原告準備書面3

*一部省略・削除したところがある。

平成15(○)第××××号

準備書面 平成18年1月11日
東京地方裁判所 民事35部 合A2係 御中
原告ら代理人 弁護士 X
同 弁護士 Y

 本書面では、幸子が逝く2000年(平成12)5月ころのことについてのものである。【資料】と書かれているのは、Mの陳述書に添付された資料番号である。

幸子の自殺未遂(2000年5月2日)
1(1)2000年4月27日ころから幸子は、ほとんど寝室のダブルベッドで横になっていた。
 5月1日 Mが数時間外出し、帰宅すると、幸子は首に注射器を刺して、頸動脈を破裂させて出血多量で死のうとしたということであり、大量服薬もしていた。
(2)Mは、N医師に電話をし、幸子が自殺未遂をしたことを報告し、措置の仕方についてのアドバイスを求めるとN医師は以下の2点を強調した。
@「死なないでください」と一生懸命お願いすること
A注射器を刺して頸動脈に達していないか心配であり、また、傷口に雑菌が入る危険性があるから、すぐに病院に連れて行き、消毒をすること。
(3)MがN医師と電話で話したあと、「被告医師が、『ゴールデンウィークになれば時間ができるからメールを頻繁に送りましょう』とセッションの時に約束したのにメールが来ない」とMに訴えたのでMは、被告に対する疑念や不信感が幸子の自殺の原因であると思い、被告に電話をした。Mは、自殺未遂について説明した上、「被告医師がメールをたくさん出すという「約束」をしたのに守っていないのではないか」と問いつめた。被告は「約束などした覚えはない。『出せたら出す』と述べただけである」「これ以上、彼女の自殺未遂に自分は付き合いきれない」という趣旨のことを述べた。

 被告はこの件について、次のようにカルテに記載している。
「被告自身に関して」は「メール」が「遅くなってきたから」だという。被告医師はMに対して、以下のように告げた。「今回は友好的に話をしていることにより、却って関係性が本人の望む(至上の恋愛)ではないこと)がようやくはっきりして、つらくなっているのではないか。距離をとらせていただいた方がよい」(【資料30】を参照)。

(4)被告が、Mが電話した件について、幸子宛に、次のような内容のメールを出している。

「ご主人からご連絡をいただきました。とても残念です。私は当分あなたに近づかない方がよいと思います。また、十分に余裕があったらばご連絡を下さい。それまでは、しばしのご猶予を」(【資料30】を参照)
(5)Mは、N医師の指示に従い、家から歩いて数分の○○診療所に幸子を連れて行った。
 診療所の医師は、幸子から経緯を聞くと「主治医はいるのか」と聞き、「注射器はこちらで引き取ります」といって引き取った。
 そして、首の怪我は、頸動脈まで至っておらず、頸動脈をねらっても、自分ではなかなか破裂させることができない、ということを言った。さらに、首の傷は、大事に至っていないが消毒をしてくれ、点滴を打った。
(6)点滴していると、幸子の妹が到着し、幸子が点滴を受けるベッドのところで話をしていた。
(7)点滴を終えずいぶん元気になった幸子は、妹とともに家へ帰って、Mと3人で夕食を食べた。
 幸子は、妹が来たことで気分が好くなったようであった。

