対照表

苦情申立書

 

日本●●学会倫理委員会委員長様

 

 私たちは、故●●幸子(以後幸子と略記)の遺族です。幸子は5年にわたる精神科治療の末、20005月、不幸にして自殺に至りました。幸子の病状は、19953月、慶應義塾大学病院精神神経科入院後、入院以前とは比較にならないほど悪化し、強制退院直後から自殺企図を繰り返すようになりました。

 そのため、私たちは、当時、幸子の主治医であった桜井昭彦氏(以後、桜井氏と略記)の治療方法や幸子に対する治療者としての関わり方に欠陥があり、同病院における入院治療が、最終的な自殺をもたらした出発点となったのではないかと考えました。

 そこで、複数の日本●●学会会員の専門家に意見を求めましたところ、会員の一人から桜井氏には精神分析的臨床家として倫理上の問題があり得る、また貴学会倫理委員会に苦情を申し出て専門学会としての意見を求めることができる、という助言を得ました。そこで書状によって苦情を申し出たいと考えるに至りました。

 以下、6点にわたり、貴委員会にご検討並びに調査をお願いしたいと思います。

 

決定通知

 

平成19年8月31日

 

苦情申立人

遺族殿

 

当会会員 桜井昭彦殿

 

日本●●学会 倫理委員会

倫理委員長 ●野●●郎

同副委員長 ●地 ●

 

決定

 

本委員会は、上記苦情申し立てにかかる、桜井昭彦会員に対する6点の苦情につき審査した結果、桜井昭彦会員を処分しないものと決定致しました。各苦情に対する本委員会の判断は下記のとおりです。

 

1.桜井氏が誤った情報と判断に基づいて、誤った治療方針を導入したことについて

慶応大学病院の幸子のカルテには、入院前に幸子が自殺企図を行ったかのように記録されていますが、これは事実ではありません。そのような誤りは、当時幸子と私たち家族に聞けばすぐに修正できたはずです。カルテには、幸子が慶応病院入院前に希死念慮を抱き、薬をためていた、と記載されています。かりにそれが事実だとしても、そのこと自体は自殺企図ではありません。しかも桜井氏は、幸子からその動機を含めて十分な聴き取りをしたとは言いがたく、唐突に幸子の自殺危険性が高いと決めつけた印象があります。

その後、入院期間全般にわたり、正しい情報収集とそれに基づく患者に関する正確な理解を桜井氏が行った形跡は見られません。それどころか、誤った情報に基づいて、幸子の自殺の危険性が極めて高いと考え続け、そのような観点から幸子の治療に関する全てを判断し決定していったと考えられます。以下で、桜井氏の誤解がどのような判断ミスと誤った治療につながったかを見ていきたいと思います。

まず、入院後の最初の自殺企図エピソードである千鳥が淵における首つり未遂についてです(1995517日)。実際には、幸子は病院を無断で抜け出して家族に電話をかけただけで、自殺企図にすら至っていませんでした。ところが桜井氏は、自殺企図したと判断して、外出禁止などの拘束性の高い治療方針に傾斜していきました。

そのような治療方針も含め、幸子は、桜井氏に十分に理解してもらえていないという印象を、治療の多くの局面で感じたため、そのような印象を伝えるために、桜井氏やスタッフに対してさまざまな発言を行っています。ところが桜井氏は、そういった幸子の発言の真意を理解しようとせず、むしろ、自殺の持続的な危険性の表現であると勘違いしました。そのような誤った判断に基づき、彼は外出禁止等の治療方針を決定していったのです。

その典型的な事例は、1995627日から翌28日のカルテに示されています。まず627日午後3時に、幸子は桜井氏と面接がありました。しかしこの面接後、桜井氏に自分の気持が伝わっていない、と幸子は考えました。そこで、そのような自分の考えを伝えるため、同日夕方7時半頃、再度面接を求めて話しました。しかし、このような幸子の意図は残念ながら桜井氏に通じていません。それは、この面接記録にある「考察」という桜井氏による記載を一読すれば明らかです。この記述で同氏は、幸子の言葉の断片を捉えて、それを出発点に桜井氏自身の恣意的な空想を膨らませて、それがあたかも幸子の内面の問題であるかのように論理展開しています。その結果、桜井氏の幸子に関する理解は、幸子自身の実体と距離のあるものになっています。

