母親の尋問調書
事件:平成15年(ワ)第2331号
期日:平成18年3月27日 午前10:00〜午後17時00分
東京地方裁判所 民事第35部 703号法廷
氏名 年齢 住所
---------------------------------------------------------------------------
裁判長(官 金井康雄)は、宣誓の趣旨を説明し、本人が虚偽の陳述をした場合の制裁を告げ、別紙宣誓書を読み上げさせてその誓いをさせた。
宣誓 良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います。
-------------------------------------------------------------------
被告代理人(古谷弁護士)
甲A第1号証の1を示す
234頁の真ん中から下のところなんですけど、「妹は私とは全く違った扱いを父母からうけた」と、「私は98点の成績をとってくると、何故100点とらなかったかと叱られた」と、何度か90何点の成績をとってキッチンで土下座して母に謝ったことがある、ほめられたことはない」と、「妹は60点の成績をとってくると、まあ50点よりはよいとほめられた」という記載が、これはN先生のカルテにあるんですが、事実として、こういうことってあったんですか。
[母親]いや、私は覚えておりませんし、これ少しオーバーなことが書いてあるんじゃないかなっていう気がします。ただ、妹の場合は、先程も父親が申しましたように、交通事故に遭って脳の障害が、ちょっと記憶のほうがよくないってことで大目に見てたところありますけれども、そういうことはないと思います。
(古谷弁護士)同じ甲A1の1の29頁の上に、「DrNG(東横病院)よりTel、昨日くすりのんだらしく、今朝おきないので、母が部屋にいったらねていたので東横病院にはこばれた、ディープスリープの状態」と。これは平成9年4月14日の記事ですね。
[母親]はい。
(古谷弁護士)平成9年2月から中久喜医師にかかってたということですね。
[母親]そうですね、はい。
(古谷弁護士)その2ケ月後ですが、こういうことってあったんですか。あったか、なかったかでいいです。ありましたか。
[母親]はい、多少ありました。
(古谷弁護士)同じ甲A1の1の25頁の上に、これは4月6日の記事ですが、「3つの新しい現象が過去2週間にあった」と。@として、「限られた空間に一人でいるのがこわい、Aとして、「夜こわい夢を見て、こわくなった時母のふとんにもぐりこんだ」、「Bこの間(一日だけ)幻聴があった」と、こういう記載があるんですが、こういったことは聞いたことがありますか。
[母親]はい、あります。よく私の布団に入って寝たこともあります。覚えております。
(古谷弁護士)幻聴があったということは聞いたことがありますか。
[母親]ありません。
(古谷弁護士)同じ頁の下から3行目か4行目、「母には甘えられない、家の中では甘えられない(ずっと模範生だったこと、甘えていなかったこと)」こういう記載もあるんですが、こういうことってありますか。
[母親]いや、私はそういうことはないと思います。
(古谷弁護士)同じ28頁、一番上ですが、「この間、仕事にいったとき、すごくうつになりQさんに電話した、誰も信用できないと、僕のこともか?ときくので、そうだといった」と。こういうことってありましたですね。
[母親]僕のことって。
(古谷弁護士)それはQさんのことですが、そういうようなやりとりを幸子さんがQさんとしてたということは知ってますか。
[母親]知りません。連絡はとってたことはあります。
(古谷弁護士)同じく甲A1の1の55頁、これは同じ平成9年8月のことで、下から14行目ぐらいのところ、「仕事には沢山applyしているが今迄反応がない」と、「最近はだんだんとdepressになり方向を見失ってしまった、20、21日はもうhopelessになり首吊り自殺をはかった」と、こういうことはあったんですかね。
[母親]私、覚えておりません。
(古谷弁護士)乙A第1号証を示す
9の2というのも同じ平成9年10月2日、「具合悪い。「死にたい」といって、10月1日には中久キ先生にお礼をいって死にたいーと言っていた」と。これは武田病院のカルテで、中久喜先生以外のHD先生という方が書いたみたいですけど。
[母親]私はHD先生も何も存じません。
(古谷弁護士)当時、幸子さんがこういうようなことを言ってたということは知りませんか。
[母親]知りません。
(古谷弁護士)その下ですけど、10月5日、「父母、友人(MrQ)来院。本人の自殺念慮強く危険な状態。入院を家族が希望。八王子の飛鳥病院を紹介」と。こういうことがあったんではないですか。
[母親]それは、はい、覚えております。
