原告準備書面2と被告側準備書面(3)の対照表

注1)以下、一部省略、あるいは仮名にした箇所がある。
注2)この原告側準備書面2は、従来の原告側の主張をコンパクトにまとめよ、という裁判官からの指示をうけて作成された。そのため、被告側に対する全面的な反論、というかたちをとっていない。

原告側準備書面2
2005年7月27日付



平成15年(×)第○○○○号 損害賠償請求事件

準 備 書 面 平成17年7月27日

東京地方裁判所民事35部合A1係 御中

原告訴訟代理人弁護士


被告側準備書面(3)
2005926日付


平成15年(×)第○○○○号 損害賠償請求事件

準 備 書 面(3) 平成17年9月26日

東京地方裁判所民事35部合A1係 御中

被告訴訟代理人弁護士

1 本件で極めて重要なことは、被告と幸子は、第5期a−3の治療関係を終結した平成11年4月6日から平成12年3月30日まで、幸子からの電話連絡が2回(平成12年1月に婚約したことを報告する電話、3月中旬に再度連絡を取り合うことを要望する電話)あったことを除いては、一切接触していないことである。
 第5期a−3の治療関係は、平成11年4月5日に終結したが、その後、幸子は、自殺には至らずに約1年を乗り越えている。そして、幸子は、原告が「N医師の治療下で被告との関係が中断されていた間、・・・自殺未遂を起こしたことはなかった。同人は健康さを取り戻しつつあり、希死念慮も消退していた。」と述べ、N医師も、「被告医師によって、関係終結の宣言を彼女は受け止めることができました」「病状の改善は、被告医師との神経症的な関係から自由になったことと関連していると思われます」と述べているとおり、治療関係中断の間、もはや被告がいなくても問題ないレベルまで改善し、転移も解消していた(ただし、後述5(8)に記載した、幸子が本来有していた根本的な問題は解決されないままであった。)。
 平成12年3月、幸子と再度連絡を取り合うことを被告が了解したのは、当時の幸子の状態を最も熟知していたN医師の指示によるものであった。
 その後、幸子は、「愛してくれなければ死ぬ」という言動も一切取らず、淡々と過去を懐かしんでいたが、4月27日、突如「死にたい」と言い始め、5月1日に自殺企図(ただし、この自殺企図は被告と「全く」関係ないと、幸子自身N医師に説明している)、翌日2日にも自殺企図を行い、3日に死亡している。
 5月2日、幸子は、電話で、被告に対し、「私を助けてほしい。毎週水曜日に、2時間、私と友人として話をしてほしい。1日1日私が生きていけるようにして欲しい。」と要求した。被告は、主治医は他におり、責任ある立場にあるわけでもないのに、友人としてこのような約束をすることはできなかったため、「治療としてでなければ、そのようなことはできません。」と返答した。
 原告は、このときの電話がきっかけとなって、幸子が自殺を図ったと述べているが、それは到底考えられない。
 なぜなら、幸子は、上記のように被告がいなくても十分耐えられるレベルに改善していたこと、平成11年4月の全面的な治療関係終結にも耐え、その後症状を改善させていた幸子が、「治療関係でなければできない」という被告の返答(しかも、5月7日には二人でこの件について話し合うことになっていた)ゆえに致命的な自殺を図ったとは考えられないこと、幸子が2日連続して自殺を図ったのは、被告が知る限り初めてのことであり、幸子は以前と比較にならないほど堅い自殺の決意をしていたと思われるが、5月1日の自殺企図のあと、幸子自身、N医師らに対し、当該自殺企図は被告とは関係がない旨話していたこと、等の事実に鑑みれば、幸子の自殺は被告とは何ら関係がない、他の理由に基づくものと考えることが自然だからである。
 このように、幸子の自殺は、被告とは何ら関係なく行われたと考えざるを得ないが、以下、原告の主張に沿って、被告の反論・主張を行う。

1 被告が故幸子に植え付けた病的転移症状

1 故幸子の病的転移症状とその致死性

  故幸子は被告に対して病的な性愛性転移を生じていた。被告も平成7年8月頃には故幸子が被告に対して性愛性転移を引き起こしていた事実を認めている(被告 準備書面2、11頁等)。また、故幸子に生じていた被告に対する性愛性転移は極めて危険なものであり、適切にその転移症状を解消せずに見捨てられ感を与え てしまうと自殺を引き起こす危険性が高いものであった。被告も故幸子が「『振り向いてくれなければ死ぬ』『恋愛以外の人間関係は受け付けない。恋愛が成就 しなければ死ぬ』という極めて危険な性質の転移を持っている」ことを認識していた(同準備書面11頁)。

2 本件以前の状況

(1) 幸子は、平成6年8月頃から死にたいと思うようになり、同年9月、○○医大付属病院精神科を受診した。同年12月には、幸子の症状は悪化し、死にたいと思う気持ちが強くなり、自殺企図を行うようになったため、同年3月3日にA大学病院を受診、翌日入院となった。

(2) 幸子には、大量服薬で自殺した祖母がいる。また、カルテには、「母(原告)はpt(幸子)が中2の頃にはよく家で『死にたい』を連発していたという 家庭の中には何かあると『死にたい』という空気が流れていたようである と妹はいう」「何かあれば『死にたい』という発想は家庭の中で根づいていたのであった」(乙A1・95p)という記述もある。

3 幸子の病状について
(1) 幸子の人格障害には、通常の境界性人格障害とは異なる、特異な特徴があった。

(2) 幸子は、常に「すばらしい自分」を演じ、トップを走り続けることによって認められ愛されることができるという生き方しか知らなかったが、大学に入ってからできたボーイフレンドとの関係で、初めて無償の愛情を知り、その結果として、家族に対して強い不信感を抱くようになった。表面的には「いい子」にしているが適応過剰で、A大学病院入院当時は、既に修復が極めて困難な状態にあった。