1995628日、幸子は、入院治療が正しい理解のもとで進められている訳ではないということを感じ、桜井氏に対して退院を申し出ました。しかし桜井氏は、「自殺するために退院を申し出ている」という重大な判断ミスをおかし、そのような誤った判断に基づいて、入院継続およびその他の治療方針を導き出してしまいました。

 以上はほんの一例でしかありません。これと同様の出来事は、幸子が強制退院に至る199511月末に至るまで、繰り返し起きています。例えば、幸子はしばしば「死にたい」、「死にたいくらいだ」と桜井氏や周囲のスタッフに述べていました。桜井氏は、こういった表現の仕方に惑わされることなく、患者の真の気持ちを理解するように努めるべきであったと思います。しかし同氏は、そのような努力を怠り、危険性の高い希死念慮であると誤解したため、自殺の危険性が極めて高いと見積もり、本人の入院生活上の自由を制限しました。

 また幸子は、517日の無断離院以来、「入院治療を受けても失うものばかりで、特に得るものは何もない、何も良くなっていない、だから退院したい」という趣旨のことを言い続けていました。しかし桜井氏はそのたびごとに、「退院が自殺の危険性を高める」、あるいは、「自殺をするために退院しようとしている」という誤った判断のもと、入院を継続するようにし向け、拘束性の高い治療を継続しました。

 以上述べてきたように、桜井氏の判断ミス、そしてそれに基づく誤った治療方針の導入は、入院直後から始まっていました。その原因は、桜井氏が幸子の自殺の危険性を、入院当初から冷静に評価できなかったことにあり、その背後には彼の個人的な経験があったと思われます(桜井氏は、友人の自殺、そして母親の自殺未遂を経験したことが、幸子に対する彼の対応に反映されている、という趣旨のことを中久喜氏に伝えています)。

 しかも、そのような彼の誤った判断は、治療チーム全体に波及しました。その結果、担当研修医もナースも「自殺はいけない」式の発言を幸子に繰り返しました。このような対応は、自殺計画を立てて実行しようとしていたわけではない幸子にとって大きなショックであったと思います。なぜなら、そもそも幸子には自殺を避ける必要性はなく、長年の夢であった就職活動を円滑に行うことを願って入院したからです。私たち家族としても、幸子が自殺をしようとする、ということが全く理解できませんでした。しかし、治療者として桜井氏を信頼する以外にはなく、そのため、彼の判断と指示に従わざるを得ず、自分達の理解とは相違していても、専門家の判断だと思って、桜井氏の指示に対して異論を挟むことができませんでした。

 以上述べましたように、私たち遺族は、入院当初の桜井氏の自殺危険性に対する評価およびそれに基づく拘束性の高い治療方針に問題があったと感じております。その適切性に関して、貴委員会に検討していただきたく、お願い申しあげる次第です。

1 入院当初における、桜井昭彦会員(以下「桜井会員」といいます。)による故●●幸子氏(以下、裁判所の判決書に倣って「本件患者」といいます。)の「自殺危険性に対する評価およびそれに基づく拘束性の高い治療方針が不適切であるという苦情申し立てについて

 

 この点については、裁判所によって、本件患者は平成71月頃から希死年慮が強くなってきたこと、同年3月当時から境界性人格障害の症状を呈していたこと、および平成7517日に千鳥ヶ淵において自殺未遂をしたことが認定されております。

 これらの事実および裁判所により認定されたそれ以外の事実を前提とすると、桜井委員による本件患者の入院当初の自殺危険性に対する判断及び入院治療経過中に見られた外出制限の提案に至る桜井会員の理解や判断、それらの判断に基づく処置に不適切な点は認められません。