(古谷弁護士)それで入院されたんですか。
[母親]たしか1日ですぐ退院したと思います。
(古谷弁護士)同じ8の2、9月10日のところで、「仕事を探している。なかなか仕事が見つからない」と。当時も仕事を探してらしたわけですね。
[母親]幸子でございますか。ええ、と思います。
(古谷弁護士)今お聞きしたのは平成9年の9月、10月ですけど、その後に、11月からまた桜井医師との面接って始まりましたよね。
[母親]はい。
(古谷弁護士)それが11年4月まで続いたんですが。
[母親]はい。
(古谷弁護士)甲B第1号証の1を示す
47頁の下から9行目のところですが、これは平成11年4月から平成12年9月までのことで、「接骨院での勤務や春日でのレッスン、発表会に向けての練習、そして発表会での演奏」と、当時、幸子さんはこういったことをやっていらしたわけですか。
[母親]そうですね、すごく前向きになったと思います。
(古谷弁護士)この年の8月に10日ぐらい、ヨーロッパに1人で旅行されたんですか。
[母親]はい、そうです。
(古谷弁護士)そのヨーロッパの旅行でMさんという方と知り合って、9月の末ぐらいに婚約されたんですか。
[母親]9月の終わりか、そうだと思います。はっきり日にち分かりませんけど。
(古谷弁護士)10月から事実上結婚生活に入られたということですね。
[母親]いえ、結婚生活はその明くる年の1月からです。
(古谷弁護士)何か事実婚というような言い方がMさんの陳述書に出てきたんで。ああ、そうですか。じゃあ、実際的に一緒に生活したのとはまた違う。
もう平成11年の年末には、翌年の5月13日に披露宴と決まってたんですか。
[母親]そのところの経緯はちょっと分かりませんけれども、それに準備していた面もあります。
(古谷弁護士)さっきお母さんがおっしゃったように、年が明けて1月からは大阪で本格的にお二人でお住みになったということですか。
[母親]はい、そうです。
(古谷弁護士)お母さんの陳述書なんかを見ると、大阪から帰ってきたら、何かのろけ話みたいな話をされてたと。
[母親]ああ、そうですね。非常に仲がよかったと思います。
(古谷弁護士)幸子さんとMさんがという意味ですか。
[母親]はい、そうです。
(古谷弁護士)慶応病院を平成7年12月に退院になりましたですね。
[母親]はい。
(古谷弁護士)お母さんの陳述書なんかを拝見すると、どうも転院をするとしたら桜井医師がいない病院がよいと考えていたということでしたよね。
[母親]はい、そうです。
(古谷弁護士)なぜ桜井医師がいない病院へ転院というのを具体的に進められなかったんですか。つまり、桜井医師への通院がその後始まりましたですよね。
[母親]はい。
(古谷弁護士)そうじゃなくて、桜井医師のいない他の病院に通うとか、あるいは転院するとか、そういうことをお考えになったんですよね。
[母親]はい、考えました。
(古谷弁護士)それはどうして実現できなかったんでしょうか。
[母親]それは、幸子さんの執着が、桜井医師に対する執着が強いのと、桜井医師が、どこの病院へ行かれても自分のところに戻ってきますよって言われたこともあります。だけれども、やっぱり執着がひどくて、ほかの病院をあきらめざるを得なかったという状況にありました。
(古谷弁護士)桜井医師が大泉病院に勤務してたんですかね。
[母親]そうですね。
(古谷弁護士)外勤みたいに。
[母親]はい、そうだと思います。ご自分がそこの病院のほうが融通がきくからぜひということを言われましたよ。何回も言われました。
(古谷弁護士)桜井医師と全く関係ない病院というのを探されたことはあるんですか。
[母親]あります。
(古谷弁護士)例えばどういう病院ですか。
[母親]まず考えたのは、聖マリアンナ病院が自宅から近いっていうことで、そこの先生に紹介状を書いていただけますかって聞きました。そうしたら、そんな病院、役に立ちませんよって言われて、あきらめたということもありますし、またほかの病院も探した。東京大学病院も探したんじゃないかと思います。
(古谷弁護士)ほかの病院に変わることができなかったのは、やっぱり幸子さんの執着ということですか。
[母親]はい、そう。もうそれがどうしようもなかったです。
(古谷弁護士)それが大きかったと。
[母親]大きかったですね。やっぱり人質にとられたっていう。
(古谷弁護士)お母さんとかお父さんとか、あるいは当時、Qさんという方もいらっしゃったと思うんですけど、皆さんで桜井医師と全然無関係な病院に連れていくとか、あるいは入院させるということは考えられなかったですか。
[母親]はい、それは私の願望でした。でも、どうしても幸子の、それほど執着がひどかったということなんです。
(古谷弁護士)平成9年2月から中久喜先生にかかってたと。
[母親]はい。
