被告側協力医(半田貴士:東京都済世会中央病院精神科部長久場川哲二:川崎市立川崎病院 精神神経科勤務)の意見書

乙B第8号証
意見書

平成18年2月28日
半田貴士
久場川哲二

意見書

 被告側古谷和久弁護士、池尾奏弁護士より、平成15年(ワ)第2331号 損害賠償請求事件について、臨床精神医学の専門家として、下記の事項につき意見を求められました。
 故幸子氏の慶応大学病院診療録及び同院看護記録、済世会中央病院診療録、中久喜医師クリニック診療録、乙A8〜15、原告訴状、原告準備書面、原告母親陳述書、原告父親陳述書、原告次女陳述書、M氏陳述書、Q氏陳述書、中久喜医師陳述書、Z医師意見書、被告答弁書、被告準備書面、被告医師陳述書、を精読し、臨床精神医学的考察を行いましたので、ここに意見書として提出致します。



1.幸子さんは、慶応大学病院入院前から継続して自殺未遂を繰り返していますが、幸子さんの自殺未遂の原因は何だと思われますか。
2.(1)幸子さんの病名は何ですか。
  (2)幸子さんの病状は、重篤、極めて困難な事例であったと認められますか。
3.慶応大学病院時代における桜井医師の治療方法等について、
(1)Z医師は、意見書6ページにおいて、「1995年の時点では、専門の精神科医間では最低限、以下のような合意が形成されていたと見ることができる」として3項目を挙げ、さらに、具体的な「治療態度」として、6項目を挙げていますが、当時、専門の精神科医間で、このような「合意の形成」はありましたか。このような「合意」があったとして、桜井医師は適切な対応をしていたと言えますか。
(2)Z医師は、慶応大学病院では適切な治療がなされていなかったとし、その理由として、一貫した治療方針が立てられていないとか、特に桜井医師の治療方針は不明瞭、曖昧であったなどと述べていますが、これらの指摘について、先生はどのようにお考えですか。
(3)Z医師は、桜井医師の6月13日の診療録の記述を挙げ、幸子さんの「助けてほしい」との訴えに対する回答が不適切であったと述べていますが(意見書8ページ)、これらの指摘について、先生はどのようにお考えですか。
(4)桜井医師及びその他のスタッフの治療及び面接は、適切に行われていましたか。
4.慶応大学病院入院時代に幸子さんが桜井医師に恋愛性転移を生じた原因について、原告は、桜井医師が幸子さんに「思わせぶりな態度を取った」こと、治療構造を守らなかったことなどを挙げていますが、幸子さんが桜井医師に恋愛性転移を生じた原因は、何だと考えられますか。
5.慶応大学病院入院時代及びそれ以降の経過の中で、原告は、桜井医師が、幸子さんの恋愛性転移を解消する努力をせず、かえってその後も思わせぶりな態度を取ったり治療構造を守らなかったり(原告)、過剰に接近的・保護的に幸子さんに接したり、幸子さんをダブルバインドの状況に置いたこと(Z医師)等により、転移を増悪させたと述べていますが、
(1)幸子さんの恋愛性転移に対する桜井医師の対応は、適切でしたか。
(2)Z医師は、「カルテから読み取れる被告の態度は、『恋愛性転移が生じないようにする努力』を怠っていたと言わざるを得ない。」と述べ(意見書9ページ)、その理由として、@「無原則な面接日、時間の設定」、A「面接時間の長さ」、B「夜間の面接」、C「役割の不明瞭さ」、D「話題の取り扱い方・不必要な自己開示」、E「言葉のつかいかた」を挙げていますが、これらの指摘について、先生はどのようにお考えですか。
(3)Z医師は、平成7年6月頃にはかなり強い恋愛性転移が形成されていたと述べ、「この時点で被告は、故人と『転移について』話し合った上で、『主治医は治療を行うのであり、現実的な恋愛関係になることはあり得ない』、『今後も治療の目的は…であり、そのために…をする』と明確化すべきであった。もし、そのことに合意できない場合は、それに合意できるまでは治療を中断するか、転医させるべきだったと思われる。しかしながら、被告は後述する逆転移のためか、故人の希死念慮の強さに圧倒されたため、中途半端な対応をしてしまっている。」と述べています(意見書10ページ〜)。先生は、Z医師の意見について、どのようにお考えですか。
(4)さらに、Z医師は、桜井医師の面接に関して、「主治医が自傷や自殺の危険性に脅えて、頻回な面接や予定外の面接など、治療構造をないがしろにすれば、患者が落ちついていくのではなく、さらに要求をエスカレートさせる。この要求には際限がなく、やがて主治医はそれに応じきれなくなるので、結局は本当に患者を見捨てることとなり、患者は自殺を実行せざるを得ないところまで追い込まれてしまう」と述べ、批判しています(意見書11ページ)。先生は、Z医師の意見にについて、どのようにお考えですか。
(5)Z医師は、「恋愛関係をはっきりと否定し、それを受け入れない限りは治療できない」と述べるべきであった、と述べています(意見書11ページ)。先生は、桜井医師の対応が、不適切であったとお考えになりますか。
(6)Z医師の意見書11ページに記載がある、「被告が恋愛性転移を適切に取り扱えなかった理由」について、先生はどのようにお考えですか。
6.済世会中央病院時代(平成8年4月〜8月)における桜井医師の治療方法等につき、Z医師は、平成8年4月〜8月には、治療が進んでおらず、桜井医師は適切な対応をせずにかえって退行を助長したなどと述べています(意見書13ページ)が、これらの指摘について、先生はどのようにお考えですか。

