桜井昭彦医師の陳述書(Q氏に対する反論)

乙B第9号証
陳 述 書
平成18年3月18日
〒161-0032 東京都新宿区中落合2丁目5番1号
桜井昭彦

東京地方裁判所 民事第35部
合A2係 裁判官 殿

1 原告より甲B9号証として提出されたQ氏の陳述書に対して、下記のとおり陳述します。

2 陳述書3頁〜「6.1995年(1996年の誤記?)1月9日、桜井医師より事情を聞く」について

 1996年(平成8年)1月、私はQ氏とお会いしています。
 正直言って、個々の会話内容まではっきりした記憶はないのですが、幸子さんに恋愛感情を持ったことはないし、個人的に面接の時間を延ばしたり、特別なセッションをしたことはない、という話はしたと思います。
 「私が身内になってしまった」という発言をしたかどうかは記憶がありませんが、ご家族が本当の意味での「身内」になってくれなかったので、治療者が「身内」の代わりをせざるを得なかった、という話はしたかもしれません。
 ただし、私は、ご家族が本当の「身内」となり、幸子さんを支えることができるように、家族面接を行うなどしていますが、結果的にはご家族は幸子さんの「身内」とはなることができず、幸子さんは治療者に依存するようになりました。
 その他、「がんばって直して素敵な女性になるからまっててね」という幸子さんの言葉に対し、「待っている」と述べたというのについても、記憶はありませんが、言ったとすれば、「待っている」というのは、「がんばって直してよくなるのを、治療者として待っている」という趣旨で言ったことと思います。

3 陳述書4頁〜「7 長谷川病院入院の時期」について
(1) 「桜井医師が、幸子さんと結婚することについて真剣に『迷っていた』ということを幸子さんに言った」という記載がありますが、私はこのようなことは、まったく言ったことがありません。

(2) 「『お嬢さんを下さいって言ったら、お父さん、驚くかなあ』という発言があった」という記載がありますが、私は、このような趣旨のことを幸子さんに述べたことはありません。
 私が、幸子さんと結婚したいという趣旨で、「お父さん、驚くかなあ」などと言ったとしたら、幸子さんは、当然、喜んで他の医師や看護婦などにも話すでしょうから、カルテや看護記録にその旨の記載が残るはずです。しかし、このような記載は一切ありません。

(3) さらに、原医師から、「幸子さんが被告医師と決別するためには、被告医師とのセッションが必要である」という説明を受けたという記載ですが、私は、原医師からこのような説明は受けていません。
 原医師からは、本人が希望しているので従前どおりの外来の主治医をして欲しい、但し、家族面接と危険な場合の入院等の管理はK病院の原医師が行うので、という依頼を受けました。

4 陳述書5頁〜「8.済世会中央病院第一セッション開始当初」について
 Q氏は、「モーニングワークのつらさに耐えられず、幸子さんは自殺未遂までしたのだと考えていました」と述べていますが、そもそも、「済世会中央病院第一セッション」は、モーニングワークではありませんでした(モーニングワークが初めて開始されたのは、平成9年11月、中久喜医師の下においてです。)。

5 陳述書6頁〜「9.1996年5月1日の自殺未遂:事態の深刻さを認識する」について

(1) カルテ(乙A7・14頁〜)にも記載があるとおり、この時、幸子さんはバイオリンの師匠が亡くなったということで、喪服で面接にいらっしゃいました。音楽の存在は幸子さんの生きる糧であり、バイオリンの師匠が亡くなったことは、大きなダメージであったと思われます。
 幸子さんは、私と個人的な関係を望んでいる、という趣旨の発言をしたので、私は、「医師は患者の回復と幸福のために働いている。個人的な交際ということは、できないことである」と繰り返し説明しました。
 その後、午後7時にも幸子さんから電話があったので、同じことを繰り返し説明しました。そのうちに、幸子さんの状態も安定してきて、最後には世間話となりました。