(古谷弁護士)2月、中久喜先生にかかった段階で、中久喜先生とお会いになってますか。
[母親]会っております。
(古谷弁護士)そのときに慶応大学病院のときの病状とかを全部話してますか。
[母親]幸子から話がいってると思います。
(古谷弁護士)お母さんのことをお聞きしてるんですけど、お母さんがN先生に最初に会ったとき。
[母親]いえ、それはちょっと私、覚えておりません。
(古谷弁護士)平成9年2月から古谷先生にかかってるんですけど、その当時、お母さんご自身が古谷先生にお会いになったことはあるんでしょう。
[母親]会ったことはあると、はっきり覚えてないですが、会ってると思います。
(古谷護士)中久喜先生に最初に会ったときに、これまでの経緯というのはご説明になってるわけでしょう。
[母親]それはちょっと私も定かではなくて、幸子から話したんじゃないかと思いますけれども。ちょっとよく覚えてないんです。
(古谷弁護士)桜井医師と接触すると必ず具合が悪くなって自殺の危険性が高まるんだよということを、お母さんから中久喜先生に話したことはありますか。
[母親]私はよく覚えておりません。
(古谷弁護士)平成9年2月から中久喜先生の診察が始まって、平成12年5月にお亡くなりになるんですけど、お父さん、お母さんと中久喜先生というのは、定期的に面接をされてたんですか。
[母親]それは緊急というか、そういうことも何回かあるかもしれませんけれども、中久喜先生は必ず幸子の了解を得ないとお話をなさらないので、あんまりコンタクトはとってないと思います。
(古谷弁護士)平成9年11月に、例のモーニングワークというのが始まりましたよね。
[母親]はい。
(古谷弁護士)このとき、お母さんとしては、本当は桜井医師が関与することは避けたかったわけですよね。
[母親]はい。
(古谷弁護士)ただ、お母さんの陳述書を見ると、とりあえず命を救う方法が見当たらなかったというようにおっしゃってますね。
[母親]はい。
(古谷弁護士)平成9年11月当時、幸子さんはそれだけ危険的な状態だったんですか。
[母親]ちょっとそのこともよく記憶にございません。
(古谷弁護士)いわゆる済世会中央病院の第2セッションが始まっていったわけですけど、桜井医師と再会したことによって容態が悪くなっていったわけですかね。
[母親]うん、悪くなったと思います。
(古谷弁護士)それで心配されたんですね。
[母親]はい。
(古谷弁護士)それを中久喜先生に相談されたということはないんですか。
[母親]…ファックスしたか、そういうことは多少あったと思います。
(古谷弁護士)お亡くなりになった年の12年3月、陳述書にお書きになってますけど、桜井医師に電話をされたんですよね。
[母親]はい。
(古谷弁護士)幸子の病気をよくするためにという一心で、要するに接触してくれという電話をされたんですよね。
[母親]はい、一応お願いしました。
(古谷弁護士)当時の幸子さんの状態というのは、いわゆる生命に危機があったという状態でしたか。
[母親]何かMさんのほうから入院しなきゃというので、状態が悪いのかなっていうのと、あんまり大阪の状態はちょっと分からない部分があったので、はっきり覚えておりません。
(古谷弁護士)桜井医師からは断られたんですよね。
[母親]そのように記憶しております。
(古谷弁護士)断られた後、その後心配じゃなかったですか。
[母親]…。
(古谷弁護士)つまり、病気をよくするという一心で電話したけど、桜井医師は会わないよと言われたわけでしょう。そうしたら心配になったんじゃ。
[母親]そのときの経緯はよく覚えておりません。
(古谷弁護士)平成9年5月1日、大阪で幸子さんが、たしか注射針か何か刺して、それは妹さんがたまたま行ってて分かって、それで、妹さんからはいつお聞きになったんですか。
[母親]それは自宅に帰ったときに、桜井医師と接触したってこととかそういうことを話しました。
(古谷護士)それですごく心配になったんですか。
[母親]そうです。桜井医師とそのように接触してってことを知らなかったので、そのとき本当にびっくりして、これは大変だということで、また再度、次女を大阪に行かせるようにしてた矢先のことで亡くなりました。
(古谷弁護士)5月1日に次女さんからお聞きになって、中久喜医師には連絡しましたか。
[母親]いや、そのときは私はしていないような気がします。私はしてないと思います。
(古谷弁護士)5月1日とか5月2日、中久喜医師からご両親には連絡がありましたか。
[母親]私もそのときはもう何かこう、いろんなことがあり過ぎて、正直なところ、記憶がないんです。申しわけございません。
---------------------------------------------------------------------------------------------------