(3) 幸子と家族の間に問題があることは、当初から表面化していたものの、平成7年5月17日に致死的な自殺企図を行った頃から、問題の根深さは、ますます明らかになっていた。

(4) 平成7年5月17日、幸子は、自殺企図を窺わせるような言動を一切することなく、突然致死的な自殺企図を引き起こした。自殺企図の場所は、元ボーイフレンドとの思い出の場所である千鳥が淵であった。その直前、幸子は、両親に電話をかけている。
 自殺企図後、幸子、被告を含む医師2名、看護師、原告(母)で面接を行ったが、幸子自身、自殺企図の原因をきちんと説明することができなかった。
 自殺企図当時の幸子は、平素の活動的な幸子とは別人のようであり、治療者側は、「人格が2つあるような感じ」、「一つは、社会に適応できる人格、もう一方は取り残されてしまった子どものままの人格で、後者が突然出てきて死にたいといって今回のようなことが起こる」などという評価を行っている。
 この頃から、幸子が、自殺企図を予測するのが極めて困難な患者であること、通常の境界例には見られない、極めて危険な特徴を有していることが、だんだんと明らかになっていった。

(5) 上記自殺企図の直後、被告は、当時研修医だったA医師をメインの主治医とするのは不適切であると考え、経験豊富で境界例の治療歴を多数有している被告がメインの主治医となるとともに、複数の医師及び看護師らからなる大がかりな治療体制を整えた。

(6) その結果、5月の時点では「今までに人に頼ったことがない」と述べ、いきなり自殺企図に走っていた幸子が、被告に対しては信頼を持ち始めるようになり、いきなりの自殺企図というのではなく、言葉で表現することができるようになり、信頼−不信の間を揺れ動くようになった(いきなりの自殺企図に比べれば、改善である)この傾向は、被告が知る限り、N医師の下での第1回の面接が終了する平成11年4月まで続いていた。

(7) 幸子の人格障害は、以下のような状況下で発症したものと思われる。
 幸子は、幼い頃から両親の期待を一身に受けて育ったが、強くてオールマイティな自分は両親から愛してもらうことができても、無力で弱い自分は愛してもらえないと感じていた。そのため、無力で弱い自分を抑圧するよう努力していたが、その一方で、抑圧した自分をわかってくれない家族を、信用しないようになっていった(家族への不信の言葉は、カルテに多数記載されている。)。
 幸子は愛情に飢えていたが、過去、幸子の愛情が満たされたのは、恋人関係を通してのみであったため、幸子が信じられる愛情は、ただ「恋愛感情としての愛情」だけとなり、「親子の愛情」「人間愛」等に対しては「そんなものは愛情とは言えない」という反応を示すようになってしまった。
 根本的に他者を信じることができない幸子は、「恋愛感情としての愛情」が満たされなければ死を企図するほどの絶望に陥り、被告に対する転移も、「振り向いてくれなければ死ぬ」(そして、実際に致死的な自殺企図を行う)という、通常の恋愛関係ではない異常な心理状態(極めて危険な転移の形)を取ったのである。

(8) 幸子の病状は、単に被告に対する転移を解消すれば改善するというような単純なものではなかった。
 幸子の最大の問題点は、他者に対する信頼の欠如にあったが、他の人間関係との希薄化の結果として、治療者である被告に対する強い転移が生じたいのであり、根本的な問題である他者に対する信頼を回復しなければ、幸子の病状を改善することは全く不可能だったのである。
 家族は、以前の“いい子”の幸子に戻ることを願っていたと思われるが、仮に以前の状態に戻ったとしても、なんら問題の解決にはならないことは明らかであった。
 しかし、家族は、「そういう話は聞きたくない」「今さら(教育方法を)変えるわけにはいかない」(乙A1・108p)と述べるなど、幸子に真正面から向き合おうとせず、幸子の被告へのすがりつきをますます強める結果となったのである。

(9) 幸子の治療が困難であることは、N医師も、「幸子さんの病気の入院治療が効果的であるためには、かなり高度の技術と知識を持った医療チームが必要でありました。」「そういう医療チームを持った精神病院は、日本には私の知る限りありませんでした。」(甲B3)と述べているとおりである。

4 転移とその原因について
(1) 入院当初から平成7年8月頃まで、幸子の関心はもっぱら元ボーイフレンドとの関係修復に向けられており(「どうしても彼のことを考えてしまうと・・・死にたいような気持ちになってしまう」(乙A1・26−1p)、「やっぱりとにかく死にたい。もちろん死ぬときは確実な方法で、遺書とかももう書いあるし・・・結局は最後の救いであった彼が取り戻せず・・・死ぬ前に一度あの彼と話をしてみたい気はする・・・やっぱりどうしても死ぬということが前提にあってそれをただ単に先延ばしにしている感じ。」(乙A1・33p)「やっぱり一番今大事なのは彼。」(乙A1・135p)という幸子の言葉や、平成7年5月17日に自殺企図を行った場所が元ボーイフレンドとの思い出の場所であったことなどからもわかるとおり、当時、幸子の最後の救いは、元ボーイフレンドであった)、被告に対しては信頼感や依存心を抱いてはいるものの、真剣な恋愛感情を告白することはなかった。