2.誤った治療方針が、患者である幸子に与えた重大な被害について

 桜井氏は以上のような判断ミスと誤った治療方法を実施する一方で、幸子が治療によって奪われた数々の可能性については全く考慮していません。たとえば就職の可能性です。大学を卒業していく学生にとって最大の関心事であるのが就職であることはいうまでもなく、幸子もまた同様であり、彼女が就職に対して示していた意欲は、決して低いものではありませんでした。幸子は入院後も就職活動を続けていて、それはカルテにも記載されています。しかし桜井氏は、そのような幸子の意志を尊重することもなく、また、それが就職の機会を奪い取ることになるのにも関わらず、桜井氏は外出禁止を命じると共に、千鳥が淵への無断離院後には、幸子に対して就職断念を強引に勧めました。ここにカルテの抜粋を記します。

 「<就職活動の書類?>そう。<どんな方向に行きたいの?>出版関係。妹も勧めてるんだ。でもDr桜井には”ムリだっ”て言われた」(95524日付けの看護記録より)「Drさくらいには内緒ね!  先生には就職やめろっていわれているの。<就職したい?>そりゃあお金ほしいもん。フリーターでもいいんだけど。安定してないでしょ。パンフレットを見ながら話をする。<行動制限があって面接に行けないんじゃない>そうなんだよね。でも、資料は集めておかないと、いざというときになって考えているの」(95530日付けの看護記録より)。「就職に関してはDr桜井と話してしない事にした」(9562日付けのカルテより)。

以上のように、幸子は、桜井氏の指示によって就職活動をする機会を奪われましたが、このことが、幸子にどれだけの被害を生じさせるものであったか、という点について、次に述べておきたいと思います。

 幸子は、高校生時代にかなり明確な人生設計を立てていました。その計画は、国立大学もしくは六大学のどこかに入学し、有意義な大学生活を送った後に、一流企業に就職して、そこで自分が認められるような仕事に就き、そして豊かな生活を家族とともに送る、というものでした。したがって、大学入学前から入学後に至るまで、たとえばゼミの選択など、すべてのことが、就職とその後の人生に照準を合わせたものでした。

 したがって、大学をストレートで卒業せず、しかも卒業後にも、もともと望んでいたような就職もしない、ということを決断する、ということ自体が、幸子にとっては極めて重大なことでした。そして、実際にそのような決断を下したことは、彼女にとって大きな精神的なダメージであり、さらには喪失体験でもあったのです。それは、ただ卒業を一年延ばす、ということなのではありませんでした。幸子にとっては、それまで自分が積み上げてきたもの一切ゼロにすることに等しいことだったのです。

 しかしながら、以上のような幸子の人生設計や心情について、桜井氏が理解していたとはとうてい思えません。それどころか、カルテには、次のような記録があります。

 「<Ptはモラトリアム路線がいいと思う>(高学歴だが一杯寄り道しながら自分の道を探すタイプ)と言ってみる。(これは、桜井、山田Drがモデルになりやすい)」(95718日付け、桜井氏のカルテより)。

 このように、就職を希望する女子大学生である幸子に対して、桜井氏も研修医も、自分たちが「モラトリアム」の「モデル」であるかのように表現伝達した上で、就職せずに「寄り道」をするように、というかたちで、「モラトリアム路線」などというものを押しつけています。しかし、これは幸子や私たち家族が望んだ治療ではありません。

 このように就職活動の機会を奪ったことにより、結果的に桜井氏は、幸子から卒業の機会をも奪ったことにもなります。当時、大学4年生は、就職活動を続ける中で、夏前までには就職先にある程度のめどをつけ、就職先が決定した段階で卒論作成に集中する、というパターンで卒業にこぎ着けるのが一般的でしたから、幸子ならずとも大学4年生一般に言えることですが、就職先など進路の決定こそが卒業の前提でした。したがって、就職を希望している幸子にそれを断念させるということは、卒業の意味が見いだせない、という状況に本人を追い込むことを意味したのです。