(2) 「彼女(幸子さん)は、『桜井先生は、私のことを待っている、と言った。病気が治って医者と患者の関係でなくなったら、堂々とおつき合いできるはず。それまで待ってくれると言ったのに、そんなことはできないと言って、私を捨てようとしている』と訴えました。」という記載について、Q氏が幸子さんからこのとおりに聞いたのであれば、それは幸子さんの思いこみです。私は、このようなことを言ったことはありません。

(3) 「この時幸子さんは、『本当に通じ合ったことがあったの。それも一度や二度ではなく』という話をしました」という記載についてですが、精神療法の中で、会話を通じて、普段は完全に閉じてしまっている幸子さんの感情が私に向かって開かれ、情緒が通じたと感じたことはありましたが、そのようなことは、恋愛関係ではなくとも多く経験することです。精神療法をしていれば、患者の深層心理に深く入り込むこともありますので、実際の精神療法の過程の中でも、かなり経験されることです。
 しかし、幸子さんは、恋愛関係以外に情緒の通じた経験を持たなかったために(また、昔の恋人と対面し拒絶されたという状況とあいまって)、「情緒が通じた」イコール「恋愛」と解釈してしまったのだと考えられます。

(4) 5月4日に、Q氏から、私宛に連絡がありました。
 Q氏からは、「個人的交際を断られたことが(見捨てられた)体験と直結してしまっており、そこが誤解されているようだ。また今回のことで以後診療してもらえないという危惧をもっている」という話がありました。
 そのため、私は、「リミットセッティング(治療を行う際の条件、限界設定のことです)は患者の安全を守る目的であり、見捨てるためのものではない。患者の回復と幸福ということを目標に患者に協力していきたい」と答えました(乙A7・16頁)。

(5) 「その後もセッション後に必ず危険な状態になっていました」という記載についてですが、「必ず」というのは正確ではありません。
 例えば、5月8日、5月15日などには、危険な状態になったという報告はありませんでしたし、状態は比較的落ち着いていました。

6 陳述書8頁〜「10.1996年5月22日:桜井医師との面接後に起きた幸子さんの自殺未遂を止める」について
 5月22日、幸子さんが、私に「恋人がいるという話を聞いた」と言ってきたことがあります。事実であったこともあり、否定はしませんでした。
 その後、幸子さんはさばさばした様子で、「この間の彼と結婚しようと思っている。」「バージョン2(子供の自分)は捨ててしまった」と述べていました。
 5月23日、幸子さんは、「昨日ホテルを予約してまた自殺企図をしようとして、友人に(偶然会った)引きとめられた。」と述べていました(乙A7・19頁)

7 陳述書9頁〜「11.桜井医師に対する治療改善の要請」について
(1) まず、私は、「お父さんに『幸子さんを下さい』と言ったらびっくりされるでしょうね」などという趣旨のことを言ったことはありません。

(2) 5月24日に、お母さん、お父さん、Q氏から電話がありました。
 私は、「危険を防げないと判断したら、入院させる(医療保護入院でも)こと。」と繰り返し伝えています。ご家族は、今までにも、自殺の危険が切迫しているにもかかわらず、入院させないという判断をされたことがありました。
 しかし、自殺の危険が切迫している場合には、入院をするのが最も適当な判断であり、私は、繰り返し、きちんと入院の判断をして下さい、という話をしたのです。
 こういった危機を乗り越えるために、長谷川病院の原医師と共同治療をしていたのですから、ご両親さえ判断すれば、入院は容易だったはずです。
 また、私は、5月25日、原医師に、電話で、入院が望ましいという情報を伝えています(乙A7・21頁)。
 私の対応が間違っていたとは考えられません。