(2) 幸子は、元ボーイフレンドとの関係を再構築しようと、同人と面会することを強く希望し続け(ただし、被告は、母親に、慎重に検討するようアドバイスしている。)、平成7年8月13日に面会したが、あえなく拒絶されてしまい、それ以上同人にすがりつくことは不可能となってしまった。
 幸子は、面会後、「死にたいとかそういう気持ちは、彼に会った時点でストップしちゃっている。自分の気持ちが何もわいて出てこない。不安になるくらい出てこない」(乙A・160)と述べたり、幻聴(乙A・161p)や胸の苦しさ(乙A1・163p)を訴えるなど、元ボーイフレンドとの破局に強い精神的打撃を受けていた。
 その直後から、幸子は、唯一自分に手を差し伸べている被告に対してしがみつくようになり、9月3日、被告に対し、「患者でなくなったら個人的な関係を持ちたい」(乙A1・167p)と述べるようになった。
 これは、根本的には両親、表面的には元ボーイフレンドに振り向いてもらいたいという強い感情が、元ボーイフレンドから拒絶されたり両親とのコミュニケーションが改善されなかったりした結果、頼れるのはもはや被告のみとなってしまい、極めて強い転移となって被告に集中したためと考えられる。
 原告は、被告が曖昧な態度を取ったなどと主張しているが、そのような事実はない。被告は、当初から、幸子の恋愛感情は受け入れられない旨はっきり明言している。このことは、その直後の9月5日、幸子が、大量服薬のためにため込んでいた薬をトイレに捨てるという事件を起こしたことからも明白である(これは被告の『恋愛感情は受け入れない』という言葉が、明確に幸子に伝わっていたことを示している。)。

(3) 幸子の転移は、「振り向いてくれなければ死ぬ」「恋愛以外の人間関係は受け付けない、恋愛が成就しなければ死ぬ」という、極めて危険な性質を有するものであった。それに加えて、上記恋愛転移は極めて強いものであり、幸子は被告が繰り返し拒絶しても決して諦めようとせず、恋愛感情の要求は執拗に繰り返された。

 しかも、幸子は、被告の微妙なそぶり、ちょっとした発言をいちいち取り上げては精神的な動揺を来すなどしており、幸子の治療は非常な困難を極めたのである。

(4) 以上の経過からしても、幸子の「転移」が、すがれそうな第三者には必死でしがみついてくるという幸子自身の強い依存傾向の現れであること、被告が「転移の植え付け」をした結果などではないことは、明らかである。

(5) また、原告は、被告が「恋人役」になるという治療方法を採ることなどにより「転移」が植え付けられたという主張をしているが、そのような事実は一切ないことは、これまで再三述べてきたとおりである。

1 故幸子に病的転移症状を生じさせた原因

1. 治療構造の無視
 故幸子の被告に対する病的転移症状が形成された原因の第一は、被告が故幸子に対する治療に当たって適切な「治療構造」を明確に設定しなかった点である。 治療構造は治療関係の土台となり、医師・患者間の安定した境界を定める重要な枠組みであり、患者に生じる転移と医師に生じる逆転移現象を分析可能な状態に 保ち、患者が転移症状を脱して現実検討能力を取り戻し回復してゆくために不可欠な治療上の基本的な枠組みである(訴状11頁なし14頁)。

 被告は、故幸子には自殺の危険性が高かったので治療構造を厳守するのが困難なことが多かったと弁明するが(被告準備書面(1)9頁)、被告は一般論とし てさまざまな治療構造がありうることを述べるものの、故幸子に対していかなる治療構造を設定したのか、特に主治医となる被告自身に向けられるであろう転移 と自らが巻き込まれる危険性のある逆転移を適切にコントロールし適切に回避しあるいは当該現象を脱して本来の治療目標に到達するために治療構造にどのよう に配慮をしたのか、それを実際の治療の中でどのように維持して行ったのかについて具体的な弁明はない。

 被告は故幸子に自殺企図を生じる場合があったので治療構造を厳守できなかったとも述べるが、これは被告が当初の治療構造の構築に失敗し、故幸子との関係 が抜き差しならない転移・逆転移関係に巻き込まれてしまった結果生じたものであり、N医師その他の故幸子の治療に関与した治療者との関係では面接を枠組み 内で終了させることで自殺の危険性が高まるような危惧が生じることはなかった。

1. 被告による転移の植え付け

 故幸子の被告に対する病的転移症状が形成された原因の第二は、被告が故幸子に対して「恋人役」となり、積極的に故幸子の依存・転移の対象となる方法を採用した点である。
 被告はそのような言動をした事実を否認するが、原告ら家族は被告からそのように言われ、主治医が恋人役をやるなどということが適切なのか訝っていたので あり、被告の故幸子に対する他の患者とは異なった特別な対応ぶりや事後的にではあるがN医師やQ氏、M氏などに被告が故幸子に対して恋愛感情を持っていた ことを告白した事実から見ても、被告が積極的に故幸子の恋人相手を買って出て、当初はあるいは被告自らが故幸子の依存の対象となり心理的支えを形成する意 図であったのかもしれないが、結果的には自己と故幸子との関係を適切にコントロールすることが不可能な事態にまで至ってしまったものである。



5 治療構造について

(1) 再々主張してきているように、被告は、できる限り治療構造を守っていた。
 ただ、人格障害の患者の場合は、治療構造を最後まで保持できる事例は極端に少ないし、治療構造を強固に守り続けることによって、患者の何かが圧殺され、傷つくことが予想されると言われているほどなのである(乙B3)。