 そのように就職活動の機会を奪われてもなお、幸子は卒論を書き上げて卒業を目指すという可能性を捨てきってはいませんでした。しかし桜井氏は外出禁止を解除せず、実質的に、幸子がゼミの教授と直接相談して自ら決断する自由を奪っています。以下、カルテを引用します。

 「卒論どうしようかと思って......。<Ptとしては?>やればできると思うんだ。ただ、その場合学校に通わなくちゃできないからね。外出さえ許可されればいいんだけど。<しかし、今の状態で[毎日?][通学]するのはどうか?>Dr.にも止められてるんだよね」(95717日付、看護記録より)。「卒論のことは、心配。やればやったで、できるし、やらなければやらないで、いいんだけど、どっちか、はっきり決まらないことで苛々する。別に卒論書くこと自体は、ストレスではない。今からでも書こうと思えば全力で書き上げられちゃう」(95718日付け、看護記録より)。

 以上のように、卒論を書き上げる意欲は十分にありましたが、外出を禁止すると命じられているなかで「モラトリアム路線」なるものを桜井氏によって押しつけられたため、幸子は留年を決めざるを得なかったのです。幸子にとって、卒論を書くか書かないかを決断する上で、この夏休み前の数日間は決定的でした。それでも桜井氏が外出禁止を解除しなかった背景には、自殺の危険性ありという判断があったからと考えられます。しかし、卒論を提出して大学卒業を目指すという意志を示す幸子のどこに自殺の危険性を見出したというのでしょうか? 

 留年を決めた時、桜井氏は幸子に対して「良く決断してくれましたね」と言いました。これは幸子から母親が聞いたことです。幸子自身は、本当はストレートに卒業したかったのです。しかし、桜井氏が「就職はするな」、「留年しなさい」、と言い続けたために、それに従わざるを得なくなってしまったのです。こうして幸子は、19958月前には、留年を決め、桜井氏の意向にそった形で、新しい方向性を考え出さざるをえませんでした。それは、卒論を1年かけて仕上げ、その間に大学院受験や学士入学の可能性をさぐる、というものでした。

 このような新たな方向性に、幸子が大きな希望を抱いていたわけではありません。桜井氏の意向にそって、最大限の妥協をしたまでです。これによって幸子が感じていたのは、大いなる喪失感であったと思います。なぜなら、それまで10年近く抱き続けてきた人生設計を放棄させられてしまったからです。それでも幸子は、自ら考えた新たな方向性に、何らかの希望を見出そうとしていたと思います。しかしながら、桜井氏がそのような彼女の心情を理解していたという形跡は全く見られません。むしろ彼は次のように述べています。

 「Ptは院、仕事、などしか考えていないが、モラトリアム的なこと(バイト、ボランティア、etc)をすすめておく」(95920日付、桜井氏のカルテより)。

 つまり桜井氏は、幸子から全てを奪って精神的に追いつめ、その上、ようやく考えついた将来の構想をも断念させて「モラトリアム」を押しつけているのです。このような記録を読むと、桜井氏の「治療行為」とは、幸子への侮蔑、精神的虐待に他ならなかったのだ、と私たち遺族は考えます。

 以上述べてきましたように、桜井氏は拘束性の高い治療方針により、幸子に対して重大な被害を与えています。このことについて、専門的なご意見をお聞かせいただきたいと思います。

2 桜井会員が拘束性の高い治療方針により本件患者に重大な被害を与えたという苦情申し立てについて

 

 桜井会員が本件患者へモラトリアムを押しつけたか否かが、裁判所によって認定されておりませんので、その点をめぐる事情は不明ですが、前述のように、本件患者の入院継続及び外出制限という治療方針をとることは精神医学的に見て妥当であり、不適切な点は認められません。

