裁判についての精神科医たちからのコメント(2)
東京都内のある精神科医によるコメント:2006年6月〜9月
裁判全体について
ご送付いただきました書類、一読いたしました。
訴状に述べられている、恋人役、治療関係を終了したあとの電話での繰り返しのやりとりのあったことなどが真実であるならば、少なくとも被告医師に精神科医としてあるまじき対応と言動のあったこと、そして、入院治療時の被告医師の管理者である精神神経科診療科長がしかるべき管理を怠っていたことが彼女を自殺に追いやったのであろうと推測します。
H医師・K医師の反論は「一般論」を手前勝手に述べているだけで、現実に被告医師と彼女との間のやりとりに基礎をおいて個別的な問題を議論しているとは到底言いがたいものであるように感じます。議論が原則論に傾きすぎていて、実際の医療過誤や怠慢についてはあまり議論されていないようにも思われます。
H医師・K医師の意見書では、元々彼女に重い病理があり、自殺企図もあったと述べられていますが、彼女の自殺空想と自殺企図との区別がなされておらず、この結論も信頼できるものではありません。
例えばA大学病院入院後の最初の「自殺企図」も重いものであったように判断されていますが、彼女は現実に彼女の身体に傷を付けたのでしょうか。「未遂した」と被告医師に述べただけではなかったのでしょうか。被告医師は彼女の申告通りにそれを受けとり、彼女の言葉の裏側にある心理、すなわち、被告医師に救助される自分についての空想を言語化しているという可能性に思いをめぐらすことさえしなかったのではないでしょうか。いずれにしても被告側医師の議論が専門的に求められるレベルに到達しておらず、ただ彼女の病理が重かったから自殺したのだ、と都合の良い結論を述べている印象があります。
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(1)ボーラーラインというのは、誤診である。
本当は、うつ病であろう。ボーダーラインの患者には、転移が長く続く、といった症状は見られない。
(2)準備書面では、治療の形式的な問題ばかりを争っているが、幸子さんの心の動き、被告医師の態度に対する心の動きを生々しいものとして提示することにより、裁判官の気持ちを動かすことが出来たのではないか、と思う。
(3)被告医師は、1995年5月におきた千鳥が淵の「自殺未遂」に際して、過剰に反応し、行動制限などをかけているが、これは「自殺に追い込んでいる」ことと同じであり、彼女の気持ちなど理解していない。実際には、自殺ではなかったのであろう。
(4)「医療過誤」である、と指摘出来る点:
基本的な転移分析と転移解釈が欠如している。幸子の「転移」は、元恋人に対するものがベースになっている。恋人から不誠実な態度で関係を切られていたので傷ついていたが、被告医師も同様のことをして「傷口に塩を塗り込んだ」。
彼女の「恋愛転移」のベースには「怒り」の感情があり、そのような解釈を彼女に伝えていれば、転移は解消に向かったはずである。
「怒り」の感情は、不誠実な対応に対する反応であり、元恋人に対する気持がもとにある。しかし幸子の病的な点は、不誠実な対応によって傷つけば、正直に相手に対して怒ったり、自分から関係を切ったりすればよいのに、全て自分のせいにして(抑うつ的に)、自分を傷つけて、結果的に相手を守ろうとするところにある。
こういうところを被告医師は分かっていなかったし、分かろうとする治療的な対応をしていない。「あなたのことは好きではない」と言い続けるだけ、という態度は、そもそも精神分析とは言えない。
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A大学病院精神神経科入院時のカルテについて
1995年3月4日付、入院直後のカルテについて:
「○×医大受診中,希死念慮出現」「1995/3/4: 彼と別れた後から何となく死にたいというようになった。薬をためていたが妹に見つかり取り上げられた。首吊りはやってみたらどうなるかなと遊びみたいな感じで...。」
コメント(1):
これは厳密な意味での自殺企図ではない。それにもかかわらず医師たちは、「今は死のうとはしないですね」という、あたかもその危険があるかもしれないということを前提とする対応をしている。それでは,この言葉が自殺空想であったか、それとも、企図であったかを検討することはできない。
看護記録からは、入院当初から自殺企図行動が認めなられない。それにもかかわらず看護師たちは、入院始めより自殺企図があった、衝動性が高い、という記述をしている。この記録は不正確かつ不適切である。
また母方祖母の自殺が家族内で未解決とも述べられているが、その証拠となる家族内での出来事や会話などについて記述がない。
これとは対照的に、就職活動準備のために自己啓発セミナーに出ていたこと、また、自分が入院している間に同級生は就活をしている、そのために焦りを感じる、ということを聴き取りながら、これを健康な自我であると捉えた対応が全くない。それどころか、その後被告医師は、就活を禁じ、留年することを患者さんに強いている。これは患者に対する虐待であるとも言える。
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1995年3月11日付、A大学病院、被告医師のカルテについて:
Pt「依存心が出て、すごく頼ってしまいたくなる」<元々頼らないタイプで、バランス難しい?>
コメント:
<元々頼らないタイプで、バランス難しい?>という被告医師の対応に見られるように、患者さんを不安定な気分にするような対応が見られる。依存心発生の由来、たとえば「何が依存心を刺激していると思われますか? 何がそんなにすごく頼ってしまいたいという気持を起こさせるのでしょうか?」と質問するのが定石であるのに、<元々頼らないタイプで,バランスが難しい?>と質問して、通常と比べて具合が悪い、ということを示唆している。その結果、患者さんは不安定になっていく。
こういった対応は、希死念慮が表明されたときの被告医師の対応にも見られる。患者さんが希死年慮を表明したときには、自殺の危険性を患者さんと共に検討するのが定石である。ところが被告医師は、希死年慮が表明されてすぐさま「自殺の危険性がある」という前提に立った対応を繰り返している。このような対応は、患者さんを不安定にする。
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1995年3月14日、3月16日付、A大学病院、A医師のカルテについて:
「毎日DIVしていたときは、こんな気持ちや息苦しさは襲ってこなかったので大丈夫だと思っていたんですが・・・。死にたい様な気持ちになってしまうんです」「とっても大切なおさいふ(ヴァイオリンでもいい)がなくて、それもどこに落としたか見当がつかずに、どうしようと思う気持ちがずっと続く感じ」
「私達家族がいるのになんであの彼の事にこだわるんだ。私はこうやって毎日お見舞いに来ているのに・・・。"そんな恩着せがましく言うなら来なくていいわよ。"ってやりあっちゃったんです。どうも自分を肉体的にも精神的にも傷つけたくなってしまうんです。昨日も電気コードでちょっとやってみようかと思ったんですけどダメですね。そう簡単には死ねませんね。死にたいというより、自分を傷つけたくなってしまうんです」。
コメント:
以上のように、明らかに自殺空想が語られているのであるが、これを空想と捉えず自殺企図と捉えてしまっている。そして、恋人の喪失について客観視する支援が面接内でも病棟でもなされていない。たとえば、「就職は決して焦らず、もう一度本当に自分は何をしたいのか考えてみること。絶対に自分を傷つけることはしないことを約束させる」という記録が残されているが、どんな希望を就職に抱いていたか、今は就職についてどんな事を考えているか、仮に今の悩みがなければ、どんな就職活動をしていると思うか、などの質問がなされてしかるべきである。それによって、後退している健康な自我を刺激する事ができるし、それが抑うつを克服する原動力にもなる。
ところが,そうした治療者側の努力が見られない。当時A医師は研修医であり、被告医師は、このような約束をさせることの利益と不利益についてA医師が理解できるように指導する立場にあったはずであるが,そのような指導がなされた形跡もない。
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被告側意見書について:
被告準備書面は都合の良いことばかりが述べられている。実際のやり取りを示さずに抽象的に問題を述べて治療者の正当性を主張する、という論法であろうか。A大学病院のカルテを振り返ると、自殺の危険性を重視しすぎて、彼女の健康な部分を評価しなかったところにすべての問題の萌芽があったことが読み取れます。その後は同じ事の繰り返しであったように思います。彼女は彼の偽善性を追及されておられたように思います。それが止められなかったところに転移が作動していたのでしょうか。
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判決文について:
今回の敗訴の理由は,率直なところ問題点の訴え方の稚拙さのため,裁判官に問題点が伝わらなかったことによると思う。
「友人として」彼女と会ってやりとりする、と被告医師はカルテの中で述べているが、それは、治療関係を終了した後にありえることあろう。ところが、そのような「友人関係」の中にいると患者に言いながら、N医師に対しては「精神科医として」、という言葉を持ち出している。いわゆる二枚舌である。
最後の自殺直前の彼女と被告医師とのやり取りがどのようなものであったのかがもう少し具体的に分かれば、彼がどのように彼女を死に追いやったことが明白になるであろう。
とはいえ、これまでに何度も何度も彼は彼女を自殺企図に追いやっているので、そのやり取りの形式と内容は、それまでのものと同一のものであるはずである。この点を裁判で明らかにしなかったため、最後のやり取りの証拠云々、と裁判官に言わせてしまったのであろう。
いずれにしても彼女の自殺企図はA大学病院退院後に生じたものであり、入院前や入院中ではなかった。退院後の自殺企図は、反復強迫と呼ばれるものであり、それに毎回被告医師の拒絶がからんでいる。そして最後の自殺既遂にも、被告医師の、「距離をおいておいたほうが良いと思う」式の拒絶があった。
したがって、裁判官はミスジャッジしたと言える。
精神科医を訴えるHP