(3) Q氏は、私が「幸子さんと桜井医師本人の関係をどうするのか、どのように考えているのか、ということについては、何も述べませんでした。」と記載しています。しかし、私と幸子さんの関係が治療関係以上のなにものでもなく、恋愛関係になど到底なれないことは、ご本人に繰り返し伝えています。
(4) Q氏は、「一度、済世会中央病院で桜井医師を問い詰めたことがあります・・・その中で、桜井医師とのセッションのあとに幸子さんが必ず状態が悪くなることを認識しているのか、と問いかけましたが、桜井医師からは『それはQさんなどから聞いて知っているが、セッションの中では何も問題になることは起きていない。幸子さんは人をだますのが上手だから、私もだまされてしまっているのだと思う。』という発言がありました。」と述べています。
 Q氏と会った時の詳しい会話内容については、正直言ってあまり記憶がありませんが、幸子さんは、セッションの中では比較的落ち着いていましたので、「セッションの中では比較的落ち着いていることが多いです。」という話はしたかもしれません。

8 10頁「12.桜井医師と電話をした後、幸子さんが自殺をしようとするのを止める」について
 Q氏は、幸子さんが私と電話をした後、ほぼ毎回、自殺をしようとし、その時には例外なくQ氏に電話をかけてきたと述べています。
 しかし、この頃のセッションでは、状態はおおむね比較的安定していました。
 「ほぼ毎回」自殺しようとしていたという記載ですが、そのようなことはありません。幸子さんやQ氏から、数回、危険な状態があったという報告を受けただけです。

9 10頁〜「13.長谷川病院入院から軽井沢の自殺未遂まで」について
 Q氏は、幸子さんが軽井沢で自殺未遂をしたのは、ホテルから私に電話をして、その対応に傷ついたからだと述べています。
 前回の陳述書でも申し上げたとおり、平成8年11月28日、幸子さんから私にあてて電話がありましたが、幸子さんは「声が聞きたかったんです。」と述べるとともに、普通に挨拶をして電話を切りました。しかし、自殺をほのめかすような言葉は一切なかったので、私は、普通に挨拶をして電話を切りました。幸子さんが「好きだけれども、つらいから自殺しようと思っている」と述べたという事実はありませんし、私が「声が聞ければよかったのだろう」と突き放した冷淡な言い方をしたという事実もありません。

10 12頁〜「15.桜井医師との関係再開を提案した理由」について
(1) Q氏は、Q氏の判断で、中久喜医師に対して、私とのモーニングワークに取りかかって欲しいと要請した、と述べています。
 Q氏は、幸子さんが「モーニングワーク」(前述したように、モーニングワークではないのですが)のつらさに耐えられずに自殺未遂を繰り返したというような趣旨のことを、陳述書5頁〜6頁等で述べています。
 仮に、Q氏が言うように、幸子さんが私との面接や電話のあとに自殺企図を繰り返していたというような事実があったとすれば、なぜ、このような「つらい」モーニングワークを、再度中久喜医師に提案したのか、その理由がわかりません。
 Q氏は、中久喜医師の下でそれなりの安定を保っていたことから、中久喜医師の影響の中でなら、予想される自殺企図さえ押さえ込めば、モーニングワークを行うことができるのではないかと考えた、と述べています。
 しかし、今回訴訟で取り寄せたカルテを見ると、中久喜医師の精神療法が開始された後にも、幸子さんは自殺未遂を起こし、飛鳥病院に救急で入院したり(平成9年4月14日。甲S1の1、29頁)、首をつろうとしたり(同年8月20日、21日。甲A1の1・55頁。就職の申し込みをたくさんしているのに反応がなく、方向性を見失ったことが契機になったようです。)、
 特に、Q氏が私に治療再開を求めてきた頃には、希死念慮がつよく危険であるため八王子の精神病院に入院までしたりしており(10月15日。甲A1の1、60頁)、中久喜医師でも、自殺企図を「押さえ込める」状態ではありませんでした。