3.強制退院という措置に関する桜井氏の判断とその手続きについて

 すでに述べましたとおり、幸子は、「入院治療を受けても失うものばかりで、特に得るものは何もない、何も良くなっていない、だから退院したい」ということを、入院して数ヶ月後には、桜井氏に申し出ていました。なぜ、幸子がもっとしっかりした自己主張をしなかったのか、なぜ、桜井氏の治療続行に押し切られたのかは、分かりません。しかし、このような治療関係の中で幸子の将来に向かう意欲が押さえ込まれれば、離院などの行動が生じるのはむしろ当然なのではないでしょうか。ところが桜井氏は、それら行動化が起きるごとに、自殺の危険性の増大である、と繰り返し誤った判断を下しています。

 桜井氏が治療方針の基本的な問題として取り上げた自殺の危険性ですが、それは桜井氏の投影性同一視によって明らかに脚色されて実際以上の危険があるとみなされていました。それによって幸子は行動制限を受けて就職や通常の卒業の機会を失いました。その結果、意欲は低下して、同時に「イライラ」と表現される感情・衝動が突出するようになったと考えられます。こうして無断離院防止のために閉鎖された病棟の扉の鍵を求める行動が出現しました。幸子は病棟の鍵の入った部分のガラスを壊しました。これによって桜井氏は慶応病院精神神経科病棟での治療の限界を超えたと判断しました。そしてあまりにも唐突な強制退院という手段をとりました。「就職の機会も卒論を書く機会をも奪っておきながら、病棟でちょっとした行動化が生じたならば強制退院とは、あまりにも不適切かつ自己中心的な論理展開ではないか」。これが、強制退院に対する幸子の素直な気持ちであったと私たち遺族は考えています。

 しかも退院後、桜井氏は、再び自殺の危険が高いという理由で大泉病院への入院を執拗に勧めました。もし自殺の危険性がそれほど高いのならば、なぜ、適切な転院先を決めてから退院手続きをしなかったのでしょうか。また強制退院の前に措置入院を可能とする精神科救急鑑定を依頼することもできたはずです。退院後、桜井氏は私たち遺族に対して、自殺の危険性が高いから大泉病院に入院した方がよい、と話すばかりで、幸子から話を聞こうという態度は見られませんでした。こうして年明け(19961月)に過量服薬で幸子にとっての最初の深刻な自殺企図が発生しました。

 この強制退院についての判断およびその手続きが適切なものであったかどうか、専門的な立場から評価していただきたいと思います。

3 本件患者に対して強制退院という措置をとったことに関する桜井会員の判断とその手続きが不適切であったという苦情申し立てについて

 

 上記に加え、平成71129日、本件患者は、病棟を抜け出すため、ガラス箱を割って非常用の鍵を取り出そうとしたことが裁判所によって認定されております。このような行動化は、他の入院患者への影響など、病棟管理上の観点からも重大な問題と見られますので、桜井会員が、開放病棟における入院治療は困難であると判断し、閉鎖病棟のある病院への転院を提案したことは、精神科医として通常とりうる妥当な措置であったと考えられます。

 申立人は、強制退院措置を問題としております。しかし、この点について裁判所は、桜井会員が慶応病院を退院する前日(平成7年11月30日)に開放病棟での診断継続は困難であると本件患者へ告げて閉鎖病棟のある病院への入院を勧めたものの、本件患者と両親がこれを拒絶して同年12月1日に慶応病院を退院したと認定しており、桜井会員のとった措置は強制退院というものではなかったものと見られます。

 

4.桜井氏の治療者としての言動や態度、およびそれらと幸子の自殺との関連について

 桜井氏は、幸子が慶応大学病院精神神経科に初めて入院した19953月から20005月の自殺に至るまで、幸子の治療に断続的に関わっていました。たしかに、幸子が自殺企図して他の病院に入院している間は、その医師・患者関係が途切れましたが、毎回の退院後に再び治療関係は復活していました。