(2) 5月17日以前は、被告(指導医)とA医師(研修医)が主治医であったが、メインの主治医はA医師であった。
 5月17日以降は、被告がメインの主治医となると同時に、研修医のA医師とB医師、担当看護士、病棟婦長などからなる治療体制を整えた(当時、このような治療体制が整えられるのは珍しいことであり、これだけとってみても、幸子の治療がいかに困難であったかがわかる。)。
 被告は、毎週4回、1回あたり50分の面接を行っており、かなり厳密に枠組みを守っていた(時間を延長した時には、必ずカルテにその旨記載があるところを見ても、被告が時間枠をできる限り守っていたことがわかる。)
 その他、スタッフとミーティングや申し送りを持ったり、カルテにできるだけ詳細な記入をするなど、情報の共有に努めた。
 なお、被告は、他の患者についても、同じような頻度で面接を行ったことがあり、幸子のみを特別扱いしていたわけではない。

(3) B中央に通院していた時期も、主治医(G医師)のマネージメントの下、毎週1回(ただし、G医師の指示により、面接しない週もあった。)、1回あたり50〜60分の面接という治療構造を守っていた。

(4) N医師が主治医であった第5期a−3に行われた面接は、週2回であり、水曜日は基本的に1時間、。土曜日は30分の面接を行っていた。ただ、危険なときには、2〜3時間の面接を行うこともあり、深夜に及ぶことも稀にあった。その他に、月曜日、火曜日、金曜日に電話をしていた。
 ただ、上記の頻度の面接、電話は、N医師の了解の下に行われたことである。
 さらに、面接の回数や時間、電話が増えたのは、幸子を生命の危険から守るために最小限度必要だったからである。この時期は、希死念慮をその回の面接で解消すること、または、危険でないレベルまで下げることを優先せざるを得ない状況が続いていたが、このような状況を知りながら、N医師は入院に消極的であり、入院という手段を取らなかった。そのため、被告は、面接や電話で幸子を危険な状態から救う必要があったのである。

(5) 被告がやむなく面接時間を延長するなどしたのは、幸子に生命の危険が切迫していた時である。
 今すぐに自殺すると述べ、実際に自殺の可能性が高い状態にある幸子について、面接を切り上げて放り出すべきだったのか、それとも被告のように面接時間を延長して自殺を思いとどまるよう説得すべきだったのか、その後に予想される結果を考えれば、被告が後者を選んだことが適切であったことは明白である。
 さらに、原告は、面接を時間どおりに終了することができなかった場合があったことを原因として転移が発生したという趣旨の主張をしているが、そうではなく、転移が発生し、幸子が「愛してくれなければ死ぬ」という態度を示すという事態が発生したために、面接を時間どおりに終了することができなかったのである。
 また、N医師も、危機的状況の時には幸子からの電話を受け、カウンセリングをしている(乙B3・6p等)ことからもわかるとおり、被告が電話でカウンセリングをしたことは、何ら非難されるべきことではない。

(6) さらに、被告は、幸子がA大学病院に入院している間は、精神分析療法を行う他、日常的に、主治医として病棟を巡回する仕事を担っていた。巡回の際には、当然、幸子と顔を合わせて挨拶をしたり、調子を聞いたりすることもあったが、これは病院に勤務する精神科医の通常業務であり、精神分析療法の他に幸子と顔を合わせる機会があったことについて、非難されるいわれはまったくない。

1. 被告自身の逆転移
 被告は自らが逆転移によって故幸子との間の適切な治療関係を維持できなくなった事実を否定しているが、被告はQ氏、M氏に自らが故幸子に対して恋愛感情 を抱いてしまっていたことを告白している。また、N医師に対する被告のレポートにおいても、被告は「たしかに私の方は(幸子さんと同じくらいの大きさだと 思う;むしろそちらが幸子さんを振り回したと感じている)「恋愛感情」(非常に原初的な感情)を向けていたし、今も(年末のセッションではっきりと確認し た)その感情はある。つまり(太字で簡単に書いておきます。)双方向に恋愛(原初的ですごいエネルギーの)感情はある。」(甲A1の1、44頁)と述べて いる。その他にも被告はN医師への報告の中で随所に自らが故幸子に対して恋愛感情を持っていた事実を認めており、被告はそのことを故幸子にも伝え、故幸子 の被告に対する依存と病的転移を強化してしまった。


6 「被告自身の逆転移」について
(1) 被告が幸子に対して「恋愛性逆転移」を有していた事実は一切ない。
 被告が有していたのは、医師として、「なんとか生き延びて欲しい」と願う気持ちである。仮に被告が幸子を異性として見ていたのであれば、むしろ恋愛性逆転移を強く警戒し、ごく当初の段階で、主治医を降りていたはずである。

(2) 原告は、「特に、被告自身が幸子に対して恋愛感情を有していたことは、故幸子の転移症状を強化させ永続させる機能を果たしてしまい」、「他方で被告箱幸子の転移症状を全面的に受け止めることはできるはずもないので、被告と故幸子の間では、ある段階で故幸子の被告に対する思いが被告によって拒否されざるをえない状態を構造的に生じる」と述べているが、これは事実と全く異なる。
 前述のように、被告は、平成7年9月に幸子が恋愛感情を表明した当初から、幸子の恋愛感情を受け入れることはできないとはっきり示しており、幸子も、それを十分に認識している。このことは、カルテ上も明らかである。

(3) また、被告は、N医師、Q氏、M氏に「恋愛感情を持っていたことを告白した」事実などない。
 N医師に対する被告のレポートの中には、被告が幸子に対して愛情を有しているという趣旨の記載(甲A1の2、44p)はあるが、これは、再三主張しているとおり、@本件レポートは、幸子にコピーを閲覧させることになっていたこと、A被告が「恋愛感情」を否定すれば、幸子はすぐにでも見捨てられたと感じ、自殺に走る危険性がある段階でのレポートであること、B被告は、医師として、今にも死んでしまいそうな患者に死なれたくないという思いは有していたが、恋愛感情としての愛情しか受け入れない幸子にも納得できるようなぎりぎりの表現で書くとしたら、このような書き方にならざるをえなかったこと、による。上記の記載は、被告が幸子を救うために必死に治療を行っていた現れなのである。
 仮に、「恋愛感情の告白」があったとしたら、N医師は、まず最初に被告の「恋愛感情」を解消するようにアドバイスをするのが当然であるが、N医師のカルテ等を見ても、N医師がこのようなアドバイス等をした形跡は一切ない。