7.桜井医師は、幸子さんに対して逆転移を起こしていたと認められますか。
8.桜井医師は、長谷川病院原医師、中久喜医師からの治療関係再開の要請に対し、これを回避すべきであったと言えますか。
9.平成9年11月、桜井医師は、中久喜医師の要請により、「喪の作業」を行うことを目的として、幸子さんとの面接を再開しています。
(1)中久喜医師の、面接再開の判断は、適切であったと考えられますか。
(2)中久喜医師の下で行われた桜井医師の面接について、問題点はありますか。
(3)平成9年11月面接が再開されてから、面接が終了した平成11年4月までの間の中久喜医師の対応について、問題点がありますか。
(4)Z医師は、平成9年11月〜11年4月について、この時期は「このような大がかりなモーニングワークのセッションを持たないといけないほど、被告の治療が故人にとって外傷的なものとなっていた」が、「ここまでの治療操作が必要になることは滅多にない」とか、「被告は『自分にとって都合がよい、恋愛関係でも、治療関係でもない関係への参加を故人に強要していた』と断ぜざるを得ず」、このような「ダブルバインド」に置かれた対象は、「しばしば精神病的病気を発症することが知られている」などと述べています(意見書13ページ〜)。
これらの指摘について、先生はどのようにお考えですか(カルテを見て、桜井医師が、Z医師が言うような「強要」や「ダブルバインド」を行っていたと言えるかも含めて、ご教示下さい。)
10.平成12年3月31日、桜井医師は、中久喜医師の要請により、再度、幸子さんと連絡を取り、その後、電話などで話をしています。
(1)中久喜医師の判断は、適切であったと考えられますか。
(2)平成12年3月30日から幸子さんが亡くなるまで(同年5月3日)の桜井医師の対応について、問題点はありますか。
(3)平成12年3月30日から幸子さんが亡くなるまで(同年5月3日)の中久喜医師の対応について、問題点はありますか。
11.桜井医師と幸子さんが連絡をとり始めた平成12年3月30日ころから、幸子さんが亡くなるまで、幸子さんは桜井医師に対して恋愛性転移を有していたと考えられますか。または、恋愛性転移は解消されていたと考えられますか。
12.原告は、幸子さんが最終的な自殺を決行する直前、「桜井医師は電話等で再び問題のある対応をし、さらに、中久喜医師に適切な連絡や報告をしなかったことが、最後の引き金になった」と述べていますが、この主張についてはどのようにお考えになりますか。
13.幸子さんの自殺の原因は、桜井医師への恋愛性転移が原因であると考えられますか。