(2) さらに、Q氏は、Q氏が私に電話をして治療の再開を要請し、私が「協力できるかもしれないが、それは中久喜医師次第である」と述べた、と記載しています。
 確かに、Q氏か治療再開の要請はありましたが、私が治療を再開したのは、Q氏から要請があったためではなく、中久喜医師から強い依頼があったからで、中久喜医師と幸子さん本人との話し合いによって、平成9年11月からのセッションを開始したのです。
 前回の陳述書でも述べましたが、この時、中久喜医師は、「治療の責任はすべて私が取ります。」と述べ、医療管理をすべて行うことを明言していました。

11 13頁〜「16.1997年11月;済世会中央病院第二セッション開始直後、面接後に自殺をしようとするパターンが繰り返される」について
(1) 11月12日は、セッションの最初の回でした。
 この時、幸子さんは、お母さんから、「私が結婚したということを告げられ(お母さんは、「私が失言してしまって」と私に話しています。乙A7・47頁)、不安定になっていました。

(2) Q氏は、「幸子さんはこの頃、桜井医師が『以前の(私の精神)状態を解凍しようとしている。そんなことをしたら大変なことになるのに、どうしてそんなことをする必要があるのか。』と訴えていました。彼女の『恋愛感情』を解消するというのならわかりますが、そうではなくわざわざ活性化しようとしている、という話でした」と記載しています。
 しかし、中久喜医師は、平成9年11月17日、幸子さんに、「終結ということにこだわるよりは、一応押し入れの中にしまっておいたDr桜井との体験を始末することによって感情をwork・・する。今までは感情がfreeze(凍結)していたこと。このギャップを現在、将来へとつなげていく。・・何が発展してゆくか分からないこと。」と述べています(甲A1の1・67頁)。つまり、中久喜医師も、幸子さんの感情を「解凍」することが正しいと判断していたのです。
 したがって、幸子さんの過去の感情を「解凍」するのは当然のことでした(ただし、私が、幸子さんの感情を「わざわざ活性化しようとした」ことはありません。)。
 モーニングワークにおいて、単に「恋愛感情はありません」と言い続けるだけでは、本当の意味で過去を乗り越えることにはなりません。
 過去を思い起こすこと、傷ついた場面についてもう一度話し合うこと、話し合った結果、誤解を取り除くなどしてわだかまりを解消し、きちんと決別すること、などが必要なのです。そうでなければ、モーニングワークをする意味がありません。
 そもそも、私と面接すること自体が、過去を「解凍」することにほかならず、私と面接することを要望したQ氏が、このようなことを言って私を非難するのは、矛盾していると思います。

(3) Q氏は、幸子さんが、「桜井先生の言っていることはコロコロ変わる」と述べていたと記憶しています。これが何を指しているのかわかりませんが、私は、幸子さんを(患者として)大切に思っているということ、死なないでほしいと思っていること、しかし、それは私が幸子さんに対して恋愛感情を持っているという意味ではないこと、恋愛感情にならないことなどを、伝えようとしていたのです(ただし、幸子さんの言葉に合わせず、「恋愛感情はない」とはっきり述べることは、危険な場合が多かったので、慎重に言葉を選んでいました。)。

12 14頁〜「17.『桜井医師が幸子さんに対して恋愛感情を表明している』ということを聞く」について
 Q氏は、幸子さんから、私が、「私はあなたに対して個人的な恋愛感情を持っていたし、今もそれはある。しかし、恋愛感情と結婚は別のものであり、一番大切な人と結婚できないこともある。一番大切なのは幸子さんだが、結婚は別のものなのだ」と答えたと聞いた、と記載しています。
 しかし、私は、慶応大学病院時だから一貫して、幸子さんに「個人的な恋愛感情」など持ったことはありませんでした(私が、幸子さんの命を救うために「愛情」などの言葉を使わざるを得ないことがあったこと、幸子さんにすべて閲覧させることになっていたために、カルテへも本心は書けなかったことなどは、前回の陳述書に記載したとおりです。)。
 さらに、私が、幸子さんを大切に思っているという趣旨のことを言ったことはありますが、それは、患者である幸子さんを大切に思っていること、患者である幸子さんを見捨てたりはしないことなどを幸子さんに伝え、幸子さんを不安定な状態から救おうとしたためです。