(4) 被告は、幸子に恋愛感情を有してはいないが、恋愛感情以外にも愛情が存在することを幸子に伝え、また、幸子が大きな意味での愛情を学んで成長できるようにと、繰り返し面接を行ったが、被告の真意は、最終的には幸子に伝わっている。

1. 病的転移状態の解消へ向けた治療の欠如

 被告は故幸子に致命的に病的な転移症状を引き起こしてしまいながら、それを解消するための治療をせず、むしろ明示的あるいは黙示的な言動により、自らも 故幸子に対して恋愛感情があることを告げ、あるいは、被告の恋愛感情を感じ取らせることで、故幸子の転移症状を遷延・強化していった。

 故幸子はN医師のもとで治療を受けていた時期においても、結局、被告との治療関係において形成された病的な転移症状が濃厚に残存しており、N医師は被告 の治療が終了していないという認識があったため、被告と故幸この間で喪の作業を行わせようとした。しかし、ここでも被告はむしろ故幸子に対する恋愛感情を 表明し本来の喪の作業の枠組みを超えてかえって故幸子の病的転移症状を再燃させるという極めて不適切な対応をとった。

7 被告は一貫して適切な治療を行っていたことについて
(1) 人格障害の患者の心理療法では、適切な治療技術であるとか、方法は、ほとんど効果がないし、無力であるといってよい、と言われている(乙B3)。原告が主張するように、一定のルーティン的な治療のレール上に乗せれば、簡単に治癒するというものではないのである。
(2) 被告は、恋愛性転移が生じないように十分注意していた。実際、幸子の恋愛性転移は、被告が「植え付け」など行った結果ではないことは、前述したとおり明らかである。
(3) また、転移が生じたことが確認された平成7年9月以降も、被告は、根気強い面接を行うことにより、転移を解消するための努力を行っていた。
 しかし、人格障害の患者が形成した転移を解消するのは極めて困難であり(乙B3)、一定のルーティン的な治療をすれば治癒するというものではなく、長期間にわたる根気強い治療が必要になる。特に、幸子の場合は、治療する以前の問題として、救命を優先しなければならないことも多く、治療は非常に困難であった。

(4) さらに、自殺の具体的な危険性についても、常に注意し、時には家族に保護の依頼をしたり、面接時間を延長して自殺を思いとどまるよう説得したり、幸子が行方不明になった連絡を受けた時には病棟内を捜索する指示を出すなどしている。
(5) ここで強調しておくべきことは、治療のほぼ全期間をとおして、幸子の自殺願望が極めて強く、周囲のちょっとした態度や言葉ですぐに自殺企図の引き金を引いてしまいかねない状態が続いていたこと、しかも、幸子の自殺企図は全長もなくいきなり噴出することが多くあったことである。治療をするためには、まず、幸子を自殺の危険から引き離すことが優先課題であった。
そのため、被告は、第一段階として、幸子を自殺の危険から引き離すことに心を砕き、自殺の危険がやや収まったところで、第二段階として、本来の人格障害の治療(転移の解消等も含めて)を行うという手順を取っていたのである(幸子を死なせないためには、このような手順を取る他なかった。)。

 自殺企図を回避するためには、面接時間を延長したり、親子の愛情の例等を引きなが「死んではならない」と説得することも、やむを得ない措置であった(そうでなければ、幸子は、直ちに自殺企図に走ったと考えられる。)。
 また、原告は、治療者として必要なことは、「どのようにして治療者が患者に寄り添い、支えてゆくのかを示し、決して見捨てるようなことがないことを伝えること」が必要だと主張しているが、この部分に限れば全くそのとおりである。しかし、幸子の難しさは、「恋愛感情」がないと言えばイコール「見捨てられた」につながり、致死的な自殺企図につながってしまうと言う強い傾向を有していたところにある。
 そして、被告は、一旦幸子を自殺企図から引き離すことに成功した後には、転移の解消を含めて(恋愛感情は持っていないし、今後も持つことはないことを納得させることを含めて)、治療のための面接を行っていたのである。

(6) なお、原告は、「被告は他の医師への交代を当然すべきであったのにそれもおこなわず・・・漫然と治療を維持した」と述べ、治療をうち切るべきであったと主張する一方で、「転移症状を適切に解消することをしないままに治療関係を終了させ」た等とも述べ、治療をうち切るべきでなかったという趣旨の主張もしており、主張がはっきりしていない。

2 病的転移症状の再燃・増悪化への被告の関与
(1) 被告の関与による病的転移症状の増悪化と自殺危険の増大化

ア) 被告と故幸子の特殊な医師・患者関係
 被告と故幸子の治療関係は双方向に恋愛感情のある、すなわち、本来、治療者であるべき被告自身も故幸子に対して恋愛感情を持っている極めて特殊な医師・ 患者関係であった。また、故幸子の被告に対する転移症状は被告から見捨てられたように感じると自殺企図に至る極めて危険なものであった。