1.幸子さんは、慶応大学病院入院前から継続して自殺未遂を繰り返していますが、幸子さんの自殺未遂の原因は何だと思われますか。

まず、故人の自殺未遂の経時的推移を、診療録、陳述書等の資料を参考にまとめてみる(別紙一覧表参照)。
1)平成6(1994)年12月
8月から死にたいと思うようになり、12月、その気持が強くなり、薬を貯め込んで妹に見つかった(乙A第1号証、3頁)。
2)平成7(1995)年2月28日
死にたいといった気持が耐え難いほど出てくる。薬を貯め込んだ。スカーフで首を吊りかけたりした(乙A第2号証、3頁)。
3)平成7(1995)年3月26日
慶応大学病院入院中に、夜間首を吊ろうとしたが、看護婦さんに見つかって、未遂に終わる(乙A第1号証、37頁、乙A第3号証の4、117頁)
4)平成7(1995)年5月17日
入院中の慶応大学病院を離院し、千鳥が淵(別れた恋人との思い出の場所だったらしい)で木に首を吊ろうとし、自殺未遂(乙A第1号証、61頁)。
5)平成7(1995)年7月6日
入院中の慶応大学病院で、ウォークマンのイヤホンの紐で首を絞めてしまう自殺未遂(乙A第1号証、111頁)。
6)平成7(1995)年12月18日
窓から飛び出そうとした(乙A第2号証、15頁)
7)平成8(1996)年1月6日(原告の主張によれば、桜井医師の精神療法開始後の1回目の自殺未遂)大量服薬で入院(乙A第2号証、21頁)。
8)平成8(1996)11月28日(原告の主張によれば、桜井医師の精神療法開始後の2回目の自殺未遂)大量服薬(乙A第7号証、36頁)。
9)平成9(1997)年4月14日
大量服薬による自殺未遂で、昏睡状態となり、聖マリアンナ医科大学東横病院に緊急入院。(中久喜医師診療録、甲A1号証の1、32頁に記載)
10)平成9(1997)年8月20日、21日
首吊りによる自殺企図を行う。
「20、21日はhopelessになり、首吊り自殺を図った」(中久喜医師診療録、甲A1号証の1、55頁に記載)
11)平成9(1997)年10月15日
自殺念慮が強まり危険な状態となり、八王子の精神病院(飛鳥病院)に入院。ここでの治療に適さず、一日で退院となったようである。(中久喜医師診療録、甲A1号証の1、60頁、62頁、武田病院診療録、乙A15号証、9−1頁、13頁に記載)。(陳述書 原告母親、甲第1B号証の1、57頁、34−38行目に記載)
12)平成10(1998)年10月2日
大量服薬入院(甲A1号証の1、149頁)。
13)平成11(1999)年5月25日
大量服薬(甲A1号証の1、210頁)。
14)平成11(1999)年7月29日
バスタブの中で頚動脈に針を刺し出血(甲A1号証の1、225頁)。
15)平成12(2000)年1月12日
大阪で、紐で?「自殺企図」?。(乙A第7号証、209頁、陳述書 原告母親、甲B第1号証の1、57頁、21行目、甲B第7号証2頁に記載)及び(原告準備書面T、23頁、13行目に記載)
16)平成12(2000)年3月5日
頚動脈を刺そうとした。(甲A第2号証、12頁)

