Z医師の再意見書

(被告側協力医=半田・久場川意見書への反論)

平成18年4月20日

Z医師

再意見書

 筆者は、平成183月、平成15年(ワ)第2331号 損害賠償請求事件について、

池原弁護士及び杉浦弁護士から、半田医師および久場川医師による「意見書」(乙B第8号証、平成18228日提出、以下「半田・久場川意見書」とする)に対する意見書の提出の依頼を受けた。


 そこで上記を精読の上、再度「慶応大学病院カルテ」「慶応大学病院看護記録」「済世会中央病院カルテ」「原告準備書面」「被告準備書面」「中久喜医師の陳述書」等を参照し、専門家としての意見を述べるものである。



T はじめに

 この事件において、亡幸子さん(以下「故人」)の精神医学的診断は境界性人格障害(以下「BPD」)という点で、被告、原告、筆者の前意見書、半田・久場川意見書ともに一致している。それゆえ裁判の争点は、「被告である被告医師(以下「被告」)が、BPDであった故人に対して適切な治療を行ったかどうか」「被告医師が不適切な治療を行っていた場合には、それが故人の最終的な自殺既遂の原因になったか」に集約できよう。そして専門家としての筆者の役割は「BPDに対する適切な治療」を解説して、被告の治療がそれに合致していたかを検討し、自殺既遂前後の故人の精神医学的な状況を類推して被告の治療との関連性を考察することにある。

 しかし、精神科医療に詳しくない方にとっては、「精神療法」という、数字やデータで計ることができない営みを理解することに難しさがつきまとう。

 そこで筆者は、「BPDの精神療法」を含む「精神療法一般」のしくみやそのリスク(いわゆる「副作用」のようなもの)について最初に簡単にふれ、その上で@BPD患者に対する適切な治療(主として精神療法)とは何か、A被告の故人に対する治療的関与が前記に合致するか、を吟味し、その上でB最終的な故人の自殺既遂との因果関係について述べ、最後に「半田・久場川意見書」の問題点について述べることにする。


U 精神療法のしくみと副作用

(1)精神療法のしくみとリスク・副作用

 精神療法とは、クスリや注射など物質的手段ではなく、電気刺激や徒手刺激などの理学的手段でもなく、治療者が「言葉」や「態度」などの手段によって「患者のこころ」に働きかけて、患者に望ましい変化を起こそうという営みの総称である。精神科医や心理臨床家は、さまざまな種類の精神療法の技法を編みだし、それらを発展させて今日に至っている。被告が故人に適用したと述べている精神分析療法(ただし面接の構造やその内容から、筆者は被告の治療は「精神分析療法」には該当しないと考えている。あえて述べるなら、当初の精神療法は「折衷的精神療法」に最も近い。またA大学病院退院後の精神療法は、ある程度支持的ではあるので「支持的精神療法」と呼べなくもないが、はっきり言って精神療法の体をなしていない)もその技法の一つであり、その他にも来談者中心療法、行動療法、森田療法、芸術療法などがよく知られている。しかし、どの精神療法にも共通する要素があり、近年ではむしろ各技法の違いよりも、共通性が強調されている。

  さて精神療法の全体像を要約することは不可能だが、ここでは以下、多くの精神療法に共通すると考えられる「その流れ」を簡単に述べる。

 まず治療者は、患者との間に適切な信頼関係(安定した治療者−患者関係)を構築する。そして、その信頼関係を基盤に、患者に自己表現を促し、その表現の中から、患者の「苦しみの由来」や「苦しみの構造」を見いだし、検討していく。さらにそれらの背後にある「患者の周囲の環境の問題点」や「患者の感じ方・考え方、生活の態度・目標の問題点」などを明らかにして、そうした理解を患者と共有し、それらを修正していくことにより患者が「苦しみ」から脱出していく、というものである。

 このように書くと単純に聞こえるかも知れないがそうではない。

 第一に患者はしばしば対人関係によって傷つけられ過敏になっているため、「適切な信頼関係」を築くことが必ずしも容易でない。第二に患者は自己表現が拙劣であることが多く、「話してください」と促しても、なかなか話せるものではない。第三に「患者の苦しみの由来や苦しみの構造」は多くの要素が入りくんだ複雑なものであることが多い。第四に「患者自身が気づいていない問題点」がしばしば存在している。第五に「患者自身、および患者の周辺環境を変化させることそのもの」がなかなか難しい。

 このような理由から、精神療法の過程はしばしば複雑なものとなり、紆余曲折の経過をたどることが多い。

 また物質的・理学的な手段が用いられないことから、非専門家は精神療法には「リスク」が少なく、「副作用」も起きにくいと考えがちだが、精神療法においてもリスクはあり、副作用も生じる。

 たとえば治療者が患者の信頼を得るために優しく接しすぎると、患者は治療者に依存するようになり、「自立した人間」として自分の問題に取り組んでいくことをやめ、いつまでも患者という役割に安住するようになる。また逆に治療者が「患者の問題点」を強く指弾すれば、患者は治療者や治療のことを「恐ろしいもの」と感じ、治療から離れてしまう。あるいは、精神療法で患者は「自分のこと」を語るよう促されるので、患者の関心が自分にばかり向き、生活の広がりが乏しくなったり、対人場面で「自分のことばかり話す人」になってしまうことがある。

 こうした結果を「副作用」「リスク」と呼ぶべきかどうかはともかく、精神療法とは、そのやり方によっては「よいこと」ばかりではなく「悪いこと」も生みうる、という認識は不可欠であり、精神科医なら、それらを常に自覚して、治療に取り組むべきことは言うまでもない。

 すなわち、精神科医は「複雑な精神療法のプロセスの流れの中で、現在、自分と患者が何を目的としてどのようなことを行っているのか」を自覚し、その上で「精神療法のリスクや副作用」を念頭に置いて、「副作用」が生じないように努力し、「もし副作用が生じた場合には、その理由を患者に説明した上で、それへの対処を行って、その副作用を最小にとどめるようにする義務」を負っていると考えられる。

 もし、こうした全体のプロセスについての自覚が乏しいままに精神療法を行ったり、副作用の発生予防や生じた副作用の軽減に留意しないで精神療法を行うと、患者が見通しがもてないために混乱したり、患者が感じている苦痛が「もとの病気による苦痛」か「精神療法の副作用の苦痛」かがわからなくなり、病状の悪化を招いてしまう。

 なぜこのようなことを述べるかと言えば、「はじめに」の項でも述べたように、故人の診断はBPDという点で原告・被告ともに一致してはいるものの、筆者は、被告ら治療チームの患者へのかかわりが、当初から上記のような「一般的な精神療法において当然留意するべき諸点」への認識が欠如ないしは不足していたために、より軽症のBPDであったものが深刻化し、重篤なBPDへと変えられてしまったと考えるからである。


(2)精神療法とインフォームドコンセント
 今日、医療の世界では盛んにインフォームド・コンセント(以下「IC」と略す。日本語では「説明と同意」と訳されることが多い)という言葉が使われ、その重要性が指摘されているが、精神療法においてもICが重要である。

 すなわち、治療者は、治療を開始する前に、患者やその関係者に対して「1)患者はどのような病気を病んでいるのか」「2)その病気に対して自分(たち)はどのような治療を行おうとしているのか」「3)その治療を行った場合に、どのくらいの効果が期待しうるのか」「4)その治療を行った場合に、どのくらいの確率でどのような副作用が生じ、それに対して治療者がどのような対処をするのか」を説明し、その説明を患者や患者の関係者が十分理解した上で同意した場合にのみ、治療を始めるべきなのである。

 たしかに精神科医療の場合には、内科や外科など他科の医療とは違って、病気のために患者自身の判断力が低下している場合があるので、十分なICを行うことができないこともしばしばある。

 しかしながら、「ICが行い難い」からこそ、「適切な時期に適切な言葉で」ICを行わなければならないし、それがなされてはじめて専門家ということができよう。ICがなされないと、患者は目の前の治療者が何をしてくれようとしているのかがいつまでもわからず、それによっていっそう混乱してしまうからである。

 そのような意味で言えば、精神科医と患者のやりとりには、「不断のICへの努力」が含まれると言っても過言ではない。つまり精神科医は「私(治療者)は、あなたには○○ような病気(問題点)があると思っています。だから△△という働きかけをするのです」と、患者に伝える努力を日常的に行っていくわけであり、それが患者に伝わっていれば、無用な混乱が生じずに済むのである。


(3)この事件と関連して

 さて以上の認識をもとにこの事件を振り返ると、初期の慶応大学病院での治療から、済世会中央病院での治療に至るまで、ICはおろか「専門家から当事者への一般的な説明」としても、不備な点が多い。

 まず「BPD」という病名が故人に告知されていない。またカルテにも記載されていない。たしかに統合失調症をはじめ、精神科疾患の病名には「負の印象」を与えるものが多く、病名の告知によって患者が落胆してしまうことがあるので、当初、精神科医が患者に病名を告げないことはある。しかし、その場合でも「どのような病気か」「どのように治療するか」を説明してから治療することは当然である。