 特に、被告自身が故幸子に対して恋愛感情を有していたことは、故幸子の転移症状を強化させ永続させる機能を果たしてしまい、故幸子の被告に対する転移症 状を解消することを困難にしてしまった(N医師の陳述書7頁)。しかし、他方で被告は故幸子の転移症状を全面的に受け止めることはできるはずもないので、 被告と故幸子の間では、ある段階で故幸子の被告に対する思いが被告によって拒否されざるをえない状態を構造的に生じることになる。そのため通常の治療者 は、患者の治療者に対する致死的な転移を生じることがないように十分に注意を払い、転移症状が生じた場合にはその軽減・解消に向けて治療を進めてゆくので あるが、被告は双方向性の恋愛感情を抱き、また、そのことを故幸子に明示的にも黙示的にも伝えてしまっていたために、故幸子の転移症状は軽減されるどころ かむしろ強化され永続化されることになってしまった。

イ) 故幸子の症状の増悪化・自殺企図と被告との関係

(1) 平成8年1月6日の自殺未遂
  故幸子は、平成8年1月6日大量服薬による自殺未遂を起こすが、その前日(1月5日)被告を受診し、被告に対して「先生は私のことどう思っているの か。個人的に好きになることがあるのか?」と尋ね、被告は「内心はともかく、個人的な関係になることはない。」と答えたことから、故幸子は「もう来ませ ん。来るとつらいだけだから。」といって診察室を去っている(乙A2、19頁)。そして、その翌日自殺を図ろうとしたのである。

 ここですでに、被告に対する故幸子の致死的な転移症状が現れており、同時に被告の応答も「内心はともかく」という思わせぶりな言動で、医師としての職分 上許されないが真意としては自分も故幸子に思いを寄せていると受け取られる言動をしている。ここで治療者として必要なことは、好きかどうかという問題に焦 点を当てて自分の内心がどうかを告白することではなく、どのようにして治療者が患者に寄り添い、支えてゆくのかを示し、決して見捨てるようなことがないこ とを伝えることである。被告の応答は支援し続けることのメッセージを欠いている点で故幸子に見捨てられ感を与え、同時に医師として個人的関係は持てない が、内心は好意を寄せていることを暗示することで転移症状を強める結果になっている。
 その結果、故幸子はまさにパターンどおりに自殺企図へと進んだのである。

8 幸子の自殺未遂について
(1) 平成8年1月6日の自殺未遂
A大学病院退院後も、幸子の病状は不安定であり、平成7年12月19日には、自宅の窓から飛び降りようとしたのを制止されている(「自分のケアのことで両親がいさかっているので、私なんかいらなければいいと思った」のが理由とのことであった。乙A2・15p)
 平成8年1月5日の面接で、幸子は被告との恋愛関係を望んだが、被告がこれを断り(「内心はともかく個人的な関係になることはない」と述べたのは、きっぱりと拒絶してしまえば、幸子が致死的な自殺企図に向かう危険性が極めて大きかったからである)、精神的な動揺を来したということがあった。そのため、被告は、家族らに危険を告げてよく注意するように依頼をしたが、幸子は失踪して大量服薬を試み、K病院に入院したのである。

(1) 平成8年年11月28日の自殺未遂
 故幸子は平成8年11月28日K病院退院後大量服薬により自殺を図ろうとした。この時も故幸子は自殺企図前に被告に電話をしている。しかし、被告は「好 きだけれども、つらいから自殺しようと思っている」という故幸子の問いかけに、「声が聞ければよかったのだろう」と突き放した冷淡な応答をした。このため 故幸子は深刻な見捨てられ感に見舞われ、自殺を図ろうとしたのである。

 N医師も「被告医師は異性に対して、つまり幸子さんに対しても、恋愛感情を感じると罪悪感を持ってしまうということを告白しております。当然幸子さんに 対しても、愛情を感じたり表明したりしますと、それを打ち消したりする行動パターンを繰り返していたと思います。幸子さんはそれを敏感に感じ取り、被告医 師の拒否の態度を感じ取ったときに、関係を中断、または終結、そして、自殺念慮を持った行動、という精神状態を繰り返しておりました。」(N医師の陳述書 9頁)と述べているように、この際にも被告の拒絶的な態度と支援方法に関する無配慮がパターンどおりに故幸子の自殺企図を導いているのである。

(2)平成8年11月28日の自殺未遂
 自殺未遂の前、幸子から被告に、「声が聞きたかったので」という電話がかかってきたので、被告は普通に挨拶して電話を切った。被告が「声が聞ければよかったのだろう」と冷淡に対応したという事実はない。
 被告は、幸子がK病院を退院した直後であること自体知らなかったし、自殺をにおわせる発言もなかったので、特に危険を感じることはなかった。
 その後、幸子は、軽井沢のホテルで自殺企図(大量服薬)を起こした。
 被告は、幸子がK病院に入院している間、幸子とは全く接触していないので、幸子の自殺企図直前に何が起こったのかは定かではない。また、幸子は、平成8年のB中央通院の経過では、助けてほしい時には必ず危機を明言しており、何も言わずに自殺企図を起こすという平成7年5月当時のような状態に逆戻りしているとは考えていなかった。

(6) 第5期a−3に行われた「喪の作業」は、幸子が被告や被告の妻に「必ず復讐します。」「奥さんも連帯責任です。」「あなたの家庭を壊してやります。」などという「脅し」を始めたことにより、中断された。

(1) 平成12年5月2日の自殺敢行
 N医師の治療下で被告との関係が中断されていた間、故幸子が自殺未遂を起こしたことはなかった。同人は健康さを取り戻しつつあり、希死念慮も消退してい た。しかし、平成12年3月から被告との関係が再開されると、再び被告と故幸子の関係は転移・逆転移の危険な構造に逆戻りしていった。5月2日の自殺の直 前、故幸子は被告と電話で話しており、再び被告の拒絶的な対応を受けることになる。