上記のように、幸子さんの自殺未遂は、慶応大学病院入院前より認められていた。また桜井医師の精神療法により「病状が悪化し自殺企図を引き起こした」と原告が主張している時期(平成7年12月1日以降)より以前にも、既に自殺未遂がみられている。その後も断続的に自殺未遂が行われ、診療録、陳述書などで確認できる事例が、少なくとも上記のように16件認められている。
これらの自殺企図と桜井医師の治療時期との関係を明瞭にするために別表を作製した。
これをみると、桜井医師の治療関係にある時期と自殺企図の起きた時期とは、一致していない事がわかる。桜井医師が治療的に関与していた時期に自殺企図が多いという関係はなく、むしろ平成9年11月より平成11年4月まので約1年半の間、被告医師の治療的関与の下で、深刻な自殺企図はごく少ない。
一方、桜井医師の治療的関与のない空白期間(平成8年8月8日〜平成9年11月11日)、(平成11年4月5日〜平成12年3月30日)に、自殺企図及び入院を必要とするような危険な自殺念慮が認められている。
原告は、桜井医師の精神療法開始後「3回目の自殺企図」により、幸子さんは平成12年5月2日に死亡されたと記載し(訴状、15頁、1行目)、また、「中久喜医師の治療下で被告との関係が中断されていた間、故幸子が自殺未遂を起こしたことはなかった。同人は健康さを取り戻しつつあり、希死念慮も消退していた」と主張している(原告準備書面(2)、8頁、3行目から5行目)。しかし、これらの主張は、少なくとも上記自殺未遂9)、10)、14)、16)の事例を見逃しているか、除外した上でなされているものと考えられる。
また、幸子さんの自殺念慮は、上記のとおり慶応大学病院入院以前から存在した。
入院後も、被告医師が精神療法を開始する以前、慶応大学病院入院の早期より既に、周期的、持続的に存在していたことが慶応大学病院入院診療録より明らかである。以下、いくつか例を挙げて引用する。
○平成7年3月22日(慶応大学病院カルテ033ページ):
「やっぱりとにかく死にたい。もちろん死ぬときは確実な方法で、遺書とかももう書いてあるし…」「結局は、最後の救いであった彼(注:別れたボーイフレンド)が取り戻せず、他の彼とつきあってもダメだったし、家族と仲良くしてみようと思ってもケンカばかりだし。死ぬ前に一度あの彼と話をしてみたい気はするんだけど…」
○平成7年3月26日(慶応大学病院カルテ037ページ):
「昨日は死のうと思って、はだしで面接室に入って首をつろうと思ったら看護婦さんにあったので『眠れない』と言ったんです。その後ベッドのさくの所で、ひもを結んで横になれば…と思っていたらまた看護婦さんに見つかっちゃって…。とにかく死にたいという事で頭が一杯。死なないという約束なんかとてもできません。」
○平成7年4月8日(慶応大学病院カルテ046ページ):
「ここのところまた悪い。『死にたい』と思ってしまう。彼のことはあまり考えないけど彼ぬきで、また前と同じ様に考えてしまう。」

○平成7年6月2日の慶応大学病院カルテには、『Dr浜田回診:「あの人は本当に死にそうですね。ああいう人こそ本当に自殺してしまうことがありますよ』」と記載されている慶応大学病院の上級医師が当時より故人の自殺危険性の高いことを診断・予測し、心配している記載である。

このように、幸子さんは持続的に自殺念慮を持ち、また度重なる自殺未遂を行っているが、この原因を、私は基本的には精神疾患の症状によるものと考える。後述するように、故人は境界性人格障害に罹患していたと考えるが、この障害では、自殺念慮や実際の自殺企図を症状として持つことが非常に多く、境界性人格障害の診断基準(後述)の1項目としてわざわざ挙げられているほどである。もちろん、自殺企図に至る契機としては、種々の人間関係上の不調や生活上の行き詰まり等がある場合が多く、家族関係、友人関係、治療関係内の治療者・患者関係が自殺企図に関係しているように見えることもあるが、これをもって原因とすることはできず、このような自殺企図の原因は、やはり疾病の病理自体に由来するものと考える。