 すでに前意見書で述べたように、慶応大学病院入院当初は「うつ状態」という診断をもとに薬物療法と休養治療が行われている。この時点では治療方針があったと言えようが、説明が不十分である。そもそも、そのときの故人の年齢(典型的な「うつ病」は30歳代以降に生じるものであり、10代20代の患者の場合には他の病態を疑うのが精神科医として常識的である)や病歴(部活内の対人関係や男女の対人関係のもつれ等による抑鬱・希死念慮)を考えると、患者や家族に対して次のように告げるべきであった。


「症状という面から評価すると、現在のところあなた(あるいはお嬢さん)の診断は『うつ病』ということになります。この場合、抗うつ剤の投与と休養が治療の中心となります。しかし、あなたの年齢や生育歴や病歴を拝見しますと、背景にある家族との関係や性格的な要因が絡んでいる可能性が高いとも考えられます。つまり、抗うつ剤と休養とによっていったん改善しても、それだけでは十分ではなく、場合によっては、再度落ち込んだり死にたくなったりする可能性があると言うことです」というような説明を行った上で、「再度、落ち込んだり死にたくなったりする、というと悲観的に聞こえるかもしれませんが、その場合でも、かなり長期になるかとは思いますが、精神療法を行っていけば、徐々に改善してくるものです。今のところ、あなたの心の中の状態については詳しくわかっていないので、『どのような精神療法』がふさわしいかはわかりませんが、いずれにせよ、当初はじっくり休養してください。精神療法の目的やそのプロセスについては、ある程度状況が改善してから、あらためて説明します」


 このように見通しを含めて丁寧に説明していれば、患者や患者家族の現状に対する認識が深まり、将来に対する懸念が払拭されて、その後の経過はかなり違ったのではないかと思われる。

  さて個人の治療の実際の経過に戻ると、休養と抗うつ剤の点滴によって、「鬱状態」は改善したが、故人は「それでもつらくなる」「死にたくなる」と訴えた。ここで病歴やこれまでの経過を十分に検討した上で、「次の治療方針」についてICが行われなければならなかった。

 ところが被告らは十分な検討もなく「故人は長女として期待をかけられてワガママを言わずにがんばってきたが、大学入学後、挫折を経験してうまくいかなくなった」という疾病理解(見立て)を行って、「入院中には言いたいことを言って、自分自身を作り直しましょう」という治療方針を採用した(ただしこの方針が治療チームに共有されていたかどうかは疑問である)。しかも、こうした見立てと治療方針が、「きちんと」本人や家族に説明された形跡がない。それどころか「見立て」と「治療方針」を決めるための「情報聴取」という最低限必須の面接ができていなかったように思われる。

 具体的には、たとえば以下のような質問をして、一緒に考えていくなどである。

「これまで私たちは『うつ病』という診断の元に、休養と抗うつ剤の点滴という方法で治療してきました。それによって状態はかなり改善したと見ています。ところが、あなたは厭世的・悲観的な発言をされています。これについてどのように考えると良いでしょうか?」


 たしかにこのように質問しても、故人に「わかりません」と答えられてしまうかもしれないが、少なくとも「それでは一緒に考えてみましょう」と促して、「うつ病が改善しているにもかかわらず、生じてくる希死念慮」について検討するための面接」、と言う枠組みで面接が続けられたはずである。

 このような面接を行わないで、被告は「家族原因説」すなわち「家族が『強い故人』のみを受け入れて、『弱い故人』を受け入れなかった、そのために故人は無理を続けてきた」というような仮説を採用している。そしてその仮説をもとに「家族にも治療チームにも思いっきり自己表現をする、甘える」という治療方針を立てている。

 たしかにこのような仮説と方針でうまくいく患者もいるだろう。しかし青年期の抑鬱と希死念慮のかげにしばしばBPDがあるという知識があれば、もう少し慎重に事を進めることができた。

 例えば市橋は「BPDは深刻な行動化、対人的巻き込み、治療者の逆転移などによって治療構造が破壊されやすいので、できるだけ早期に診断することが重要である」と述べた上で、「以下の点に気がついたときには、BPDの可能性を検討せよ」と指摘している(市橋秀夫「パーソナリティ障害−境界性人格障害の治療技法−」)

1)病前性格がメランコリー親和型ないし執着気質でないとき

2)他罰的、他責的傾向が認められるとき

3)自殺企図に自傷行為(特に手首切り、薬物大量服薬)があるとき

4)抑うつ症状の表現に落ち込みと寂しさと空虚感と怒りが強調されるとき

5)家庭内暴力が認められるとき(自己愛性人格障害でも多い)

6)抑うつ症状は数時間から数日間のことが多く、長くとも3週間以上は持続しない、その抑うつ期間に挿間されるように、短期間の万能感やハイな気分がみられるとき


 故人の場合、3)と4)が当てはまるから、BPDを疑うことはそれほど難しくなかった。ところが慶応大学病院のカルテにはBPDという用語はまったく出てきていない。

 もし患者がBPDである可能性を少しでも念頭に置いていたのであれば、「@患者の衝動をコントロールする力はどうか」「A患者の見捨てられ不安はどうか」などを検討し、それらに問題点が見いだされれば、「思いっきり自己表現する、甘える」といったような治療方針を安易に立てることはできなかったはずである。なぜならBPD患者が思いっきり甘えれば、「際限のない他者への依存」が生じてしまうからである。まして原告側が述べているように、被告が「恋人役をする」などと言ったのであれば、「どうぞもっと重症のBPDとなってください」と言っているようなものであり、全く非治療的である。

 A大学病院ではやがて故人の被告への心理的依存が明らかになり、BPDとしての特徴が強く露わになってくるが、以上見たように、「BPDへの治療」ではなかった段階でも、説明と同意という面で、きわめて不十分であったと見ることができる。

 前回の意見書では、被告が「恋愛性の転移」の発生を予防しようとしていた形跡がなく、その発生後の対応も不十分であったことを強調したが、ここではより総合的な観点から、被告らの「見立て」の甘さ、「治療方針」の不十分さを指摘した。


V BPD患者に対する適切な治療とは?

(1)理解を促進するためのメタファー

 さて精神療法一般の話から、BPDの精神療法に話を進める。

 理解しやすくするために、以下の比喩を用いる。ただし、これは理解を容易にするために用いる比喩であり、厳密に言えばBPDに当てはまるものではない。おそらく被告側は、「精神科治療とはそのような単純なものではない」とか「BPDはもっと複雑で難しい疾病である」と反論するだろうが、筆者はこの事件は、「情報量は非常に多いものの構造としてはかなり単純な事件」と考えているので、このような比喩を用いるのである。

 

まず「病気」がある。にはある程度の致死率があり、また苦痛も強い。苦痛が非常に強いため、「その苦痛」を理由とする自殺の可能性がある。すなわち、死亡という観点から見ると、病気には、病気そのものによる死亡と、「苦痛」を理由とする死亡の両方の可能性があることになる。

さて患者の苦痛感を軽減するにはという薬剤が有効である。ところがと言う薬剤には、@その使用量が増えるにつれ「苦痛の軽減効果」が減弱していくという特徴と、

Aという病気そのものを悪化させるという特徴がある。

また病気そのものを治療するものとしてという薬剤がある。ところがを服用すると患者は苦痛を感じるので、患者は飲みたがらないという特徴がある。または一度の服用で効くものではなく、何度も服用しなければならない。

要するには苦痛感を軽減させるが、使えば使うほど効果が減弱し、元の病気を悪化させる特徴があり、を改善するが、苦痛感を増加させる特徴があるのである。患者は自らの苦痛感を軽減させたいのでを飲みたがり、については苦痛感が増えるために飲みたがらない。

  このような病気に対して、医師はどのように治療すべきであろうか。

 もし医師が患者が求めるままにを投与すれば、はだんだん効果がなくなってくる上に、そのものが悪化してしまう。一方でだけを服用させようとすれば、患者は苦痛感が高じて自ら命を絶ってしまうことになるであろう。

 答えは、「適切に」「できれば最小限の」を用いて苦痛感の軽減を図った上で、の有効性を丁寧に何度も説明して、少しずつを投与していくということであろう。


(2)BPDの精神療法

 ここまでですでに理解できると思うが、とはBPDであり、とは「自分が気に入った他者からの愛情(ないしは愛情らしく見えるもの)」であり、とは「自分の行動の直視し、その理解に基づいて行動を変容させること」である。

 BPD患者は、自分の苦痛感を、自分が気に入った他者からの愛情によって軽減しようとする。しかしながら、他者がいくら愛情を注いでもBPDそのものは改善されず、むしろ「他者からの愛情を無限に得ようとする」というBPDの病的な特徴が強化されてしまう。しかも、やがては他者からの愛情が持つ「苦痛感を軽減させる」という効果は次第に減弱してくる。

 BPDそのものを変化させるためには、「他者からの愛情を無限に得ようとする」という、BPDという病気の症状であるところの「行動の特徴」を患者に直面させて、病気についての自己理解を深めさせ、患者自らがそうした病的な行動をとらないように仕向けていくことが必要である。これを直面化と呼ぶ。もちろん直面化には苦痛が伴うから、患者はそのような作業を行いたがらない。患者の苦痛を無視して、むやみに直面化を行えば、有害となることは言うまでもない。