原告代理人(杉浦弁護士)
乙B第8号証及び甲B第10号証を示す
乙B8号証末尾の年表がありまして、「幼少期よりうつ状態になりやすく自殺企図あり、中学3年時刃物を持ち出したことがある」という記載があります。甲B10号証の写真、@、A、Bと、年齢ごとに振っておりますけれども、中学3年生といいますと、3番目が1987年で14歳、中学校の二、三年の頃なんですけれども、この頃の幸子さんというのはどのようなお嬢さんでしたか。
[母親]この写真は、この頃はもうオーケストラに入っておりまして、割と演奏とかバイオリンに熱中しているときだと思います。
(杉浦弁護士)性格的には明るいと。
[母親]はい、明るくて、落語とかそういうのが大好きで、よく人を笑わせておりました。
(杉浦弁護士)Cは、ちょっと訂正なんですけど、写真の日付が82年9月30日になっておりますが、これは着ている衣類からも分かりますように、日付の誤記でして、高校の冬というのが正しいので、大体その頃というふうに訂正していただきたいと思います。Cの高校生くらいの頃も、うつ状態になるというような。
[母親]それはもう全然ないと。
(杉浦弁護士)なかったですか。
[母親]はい。
(杉浦護士)恋人役という治療のお話が何度か出てきておりますけれども、お母さんのほうで、この恋人役という治療方針について聞かれたことがありますか。
[母親]私は直接には聞いてないんですけれども、主人と次女から、恋人役をやりますということを聞いたって、そういうことを言ったってことを私は聞きました。それはいつも食事をしているときの今日の話題というか、そういう話をしておりまして、その席で聞いたと思います。
(杉浦弁護士)お父さんからは直接、さっき桜井医師から聞かれたときの状況を話されたんですけども、次女の涼子さんはこのお話を聞かれたときのことを家庭でどんなふうに話しておられたか、記憶がありますか。
[母親]何かはっきり覚えてないですけども、幸子の見舞いに行った帰りに、帰り際に、何か僕が恋人役をやりますっていうことを言われたってことを話しておりました。
(杉浦弁護士)お母さんは、そのときには特に違和感はなかったですか。
[母親]私は、精神的なそういう知識がなくて、ああ、そういう療法もあるのかなと思って、別に、それで治れば、治していただけるんなら、それは…。
(杉浦弁護士)いいかと思われたと。
[母親]はい。
(杉浦弁護士)お母さんのほうが病院関係者に、この恋人役のことを、桜井医師以外の方に問いただされたとか、あるいは質問されたということがありますか。
[母親]あります。
(杉浦弁護士)それはどなたにですか。
[母親]それは婦長さんです。
(杉浦弁護士)いつ頃聞かれましたか。
[母親]9月の中頃かと。はっきり分かりませんけれども、婦長さんにお聞きいたしました。
(杉浦弁護士)9月というと、95年ですか。
[母親]1995年でしょうか。
(杉浦弁護士)平成7年ですね。
[母親]はい。
(杉浦弁護士)なぜ婦長さんにそのようなことを聞かれることになったんですか。
[母親]9月頃、半ば頃、非常に幸子の状態が悪くなりまして、家族と話をしなくなったりして、私たちのほうに向かなくて、何せ先生、先生って言うのが多かったので、どういうことなのだろうと思って、婦長さんにお聞きいたしました。
(杉浦弁護士)先程、お父さんの供述の中でも出てまいりましたけれども、この頃、幸子さんが桜井医師に対する執着が激しくなって、ご家族の中でもそれが問題になっていたということですか。
[母親]はい、そうです。
(杉浦弁護士)甲B第12号証を示す
9頁、一番上のところに、「先生が一時的に恋人役をやってくれたんだ、○○くんのことも軽くすんだ」というのは、これはいつ頃書かれたんですか。
[母親]それは入院した年の夏を過ぎた頃だと思います。
(杉浦弁護士)恋人役という方法で、前の。
[母親]その治療がうまくいって、○○君のことが、別れが軽く済んだというふうに思ったので書きとめたのだと思います。
(杉浦弁護士)お母さんとしては、幸子さんと桜井医師との関係について、桜井医師に何か質問されたことがありますか。
[母親]はい。幸子が余りにも先生、先生って言うのと、結婚できたらいいなとか、何かそういうことを言って、ちょっと分からないから先生に、困ったなという意味で、幸子がこういうことを言うんですよっていうことを先生に聞きました。
(杉浦弁護士)桜井医師に、もっと端的に、何か質問されたことはありましたか。
[母親]はい。そういうことを言いましたら、結婚なんて言うもんですから、医者と患者の結婚なんてあり得ないですというお話でした。でも、その後に続いて、世界に1例とか2例はあるんですよっていうお話をされました。