 被告は故幸子と友人関係になることはできないと述べ、同人の自殺についても止めることはできないと冷淡で拒否的な態度を示した。N医師は「友人としての 関係性を明確に再定義」したらどうかと助言して、故幸子が被告との関係に絶望したり見捨てられ感を抱くことがないように工夫をしようとしている(N医師の 陳述書16頁)。故幸子とすれば「友人関係になれない」という被告の応答のみを聞けば、結局、何らの関係を保つこともできず、再び被告から見捨てられたと 受け取ってしまう危険性が高い。それに対してN医師は両者の関係を明確に再定義することを示唆し、両者間の関係は無関係ではなく、一定の関係は存在するの であり故幸子は見捨てられているのではないことを意識化する方法を提示しようとしたのである。こうした配慮は精神科医としては当然の配慮であったはずであ るが、被告はそのような配慮をせず、従前のパターンと同様に、故幸子に拒絶的な態度のみを示し、同人に自殺企図を引き起こしたのである。

10 平成12年5月2日の幸子の自殺は、被告が原因ではないこと(第6期−2)
(1) 被告と幸子は、平成11年4月6日から平成12年3月30日まで、ほとんど接触をしていない(幸子から、婚約を報告するため等の電話が2回程度あっただけである。)。
 この間、幸子は、一人で海外旅行に出かけたり、海外旅行で知り合ったM氏と婚約したり、大阪でM氏と同居を始めたりと、新しい生活を築いていった。
 原告らも、「N医師の治療下で被告との関係が中断されていた間、故幸子が自殺未遂を起こしたことはなかった。同人は健康さを取り戻しつつあり、希死念慮も消退していた。」と述べている。

(2) 平成12年3月ころ、原告(母)や、N医師から、幸子と話をしてほしいという強い依頼があった。被告は、当初はこれを断ったものの、N医師が、幸子は十分によい状態にあると保証して食い下がったため、被告は、N医師の言葉を信じ、これを了承した。
 幸子は、N医師に対しても、「(被告との関係は)恋愛関係・・・とは異な」っていることを明言し、「過去には、この関係性の中にポジティブな面とネガティブな面とがあったが、ネガティブな面を切り捨て、ポジティブな健康な面を伸ばしていきたい」と述べる(甲B3・10p)ほどに、改善・成長している。
 さらに、N医師は、「被告医師によって、関係終結の宣言を彼女は受け止めることができました」「病状の改善は、被告医師との神経症的な関係から自由になったことと関連していると思われます」と述べている。以前の被告と幸子の「喪の作業」の経過を熟知しているN医師でさえも、安心して被告との接触を許すほどに、幸子は改善し、転移も解消していたのである。
 仮に、N医師が、被告との関係再開を不適切と考えていたのであれば、従前の「喪の作業」を批判しているにもかかわらず、なぜこの時期に被告と幸子の接触を許したのか、説明すべきである。

(3) 被告と幸子の関係が再開された平成12年3月以後の幸子は、被告に対するすがりつきを見せることもなく、昔を淡々と懐かしんでいる様子であった。被告は、幸子がずいぶん改善したという印象を抱いている。
 被告が、幸子と直接会ったのは4月15日のみ(15分程度)であったが、この時も、幸子の強烈な転移は解消しており、もちろん、「愛してくれなければ死ぬ」という言葉もなく、被告と幸子は、世間話をして別れている。
 さらに、その後も、幸子は、被告との電話の中で、「私は黄色い花束(恋愛)ではなくてはいやだと言い、白い花束(恋愛ではない愛情)は受けとらなかった。それが生きるのに必要なものだとも知らないで」(乙A7・322p)と述べるなど、著しい改善を示している。
 原告は、「平成12年3月から被告との関係が再開されると、再び被告と故幸子との関係は転移・逆転移の危険な構造に逆戻りしていった。」と述べているが、事実はその逆であり、被告と幸子は、カルテを見てもわかる通り、以前の「愛してくれなければ死ぬ」という会話をすることもなく、症状は落ち着いていた。
(4) 4月27日、突然、幸子から被告に、「死にたい」という電話があった。幸子によれば、他の人からも援助が得られなかったという話であったが、なぜ、幸子が突然「死にたい」と言い始めたか、理由は不明である。
 被告は、とりあえずもう1週間生きてみるようにと説得し、幸子は説得を受け入れた。