(3)支持と直面化のバランス

 要するに、BPDの治療技術とは「とのバランスを、いかにとっていくか」に尽きる。半田・久場川意見書は、筆者がまるで「は不要と述べている」かのように書いているが、BPDに限らず、愛情的な対応(保護的・受容的対応)はどのような精神科疾患でも、あるいは精神科に限らず他科の疾患でも必要なものである。ただしその愛情とは「精神科医としての愛情」であり、それ以上のものであってはならないことは言うまでもない。

 他の精神科疾患とBPDのちがうところは、

 1)患者がをとりわけ強く求めること

 2)ところがだけでは、むしろ疾病の悪化を招いてしまうこと

 3)患者がをとりわけいやがること

と言うところにある。そしてそのようなことは、本事件の治療が行われていた当時はもちろん、それより以前から精神科医にとっては自明であった。


W.被告の故人に対する治療的関わりが適切な治療であったか

 以上述べてきた「精神療法一般において専門家である精神科医に必要な認識」、「BPDの精神療法において必要な認識」をもとに、前意見書を補う形で再度、被告および被告ら治療チームの治療を検討する。

 故人が慶応大学病院に入院して、その直後から数週にかけては、被告ら治療チームは「うつ状態」という見立ての元に、休養と抗うつ剤投与を行った。この治療はある程度奏功したが、治療導入時に必要な、「診断・見立て」のための面接や情報聴取が不十分であったためもあって、BPDの可能性を考慮しておらず、その結果、「うつ病は改善しているのに苦痛感や希死念慮が改善しない」という状況に陥った。

 ここであらためて「診断・見立て」をきちんと行って、「BPD」として、あるいは「BPDに近いもの」として治療方針を見直すことが可能であったが、被告らはそれを行わなかった。表面的には、本人面接や家族面接を頻繁に行っているので、「見立て」が行われていたかのように見えるが、実際には本人面接では「丁寧な生活歴や病歴の聴取」や「見立てにつながるような心理検査」は行われておらず、「本人のニーズや苦痛感に対する場当たり的な対応」(ただしチームのA医師は故人の否定的な認知に働きかけるなど、治療的な対応を行っている。だがそれも統一的な見解として行われていたわけではない)が行われていた。また家族面接では「見立てをするための情報聴取」ではなく、「アプリオリに決定されていた家族原因説」に基づく指示や示唆が行われていた。

 半田・久場川意見書は「『いま現在の危機的状況に対する安定と適応をはかる』という方針がはっきり立てられていた」と文献を引用して述べているが、「危機的な患者に安定と適応をはかる」のは当たり前であり、「なぜ危機なのか」「どうすれば安定し、どうすれば適応できるのか」を検討して具体的な対応策を見いだし、それを実践しようしなければ意味がない。「危機的状況」というが、故人は自殺企図を繰り返してはいても、それはけっして頻繁ではなく、冷静な時間も多くあった。すなわち「丁寧な見立て」を行って、故人の病理がBPDに近いものであるという類推をすることは十分できたし、それに応じた治療方針を立てるゆとりもあったのである。ところが、この時点でも「BPD」なる診断名はカルテのどこにも記載されていない。

 さて「希死念慮や苦痛感」を訴える故人に対して、被告は次第にA(前章参照)を故人に過剰に、しばしば不安定に与えるようになっていった。その結果、当初はそれが与えられた瞬間〜数時間は、故人の苦痛は軽減されていた。

 しかしながら、病気の見立てが不十分で、精神療法の見通しや治療に必要な操作(つまり直面化など)についての説明が故人と家族に全くなされなかったことにより、故人の関心はにのみ注がれることとなった。その結果、ますます治療上必要なの操作に入ることができなくなっていった。

 そして時間がたつにつれ、被告が故人にを与えても、故人の苦痛感は軽減せず、むしろ増悪するようになっていった。これはBPDの患者にAのみを与え続け、「の問題点」と「の必要性」をまったく説明しなかった場合に、頻繁に起きてくる現象である。

 何度も繰り返すが、当初、Aを与えたことそのものは間違っていない。また患者がいやがるであろうがなかなかできないことも、臨床現場ではしばしば認められるから、そのことをもって被告の過誤と呼ぶことはできない。

 しかし精神科医なら、の持つ問題性(その使い方により原疾患であるBPDを悪化させること。だんだん苦痛の軽減効果が薄れること)を十分に勘案した上で、が過剰にならないよう配慮しなければならない。そして、いつ、どのようにすればの作業を行いうるかを検討し続けなければならない。しかるに被告にはの持つ問題性を認識して、それを適切に調整しようとした形跡が一貫して認められない。また治療上必要なの作業を行おうと検討した形跡がない。

 その結果、前意見書で述べたように、故人の関心は、最終的な自殺既遂に至るまで、程度の差こそあれ、「被告がを与えてくれるかどうか」に注がれる結果となったのである。

 以上のことから、慶応大学病院での被告の故人に対する治療には過誤があったと判断せざるを得ない。


X 最終的な故人の自殺既遂と被告の医療過誤との因果関係

  半田・久場川意見書は、「最終的な自殺の原因は、結婚によるストレスや中久喜医師の対応に求められるべきであり、被告には自殺既遂の責任はない」と述べている。筆者は前意見書で「最終的な自殺の原因」について論述をしていないので、ここで述べる。

 結論から先に述べれば、たしかに2000年5月の自殺既遂には、「結婚」や「家族の問題」、「大阪での生活」などのストレスや、N医師の対応など多様な出来事がある程度は関与していたと思われるが、全体の流れをみると、「それまでの被告の治療の過誤」と「その過誤によって生じ、その後、解消されられなかったばかりか、益々深刻化していた被告への恋愛性転移」および「恋愛性転移が満たされなかったことによる絶望」が最大の原因と考えられる。

(1)2000年1月から5月までの経過

 それでは2000年1月からの経過を、武田病院の中久喜医師のカルテ、あるいはカルテに添付された葉書、手紙、ファックス等の資料から見てみよう(資料は適宜要約したり、短縮したりしている。なお、ここからの論述の中には、原告である遺族にとってつらい指摘や解釈も含まれるが、筆者は専門医の責任としてすべて言及することにした)。

 まず中久喜医師への年賀状(2000年1月)である。

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。先生と共に良い一年にして行けたらと思っております。肋骨を不全骨折したり、風邪が治らない中で2000年を迎えました。「生きていく力がない」と思う時も多いですが、今年も何とかsurviveしていこうと思うのは先生の存在があるからでしょう。


 不調を訴えつつも「何とかsurviveしていこうとする」意志とともに、N医師への感謝の言葉が記されている。中久喜医師と故人との間の適切な信頼関係が読みとれる。

 ところがそれから数日後の1月11日の故人から中久喜医師宛のファックスには次の様な記載がある。

ただ一つ言えることは、私は先生と共に今まで何とかsurviveしてきましたが、被告Dr.を喪って私は生きていく目的や意味を失ってしまいました。(その実感はますます大きなものになっています。)ですから、この生きている意味が見いだせない状態で生き続けること

は、私にとって苦痛以外の何物でもなく、かえって悪いことなのではないか?ということです。これ以上のsurviveが必要なのだろうか?と。私は生きる意味のないくさった生を生きるよりは、ぶざまに死を選びたいのです。その方が私にふさわしいと思います。


 被告との関係を失って、故人は「生きている意味が見いだせない」と強い希死念慮を訴えている。この二つの書簡から、故人は、中久喜医師のサポートによって「苦しいながらも何とか生きていこう」「と思う一方で、被告のことを想起すると「虚しくなって死にたくなる」という状況にあったと言えるだろう。

 1月12日には被告に手紙をかいているが、その中で故人は、


  手を握ることもなかった私達の奇妙な関係は、やはりLoveという言葉がにつかわしかったと思います。あの部屋に入ってドアを閉めてから、私が帰るまでの数時間は、私にとって、他の時間の枠をこえた甘美な時間でした。お互い傷付け合ったこと。私が物を投げつけたり、逆に私がベッドのヘリにたたきつけられたこと。この関係の多くの時間が、そんなnegativeな事に費やされたこと、それにもかかわらず、私は、あの関係、二人で過ごした時間は、何にも代えがたく貴重で、そして、そこで私は幸せでした。生きていて、こんなに幸せだったことは、もうないでしょう。


と被告への思慕の気持ちを切々と語っている。ここに見られる感情は到底「患者から主治医に向けられるべき感情」ではない。後に再度論述するが、はっきりと「恋愛性転移」の存在が見て取れ、それは非常に深刻である。

 同じ日に友人に宛てた手紙では、

  幸せな結婚生活が始まったばかりの新妻という私と、今も心の中を占めているあの人と別れて、他の魂を見つけられない私。いつ自死してもおかしくない私と。私は全てを捨てて、彼と一緒に暮らす事を夢見てきました。今でも私は彼の差し伸べる手があったとしたら、ためらわずつかむでしょう。どんな非難も気にしません。


と語り、結婚生活をしていながらも、被告への恋愛感情が現在進行形であることがはっきりと読み取れる。

 では婚約者との関係はどうなっていたかというと、

何をしても空しくて・・・。私にとってはMさんが唯一の救いです。というかストッパーです。


 というように関係は悪くなく、自分の自殺願望を食い止める存在として頼りにしているのである。

 そのような状態の時にかつての友人の自殺の知らせを聞き、故人は強く動揺した。1月21日の中久喜医師宛の手紙ではその心境が語られている。

昨日、慶応大学HP時代の友人が自殺していたとの知らせを聞きました。彼も桜井Dr.が当時の主治医で、自主的な慶応大学HPOB内での自助グループの幹事役として、というか、私にとって非常に重要かつ大切な「一生の友」のひとりでした。私が何事もないように笑っている時が一番つらい時であるという事を実感を持って、というか体験的に理解してくれた唯一の友でした。人が苦しくても生きて抜いて行く事なんて、バカバカしいと思わざるを得ません。(中略)彼を喪っていた(去年の11月にはもう彼は亡くなっていたようです。)