(杉浦弁護士)その1例か2例あるという付加された言葉というのは、皆無ですよという、全くないですよという例示として聞かれたんですか、それ以外の受け取り方をされましたか。
[母親]何かそのときは、はっきりないっておっしゃればいいのに、そういうことを言われるということはどういうことなんだろうというふうに、何か疑問に思いました。
(杉浦弁護士)通常、医者と患者の間ですと、医者が親切にしてくれるのは通常の医療の中でも仕事上のことであって、患者がそれゆえ結婚とかっていうことを思うということは、親としたら、恐らくかなり差し引いて考えると思うんですね。
[母親]はい。
(杉浦弁護士)それを、結婚ってことがあり得るのかなとお母さんが思われたというのは、何かそれまでに事情があったんですか。
[母親]そう。思い返してみると、幸子がそういう、幸子の話だと何か、幸子さんはトイレに行かないような人ですねとか、ご両親のところにお嫁に下さいって言ったらご両親もびっくりするだろうなっていうようなことも幸子から聞いたのと、また私自身も、幸子が入院してから、僕は何かネクタイを変えるような気持ちになりましたみたいなことを言われたのと、いろんなことを思い浮かべまして、いろんなことがありまして、そういうことを、1例か2例あるっていうのがひっかかったわけです。
(杉浦弁護士)そうすると、親として娘の言うことを差し引いて考えても、桜井医師が幸子さんに行為を寄せていたのではないだろうかというふうに疑ってしまっていらしたということですか。
[母親]はい、そうです。
(杉浦弁護士)桜井医師から治療方針のことについて、直接お母さんが何か話を聞かれたことがありますか。
[母親]はい。千鳥ケ淵の後だと思いますけれども、父親主導の治療から母親主導に変えるということと、あと、私と桜井医師との間で、私を教育するっていうか、そういうこととか、あと、幸子を甘やかすっていうようなことを言われたことを覚えております。
(杉浦弁護士)その後に、お父さんと次女さんから、恋人役をやるというような治療方法を間接的に聞かれたわけですね。
[母親]はい、そうです。
(杉浦弁護士)それ以外に桜井医師から、治療のことについて、あるいは治療方法のことについて、お母さんが直接聞かれたことはありますか。
[母親]それはありません。
(杉浦弁護士)治療方針について桜井医師が悩まされているとか、そういったことはありませんでしたか。
[母親]はい、それはあります。
(杉浦弁護士)それはいつ頃ですか。
[母親]それは9月の中旬か下旬だと思いますけれども、病室で私と、ほかの患者さんいたかどうか分かりませんけれども、幸子はいなかったと思います。そのときに桜井医師が、どうしていいか、もう分からなくなってしまったということと、もううちに帰ってもそのことばかり考えてる、どうしていいか分からないっていうことを聞きました。
(杉浦弁護士)そのときに、お母さんとしてはどのような思いになられたんですか。
[母親]私は、本当に先生のことを信頼して、治していただけるものと信じてここまできたのに、今さらそんなことを言われて、狼狽したというか、これから先どうしようと思いました。
(杉浦弁護士)その後、慶応病院の退院ということがあるわけなんですけれども、このときに桜井医師のいないところへ転院するという方向が選べなかったということなんですけど、幸子さんの執着が強かったというふうに言われてましたけれども、桜井医師のほうからも、転院しても意味がないとか、また戻ってくるとか、そういったことが言われたわけですか。
[母親]はい、そうです。
(杉浦弁護士)そのことはお母さんやお父さんの決断には影響を与えましたか。
[母親]やっぱり大泉病院に行かせるってことは、よくなることはあり得ない。桜井医師に聞いたら、もうそこに行っても二、三ヶ月で皆さん退院してますよっていう話がありましたけれども、やはりそこに入れるということは、状態が非常によくなることはあり得ないということで、大泉病院のほうは私は最初から考えておりませんでした。
(杉浦弁護士)Qさんとの関係のことについてですが、Qさんと幸子さんはいつ頃からお知り合いでしたか。
[母親]幸子が中学2年の頃だと思います。
(杉浦弁護士)どういう関係でお知り合いになられたんですか。
[母親]幸子も小さい頃からバイオリン習っておりまして、Qさんと幸子は同じ先生についてたので、兄弟弟子でございます。
(杉浦弁護士)Qさんはこの入院されてからの一件についてかなり深くかかわっていらっしゃるんですけれども、幸子さんがQさんを頼られるという、そういった信頼関係が持たれるような深い付き合いになられたのはいつ頃からですか。
[母親]それは、渋谷の自殺未遂の件の後でございます。
(杉浦弁護士)幸子さんはQさんのことを頼っていたという様子が見られますか。
[母親]はい。家族とはあんまり、切り離されて、会話も少なくなったので、幸子はQさんを信頼して、私たちに言えないようなことを全部報告していたと思います。