 その中で、第一に取り上げねばならないのは、199711月から994月まで、および20004月から5月までの治療関係とそこにおける桜井氏の態度です。幸子は、972月から、貴学会員である中久喜氏による治療を受けていましたが、199711月から994月まで、および20004月から5月まで、桜井氏に対して、医師としてではなく、「友人」として幸子と関わることを幸子が強く希望し、幸子および中久喜医師がそのような希望を伝えた結果、桜井氏はそれを承諾して、幸子と治療関係を持ちました。

 しかしながら、9711月から994月まで、桜井氏が幸子とコンタクトを持っていたのは、主に東京都済生会中央病院の病棟内であり、また、その経過についても桜井氏は、同病院のカルテに記載していました。したがって、「友人として」関わるという幸子との約束とは裏腹に、桜井氏は精神科医として活動していたと言わねばなりません。これは桜井氏の二枚舌、建前と本音の解離、幸子への裏切りです。

 次に取り上げなければならないのは、以上のような断続的に継続された治療関係において、桜井氏が常に、最後まで自分の責任において幸子を診ることができずに途中で放り出す、ということを繰り返していた、という点です。振り返ってみれば、そのような桜井氏の治療者特性は、入院治療の時から明白でした。このような治療者特性を、幸子は繰り返し指摘し、これを正すことを要請していましたが、桜井氏は最後までそれを修正・改善しませんでした。それでも幸子は、彼との関係再開を希望しました。それは、桜井氏にそれまでの治療の不適切さを認めて謝罪してもらいたい、その上で、適切な治療を最後まで行ってもらいたい、と幸子が思い続けたからだと思います。つまり、「転移性恋愛」の背後には、そういった幸子の桜井氏に対する「怒り」があったと考えられます。しかしながら桜井氏は、そういった幸子の真意をくみ取ろうとせず、拒絶的な態度を取って幸子を放り出すことに終始しています。その結果、そのような桜井氏の態度に傷ついた幸子は、常に自殺企図を起こさざるをえず、そして最後は自殺既遂に至ってしまったのです。

 以上挙げた二点にわたる桜井氏の治療者としての不適切さについて、幸子は明確に認識していました。そのことは、彼女が桜井氏に対して繰り返し指摘し、さらに、1999年、および2000年に、提訴しようとして、その準備行動を取ったことによって明らかです。しかし、提訴に踏み切らなかったところ、そこで自殺既遂したところに幸子の問題が潜んでいたと言えるのかもしれません。

 上述の通り、19972月以降、幸子は中久喜氏を主治医としていました。ところが、20003月、幸子は、桜井氏とのコ・カウンセリングを受けるという提案をしました。この時、幸子はすでに伴侶との同居を始めておりましたし、20005月には結婚披露宴を予定しておりました。それにもかかわらず幸子は閉じていた桜井氏との治療関係を友人関係に置き換えて再び開こうとしました。それはおそらく彼女の桜井氏に対する怨念が自分の結婚生活を侵害しないようにしたいと願ってのことだと思います。

 しかし桜井氏は、そのような幸子の意図を全く理解しないまま、幸子の提案を引き受けました。その結果、同年4月以降、二人はコ・カウンセリングを始めましたが、今回もまた、その経過において桜井氏がバーンアウトしてしまい、同年5月、同氏は「距離を置く」という言葉を幸子に伝えました。当然、このような拒絶の言葉は、それまでと同様に、幸子の希死念慮を増強させるだけでした。

 以上のような経過で、桜井氏から拒絶されてからすぐに、幸子は「桜井氏の治療態度と言動が許せない、できることなら裁判に訴えたい」と考え、慶應義塾大学病院および済生会中央病院に本人のカルテが保存されているか否かを確認し、夫(M)の友人を介して弁護士の意見を求めました。夫がその友人から電話で、「精神科の訴訟は必ずしも容易でない」という弁護士の意見について説明を受けているのを、幸子はベッドで聞いており、その途中、ベッドから離れて縊死しました。