幸子の自殺までの経緯(2000年5月2日)
(1)2000年5月2日(月)の早朝、Mは一泊した幸子の妹を駅まで送っていく途中、Mは妹に、幸子が最近被告と交流していることを話した。
(2)Mが妹を見送って戻ったあと、午前中は、幸子の具合は大変よかった。
@幸子はMと朝食を取るときにバイオリンのCDをかけて、どういう曲を弾きたいのか、発表会に向けて練習をしていたバッハの無伴奏組曲は、自分にはあっていない、現代曲のほうがあっている、という話をしていた。
A昼頃までは、二人でテレビやビデオを見たりしていた。
そのあと、コメディアンが特訓をして社交ダンスを一から学び、最後は競技会に出場して勝ち抜いていく、という番組を偶然見た。幸子が「私これがやりたい。一緒にやろう」と言い、さらに、社交ダンスをテーマにした映画のビデオを見よう、と提案したので、Mは幸子と一緒に見た。
Bまた、幸子はロンドンへの留学も、もう少し結婚生活を楽しんでからにすることにしたと言っていた。
(3)被告、N医師とのやりとり
@被告は前日5月1日の23時頃に幸子にメールを送っていた。この日の午前中に幸子はこのメールを見て、それまでの被告との報復メールと一緒にし、また、それまでの被告との電話での交信に関する簡単な記録も添えた上で、ファックスでN医師宛に送った(2000年5月2日11時43分)。
 このファックスの冒頭には、「被告医師」は「Mが自宅に電話をしたことを」「お怒り」である、ということ、また、「彼の本質的なところ(責任逃れ/)誠意が感じられない)は前回と変わらない」と述べられている(【資料31】も参照)。
 同時に幸子は、5月1日付の被告からのメールで「非常に傷つきました」とN医師に報告している。
Aさらに、正午過ぎ頃、N医師から幸子宛にファックスが送られてきた。(B中央病院のカルテ中に、このファックスの写しはあり【資料31】)。
これは被告のファックスの転送で、被告は「私との関係」が「彼女(幸子)のつらさを強めた」ので「距離をとらせていただいた方がよいと考えています」と述べている。そして、N医師が書いた幸子宛のファックスには「被告医師はこのようなことを伝えてきたが、あなたはどうするのですか」というメッセージが記入されていた。
Bこの転送されてきたファクスを見て、幸子のそれれまでのなごやかな表情ががらりと変わり、大変厳しい表情になり、また怒りをあらわにしはじめた。
C幸子は、同日夕方に2度ほど、B中央病院に電話をかけて、被告に対して「今後も自分の生命を救うのがあなたの義務である」と強く今後の交流を要請した。
 これに対して、被告は、「自分は「親友」(あるいは「友人」)としては、あなたの生死にコミットすることはできないのだ」と主張した。しかし、幸子は、なぜ「親友」(「友人」)だと幸子の生死にコミットできないのか、が理解できなかった。そのため精神が不安定になっていた。
D幸子がCの件でB中央病院に電話をし、被告と口論をしている最中にN医師から電話がかかってきた。そのため、N医師に対して「もう少し後で電話をしてもらいたい」「待ってもらいたい」という趣旨の返事を幸子はした。このときMが一方の電話を取り次いで、幸子は自宅の備え付けの電話と携帯電話の両方の受話器を持って、片方では被告医師と口論をして、片方ではN医師と話をしていたものである。
 幸子は、N医師とはいったん電話を切って被告との話に戻ったが、それからすぐにN医師から電話があり、同氏は予定があるので、長い時間話ができない、ということだった。そこで、幸子は、被告を待たせるか、被告の電話を切るかしてから、N医師と会話をしていた。
 このN医師との電話は18時頃まで続いた。
この電話で、幸子は「納得」した様子で、「リラックス」し、がらりと表情が変わり、笑顔さえも見せて、大変快活な様子になった。そして、幸子はMに「N先生は、被告医師をあなた(幸子)のために利用しつくせばいい、と言った」とN医師のアドバイスを説明した。
 なお、後に、N医師からもらった手紙には、このときのアドバイスとして、以下のように書かれていた(【資料32】を参照)。

1、被告医師が幸子に対して「友人としてコミット」しないのはおかしい。
2、そこで、幸子と被告医師との間の「友人としての関係性」を「明確に再定義」してみてはどうか。
3、「その再定義された関係の枠組みの中で」、幸子の「ニーズ」をみたすために「この関係性を」「利用」すればよいのではないか。
4、被告医師は「関係性」を「切る」といっておらず、「距離を取らせて戴いた方がよい」といっているだけである。
5、したがって、「お互い気持ちが安定したところで」話をすればよいであろう。
6、「現在は関係性がhotな状況なので、少しcooling periodをおき、連休明けの月曜日(5月8日)頃」に再度連絡を取ってはどうか。

E快活な様子になった幸子は、そのあと再度被告に電話をした。これはN医師のアドバイスではなく、自分の判断であったと思われる。
 しかし、このときの会話もまた、被告が幸子の「友人」としては彼女の自殺を止めることはできない、という話の繰り返しだった。
Fこの頃に、幸子は被告に対して「4月27日には先生(被告)はうまい止め方をしたと思うんです」と言って、被告は幸子の自殺をとどめることができる、という構造を伝えた。しかし、被告は、全く同じ回答しかしなかった。
 この点について被告がB中央病院のカルテに次のように記載している。