(杉浦弁護士)Qさんはどうして幸子さんの心を開くことができたというふうに思われますか。
[母親]Qさんは、不登校の子供の勉強を見たりとか、阪神の大震災のときに何回も神戸に運ばれて、子供の心のケアのことなんかもかなりやってらっしゃいましたので、そういうことについては知識も豊富であったので、私も安心してQさんにはいろんな話をいたしました。そういう知識があったってことです。
(杉浦弁護士)Qさんがかかわってくださって以降は、幸子さんはQさんにいろんなことをご相談されて、ご家族のほうはQさんから間接的に幸子の状況を聞かれてるという状況ですか。
[母親]はい、そうですね。中のパイプ役というか、そういうことをしていただきました。
(杉浦弁護士)そうすると、Qさんは幸子さんのことに関してはかなり詳しくいろんなことをご存じだと。
[母親]はい。もう私たちの知らないことも、幸子は全部Qさんには話していると思います。
(杉浦弁護士)甲B第13号証を示す
6頁目、被告先生と書かれた頁なんですけれども、恋人役のことについてということも書かれております。これはどういうときにQさんがメモをとられたものか、お母さんはご存じですか。
[母親]はい。これはきっと渋谷の事件の後だと思うんですけれども、私がQさんに恋人役のことを、こういうことが、療法としてるって言われるんだけど、どうなんだろうかっていうことでQさんに話しましたら、いや、そんなことはないと思うけど、でも分からないから、じゃ2人で聞きに行こうって言って、2人で慶応大学病院に行ったときの話だと思います。
(杉浦弁護士)これは被告先生に会って話をされたときのことということですか。
[母親]はい、私は外で待っておりましたけれども、Qさんは病室に入って桜井医師と話をしたと思います。
(杉浦弁護士)このときは、恋人役というのは治療としてうまくいってた時期ですか、それとも、もうお母さんが案じられるような状態に。
[母親]いや。これはもうとても悪くなって、だめだって、だめになったときの話だと思います。
(杉浦弁護士)時期的にはいつ頃になりますか。
[母親]96年の1月ですね。
(杉浦弁護士)年明けてからなんですね。
[母親]はい。
(Y弁護士)ここをざっと今見ていただきましたけど、お母さんはQさんからこの頁のような内容の報告は受けられておりますか。
[母親]はい、受けております。
(杉浦弁護士)反対尋問の中にあったことなんですけれども、幸子さんは非常に勝気といいますか、明るくて勝気で正義感が強いということは陳述書の中にも書いてあるんですれども、そのことについて、子供としての負担というのもあるかもしれませんかれども、それを励みにして頑張っていらっしゃったというようなことはありますでしょうか。
[母親]うん、それはあります。
(杉浦弁護士)感じられることがありましたか。
[母親]はい。
(杉浦弁護士)例えば何かありますか。前向きに彼女が頑張ってるというようなことがあらわれてた。
[母親]うん。やっぱり受験のときも、普通だったらバイオリンをやめるのに、バイオリンも頑張って、やめないで頑張ってましたし、そのことは後日、あのときやめないで、お母さん、バイオリン続けてよかったっていうことを話してくれました。
(杉浦弁護士)そういうことに対してご両親は、頑張ったねとか、あるいは、あなたはできるのよというような励ましとか、そういう具体的なことは。
[母親]はい。私もうれしかったし、やめなくてよかったねっていうことで、私もやっぱり続けさせてよかったっていう思いでいっぱいでした。
(杉浦弁護士)甲B第12号証を示す
17頁の記載なんですけれども、「2/月後半、2/16金曜日〜」と、それから後、その4行目あたりに、「自宅から見た北」とか書いてありますけど、これはどういったことで書かれたメモですか。
[母親]これはきっと軽井沢の事件の後だと思ったんですね。それで、そのときに主治医を探すということがありまして、やっぱり本当に悪くて、もうこれからどうなるんだろうってことで、やっぱりだれかに北の方角のほうの先生がいいとか、もしあったら何月何日にそこに行く日がいいとか、何かそういうことを、たしかだれかに占ってもらったんじゃないかなと思います。もう本当に何か、そういう感じです。
(杉浦弁護士)この手帳自体は95年に使われてたものだけではなくて、それ以降のことも書かれてるということですね。
[母親]はい。私はまたちゃんと、ちょっとそういうところがルーズなもんで、何かもうきちんとしたことができなくて適当にこう、それ以降も書いたとか、もう年に、その年だけっていうことじゃないと思います。
(杉浦弁護士)そうすると、この頃にはかなり悪くなられていて、占いにもすがりつきたい思いだったということですか。