にもかかわらず、私は彼がいなくなっても、私は生きて笑ったり食べたりしています。人の生なんて、こんなに、あまりに軽いことなのでしょうか?私はその事実に涙が出ます。そして私の生もそんなものなのでしょう。これで被告Dr.との慶応大学HP時代の思い出を共有する唯一の人間もこの世からいなくなってしまいました。


 故人は友人の自殺の知らせから、ますます虚無的になり、調子を崩している。強調すべきことは、この「友人の自殺」が「被告の思い出を共有する唯一の人がいなくなった」と書かれているように、被告との関連性で語られていることである。

 そして1月下旬には故人は被告に電話をかけて、接触を再開した。それについては後述する。

 2月7日付の故人から中久喜医師宛の手紙では、以下のように被告以外のストレスにも言及している。

例の“追悼文”の件も私には、心理的な負担ですが、現在の別居した形でのMとのやりとりも、耐え難いものになっています。一週間、彼の声のみでの(手紙もありますが)交信は、10/10のMさんの父上とのひどい一件をどうしても思い出してしまい、彼のpassiveな態度、父の娘よりもMさんの出世を気にする姿勢などで、増々彼との会話で具合が悪くなるばかりです。私の名誉を傷つけられたという思いが、どれだけ私にとって、イヤな事か、その事に関するcareが、かなり緊急を要するものなのか、彼らはあまり理解してくれません。


 ここでは婚約者とのやりとりや婚約者の態度、家族からの態度から来るストレスが語られている。

 2月25日の中久喜医師のカルテでは、下記のような家族への不満や、

父がMさんの父母と話し合うことを約束した。わたしはそれをきいて びっくりした 自分は出ないといった 父の考えとしては 娘がぶしつけの事をいって 失礼しました とあやまる事だろうこっちを守ってくれない。


 下記のような大阪での生活についての不満、大阪での生活を望む婚約者についての不満が語られている。

大阪では Mが 主。自分はMさんの奥さん 従。彼も知っている人がいないし、やる事がない東京では 私が主 彼が従。 幸ちゃんの夫:彼は私を東京にきさせたくない 被告先生を思い出させるものが沢山ある という事を心配してでもある。


 それでも3月5日の中久喜医師との面接では、

大阪での生活 大学院聴講生を阪大で一年やってみようと思う。臨床社会学、臨床哲学など自分の興味のある学科がある。その他いろいろな科を検討して一年のあとに決める。Masterをとる方向


 というように、大阪での生活を前向きに検討して、「生きていこう」という決意も語られている。


 4月15日の中久喜医師との電話でのセッションでは、ずっと問題だった両親との関係について、以下のように改善が語られている。


昨日は両親がきた。いろいろと○○的(判読不能)に助けてくれた。関係はスムーズになった。


(2)以上の経過の理解

 さて、専門家でない方がこういった資料を読むと、「婚約者のこと」や「両親のこと」や「大阪での生活」が大きなストレスであったと評価してしまうだろう。しかし重要な点は、こうした「悩み」はどれもきちんとした「葛藤」の形態を取っており、悩みはある程度深くとも、正常人の悩みと同じ性質のものである、ということである。

 すなわち「婚約者への不満」はあるが、その一方で「自殺を食い止めようとしてくれる婚約者は良い人」という側面も認めているし、「大阪での生活はすることがない」と言いながら、「大阪で大学院の聴講生になる」というように前向きになることもできている。「両親、特に父親に対する不満」は根強いが、4月15日の記載に見るように関係改善の兆しが見えている。もし両親のイメージが完全に悪かったら、このようには展開しないであろう。

 また中久喜医師に対しても時折「助けてくれない」と家族に不満を述べてはいるが、基本的に信頼して「治療的なセッション」が成立している。

 つまり筆者が言いたいのは、ここで述べてきたような「結婚」「婚約者」「家族」「大阪生活」などのストレスは、5月2日の自殺既遂と無関係ではなく、ある程度影響を与えたとは思われるが、決定的なものではなかったということである。

 それに対する故人の被告に対する思いはどうだろうか。

 1月12日の文面を含め、故人の被告に対する思いは「絶対的なもの」であり、ここまで述べてきた被告以外の人や事情に対する不満よりも「遙かに深い」ものである。そして故人の被告に対する思いは「葛藤」という形になっていない。被告に「全面的に受け入れられる」か、そうでなければ「生きる価値がない」「死ぬしかない」(あるいは被告の家族に犯罪的な行為(脅迫電話)を働くしかない)という、全くのオールオアナッシングの状態を呈している。

 つまり、「結婚」「婚約者」「家族」「大阪生活」などの彼女を取り巻く人間や事情から来るストレスと、「被告」から発生するストレスは、比べようがないほど後者が強く、根深く、深刻なものなのである。これらを同列に並べることはまったくできない。


(3)自殺既遂の原因

 以上の2000年の流れと、これまでに述べてきた被告による治療の問題点から、自殺既遂の原因については、次のように複合的に理解することが最も適切かつ自然であると筆者は考える。

 まず背景要因として

1)故人のBPD(ただし軽症であり潜在性であった)という病気

2)被告らの治療が不適切であったために生じたBPDの重症化

3)被告による対処が不適切であったために生じた著しく強い恋愛性転移

4)上記の恋愛性転移をめぐる長期にわたる故人と被告との「非治療的かつ不毛なやりとり」によって生じた故人の慢性的な絶望感とそれに伴うストレス耐性の低下


 があげられる。

 次に直接的な原因として

1)結婚や大阪での生活等のその時点でのストレス

2)被告との再会およびやりとりの再開によって生じた再絶望

(ただし1)に比し2)が圧倒的に強い)


 があげられる。

 直接的な原因に中久喜医師の対応が含まれるかどうかは微妙である。筆者から見るとその時点で「故人と被告」の間に強く立ちはだかって、関係の再開を防止してほしかったとは思うが、被告や故人の行動パターンから考えると、やむを得なかったかも知れない。

 被告のかかわりの問題点に絞って言えば、次のような体の病気のメタファーを使って説明するのがわかりやすいであろう。


まず故人には身体病Yがあった。被告の治療が不適切であったため、身体病Yは悪化してY’(わいだっしゅ)になった。Y’の状態の故人に対して、被告は「カサブタを剥ぐ」ような関わりを続けたため、Y’は改善されず、それが長期にわたったためストレスに対する免疫力まで低下することになった。

それでも中久喜医師のかかわりによってY’は改善の傾向にあった。しかしストレスに対する免疫力の低下はやはり続いており、結婚や被告とのやりとりの再開というストレスに、故人の体は抵抗できず、残念ながら死に至った。


 要するに、自殺既遂の原因のすべてが被告のかかわりに求められるわけではないが、「病気や恋愛性転移を悪化させたこと」「長期にわたって非治療的なやりとりを続けて故人の絶望を招き、ストレス耐性を低下させたこと」「その時点で再びかかわって絶望感のだめ押ししたこと」というように、被告の関わりが最大の問題であることはまちがいない。

  これらのことから、半田・久場川意見書が言うように被告が関わっていない時期に自殺企図があったとしても、そして直接の自殺既遂のきっかけが「それだけではなく他にも」あったとしても、「被告のかかわりの過誤」と「自殺既遂」との因果関係は明白であると筆者は考える。


(4)恋愛性転移の存在について

 また故人の被告への転移について、半田・久場川意見書は「故人はこの時点で、M氏と婚約して同居生活をしていた。通常、他の男性と婚約し生活を共にしていれば、被告への恋愛性転移は消失していたと考えるのが自然」と述べている。

 常識的に考えても、この主張にはうなずけない。「心にしこりをかかえ、思いを抱えたまま」で結婚していく人は多いのだから・・。そしてBPDの患者はしばしば、主治医など自分が恋いこがれる人への思いが満たされないとき、他の人物と恋愛をはじめたり、結婚したりする。これは満たされない転移の「行動化」として多くの精神科医が経験し、理解しているところである。

 すでに述べたように、故人の被告に対する恋愛性転移は2000年の1月の段階においてもかなり激烈であり、1月下旬から交流を再開したことを考えれば、それがますます募っていったことは想像に難くない。自殺既遂直前の中久喜カルテにも頻繁に被告の名前と「生死」に関わるような言葉が登場する。一連のこうした記録があるにもかかわらず、「恋愛性転移は消失していた」と判断するHK意見書はとうてい理解しがたい。

 また半田・久場川意見書は、4月26日の被告と故人のやりとりが「世間話であること」や、故人が「私は黄色い花束(恋愛)でなければいやだと言って、白い花束(恋愛ではない愛情)を受け取らなかった。それが生きるのに必要なものだとも知らないで」と発言したことから、恋愛性転移は解消しているとも述べている。だが「世間話」であることや「黄色い花束発言」が、なぜ恋愛性転移の解消と解釈できるのか、筆者にはまったくわからない。