2.(1)幸子さんの病名は何ですか。
故人の精神医学的診断について、原告は境界性人格障害と理解しているものと訴状などから読み取れる。被告もまた、診断は境界性人格障害であるとし、さらに極めて治療が困難な事例であったと主張している。
中久喜医師の陳述書、Z医師の意見書においても境界性人格障害の診断名が記されている。私も、故人の診断病名は、境界性人格障害であると考え、この点に関しては一致している。
境界性人格障害では、しばしば状態像としてうつ状態を呈する。しかし、境界性人格障害の気分変調は、うつ病によるうつ状態とは大きく異なる特徴がある。すなわち、うつ病では抑うつ気分が比較的徐々に変化するのに対し、境界性人格障害のうつ感情は、状況や対人関係に反応して容易に激しく変化することが特徴的である。突然気分が落ち込み自殺をほのめかすかと思えば、あまり時を経ずして平常のごとく振舞ったりすることが境界性人格障害の患者ではしばしば見られるのである。また他人を巻き込みながら多くの対人的問題を発生させ、自傷的行為を含む衝動行為が認められることも境界性人格障害の大きな特徴である。
中久喜医師、Z両医師ともに、診断として、うつ病、境界性人格障害と記載している。ただ、ここでうつ病とあるのは、状態像がうつ状態であるという意味で、うつ病と併記されたのであって、障害の本質は境界性人格障害にあると両医師が把握されていることは、陳述書、意見書を通読すれば明らかである。従って、精神医学的診断名は、原告、被告、中久喜医師、Z医師、そして私も含めて、境界性人格障害で一致しており、大きな相違点はないものと考える。
アメリカ精神医学会が作成し、現在広く日本でも使用されている診断基準であるDSM−W分類は以下のようである。
<境界性人格障害の診断基準>
対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で、成人早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち、5つ(またはそれ以上)で示される。
(1)現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気も狂わんばかりの努力。注:基準5で取り上げられる自殺行為または自傷行為は含めないこと。
(2)理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式。
(3)同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像または自己感。
(4)自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも二つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質乱用、無謀な運転、むちゃ食い)。注:基準5で取り上げられる自殺行為または自傷行為は含めないこと。
(5)自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰返し。
(6)顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2,3時間持続し、2、3日以上持続することはまれな、エピソード的に起こる強い不快気分、いらいら、または不安)。
(7)慢性的な空虚感
(8)不適切で激しい怒り、または怒りの制御困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのケンカを繰り返す)。
(9)一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状
(「DSM−W精神疾患の分類と診断の手引き」より引用)

幸子さんの場合にも、対人関係や感情の不安定および著しい衝動性が広範に認められている。また、(1)の「見捨てられ不安」、(2)の「理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式」、(5)の「自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し」、(6)の「顕著な気分反応による感情不安定性」、(7)の「慢性的な空虚感」、(8)の「不適切で激しい怒り、または怒りの制御困難」などの症状は、まさに各病期を通じて現れており、境界性人格障害の確定診断を下すことができる。
なおZ医師意見書の中に見られる「医原性境界性人格障害」という用語は、人格障害が幼少期より成人期に至る過程で形成された個人を持続的に特徴づける人格のひずみであることを考えると、「医原性」の人格障害という用語の使い方自体に矛盾があるように思われ、意味がわかりにくい。
境界性人格障害の治療過程で、潜在化されていた症状や問題が顕在化し、症状の悪化が見られることは、確かにしばしば臨床的に経験することである。しかしそれは「医原性」とは言えない。この病気本来の持つ特徴的病理の現れであると考える。

(2) 幸子さんの病状は、重篤な、極めて困難な事例であったと認められますか。
@境界性人格障害の治療困難性
 境界性人格障害の治療は、一般に非常に困難を伴うといわれている。
 その理由は、この障害が顕在化するのは成人期早期であるが、潜在的な問題の本質を遡ると、家族との交流を通じて基本的対人関係を学習する人格形成期にまで戻らざるを得ないことが多いためである。そもそも人格構造自体を変化させることは大変困難である。また、対人関係の不安定さにより、治療者との安定した治療関係が結べない事例も多い。多大な労力と時間を掛けて治療する割には治療関係が結べない事例も多い。多大な労力を掛けて治療する割には成果が期待しにくいのが、境界性人格障害の治療である。
 うつ病、統合失調症の治療と比較しても、境界性人格障害の治療の方がより困難さを伴う。この理由としては、前述した治療関係の構築そのもの困難性に加え、境界性人格障害には薬物療法が基本的に十分な効果を示さないため、うつ病、統合失調症と比較した場合、標準化された有効な治療技法がいまだ確立していないことも挙げられる。
 有効な治療技法の確立がなく、経過や予後を見通すことが難しく、突然の衝動行為が生じやすく、治療関係以外の多くの要素(家族・友人との人間関係、及び人生上の多くの出来事など)によっても病状が大きく左右されやすいことを考慮すると、筆者は、境界性人格障害を常に治療困難で重症な精神障害のひとつと考えている。
 実際に、境界性人格障害患者の治療過程で、ほとんどの精神科医が、多くの自殺未遂に遭遇しているのである。不幸にして自殺が既遂してしまう事例もあり、文献学的に見ても、境界性人格障害は自殺危険性の低くない疾患である。治療の成果は、治療の質により大きく変化することはもちろんであるが、疾病自体の症状あるいは病理として、自殺の危険性が高いことも確かである。
 これに関連して、成書「自殺企図 その病理と予防・管理」(平成15年・樋口輝彦編集・永井書店発行)より「人格障害と自殺企図」の章78頁(和久津里行、牛島定信執筆)の以下の文を引用する。