13 15頁〜「18.幸子さんからカルテのコピーを見せられ、桜井医師が『恋愛感情はかつてあったし、今もある』と明言した、という事実を認める」について
(1) まず、Q氏は、幸子さんから、カルテについて、「この時期(12月下旬ころ)になって桜井医師の方から見せてくれるようになった」と聞いた、と述べています。
 しかし、前回の陳述書で述べたとおり、カルテは、セッションの最初のころから幸子さんに閲覧させるようになっていました。

(2) カルテの記載にある私の言葉の意味については、前回の陳述書に詳細に記載したとおりです。
 幸子さんは、「私を一番大事にしてくれないと死ぬ。」と懇願し、私に気に入られようと努力し、私が「恋愛感情はない。」等と述べたことにより傷ついたと感じると「もう来ません。」と宣言し、ここで私が引き留めないと「引き留めなかったからもう死にたい。」と述べるなどということが盛んに繰り返されました。
 とくに困難だった点は、幸子さんが、「恋愛」に固執した点です。なんとか幸子さんに理解できる表現を用いて、まずは愛情が存在することを伝えなければ、幸子さんは死んでしまうと思われました。しかし、「人間的な愛情」「親の愛情」という表現では、幸子さんは受け入れることができなかったのです。幸子さんにとっては、「恋愛」で愛されているか、何ら愛されていないのか、の二者択一だったのです。
 また、言葉の順番としても、愛情はあるが恋愛感情はない、というのではだめで、恋愛感情はないが愛情はある、と言う順番でなければ幸子さんは納得しませんでした。
 とくに、幸子さんに生命の危険が迫っている時には、私も親子が感じるような原初的な愛情を持っているという話をするなど、何とか自殺の危機から救う必要がありました。
 私が「いかなる愛情も持っていない」と言って切ってしまえば、幸子さんはすぐに自殺してしまったと思います。
 そのため、私は、まず、第一段階として、ぎりぎり「愛情」という言葉を用いて、幸子さんを自殺企図から引き戻そうと、必死に努力したのです。
 私が愛情という言葉を使っているのは、押し問答の末であるという事実は、このことを明確に示していると思います。
 たとえば、平成9年12月27日、幸子さんは、「またオートパイロットがまわってしまった」(オートパイロットとは、本人にもコントロールできない、自動的な自殺行動のことです。)と言って電話をかけてきたので、私は、時間をかけて幸子さんを説得しました。しかし、しかし、「オートパイロット」はなかなか止まらず、幸子さんは、「こうやってまた迷惑をかけてしまうからもうやめます」「先生にとって私はさほど重要ではない」と述べるなどし、さらに、恋愛という文脈に固執して数時間にわたり即時の死をほのめかし続けながら私から恋愛という言葉を引き出そうとし続けました(乙A7・81頁)。
 また、私が「双方向に恋愛(原初的ですごいエネルギーの)感情はある。」と記載したのは平成10年1月7日のことですが、この時、幸子さんは危機状態であり、「私は桜井生にとって邪魔者なのだ」という話をされたので、延々とそうではない、という話をしました。しかし、幸子さんは納得せず、突然の自殺企図に走る危険性が高かったので、押し問答の末に、やむなく、このような話をしたのです。この時は本当に危機状態で、私は、中久喜先生と3人で話すことを提案しています。2日後の9日には、お母さんから危機だという電話があり、その直後から幸子さんからも電話があって、「あれだけ押し問答したあとでボールを投げたら好きだといってくれますよ」と述べていました。私は、危機を感じたため、翌日10日に中久喜先生にファックスを送っています。以上乙A7・82〜83頁)
 また、この時期、幸子さんとの面接には特殊な条件(カルテを全て幸子さんに閲覧させるということなど)が設定されていましたし、長谷川病院時代のような、いざという時には閉鎖病棟に入院させる等の安全網が存在しませんでした。したがって、カルテの記載も、そのような前提で読まなければなりません。幸子さんにとって、親の愛情という表現も、治療者との人間的な愛情という言葉も伝わらず、恋愛で愛されているか、人間存在としても何ら愛されていないのかの二者択一でした。カルテに記載された私の言葉は、幸子さんの命をつなぐための、救命のための努力の結果と言えます。
 さらに、幸子さんは、セッションが始まってすぐに、「幸子は『中久喜先生と桜井先生が共謀している』と言っているようで、中久喜先生にも桜井先生にも裏切られたと言い出した(非常な危機)。」(乙A7・71頁)という状態になってしまいました。幸子さんが“騙された”と感じる自殺の危険性が高まるため、私は、幸子さんに見ていただくことをも念頭に入れて、「中久喜先生と桜井との話し合いの内容は幸子さん本人が知っている以上のものは多分何もない、というのが全くの事実である」等と記載しています。
 また、「どこで現実感が消えたのか『3人でぐるになっていたら』に対する桜井の反応がはっきりしなかったか・・・『3人でぐるになる』についても〈そう言うことではない〉と反論」(乙A7・115頁)などと書いたこともあります。
 幸子さんは、ある意味人の真意にとても敏感な人でしたので、私は、さらに注意深く面接を進めざるを得なかったのです。