 世間話について言うと、「なぜ故人は被告と世間話をしたかったのか」を考えれば、「故人はどんな形でも良いから、とにかく被告と関係を持ちたかったからだ」「もし被告に何か要求したり、攻撃したりすると立ち去られてしまうから、世間話にせざるを得なかったのだ」と考察する方がはるかに自然であり、むしろ恋愛性転移がはっきり残存していた根拠になるように思う。

 「黄色の花束の話」は、文字通りに理解するならたしかに「必要なのは恋愛ではなく愛情だった」という洞察が生じていることを示しているが、その翌日の4月27日には「これはセレモニーです。さようなら。(自殺を匂わせる)」になっているのである。もし、「黄色の花束の話」が適切な洞察でなら、こんな展開になるわけはない。26日の「黄色の花束」の話は、きわめて激しい転移感情を背負った故人が、被告に「良い顔」を見せようとして、転移感情を無理して抑え、必死の思いでした発言と理解する方がはるかに自然である。

 さらに半田・久場川意見書は、故人が5月1日に「今回の自殺企図は被告医師が原因ではない」という文章が含まれるファックスを中久喜医師に送っていることから、自殺既遂が、被告への恋愛性転移と無関係と述べているが、このファックスの全文は以下の通りである。

「昨日までの幸子-桜井間のメールをお送りします。桜井Dr.はMが自宅に電 話したことをどうもお怒りの様子です。そして、彼の本質的なところ(責任逃れ/誠意が感じられない)は前回と変わらないような気がします。しかし、今回の自殺未遂ははっきり言って全く彼(桜井Dr.)に関係がないのですが・・。どちらかというと、最後のメールに私は非常に傷付きました。(今もその状態が続いています)これからどうなるか分かりませんが、取急ぎ」


 またこのファックスで「非常に傷ついた」とされている「最後のメール」とは被告から故人へのメールで、内容は以下のようなものである。


「ご主人からご連絡をいただきました。とても残念です。わたしは当分あなたに近づかない方がよいと思います。また、十分に余裕があったらばご連絡を下さい。それまでは、しばしのご猶予を」


 これらの資料を素直に読むと、たしかに結婚その他のストレスによる希死念慮もあって、すべての自殺企図の直接的な原因が被告の言動にあったとは言えないが(ただしすでに述べたように、少なくとも背景的な原因は被告が作っている)、故人はやはり被告の発言やメールから多大な影響を受けていたと考えられる。「最後のメール」に再び絶望した故人は、取り返しが着かない行動をとってしまう。

 さらに半田・久場川意見書は、「故人が被告を告訴しようと相談するなど陰性感情を伴ったものに変化していて、そもそも恋愛性転移というものかどうかすら疑問」と述べているが、恋愛が思い通りにならなければ、その感情に陰性感情が混じってくるのは自然であり、「陰性感情があるから恋愛性転移ではない」という主張は理解できない。半田・久場川意見書は、この「告訴しようとするほど激しい陰性感情」について、「理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式という境界性人格障害の診断基準がぴったりと当てはまる」と述べて、全面的に病気のせいにしてしまう。そのような部分があることを筆者も認めるが、そのことを被告が理解していたとは思われない。もし理解していれば、どこかで次のような故人に対する問いが行われていたであろう。


「どうしてあなたは私に対して、恋愛関係になってほしいと言ったり、それを私が拒否すると、私のことを貶めたり責めたりするのでしょうか?」

 この治療者の問いに対して、もし正しく治療が行われていれば、次のような押し問答が生じるはずである。


患者:先生が私と恋愛関係になることを拒否するからです。

治療者:私はあなたの治療者であり、あなたと恋愛関係にならないのは当たり前です。

患者:先生と恋愛関係にならないと生きていけません。

治療者:なぜ私と恋愛関係にならなければ、生きていけないのでしょう。

患者:先生が必要だからです。

治療者:私はあなたのそのような「絶対的に人を求める」ところが病気だと思っているし、それがかなわないと「その相手を恨んでしまう」ところも病気だと思っています。あなたは、それに気がついてそこを直さなければなりません。

患者:生きていけないと言っている人間に対して、そんなひどいことを言うのですか?

治療者:「そういう人がいないと生きていけない」という病気を治すのが私の役目であり、それは譲ることはできません。


 ところが実際の故人と被告の押し問答は、次のように展開してしまうだろう。


患者:先生が私と恋愛関係になることを拒否するからです。

治療者:私はあなたと恋愛関係になることを選ばなかったのです。

患者:先生は私に、かつても恋愛感情があったし、今もあると言ったじゃないですか。

治療者:恋愛感情があるのと、実際恋愛関係になるのは別のことです。

患者:じゃあ先生は私とどんな関係になりたいのですか?

治療者:恋愛関係ではない、より深い愛情のある交流関係です。


 精神療法の素人でも、前者の押し問答の方がよっぽど健全であり、後者の押し問答は「いったい何を目指しているかわからない」ことがよくわかるであろう。

 HK意見書のように「理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動く不安定で激しい対人関係」と言いたいのであれば、治療者は自分の役割を曖昧にしては駄目である。治療者という役割がはっきりしていれば、当初は混乱するかも知れないが、やがて患者には「私はなぜ主治医の先生を恋人にしたくなってしまうのだろう」という自分の態度に対する批判的な視点が生まれる。曖昧にするから、一部分の真実(「先生は希望を聞き入れることができるのに、聞き入れてくれなかった。先生はひどい人だ」など)が生じてしまい、患者にはいつまでたっても自分の態度に対する批判的な視点が生じない。

 被告は故人の自殺既遂後に自らまとめたサマリーで、故人のことを「操作的である」「他罰的である」と批判しているが、被告が徹底して治療者であろうとしたにもかかわらず、同じような流れになり、同じ結果が生じたのなら(実際には、そのような流れにも結果にもなっていないと筆者は思うが)、そのように述べても良いだろう。

 しかし、被告は「治療者であるような」「友人であるような」「恋人であるような」曖昧な態度をとっていた。そしてその理由を被告に問えば、「そのようにふるまうことで患者が安定するから」と答えるのであろう。これが操作的ということである。

 そして自らが操作的であったにもかかわらず、それを全面的に故人の責任に帰してしまうことを「他罰的」というのである。


(5)被告の態度

 最終的にHK意見書は「被告は患者の自殺に向かう危機を正しく把握して自殺防止のために手段を尽くしたのであり、逆転移感情に動かされていたのではない。被告の存在が故人の死の誘因になったという意見は論外である」と述べて、筆者の前意見書の主張を退けている。

 しかし2000年1月の「被告と故人のやりとりの復活」から5月の自殺既遂までの期間の被告の言動は、筆者が見る限り、以下のようなものである。


1)故人が穏やかな状態を呈しているときには、友好的な関係を目指したいのか、いわゆる「優しげな」発言をする。これは慶応大学病院入院時後期からの被告の態度と似ており、故人から見ると誘惑的な態度である。

2)故人が「死にたい」と発言するなど実際に危機的な状態になると、一般的な(「専門的な」ではないと言う意味で)自殺防止の発言をする。

3)自殺防止の発言をする一方で、「自分の存在が故人にとってよくない」と発言し、故人から遠ざかる意志を示す。


 要するに被告は、故人が「目の前で実際に危機的な状態」になって初めて「危機」に気づいて、一般的な自殺予防の発言をしているだけであり、故人が「穏やかな状態」にあるときの「危機」や、そのときの自分の態度が、故人にどれほど強い負の影響を与えているかに気づいていない。自分と故人が友好的な関係であるように働きかけているだけであり、治療者としての機能はしていない。


Y 半田・久場川意見書への反論

 筆者の被告らの治療についての意見は、上記に尽きているが、さらに半田・久場川意見書には看過できない諸点があるので、以下に述べる。


(1)半田・久場川意見書の主たる内容

 「半田・久場川意見書」の主たる内容は、

1)故人の自殺企図は、被告が関わる前や、関わっていない時期にも起きている。またBPDは重症な疾患であり、自殺企図、自殺未遂、自殺既遂はその症状であり、自殺既遂に終わる患者も少なくない。

2)被告の治療態度は、故人の生命を守るために最善の努力をしていたと言え、間違っていない。

3)境界性人格障害患者に対する治療について、筆者は平成7年の段階で「専門家間での最低限の合意がある」と述べ解説したが、このような合意は、平成7年も現在も、定まっていない。

4)筆者が「BPDの治療に必要な治療者の治療態度」としてあげた6項目は、間違っている。


  というものである。これについて順次述べる。


(2)@について

 被告が関わる前や被告が関わっていない時期にも自殺企図が認められることはその通りであろう。BPDであるならば、頻繁に自殺企図が起こりえるからである。また、残念ながら自殺既遂に終わる患者が必ずしも少なくないことも事実である。

 しかし、だからといって、患者が自殺既遂に終わった場合に、すべて治療者がその責任を免れるものではないことは言うまでもない。

 たとえば一定以上の死亡率のある身体疾患の場合、最善の医療を行っても患者は死亡することがある。しかし、その場合と、医療が最善ではなく医療に過誤があって患者が死亡した場合とは、同じではない。