「欧米では、境界性人格障害患者の70%以上が1回以上の自殺企図を行い、3回以上の自殺を企図するものが57%であるという。そして、患者の8〜10%が自殺で死亡するとされる。これは境界性人格障害のもつ精神病理がいかに自殺に密に結びついたものであるかを示している。重要なのは、抑うつ傾向と不安定さであり、その背後にある傷つきやすさ(見捨てられ抑うつ)である。対人関係においては、対象の些細な仕草や言動に対して非常に敏感に反応し、離別や一時的な分離に強い見捨てられる不安や恐怖をもちやすい。そして、この感情を避けようとして、さまざまな手段を繰り出しては、対象との関係を維持しようとする。それは激しい怒りの表出であり、手首自傷、アルコール乱用、家庭内暴力、過量服薬、性的逸脱行為といった衝動行為である。しかし忘れてならないのは、こうした行為により対象はかえって拒絶的、嫌悪的となって距離をとろうとする。そのため患者の不安、恐怖はさらに高まり前述の衝動行為の激しさが増すという悪循環をきたしやすい。しかし、注意を要するのは、これらの衝動行為、自殺企図や自殺の脅しなどが対象を自分の意のままに操ろうとする対人操作であったり、あるいは抑うつや空虚感といった苦痛な感情体験を一時的に回避する手段であることである。それだけに対人操作に失敗して事態が悪化すると、自殺予防的行動が自殺完遂への足がかりとなるのである。母親に挑発的であるだけに母親が拒絶的となっていく過程で救急医の目前で首を切って死亡した症例があったが、これなどは格好の症例といえる。つまり、境界性人格障害における自殺には、ひとつに患者たちが抱えている環境がいかに劣悪な場合であることに留意しておく必要があるだろう。」

A 幸子さんの境界性人格障害の重症度
 境界性人格障害の治療は一般に困難を伴うものであると述べたが、その中で幸子さんの障害の重症度はどの程度であったのだろうか。
 Z医師は、その意見書の中で、「精神病水準のBPD(境界性人格障害のこと)とは考えられない」、『「深刻な自殺企図」以外には「重篤性」を示すような上はないと言ってよい』と述べ、とりわけ重篤なものではないと断定している。
 幸子さんの特徴として、言語能力、知能が高いために一件コミュニケーション能力が高く、軽症のように思われる側面があるように思われる。しかし、感情・対人関係の安定性はなく、非常に動揺しやすく、常に空虚感や希死念慮を潜在的に抱き続け、衝動行為から自殺企図にまでに及ぶことを考慮すると、やはり非常に重篤で、治療困難な症例であると考えざるをえない。
 幸子さんは絶えることなく希死念慮を持ち続け、実際に危険な自殺企図を何度も繰り返し起こしている。慶応大学病院への入院も約9ヶ月の長期に亘って必要であったし、またその間不安定であり続けた。その後、被告医師の治療以外にも、幸子さんは長谷川病院やその他の病院での入院治療を受け、また中久喜医師の数年に亘る保険外診療による精神療法も受けた。それにもかかわらず、最終的に大変残念な自殺という結果に終わっている。このような経過を見た時、「とりわけ重篤なものとは言えない」とする根拠が全く理解できない。
 Z医師が述べるように、一見して「重篤性」を示す情報がないにも拘わらず、「深刻な自殺企図」が頻繁に起こるとすれば、まさに不可解、了解不可能な面があり、この突然の不連続な変化こそが逆に、解離、精神病水準といった、病理の重篤性を示唆していると考えることが可能である。
 また、Z医師は、「医原性境界性人格障害」なる用語を持ち出し、被告医師の治療のために幸子さんの疾患が発症あるいは悪化したような決めつけを行っている。これはあまりに偏った解釈といわざるを得ない。
 なお、Z医師は自身でBPD患者の重篤度判定の6つの基準を挙げている。幸子さんは、これらの基準のうち、「治療前から深刻な自殺企図が頻発していたケース」、「家族の理解、支援が得られにくいケース」に該当するものと考える。