[母親]もう本当に神にも、本当にそういう気持ちでいっぱいの日々だったと思います。
[母親]次の18頁、「お母さんごめんね」というようなことを書いてあるんですけども、これはどういったものでしょうか。
(杉浦弁護士)これは亡くなってからすぐのことだと思います。私は幸子に会いたくて、そういう霊感の強い人に会いたいと思って行ったときのことだと思います。そのときに幸子からのメッセージが、お母さん泣いてばっかりいて病気になるからっていうメッセージで、それを私が書きとめたんだと思います。
(杉浦弁護士)口寄せといいますか、そんなふうに。
[母親]そういうことまではいかないんですけど、あの子に会いたいために行ったときの手帳です。
(杉浦弁護士)幸子さんの入院から、最後、亡くなるに至るまでなんですけども、お母さんとしては、この間のことについて、感想としてはどのように思っていらっしゃいますか。
[母親]やっぱり、幸子が亡くなりましてから、もうすぐ6年になりますけれども、いまだに納骨もできず、部屋もまだそのままの状態です。やっぱり可能性をいっぱい持ってる子供でした。それが桜井医師の、振り回されたというか、翻弄されたというか、よく治療のことは分かりませんけれども、それで苦しみ続けて、こういう形で終わってしまったことに非常に、本人はもちろん、家族ももちろん、無念さを感じます。
---------------------------------------------------------------------------------------
原告代理人(池原弁護士)
桜井医師の精神療法、治療を受けに行くと、行く前よりも行った後のほうが具合が悪くなるというようなことがありましたか。
[母親]はい。最初、私、カウンセリングとは。
(池原弁護士)あったかないかでいいですよ。あったですか。
[母親]ありました。
(池原弁護士)済世会中央病院に通院してたわけですよね。
[母親]はい。
(池原弁護士)大体、済世会中央病院にはご自宅から1人で行かれたの。
[母親]行くときは1人で行っておりました。
(池原弁護士)途中で具合が悪くなって、お母さんが迎えに行かなければいけないということが何回かありましたか。
[母親]もうそれは数え切れないほどございました。
(X弁護士)乙A第7号証を示す
済生会でのセッションのときの記録なんですけれども、182頁の下から5行目に「母上来院」という記載がありますね。
[母親]はい。
(池原弁護士)これは1月6日のセッションというか診療日のことについての記載のようなんですが、結局、行くときは1人で行かれて、帰りはお母さんが迎えに行くというパターンですね。
[母親]はい。
(池原弁護士)同じく乙A7の190頁から見ますと、2月17日のセッションについてですが、191頁の一番上の行を見ると「pm7 母上迎えに来る」と書いてありますね。これも通院して、行くときは1人で行けたけれども帰りは1人では帰ってこれない状態で、迎えに行かれたということですね。
[母親]はい、そうです。
(池原弁護士)同じく197頁、3月10日のセッションに関してですけれども、真ん中のあたりのところに「母Telして迎えに来てもらう。」という記載がありますね。これもやはり通院、行くときは1人で病院まで行けるけれども、帰りは1人では帰ってこれないという状態になっていたということですか。
[母親]はい、そうです。
(池原弁護士)今のは一例ですけれども、こういうことは何回もあったと。
[母親]それは数え切れないほどございました。
(池原弁護士)ご家族の目から見ると、お医者さんに行く前は1人でお医者さんまで行けて、もちろん病気ですから全く元気ということはないでしょうけど、1人で行けるんだけれども、帰りは単独では帰ってこれないと。
[母親]はい。
(池原弁護士)そういうことが、何か具合が悪くなってるなというふうな印象を深めてるところになりますか。
[母親]はい、そうです。
-----------------------------------------------------------------------------
原告代理人(杉浦弁護士)
先程、幸子さんの中学生時代の頃の性格あるいは生活について伺いましたけれども、高校、大学生と進む頃に、幸子さんはどんな性格だったんでしょうか。性格といいますか、お友達との付き合いとか。
[母親]先程、陳述書にいろいろ書いてますけど、ほかの一面としては、何か本当に落語とか、爆笑問題ですかね、あれが大好きで、あと、つぶやきシローの物まねが大好きな子でした。自分でもそういう、つぶやきシローの物まねをしてることがよくありまして、みんなを笑わせてました。
(杉浦弁護士)そういう快活な面があったわけですね。
[母親]はい。それが大好きでした。夜中もよく笑って。