 またHK意見書は、BPDについて「有効な治療技法の確立がなく、経過や予後を見通すことが難しく、突然の衝動行為が生じやすく、治療関係以外の多くの要素によっても病状が大きく左右されやすい」「治療困難で重症の精神障害のひとつと考えている」と述べているが、もし「有効な治療技法の確立がない」のなら(筆者はそのようには思わないが)、そのように少なくとも家族に伝えるべきである。また、「重症な精神障害」であることには同意するが、だからこそ、医師は細心の注意を払う必要があるのである。

 さらに半田・久場川意見書では、「言語能力、知能が高いために一件コミュニケーション能力が高く軽症のように思われるが、感情・対人関係の安定性はなく、非常に動揺しやすく、常に空虚感や希死念慮を潜在的に抱き続け、衝動行為から自殺企図にまでに及ぶことを考慮すると、やはり非常に重篤で、治療困難な症例であると考える」と述べて、故人のBPDをきわめて重篤なものと決めつけている。たしかに故人には「動揺しやすや」「慢性的な空虚感や希死念慮」「衝動的な傾向」を認めるが、そもそもそれらはBPDの定義に含まれており(前意見書のBPDの定義、DSM−W参照)、そのような傾向を持ちつつも、慶応大学病院に入院するまでは、友人も多く、社会的な活動にも参加していた。故人が著しく不安定になったのは、被告に対する恋愛性転移が激化してからなのである。そしてもし狩りに故人のBPDが重篤なものであったにしても、治療者としてなすべきことはなさなければならない。


(3)2)について

 半田・久場川意見書では、希死念慮の強い故人に対して、その個人の生命を守ることが最優先であったと述べ、「被告が生命を守ることを最優先にしていたので過誤はない」と述べている。これは一見正当な主張のように見える。

 しかし、「被告の生命を守る」ためにこそ、医師は病者の「治療」を行わなければならない。「保護者」になることと、「治療をすること」は別である。濃厚な人間関係を作ったり、できるだけ長時間かかわることによってて自殺を防止しようとするのは、専門家でなくともできることである。そしてBPD患者に対しては、濃厚な1対1の人間関係を作ろうとすることが、かえって患者を追いつめていく結果になると言うことを、私たち精神科医は80年代からの治療経験によって学んできた。

 たしかにBPDの患者は「信頼できる」と感じた相手に強く頼ろうとする。その結果、医師と濃厚な関係ができてしまうこともあり、すでに前の意見書で述べたように、その現象を持ってその医師の罪とはいえない。しかし、医師の役目は「濃厚な人間関係によってのみ生きようとする」患者の問題点を少しずつ患者に投げ返し、患者が自己理解を深め、「人にすがっていきようとする」自分に問題を感じてそれを修正するように仕向けていくことなのである。

 確かにこれは難しいことであるし、できないことが多いことも事実である。しかし、「しようとして」できないことと、「しようとしないで」できないこととは全く違う。私がここで指摘したいのは、「故人と被告が抜き差しならない関係になってしまった」という結果ではなく、被告の態度に「抜き差しならない関係になってしまわないようにする」態度も、「抜き差しならない関係から、真に治療的な関係に変化させようとする」態度も、どちらも見えないということである。

 何度も身体病のたとえを使うが、「結果として失血死」となることはありえるが、「止血しようと努力してできなかった」ということと、「止血しようとしなかった」は違うのである。


(4)3)について

 HK意見書は「筆者が述べるような合意はなかった」と主張する。このように主張されてしまえば、もう水掛け論になるしかない。

 たしかにBPD治療については、80年代には膨大な量の文献が書かれ、その中には論争もあった。しかし、90年代にはいると次第に文献の数は減少した。これは専門家間での合意がなされたためであり、その合意内容は筆者が前意見書で述べたとおりであり、ほとんど修正の必要がないものとやはり考える。

 さて半田・久場川意見書は、筆者があげた「最低限の合意」

1.BPDでは治療者患者関係が非常に錯綜しやすい。

2.支持的、共感的だけではBPD患者の病理に巻き込まれてしまいやすい。

3.そのため、

 1)治療構造についての厳密な約束を患者ととりかわし、その逸脱に注意を払う。

 2)患者の転移感情、および治療者の逆転移感情に注意を払う。

 3)「分裂」や「投影同一視」等の特有の防衛機制に気づいて、巻き込まれないようにする。


について、以下のように反論を加えた。

 第1項目には反論はなく、第2項目については、「心の臨床家のための精神医学ハンドブック」を引用し、「支持的・共感的対応は、境界性人格障害患者に対しても基本であり、患者が安全感を持つために不可欠なものである」と述べている。しかし筆者は「支持的・共感的対応が不要である」と一言も書いていない。「支持的、共感的な対応だけでは・・・」と述べているのである。

 またこの文献が、「心の臨床家のための」精神医学ハンドブックであることに注意しなければならない。ちなみにこの本の表紙には次のように書かれている。

「臨床心理士、精神保健福祉士の資格試験に必携!さまざまな分野の臨床家にすぐ役立つ。臨床心理士、心療内科医、ソーシャルワーカー、看護婦、保健婦、福祉、教育関係者etc・・・」

 このように、ここであげられている書籍の対象は精神科医ではない。すでに多くの文献を参考資料として原告側が出しているので省略しても良いが、たとえば「精神医学レビューNo.20境界パーソナリティ障害(BPD)」(1996年刊行)で精神科医の成田善弘氏は、「精神療法の具体的方策」として以下のように記述している。

1)治療目標を具体的に設定する

患者との間に治療目標を共有できるように努め、共有できたところをはっきり言葉にしてかかげておくことが大切である。そのためにまず主訴を明確化するように努める。(中略)患者の気持ちを理解することは必要だが、治療目標は(中略)具体的に定めるのがよい。

2)治療を構造化する

この治療では自分は何をしたらよいか、どう振る舞うことが期待されているかといったことが患者からみて明確にわかるような治療的セッティングをすることを構造化という。BPDは無構造な状態で退行し病理を露呈しやすいので、ただ漠然と「受容的」に接するのは混乱を招く。外来であれば面接時間を約束して、よほどのことがない限り変更しない。患者はしばしば面接時間の延長を求めたり、時間外に来談したり、頻回に電話をかけてきたりする。(中略)なかなか立ち去ろうとしない患者に対して親身になって話を聞いてやるということは自我支持的ではない。むしろ退行促進的である。もう時間外なので、重要なことを今話すのは適切でない、とか、次の面接まで我慢するようにとか伝えて、面接を終了する方が自我支持的である。

 精神科医を対象とした多くの文献では、このように「受容的に接するだけではいけない」とはっきりと指摘した上で、「具体的にわかりやすく構造化する」ことをすすめている。

 たしかに「巻き込まれない」ことは難しい。だからこそ、「巻き込まれない」ための細心の努力を精神科医は払わなければならない。何度も繰り返すが、「巻き込まれないための努力をした結果」巻き込まれるのと、「その努力をしないで」巻き込まれるのとは違うのである。

 次にHK意見書は、第3項目の1)について、筆者が「厳密な約束を強調している」と述べた上で、「実際には、『厳密な約束』は『逸脱』を防止しない。最初の約束は、何度となく破られるが、『叩き台』としての役目を果たす」と述べている。これもまた肯首できない指摘である。「厳密な約束」をするからこそ、「たたき台」になるのであり、「曖昧な約束」では「たたき台」にもならない。

 たとえば「パーソナリティ障害−境界性人格障害の治療技法−」で、市橋は次のように述べている。

 なぜこうした契約や同盟を結ぶ必要があるのかという理由は、(中略)治療構造の破壊が起こりやすいこと、そしてこうした治療契約を守ろうとし治療のために協力し会うということ自体がすでに治療的であるからである。

 治療契約とは治療を進める上で患者が守るべき約束事であり、完全予約制を守ること(気ままに来院しないこと)、行動化を抑えること(具体的には自傷行為や万引き、自殺企図などを禁じることを告げる)、入院にあたっては病院や病棟の規則の遵守などである。とくに主治医の許可を得ない外出や外泊、夜間や面接日以外の面接要求、処方された以外の眠剤等の要求などはあらかじめ禁じておくべきである。こうした約束を勝手に破るときには、「治療を止めるか隔離室へ入るか」どちらかを選択してもらうことなどを治療の始めに明確に伝えておくことが重要である。(中略)治療同盟とは患者と治療者が治療を目指して作業を共同して行うことがいうが、(中略)その作業には患者の苦痛が伴うこともあらかじめ告げておいた方がよいであろう。


 何度も言う。結果として「ルール」や「約束」が破られることはある。それがBPD治療である。しかし、「ルールを作って」「厳密に約束を取り交わして」それが破られるのと、その取り決めも約束も不十分であるのとでは全然違う。

 HK意見書は、ほとんど「BPDは約束を破る。だから約束を取り交わそうとするのは無意味」と言っているのに等しい。では治療者は何のために努力をするのか。

 次に第3項目の3)、つまり筆者の「『分裂『投影同一視』等の特有の防衛機制に注意し、巻き込まれないようにする」という指摘について半田・久場川意見書は、「青年期境界例の治療」を引用し、「治療者は自分の混乱に気づく以前に患者の情緒状態に影響されて行動してしまう。すなわち、『巻き込まれないようにする』ことは不可能であり、必要なのは、巻き込まれたことに治療者自身ができるだけ早く気づき、巻き込まれながらも治療者自身を立て直していくという作業なのである」と述べて批判している。