(5) それにもかかわらず、5月1日、幸子は、自殺企図(頚部刺傷)を起こした。
 被告は、M氏から、幸子が自殺企図を起こしたという話を聞いたため、距離を置いた方がよいのではないかと考えているのでその件で話し合いをしたい、という内容のファックスをN医師に送った。そうしたところ、N医師は、被告に無断で、被告のファックスを、無防備にもそのまま幸子に転送してしまった(このようなファックスを見れば、幸子が精神的な動揺を来たし、自殺企図に走る可能性が高いことは明らかであるにもかかわらずである。)。
 被告のファックスは幸子を激高させたが、N医師は被告に一切連絡を取ろうとはしなかったばかりか、幸子の自殺企図の原因を解明したり、幸子を入院させるなどの措置を一切取らなかった。
 その直後、被告は激高している幸子と電話で話をしなければならないこととなったが、この時、幸子は、自殺の理由として、「自殺企図は(被告の)『約束破り』でメールがすぐに来なかった」こと、「QさんにTelしたら妻がいるから遠慮してくれと言われた」こと、「だんな(M氏)が3時間も床屋で家を空けた」ことを挙げている(乙A7・212p。N医師に対しても、「今回の自殺未遂ははっきり言って全く彼(被告Dr.)に関係がないのですが・・・」と、当時の自殺企図が被告とは関係がないことをはっきり明言している。乙A8)。
 そして、幸子は、被告に対し、「私を助けてほしい。毎週水曜日に、2時間、私と友人として話をしてほしい。1日1日私が生きていけるようにして欲しい。」と要求した。被告は、主治医は他におり、責任ある立場にあるわけでもないのに、友人としてこのような約束をすることはできなかったため、「治療としてでなければ、そのようなことはできません。」と返答した。
 すると、幸子は、「あなたは私が自殺しても別に傷つかないんでしょう。」などと述べたため、被告は、幸子を救うためにこれを否定し、「私があなたが自殺(企図)すると絶望的に傷つくんです。今回のことで今そうなっています。」と述べ、一度N医師とも話すようにとアドバイスした。
 その後、幸子とN医師は電話を話をしたが、その際、N医師は、幸子に対し、「(毎週2時間決まった時間に友人としてコミットメントすることを)被告医師が引き受けることは、友人として当然のことである。」という趣旨のアドバイスをしただけで、幸子の自殺企図の原因を解明したり、被告に連絡して対応を協議したり、入院など自殺の危機を回避する措置を取ることを一切しなかった。
 その後、幸子は被告に対してもう一度電話をかけてきて、「N医師に短気を起こすな(被告との関係を切るな)と言われた。」などと述べ(乙A7・212p)、同じ要求を行った。しかし、結局時間切れとなり、5月7日に、再び上記の件について話をする約束をした。
 つまり、上記の電話は、平成11年4月のような、治療関係を含めて関係を完全に断絶させてしまうという趣旨の話ではなかった(治療が断絶された平成11年4月でさえも、幸子は自殺に至っていない)のであるし、5月7日に再度2人でよく相談することを約束して電話を終えたのであるから、幸子は、被告と電話での会話を終えた時点では、どんなに少なくとも5月7日までは死ぬつもりなどなかったことは明らかである。
 また、この際、幸子からは、「(被告に)見捨てられたら死ぬ」というような言動は一切なかった。
 したがって、5月2日の自殺企図が、上記の電話を原因として起こったとは到底考えられない。

(6) そして、その後、幸子は自殺を図り、5月3日に死亡した。
 幸子が死亡した10日後である5月13日には、婚約者であるM氏との結婚式披露宴が行われることになっていた。

(7) N医師は、「被告医師との電話での会話が自殺の引き金となった可能性は大きいと思います」と述べているが、何ら根拠のない推測に過ぎず、このような事実は一切ない。
 平成11年4月、治療関係を断絶したにもかかわらず自殺することなく症状を改善させていた幸子が、上記のような被告との電話で(治療関係を含めてまったく関係を断絶させてしまうという話ではなかったし、5月7日に再度話し合いをする予定であった。)、いきなり自殺に走ったとは到底考えられない。

(1)被告が招いた自殺危険に対する被告の無策、無責任性
 故幸子の自殺企図のパターンは、「被告医師が個人的な関係を否定する→幸子さんが自殺をはかるという悪循環は入院中の秋からあった」(乙A6、141 頁)と被告自身認識している。この構造的な悪循環は故幸子の被告に対する病的な転移症状が形成され、それが維持・強化され続けてきたために生じたものであ る。

 しかし、そもそもこうした極めて危険な転移症状を故幸子に生じさせないように注意を払うことなく、無防備に構造化されない治療を行い、故幸子に被告に対 する極めて強固な転移症状を植えつけてしまった。また、被告自身も故幸子に対して恋愛感情を抱き、また、そのことを故幸子に知らしめることにより、故幸子 の転移症状は相乗的に維持・強化されていた。

 故幸子の自殺の危険性は被告と故幸子の関係から構造的に生じてきたものであるが、被告はそのような関係に至る危険性に留意して起こりうる転移症状を回避 する方策を採らず、また、転移症状を生じた場合にそれが重篤で致死的なものとならないように同症状をコントロールし、さらに、危険な転移症状を軽減・解消 するための方策をまったく採らなかった。

(1)故幸子の自殺敢行についての被告の関与
 故幸子は平成12年5月2日の自殺の直前に被告と電話で話しをしている。故幸子は被告から友人としての関係を継続してゆくことを拒否され、また、故幸子の自殺を止めることはできないと冷淡な態度を示され衝動的に自殺を敢行してしまった。
 故幸子はこれに先立つ5月1日に被告から受けたメールによってもひどく傷つけられ、5月2日の被告の拒否的な態度が自殺企図の引き金となったことは明ら かである。さらに、その前提には被告と故幸子の間に形成された転移・逆転移の病的構造があり、被告が故幸子の致死的な転移症状を解消しないままに放置し、 不適切な関わりによってその症状を増悪化させてきた積年の与因行為がある。被告は転移症状を軽減しないままに拒否的態度を示せば故幸子の自殺の危険性が極 めて高まる事実を経験的によく知っていたのであるから、5月1日及び同2日における被告の言動がいかに危険なものであるかを熟知していたはずである。しか し、被告はなんらの支援措置も用意しないままに冷淡な対応を行い故幸子を自殺へと追いやったのである。


11 求釈明
 幸子は、5月2日に自殺企図を行い、翌日死亡している。しかし、被告が幸子と最後に電話で話をした後、死亡に至るまでの具体的な状況は、母親の陳述書やN医師の陳述書等にも記載がなく、被告にはまったく明らかになっていない。
 被告が幸子と最後に電話で話をした後の、幸子の行動、家族や友人等との具体的な会話内容、直前に遺書やメールを残しているのであればその内容、自殺企図を行った場所、時間、方法などについて、具体的に釈明されたい。以上


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