14 16頁〜「19.桜井医師が私に対して『恋愛感情があったし、今もある』と認める」について

(1) 正直なところ、この時の、Q氏との会話の詳細な内容を、私はあまり記憶していません。

(2) 幸子さんと、前述したような意味で「情緒が通じた」ことはありましたし、私は、幸子さんに対して、死んで欲しくない、成長して欲しい、病気を治して私から離れていって欲しい、という親心に近い思い(医師としても、個人としてもそう思っていました。医師であるならば、個人としても“患者に死なれたくない、よくなって欲しい”と思うのは、当然のことと思いますし、何ら非難されるようなことではないと思います。)を有していましたし、患者として大切に思っていたことも事実ですので、そのような前提で話をしたのではないかと思います。
 Q氏との会話の中で、上記のような“「(患者に死なれたくない、よくなって欲しいという)個人的な感情」は「恋愛感情」以外にありえない”と決めつけられ、押し問答となった記憶があります。
 ただ、Q氏との話し合いの内容は、幸子さんにそのまま伝わってしまう危険性があったため、私は、幸子さん自身に対するのと同じように、細心の注意を払いながらQ氏に対して回答していました(恋愛感情の否定は、幸子さんの死に直結する可能性もありました。)。
 また、ここははっきりした記憶があるのですが、私は一生懸命に治療を行うことイコール恋愛感情ではない、ということをQ氏に理解してもらうために、「Qさんが幸子さんを熱心に援助しているのは私も知っています。でも、だからといって、Qさんは幸子さんに対して恋愛感情を持っていると言えますか?」と質問しています。
 私の質問の趣旨は、字面のとおり、「一生懸命援助することイコール恋愛感情ではない」ということを示すためでしたので、Q氏が記載しているような、「私は、Qさんが幸子さんに持っている感情が恋愛感情ではないとすると、なぜQさんがこんなに幸子さんにかかわっているのか、どうしても理解できません。」という趣旨の発言はしていないはずです。
 また、私は、幸子さんに「恋愛感情」を持ったことはないのですから、前述のような注意を払いながらも、「恋愛感情はない」ということを、Qさんに伝えているはずです。
 「医師としての立場」または「保身」があったから幸子さんに対する「恋愛感情」を否定したなどということも、ないと思います(「医師として、そのようなことを言うはずがない)と説明したのかもしれませんが、この説明を、「医師としての立場」「保身」と解釈されたのかもしれません)。
 私が、「幸子さんをくださいとお父さんに言ったら大変なことになるよね。お父さんは苦手だから」などという趣旨の発言をしたと認めた、などという事実もありません。
 さらに、医師として治療している以上、「恋愛感情がなければ幸子さんに対してサポートはしない」という「基準」など、あるわけがないのは、当然のことですし、治療者としての立場を放棄していた事実もありません。
 なお、Q氏は、幸子さんに対して何度も詳細に内容を話したと述べていますが、私は、幸子さんから、このような話を一度も聞いていません。