 たしかに筆者が前意見書で「巻き込まれないようにする」と書いたのは、やや書きすぎだったかもしれない。しかしこのようなことは枝葉末節であり、本質論ではない。「巻き込まれたことに治療者自身が気づき、治療者自身を立て直していく」ことが被告はできていないのであるから。

 半田・久場川意見書の主張を入れて、筆者が前意見書で「最低限の合意」と呼んだ3項目を書き直してみよう。

1.BPDでは治療者患者関係が非常に錯綜しやすい。

2.支持的、共感的な対応はある程度は必要だが、それだけではBPD患者の病理に巻き込まれてしまいやすい。

3.そのため、

  1)治療構造についての約束を患者ととりかわし、その最初の約束をたたき台にして、よりよい治療構造を求めていく。
 2)患者の転移感情、および治療者の逆転移感情に注意を払う。
 3)治療者がある程度患者の病理に巻き込まれてしまうのはやむを得ないが、「分裂」や「投影同一視」等の特有の防衛機制に気づいて、自分を立て直すようにする。


 たしかに、ある程度実態に近くなったとは思うが、本質は変わっていないし、被告の治療がこの3項目に合致していたとは思われない。

 また半田・久場川意見書は、「Z医師氏が『最低限の合意』と呼んでいるものは、マスターソン、カンバーグ等の影響が強く、輸入文化による精神分析時代の治療理論である。欧米と日本とでは、社会状況、精神療法の体制が全く異なり、また日本人特有の対人関係、親子関係などによる治療現場での現実の違いが存在する。海外文献の知的な理解(建て前論)と日本での診療の実際(現実の治療現場)との間には大きなギャップがあり、このことが日本の精神医療の専門家の間ではむしろ合意されている」と述べて筆者の意見を批判している。

 この指摘には全く肯首できない。たしかにマスターソンやカーンバーグが輸入されたとき、それを日本に適用することについて議論があった。だがそれは80年代のことである。先の成田氏(日本人であり、境界例治療の第一人者である)の文献を見ればわかるように、そのような文化の違いを前提とした議論がなされた上で、「日本人の臨床家」は「治療構造の維持」が大事であり、「巻き込まれないような工夫をし続ける」ことがBPD治療において必須だと一致しているのである。

 蛇足であるが、半田・久場川意見書がここで輸入文化と呼ばれているマスターソンやカーンバーグを率先して日本に導入したグループの中心は慶応大学大学である。

 

(5)4)について

 半田・久場川意見書は、筆者が「BPDの治療に必要な治療者の治療態度」としてあげた6項目について順次批判している。

 「1.治療の目的をはっきりさせる」については、「治療の目的がはっきりすることが望ましいのは間違いない」と言いながら、それ以前に「安定した治療関係と治療環境を設定し維持する」「いま現在の危機的状況に対する安定と適応」「安定した上での支持的な援助と依存関係」が必要であると述べている。そしてこれらがなされて初めて、「患者から治療の目的が出てくる」と主張している。

 さらに半田・久場川意見書は、「治療者側は『まず生命を大切にするという医療者として当然の目標』を保持しているのに、それに故人が同意していないことや、治療者側が『言葉にして表現することが大切だ』という前提を持っているのに、故人は『言っても無駄』と同意していない」ことをあげて、「治療目標の確認は繰り返し行われているが、簡単には実現していない」と述べている。

 まず、ここで筆者があげた「目的」という用語が、いつの間にか「目標」や「前提」に変わっていることに注意してほしい。「医療者として生命を大切にする」のは当たり前で、それは治療の目的ではない。「言葉にするのが大事」というのは治療の手段についての説明であり、「目的」ではない。

 さて前意見書で筆者は、「治療の目的をはっきりさせる」とだけ書いて、その中身を書かなかった。なぜ書かなかったかと言えば、前意見書で述べたように、BPDには「神経症水準」「境界水準」「精神病水準」というように病態の違いがあって、それぞれに応じた目的が設定されるべきであること、また、BPDは状態が刻々と変わるので、治療の目的は「その都度」決定せざるを得ないことがしばしばあるからである。

 そして筆者は、慶応大学病院での治療の目的は、半田・久場川意見書が主張するとおり「治療関係を安定させた上で、現実的な適応をはかる」で良かったと思っている。大事なことは、こうした目的が治療者サイドから患者や家族に伝えられていなかったこと、そして実際に「治療関係の安定」という目的に添った治療者側からの働きかけがなされていなかったことである。

 半田・久場川意見書は、何度も「安定」という言葉を使っているが、結果として故人の状態は安定していない。それはとりもなおさず、治療関係が不安定であることに起因している。つまり慶応大学病院入院の時期、特にその後半での治療の目的は、「治療関係の安定」とするべきであったろう。そのことがきちんと告げられておらず、また実現していないことに、そもそもの間違いがあったと考える。

 

2.面接の頻度・曜日・開始時間・面接時間などをきちんと設定し、それを守る」については批判はなく、面接の構造は一定して設定されていたと主張している。筆者はことさら被告や半田・久場川意見書を批判したいわけではなく、うなずける部分については認めているつもりなのだが、どこをどう読めば「きちんと面接が設定されていた」と評価できるのか、まったくわからない。面接の設定日時も、面接時間も、そして面接の内容も不安定で一貫性がなかったと筆者は思う。

 

3.自殺企図などの逸脱行為があった場合の対応方法(閉鎖病棟の使用、転院、治療の中断)等を明示する」について半田・久場川意見書は、「パターンが決まっている場合には対応方針は必要」だが、「故人のように突然の自殺企図を起こす症例には、<自殺企図したら閉鎖病棟に転院します>と伝えることが治療的に有効であるとは思えない」と述べている。

 これについては先に引用した市橋の文献が、はっきりと「こうした約束を勝手に破るときには、「治療を止めるか隔離室へ入るかどちらかを選択してもらうことなどを治療の初めに明確に伝えておくことが重要である」と書いている。筆者は思うのだが、HK意見書が述べるように、「パターンが決まって」いたら、閉鎖病棟など必要ないだろう。パターンが決まっておらず、「突然」だからこそ、閉鎖病棟が必要なのである。また筆者は「対応を明示する」とは述べているが、「閉鎖病棟を使用することが正しい」と述べているわけではない。例外はあるものの、慶応大学病院入院後期〜退院後の自殺企図のほとんどは「被告の態度」が原因で起きているのであるから、ここで明示すべきことは、「主治医の存在があなたにとって大きくなりすぎ、そのために自殺企図が生じているようだから、今後、もし自殺企図が起きれば、主治医と精神的な距離をとるか、それができないのであれば、いったん他の医師に治療を交代する」ということであったろう。

 

4.恋愛性の転移が生じた場合は、可能な限り早期に『治療の目的』を明示した上で、『恋愛関係になることはない』とはっきり告げる」について半田・久場川意見書は、「言い方によっては患者が傷付くこと、見捨てられたと思うことなどを配慮した上で、言い方と時期を工夫しながら伝えることになる。被告は『恋愛関係にならない』と幸子さんに繰り返し伝えている」と述べている。

 「言い方と時期を工夫する」のは専門家であれば当たり前である。だが、すでに述べたようにBPDは「恋愛関係のような関係を病的に欲する病気」なのであるから、「まったく傷つけない」ことは不可能である。今回、カルテをを読み直したが、被告は、故人が被告の妻を脅したとき以外は「はっきりとしたこと」をまったく言っていない。その理由は「故人を傷つけたくない」という思いと、後日、被告が自ら告白しているように「恋愛性の逆転移」のためであろう。「はっきりとしたことを告げなかった」ために、故人の被告へのこだわりは軽減せず、とうとう故人は最大の「傷つき」を被告から与えられることになってしまった。

 なお、半田・久場川意見書は、筆者が「可能な限り早期に」と書いたことに対して「マニュアル的」と揶揄しているが、「可能な限り早期に」という表現がマニュアル的かどうか、もう一度よく考えていただきたい。

 まず、もっとも大事なことは「傷(誤解や思いこみ)が大きくならないうちに早く」と言うことである。ではなぜ筆者は「早期に」と書かないで「可能なかぎり早期に」と書いたのか?それは、それこそマニュアル的な対応になってしまって、しばしば健全な治療関係でも生じる「患者の治療者への淡い思慕」まで否定してはならないという、筆者の現場への思いである。

 

5.医療スタッフ側には「患者を救わなければならない」というような感情や、また逆に患者を嫌うような感情が生じやすいので、それに注意する」について半田・久場川意見書は、「治療者は自分の感情に気づき、感情に動かされながらも自分をしっかり持ち続けることが必要であると考える」と述べており、筆者も同意するところである。そしてこの治療をおしなべて見るならば、被告は「自分をしっかりと持ち続ける」ことができていなかった。たしかに被告は「何度も自分を見つめよう」としている。だが、結果としての行動は、プレゼントを贈ったり、思わせぶりなメールを送ったりで、「医師としての分別」を遙かに離れたものとなっており、「自分をしっかり持つ」ことはできていなかったと言える。一言付け加えれば、中久喜にあてた被告の手紙やFAXも「何とか自分を保ち続けよう」とする被告の営みであったように思われるが、それも十分には機能しなかった。