 この自殺への幸子の最後の動きは、この時だけの桜井氏の拒絶に反応してのものであったわけではありません。事の途中で幸子を放り出すという桜井氏の営みは、慶応病院入院中から繰り返されていたからです。20005月に至るまで、「私の五年間を返してほしい」と幸子が桜井氏に対して訴え続けたのは、桜井氏によって思春期以来の念願であった就職を断念させられたこと、留年を強要させられたこと、そしてモラトリアム路線への人生航路変更を押しつけられたことに起因していると考えられます。しかし桜井氏は、そのような幸子の思いを全く理解できていません。

 桜井氏は、結果的にコ・カウンセリングを引き受けたことになりますが、幸子の真意を理解したうえで、それにそって彼女に関わろう、などという意図は持ち合わせていなかったと思います。というのも、桜井氏は、幸子が20003月中旬にコ・カウンセリングを提案した時点で、最初は大変に拒否的だったにもかかわらず、3月末には突然、「会いたい」と幸子に申し出たからです。桜井氏がこのように突如として態度を変えたのは、彼が幸子に対して「和解」を求めたからであることが、後でわかりました。彼が「和解」なるものを求めたのは、まず、幸子からの提訴を回避するためであり、そしてさらに、「入院治療の失敗」という桜井氏の自己愛の傷つきを修復するためだった、と考えられます。こういった「和解」への行動は、これが初めてではありません。たとえば桜井氏は、済生会中央病院における治療で、自分のCDを幸子にプレゼントしています。この治療者としての逸脱もまた、同様な不純な動機によるものであったと思います。

 つまり、コ・カウンセリングを引き受けたのは彼個人の都合からであり、そして「距離を取る」と宣言したのも全く同じで、極めて自己中心的な理由からでしかなかったと考えられます。それまでの数年間にわたる経過を念頭に置けば、桜井氏が幸子を放り出すのが、このコ・カウンセリングの結末である、という可能性が極めて高かったことは、最初から明らかでした。つまり、最後の最後になって再び「距離を取る」という最悪のシナリオになることは、桜井氏本人が十分に予測できたのですから、同氏はコ・カウンセリングを引き受けるべきではなかったのです。桜井氏がコ・カウンセリングを引き受けたのは、ある種の偽善であるとも言えますが、患者の都合ではなく、自分の都合だけに基づいて行った、無責任な行動と言った方がより適切であると思います。

 以上挙げました、桜井氏の人格に見られる「解離」、そして、治療の途中で患者を放り出し、あるいは拒絶する、という彼の治療者特性、患者のニーズではなく自己中心的な欲望に基づく治療への関わり、という、桜井氏独特の治療的態度と言動について、そしてそれが幸子に悪影響を及ぼしたという点について、専門的な見地から評価していただきたいと思います。

4 以下の(1)アないしウにみられる桜井会員の治療的態度が言動が不適切であり、その治療的態度と言動が本件患者に悪影響を及ぼしたという苦情申し立てについて

 

(1)ア 本件患者が、桜井会員に対して「医師」としてではなく、「友人」としての関係を求め、同医師はこれを承知したにもかかわらず、あくまで「医師」として活動し続けた

イ 桜井会員は、最後まで自分の責任において本件患者を診ることができず、途中で放り出すということを繰り返した

ウ 桜井会員は、本件患者のニーズに応えてではなく、自分の都合(本件患者と和解して本件患者からの提訴を回避することや、治療を失敗したという自己愛の傷付きを回復させるということ)で中久喜医師から本件患者の希望を伝えられ、コ・カウンセリングを引き受けた

 

(2)この点について裁判所は、平成9年11月12日に再開された桜井会員による診療は、主治医である中久喜医師の治療方針に沿うように行われているものと認定しており、両医師の行為は不可分のものとされております。そのため、平成91112日以降における全体の治療方針を桜井会員一人の理解及び判断に基づくものとして判断することはできません。そして、平成91112日以降における診療が桜井会員一人の理解及び判断に基づくものでない以上、平成91112日以降における桜井会員の治療態度と言動を同会員のみの責任に基づくことを前提とする判断はできません。

 