 まず幸子は、被告医師からの「メールがすぐに来なかったから」「自殺企図」を起こしたと説明し、さらに「生きるために必要だから1回1回次回まで生きていてくれるように私とコミットメントをしてくれ(友人として)」と要求した。しかし被告医師は、「それは治療関係でなければできないこと」と答えた。これに対して幸子は「人の命がかかっているのだから」「助けるのが当然」と主張するものの、「愛情は他で探します」と伝え、さらに「あなたは私が自殺しても別に傷つかないんでしょう」と言った。これに対して被告医師は、「私はあなたが自殺(企図)すると絶望的に傷つくんです。今回のことで今そうなっています」と回答した。
 その後N医師に電話をした幸子は再度被告医師に電話をかけてきて、N医師からは「短気を起こすな」「被告医師との関係を切るな」と言われたから、「定期的に医師患者の関係外で援助をしてくれ」と要請したが、「治療関係外の定期援助は無理である(昔患者であった人と時たま話すと言う関係はある)」と被告医師はこれを拒絶した(【資料31】参照)。
Gさらに、幸子の死後、被告医師から受けた説明を要約すれば、幸子と被告医師とのやりとりは、以下のようなものであった。
 まず幸子は5月2日、被告医師に対して「医者としては認めないが、継続的に私の命がつながるようにお世話をせよ」「一回一回彼女に約束をして、死なないようにと、約束をして、それをずっと続けろ」と要求した(【資料33】参照)。
 また、次のように説明されていた。幸子は、「友人として、治療外で、治療と同じように、ちゃんと私を死なないように、一回一回約束してくれ」と要求した。しかし「それはできない」「私の個人的な体力として、できなかった」ので「お断りしちゃった」。たしかに「土壇場に来てた、という感覚を」を幸子が持っていて、幸子自身「延命はやめてくれって」いっていた。「だから生きられるか生きられないか、かけたかった、という気持ちには、たしかに私も乗ったかもしれません」。幸子の要請には、「おためごかしは言わないでくれ」というニュアンスがあった。「嘘でもいいから、毎週約束してあげる、といえばよかった、と思うんですよね。体力なくても、とにかく空約束でもすればよかった」(【資料33】参照)。

(4)被告との電話が終わったあと
 幸子が被告との電話が終わったのが18〜19時の間頃だった。幸子は興奮し、また、気持ちもしていた。Mはこの状況をなんとかしたいと思い、また、N医師からも、首の傷の経過を見ておくように、ということを言われていたように記憶していた。
 幸子は渋ったがMは「あなたのことが心配だから、お願いだから病院に行ってください」と頼み、前日に行った診療所に連れて行った。病院は込んでいたため、待ち時間にかなりの時間がありましたが、その間、幸子の状態は悪くなかった。
 そして、注射器を刺した傷口を消毒してもらった。医師は、「もう大丈夫だ」と行っていた。このとき、幸子は一時的には、緊張が和らいだようだった。 ところが、その後自宅に帰る途中、病院を出てほんの数分の間に、幸子は急に黙りこくってしまい、様子がおかしくなった。そして、唐突に、「私、彼を許せない」といい、Mが「え、誰が? 被告医師?」と聞くと、「そう」という返事だった。Mは、また状況が悪化してしまった、と思い、どうすればよいかわからないが、とにかくなんとか切り抜けなればと思った。

(5)5月2日午後8時過ぎ 幸子が裁判のことを言い出す
@帰宅後、幸子は「病院のカルテは通常5年が保存期限であるから、A大学病院のカルテは廃棄されてしまう期限が近づいていると思う。だから、その前にカルテを差し押さえて裁判をしたい。」と言った。
AMは、その場では積極的に裁判をすることにすぐさま賛成の意を示さなかったので、幸子は「あなたは裁判に協力してくれないのね」と言った。Mが「そんなことはない、協力するよ。父親が弁護士だという友人がいるから、そういう裁判ができるかどうか彼に聞いてもらおう。[中略]どういうことをすればいいか聞いてみよう」と提案した。
B幸子は、A大学病院とB中央病院に電話をして、カルテの有無を確認した。すると、両方のカルテが残されている、ということだった。そこで、幸子は「カルテをどのように入手できるだろうか」といい、なんとしても裁判がしたい様子だった。そして、幸子は、「なぜ弱い者がひどい目にあって、強いものが罰を受けないのか」と言っていた。

(6)再度の妹の来阪の予定
 この日は、それ以外に、幸子の実家から電話があり、明日3日、妹がまた大阪に来る、という連絡があった。Mには、今朝(2日)東京に帰ったばかりの妹が、翌日にどうしてまた大阪に来るのか理由がわからなかった。幸子の家族の方では、幸子が再び被告と交信している、そして幸子が自殺未遂をした、ということを知り、幸子が緊急の事態におかれていることを知り、すぐに妹を姉のもとに行かせようということになったのである。これは、長年、幸子と被告との病的な関係、そして被告と関わることによる幸子の自殺のパターンを知っていた家族の者たちがせめても取りうる防衛手段だったのである。