 

6.患者の防衛機制や行動化を解釈・直面化し、より正常な対応をするよう働きかけていく」について半田・久場川意見書は、「危機に対する安定と適応」が大事であると真っ向から反論し、続く文章で「直面化はこの基盤の上ではじめて有効となる」と述べている。

 半田・久場川意見書は、直面化には「患者を不安定にさせる作用」しかないと決めつけ、「患者を安定させる作用」を持っているという側面を見落としている。例えば慶応大学病院入院中に必要だった直面化とは次のようなものである。


「あなたはどうやら恋愛関係のような関係を私に求めているようだが、そのことそのものがあなたの病気であるように私は考えている。たしかに私にすがりつきたくなる気持ちはわかるけれど、もし私がそれを許容すれば、あなたは『治療を受けているのか』『私と恋愛をしているのか』わからなくなって、ますます混乱してしまうだろう。恋愛を望む気持ちは、はっきりあきらめて、治療にのみ専念してほしい」


 たしかにこの直面化も、当時の故人の心境から類推すればつらいものであったと思うが、もしこの直面化が故人に理解されれば、治療関係はずっと安定し、その後の展開が違ったはずである。

 半田・久場川意見書は「直面化をせずに治療関係を安定させる」と言っているに等しいが、「それは無理なことで、治療関係を安定させるためにこそ『直面化』が必要」と筆者は言っているのである。


(6)医原性境界性人格障害という用語について

 些末なことであるが、半田・久場川意見書の中に「Z医師意見書の中に見られる『医原性境界性人格障害』という用語は・・・」という下りがあるが、前意見書で述べたように、この用語を用いたのは芳賀医師である。そのことをまず確認したい。

 さて芳賀医師陳述書の中で、「どのような趣旨でこう書いたか」を問われて次のように答えている。


 この、自己の存在を無に帰す方向へと向かう自閉的思考が前面に出てくる面接においては、一見他者との関係性(自分を理解してもらったり、他者を信頼したりという関係性)を求めているようでいながら、完全に自閉してしまっており、他者との信頼関係を構築するきっかけすら見出せない状況でした。

 それが、桜井医師との面接を通して、幸子さんが自分の存在を無に帰す方向で自閉するのではなく、他者を信頼しようとする過程における「他者との関係性」の問題へとレヴェルを上げてきている、「関係性を生きる」という現実的な課題への対話や対応が可能となるレヴェルまで持ち上がっている、と評価したため、私は、「医原性borderline personality disorderまで持ち上がった感があります。」と記載したのです。


 つまり芳賀医師は、「もちあがった」という動詞を、「噂話がもちあがった」などのように、通例用いられるようなネガティヴな意味ではなく、「より悪いもの」が「よりよいもの」へと持ち上がった、つまり「上部に向けて移動した」という意味で用いたと述べているわけである。

 カルテでは、この文章の直前の文章が「種々のことをあきらめわるく執着するようになっています」というネガティヴな文章なので、芳賀医師の文章を読んだものは筆者に限らずネガティヴな理解になってしまう。が、ここで指摘したいのは、そんなことではない。

 結果として「よいか」「わるいか」はさておいて、「医原性」つまり「医師のかかわりによって」「borderline personality disorderが生じた感がある」と同僚がカルテに書いているというそのことである。つまり被告が故人を変えたのだ。

 もしこの「医原性borderline personality disorder」を適切に取り扱うことができて患者が改善の方向に向かえば、たしかにそのことは「よかった」であろう。だが、適切に取り扱えず悪化したとしたら「よくなかった」としか言えない。

 当時、芳賀医師は研修医であったから、「自閉的な人」が「BPD化」することによって、「対人関係に参与」するようになり、「よくなっていく」という治療プロセスを描いていたのかも知れない。が、芳賀医師に問いたいのだが、研修を終えた今でも、そう思っているのだろうか?そして今でも、「被告」が、「自閉的な人」を「医原性borderline personality disorder」に変えてしまったことを「よいことだった」と言えるだろうか?

 芳賀医師に言いたい。「人が人に関わる」ことには「良い面」もあるが「悪い面」もある。精神科の患者さんはしばしば「無防備」で、自分のそばにやってくる人への警戒を怠り、「自分にとってよくない人」なのに近づいてしまったりする。少なくとも私たち精神科医は、「よいこと」はできなくとも、「有害にはならない」ようにするべきだと思うのだが、あなたはどう思うだろう。



V.おわりに

 半田・久場川意見書は筆者の意見書を徹底的に批判し、被告を擁護している。最後に、そのような「半田・久場川意見書そのもの」への筆者の思いをつくわえて稿を閉じたい。

 筆者は前意見書を、できるだけ「中立」な立場で書こうとしたし、今回の意見書も同じである。その結果、原告の主張と相容れなくなっている部分もある。例えば

1)書面として残っていない原告側の記憶による被告の発言(「恋人役をやります」「演劇部だったから自信があります」「プロポーズしたら両親はびっくりするだろうな」など)については可能な限り論評を控えたこと

2)原告側は「BPDではなかった故人」に対して被告が「不適切な治療」をしたために、「医原性にBPDになった」と主張しているのに対し、筆者は「軽症ないしは潜在性のBPDであった故人」が被告の「不適切な治療」のために「より重篤なBPDにされてしまった」と論述していること。

3)原告側は、故人の恋愛性の転移を「被告が意図的に生じさせた」としているが、筆者は「防止しようとしなかった」「解消するための適切な対処をしなかった」と記述していること。

4)原告側は慶応大学病院での自殺企図時を中心に、故人の自殺企図時の被告の対応を強く批判しているが、筆者は事実関係が不明瞭なので詳しい論評を控えた上で、故人の自殺予告に対する被告の言動について「専門家としてはともかく、自殺を防ごうとはしている」と一定の評価を与えていること

5)原告側は被告が自分の逆転移にまったく対応しなかったと主張しているが、筆者は被告自身が自らの逆転移を克服しようと努力している形跡を認めている(但し結果としてはうまくいっていない)

6)原告側は直接の自殺既遂の原因を被告の対応にのみ求めているが、筆者は若干ではあるが、他の要因にも言及していること

などである。

 そして筆者は前意見書でも今回の意見書でも、専門家としての一般的認識に加え、「自分であったらどうしたか」を考えて、そのうちの必要な部分をできるだけ記述したつもりである。

 もちろん筆者は自分の考えだけが正しいとも思わないし、筆者の認識が精神科医の共通認識とは思わない。だが、専門家同士が議論をする意味とは、「それぞれの考え」を述べあうにはどうしても避けて通れない作業であろう。

 半田・久場川医師にお願いしたいことは、「自分だったらどうしたか」をもう少し書いてほしいと言うことである。半田・久場川意見書の中では唯一、「ただ、私は、中久喜医師より提案された『喪の仕事』という考え方には賛成できないので、私個人が被告医師の立場であれば、治療を回避したであろう」と書いているだけで、他には全くない。

 筆者と半田・久場川医師の両方がそれを記述していたら、裁判の証拠としては弱いものであるかも知れないが、「どういう治療であるべきだったか」が故人の遺族に伝わって、実りが多くなるのではないだろうか。そしてそれが専門家による意見書の一つの意味ではないだろうか。

 例えば筆者は前意見書で、慶応大学病院入院時(6月13日)の故人の「助けてほしい」との訴えに対する被告の回答が不適切だと述べて考察した。それに対して半田・久場川意見書は「全く同意できない」「専門的にも常識的にも納得できない」と切って捨てている。

 では半田・久場川医師なら、故人が「助けてほしい」と言ったとき、どのように対応するのだろう。桜井医師のように「自分では助けられる、と思えないと思うが、私(たち)は、死なずに、私(たち)とのつながりを切らずに、ということを守って頑張ってくれれば、最終的に人に助けられるようになると私は確信している」と述べるのだろうか。

 半田・久場川意見書のこの部分の主張から類推すると、半田・久場川医師は「あなたの病気の原因は、人との関係を切ってしまうところにあります。今あなたがすべきことは、私たちや家族と関係を切らないこと、死なないように努力することだと思っています。あなたは『誰も信用できず自分だけが頼りである』と語っていますが、現在のあなたの病気の状態では、頼らずに生きていくという目標を持つのは無理であると考えます。いったん私たちや家族に頼ってみてはどうでしょうか」ということを言うのだと思う。

 内容的には同じと半田久場川医師は主張するかも知れないが、筆者は「この二つはまったく違う」と思うのである。(ただし筆者はこの内容に同意しないが)

 半田・久場川意見書は中久喜医師の対応の問題点についてはかなり書いているのに、被告の対応についての問題点の指摘が全くない。ということは誰が治療をしても同じ結果になったと言いたいのか。だとしたら、裁判の意見書というものはそういうものであるにしても、筆者は悲しく思う。


引用文献

市橋秀夫:パーソナリティ障害−境界性人格障害の治療技法−、『精神科治療学Vol.13 増刊号:精神科治療技法ガイドライン』星和書店、1998105-110ページ。

成田義弘:BPDの精神療法『精神医学レビューNo20:境界パーソナリティー障害(BPD)』ライフサイエンス、1996年、50-56ページ.

著者略歴については前意見書に記載したので省略した。


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