(杉浦弁護士)妹さんなんかともそんなことは。
[母親]そうですね、私も一緒というか、お母さんも一緒に見ようとか言って、よく。人を笑わせることが好きな子でした。
----------------------------------------------------------------------------------
被告代理人(池尾弁護士)
甲A第1号証の1を示す
213頁、中久喜先生のところのカルテで、前の頁を見ますと、平成11年、99年6月6日なんですけれども、ここのところで幸子さんが中久喜先生から高校時代はどうだったか聞かれて「何も感情がなかった、バイオリンひくのも機械的の様だった、大学に入ってボーイフレンドができてから感情を感じるようになった」というふうにおっしゃっているんですが、お母様はこういうような状態だったということに気づいていらっしゃいましたか。
[母親]いえ、それは私は気づいておりません。
----------------------------------------------------------------------------------
裁判官(小川卓逸)
甲B第12号証を示す
9頁、先程の、先生が一時的に恋人役をやってくれたんだという部分なんですが、こちらは幸子さんがA大学病院に入院されていた平成7年の夏頃にお書きになられたということでよろしいでしょうか。
[母親]はい、そうです。
[裁判官・小川]こちらの記載は被告先生に質問したいことをお書きになられたというお話でしたが、被告先生から聞かれたことをお書きになったということはないですか。
[母親]そういうことも書きとめてることもあると思います。
[裁判官・小川]どれが事前に書いてて、どれが後から書きとったかということは、もう今はちょっと記憶がないということですか。
[母親]そうですね。先程の、一時的に恋人役をやってくれたんで軽く済んだということは、自分の気持ちというか、それを書きとめたんだと思います。
[裁判官・小川]お母さん自身のお気持ちを書きとめられたということですか。
[母親]はい。
--------------------------------------------------------------------------------------
裁判官(坂庭)
陳述書を拝見いたしますと、慶応大学病院入院中は幸子さんの病名が何であったのかは一切説明がなかったとの記載があるんですけれども、あなたが一番最初に幸子さんの病名を知ったのはいつのことになるんでしょうか。
[母親]最初にはっきりした病名を知ったのは長谷川病院に入院したときです。そのときに、原医師からボーダーラインということを初めて聞きました。
[裁判官・坂庭]うつ病だという話は聞いたことがございますか。
[母親]うつ状態ということは聞きました。
[裁判官・坂庭]乙A第1号証を示す
慶応大学病院のカルテですけれども、64頁、上から5行目のところに「病状について(MT)」、説明というふうに書いてあるかと思うんですけれども、書かれてまして、これは千鳥ケ淵での自殺未遂の直後の頃の記載かと思うんですけれども、このような説明があったという記憶はありますでしょうか。
[母親]ありません。
[裁判官・坂庭]恋人役という点について、慶応大学病院に入院中に桜井医師から、あくまで医師としての付き合いはするけれども、恋人のようなことはできないんだというようなお話を受けたことというのはあったでしょうか。
[母親]それはありません。
[裁判官・坂庭]乙A1の187頁の6行目から、平成7年9月19日のことかと思いますけれども、「母つきそい、本人。」という記載、見つかりますでしょうか。
[母親]はい。
[裁判官・坂庭]ちょっと字がはっきりしなくてよく読めないところもあるんですけれども、内容としましては、お母様にご説明をしたというような内容が書かれているかのように見えるんですけれども、先程の「母つきそい、本人。」というところの4行下、「(Drが(当然なのだが)医者としてのつき合いしかできぬと言ったのに対してPtがふられたと反応したこと)につき(本人も交えて)報告。」という記載がありますけれども、このような報告をあなたは受けたことはありますか。
[母親]覚えておりません。
[裁判官・坂庭]先程、慶応大学病院を退院された後に大泉病院に入院することはちょっと考えられないというようなお話をされていましたけれども、そのように判断された理由というのを簡単にご説明いただけますでしょうか。
[母親]桜井医師の執着がひどいので、そこへまた行かせるってことはちょっと、素人判断ですけれども、私としては考えられませんでした。
[裁判官・坂庭]大泉病院には桜井医師がいるからということになりますか。
[母親]はい。
以上
精神科医を訴えるTOP