質問されましたので、「現在は関係性がhotな状況なので、少し冷却期間を置き、連休明けの月曜日、5月8日に交渉されてはどうでしょう」と申し上げました。幸子さんはそれを納得されたようで、お気持ちもリラックスされたように感じました。
これが幸子さんと私との最後の会話になったわけであります。これは短い会話でしたが、彼女はリラックスしていたようにみえ、自殺念慮を持っているような緊迫した感情を私は感知しませんでした。しかしそのあと、また彼女と桜井医師との、との間で電話の話し合いがあったようです。その内容を私は全く知りません。その電話のあと、彼女は自殺を決行いたしました。彼女は何も遺書を残さず、また、M氏の在宅中にその行動を起こしたということは、その自殺行動が極めて衝動的であったことと推測されます。桜井医師との電話での会話が自殺の引き金となった可能性は大きいと思います。
以上で私の報告を終わらせていただきます。
2005年7月26日 N
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