(7)幸子の自殺
@Mは、父親が弁護士であるという友人に連絡を取り、精神医療での医療過誤裁判に勝ち目があるのかを教えてもらおうと連絡を取っていた。その友人から電話が入ったのは午後10時頃だった。
 この電話を受ける少し前に、幸子は「もう寝る」と言って、横たわっているベットの足下に畳んである掛け布団を引き上げてその中に潜り込んだ。Mは、幸子が疲れ切っているときに寝られることはよいと思って見ていた。幸子はベッドに入る直前、「ちょっと膝を貸して」と言って、幸子は顔をMの膝に数秒間埋めた。Mは寝る前に、安心感がほしいのかな、と感じた。
AMの友人からの電話は「父親に聞いたが精神科の医療過誤裁判は難しい」という結論であった。続けて友人はそれ以外の話をしはじめた。Mはそれに付き合いたくはなかったが、裁判の話しにこだわったり、その後の雑談に付き合わないと、Mが「精神科の医療裁判」に深く関わりを持っていることが気取られそうで、あえて、何事もないように友人の関係のない話しに付き合っていた。
B話し始めて15分か20分ほど経過したとき、幸子がベッドから起きあがって、寝室の外に出ていった。通常こういう時、幸子はトイレか、あるいは音楽を聴きに居間に行ったり、あるいは隣の幸子の部屋でパソコンを立ち上げてメールを見たりすることが多いので、Mは、今回もそうなのだろうと思い、すぐに戻ってくるだろう、と思って友人と話を続けた。
 結局、電話を終えたのは22時40分頃だった。幸子は、まだ戻ってこず、Mは遅いなと思いながら、様子を見に行った。この時、トイレにも電気がついておらず、あけてもいなかった。居間を見てもどこにもいないので、Mは初めて嫌な予感がしてベランダから飛び降りたか、外に出て行ったかといろいろな思いが駆けめぐったが、靴もあり、飛び降りた形跡もないので、家のどこかにいると考え、探しまわった。
C寝室の隣の部屋は幸子の部屋で、そこに人が一人入れるほどの大きさのクローゼットが置いてあった。もしやと思い扉を開いたところ、幸子はMが誕生日にプレゼントしたエルメスの大きめのスカーフを使い首を吊り、クローゼットの床からわずかにういているだけだった。その顔は扉の側を向いており土気色をしていた。 Mは、急いで幸子をおろしたが、すでに呼吸がなく、心臓も停止しているようだった。救急車を呼んだが、Mには20分ほど待たされた気がした。このときには、無我夢中だったが、手遅れだった、という落胆の気持ちが大きく、M自身が体に力が入らず、また、方法も知らなかったため人工呼吸もできなかった。
D救急隊員は、救急車の中で人工呼吸をし、電気ショックを与えていた。運び込まれたのは、家から車で30分ほどの場所にある、△△病院だった。救急車で運び込まれたのは、まだ日付が変わっていないころだった。
 Mが実家や△△氏に電話をしたとき午前0時ころだった。家族は△△さんの車ですぐに大阪に向かうということになった。
E幸子の死亡
 入院直後、病院からの説明は次のようなものだった。
 現在心臓が動いている状態であるが、脳の状態がわからない。脳外科の医師が現在休職中なので、連休明けではないと検査ができない。それまではここで入院することになる。
 翌日、明け方頃に家族が到着した時も、幸子の心臓は動いていた。病院側は入院の手続きをするようにということを要請してきた。病院側からは「長期戦」になるかもしれない、という説明もあった。また、これまでの投薬の状況について教えてもらいたい、ということでN医師に連絡を取った。N医師は、ファックスをM宅に送ってきた。しかし、3日正午前に、幸子の容態が急変し、医師達は心臓マッサージをくり返したが、幸子はなくなった。
Fなお、Mは、幸子の死亡直後に、病院から、被告医師に電話をかけて死亡について報告した。家族は病院側から、葬儀会社を探して幸子を引き取ってもらいたい、という要請があり、悲しんでいるような余裕がない、というような混乱した状況だった。しかし、Mおよび家族の認識では、やはり幸子にとって一番報告してもらいたい相手である、との判断で被告に電話で連絡をした。

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