(3)なお、(1)ア〜ウの各点については以下のように判断されます。

ア 桜井会員が、本件患者との関係を私的なものとせず、あくまで「医師」という立場で治療関係として関わったことはむしろ適切であったと考えられます。

 

イ 申立人は、桜井会員が本件患者の診療を途中で投げ出し続けたと主張されておりますが、以下のように、裁判所は、桜井会員がそのような行動をとったものとは認定していません。

 まず、平成816日に診療が中断された原因は、本件患者及び遺族の方々の希望によるものと認定されております。

 次に同年86日に診療が中断された原因は、裁判所により認定されておりません。

 次に、平成1143日に診療が中断された原因は、本件患者が診療の目的を桜井会員と恋愛関係にはいることをもっぱらとしていたこと、、本件患者による桜井会員やその家族への脅迫があったことにあるものと認定しております。

 

ウ 桜井会員が、自己の都合(本件患者と和解して本件患者による提訴を回避し、治療を失敗したという自己愛の傷付きを回復させるというもの)で本件患者との関係を再開したか否かを判断しうる事実は、裁判所により認定されていないため、判断ができません。

5.「恋人役」という「治療方針」について 

 桜井氏の一連の「治療行為」は、少し勉強すれば素人目にも奇異なものに感じられます。桜井氏の低い感受性と思慮不足、治療の原則(禁欲原則)からの逸脱などが目立ちます。その最も際だったものとして、「恋人役」という「治療方針」が挙げられます。桜井氏は幸子の父親に幸子の恋人役を務めると説明されたことがあります。父親はそれを奇異に感じながらも、治療であるということで、桜井氏と幸子との関係を黙認せざるをえませんでした。しかし父親は、9511月、桜井氏に対する幸子の執着がひどく手に負えない、と看護師たちが公然と話しているのを聞きました。そこで、もはや恋人役という治療を黙認できない、と考え、慶応病院精神神経科病棟婦長に、治療体制の改善を申し出ました。この父親による申し出があった後、桜井氏は、週3回から週2回へと面接回数を減らしました。恋人役をする、転移性恋愛を積極的に引き出すなどという治療法が実際にあるのでしょうか、専門的な見地からご意見をいただきたいと思います。

5 恋人役をする、転移性恋愛を積極的に引き出すなどという治療法が実際に存在するのかという苦情申し立てについて

 特定の治療方法の存否は、本委員会の判断事項にはあたりません。

 なお、この点に関して裁判所は、慶応病院入院当時(平成7年)、桜井会員が転移性恋愛を引き出す治療方針をとった事実はないと認定しております。

6.幸子および遺族に対して桜井氏が十分な説明をしていないことについて

 以上述べてきたように、幸子の治療については、私たち遺族でも、明らかに奇異な点を多数指摘できます。したがって、幸子も私たちも、しばしば桜井氏に対して治療について説明を求め、時には抗議もいたしました。しかしながら、同氏は治療経過について十分な説明をされることがなく、私たち遺族としては極めて遺憾です。そこで、貴学会員である桜井氏が、私たちに対して明確な説明を行う方向で、ご検討していただければ、と考えます。

 

 以上6点について、このたび、貴学会倫理委員会に苦情を申しあげたいと思います。私たち遺族が故幸子の死を受け入れるために、また彼女の死を無駄にしないためにも、私ども遺族の疑問への回答を含めて、しかるべき対応をお願いする次第です。貴委員会のご意見を元にして提訴することはありません。その点を、申し添えさせていただきます。

 

2006年12月20日

遺族

6 桜井会員が本件患者及びその遺族に対し治療過程等について十分な説明を行っていないという苦情申し立てについて

 この苦情申し立ては、本件患者及び遺族の方々に対して、桜井会員より、いつどのような場面で具体的にどのような説明がなされたのか、その際の説明がいかなる理由で十分な説明にあたらないのか等の点については十分な特定がなされておりません。

 したがって、この苦情申し立ての適否は、本委員会において判断することができません。

 

以上

 

 

 

精神科医を訴えるHP