15 20頁〜「20.恋愛感情を表明されて以降の幸子さんに対する支援と桜井医師に対する要請」について
(1) まず、そもそも、中久喜医師の下でのセッションにおいて、「桜井医師との面接や電話のあと幸子さんが必ず自殺をしようとする」という記載ですが、これはあり得ません。
 私と幸子さんは、週2回面接(水曜日と土曜日)、週に3回電話(月曜日、火曜日、金曜日)をしていましたが、幸子さんは月曜日、火曜日、金曜日は、電話のあと、接骨院でアルバイトをしていました。自殺をしようとするほどの危機が迫っていたら、アルバイトなどできなかったはずです。

(2) さらに、私と幸子さんの面接は、時に深夜になりましたが、この頃は、面接が終わっても誰も迎えに来ないのが普通でした。そのため、幸子さんを一人で帰すには危険があると感じた場合には、救命の必要性があったために、やむをえず面接時間を延長し、落ち着いたと判断してから帰すようにしていたのです。

(3) また、Q氏は、「桜井医師がいつも、彼女の自殺の危険性を高める会話をあえてしていた」と述べていますが、とんでもない言いがかりだと思います。

 「恋愛感情」「恋愛関係」という話は、いつも幸子さんの方から持ち出されていました。
 中久喜医師も、幸子さんに対し、私にこの点を話すように指導していました(平成10年6月26日「(幸子さん)彼に抱かれたいというニーズはある。〈(中久喜医師)それを言ったらどうか?・・・彼がどうであれこの関係を続けてあなたの心を復活させよう(甲A1の1・126頁)」、平成11年2月6日「(中久喜医師)桜井医師に対する気持ち(セクシャルな気持ち)を言葉で表現すること。(甲A1の1・180頁」など)。
 また、私が「いつも彼女の自殺の危険性を高める会話をあえてしていた」という事実があったとしたら、なぜ、中久喜医師は、面接を中断させなかったのか(逆にN医師は、私と幸子さんの面接を継続するように指導しています。)、また、Q氏は、何故、中久喜医師に面接の中断を要請しなかったのか、まったく説明がなされていません。

(4) さらにQ氏は、「桜井医師自身が・・・幸子さんの自殺を止めた事実は一度もありません。」と述べています。
 しかし、私は、幸子さんの自殺を止めさせようと、努力をし続けていました。幸子さんは、よく自殺を口にしていましたが、幸子さんが自殺を口にする度に、また、自殺の危険性を感じる度に、幸子さんを説得して自殺を思いとどまらせていました(たとえば、平成10年12月27日・28日[乙A7・80頁]など)。このことは、前回の陳述書でも詳細に述べているとおりですし、幸子さん自身も、「ふつう先生はうまく引き止める」と述べています(乙A7・91頁)。
 もちろん、私は24時間幸子さんについていたわけではありませんので、私が説得できたのは、面接している時、または電話をしている時でしたが、それ以外に、中久喜医師が面接または電話している時には中久喜医師が、Q氏に助けを求めている時にはQ氏が説得を行った、ということです。

16 このように、Q氏の陳述書は、一方的な解釈があまりに多く、事実と異なっています。
 前回の陳述書でも述べたとおり、私は、幸子さんを救命するために、最大限の努力を払っていたのです。

以上

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