3、A大学病院時代における被告医師の治療方法等について、

(1) Z医師は、意見書6ページにおいて、「1995年の時点では、専門の精神科医間では最低限、以下のような合意が形成されていたと見ることができる」として3項目を挙げ、さらに、具体的な「治療態度」として、6項目を挙げていますが、当時、専門の精神科医間で、このような「合意の形成」はありましたか。このような「合意」があったとして、被告医師は適切な対応をしていたと言えますか。

 Z医師が挙げたような「合意の形成」が、当時、専門医師の間であったとは考えない。Z医師が「合意の形成」として挙げたのは以下の3項目であるが、個々について検討する。
1.BPDでは治療者患者関係が非常に錯綜しやすい。
2.特に支持的、共感的な対応だけでは、BPD患者の病理に巻き込まれてしまいやすい。
3.そのため、
  @治療構造についての約束を厳密に患者ととりかわし、その逸脱に注意を払う。
  A患者の転移感情、および治療者の逆転移感情に注意を払う。
   B「分裂」「投影同一視」等の特有の防衛機制に注意し、巻き込まれないようにする。

 第1項目については、私も同意する。多くの治療者の同意するところであると思われる。
 第2項目については、合意の形成はないと考える。
 支持的・共感的対応は、境界性人格障害患者に対しても基本であり、患者が安全感を持つために不可欠なものである。日本の精神分析分析法の先駆者である小此木啓吾氏が書かれた文を「心の臨床家のための精神医学ハンドブック」(小此木・深津・大野編、1998年、創元社)188頁より引用する。

BPDの治療
1)まず安定した治療関係と治療環境を設定し、維持すること、そのためには本人との支持的な故人精神療法とともに、不安状態や抑うつ状態に対しては対症療法的に抗不安剤や抗うつ剤を用いるのが一般的な原則である。同時に、家族環境の安定を図る。行動化が頻発したり、あまりにも不安が高まる時には、必要に応じて入院治療が必要になる。

2)臨床心理士が個人精神療法を担当する場合には、身体面のケア(特に摂食障害の場合)、投薬、全体の治療関係のマネジメント(家族との関わりや入院)を精神科医が担当するA−Tスプリットの治療方式をとることが望ましい。
3)具体的な治療方法としては、
@いま現在の危機的状況に対する安定と適応を図る。
A安定した上での支持的な援助と依存関係を得る。そのライフサイクルの段階を通過してゆくのを助ける。
B可能な範囲で、不適応と不安定を繰り返す要因になっている対象関係と自我機能の病理の洞察と改善を図る。
など、どのレベル、どの程度の目標を立てるのかアセスメントが大切である。
 小此木氏は、「安定した治療関係と治療環境の設定」、「支持的な個人心理療法」を治療の基本においた上で、「支持的な援助と依存関係を得る」ことを肯定している。
 第2、3項目で、Z医師はしきりに「巻き込まれない」ことを強調しているように思われる。境界性人格障害患者の治療過程では、どのように対応しても治療者はある程度情緒的に巻き込まれることは不可避であり、特殊な対応を工夫すれば巻き込まれないという訳ではない。「巻き込まれない」ことを最重要視すれば、治療は継続・進展しないことにもなりかねない。
 Z氏が「最低限の合意」と呼んでいるものは、マスターソン、カンバーグ等の影響が強く、輸入文化による精神分析時代の治療理論と私には思われる。欧米と日本とでは、社会状況、精神療法の体制が全く異なり、また日本人特有の対人関係、親子関係などによる治療現場での現実の違いが存在する。海外文献の知的な理解(建て前論)と日本での診療の実際(現実の治療現場)との間には大きなギャップがあり、このことが日本の精神医療の専門家の間ではむしろ合意されていることである。
 第3項目、@について、Z氏は「厳密な約束」を強調し、厳密に約束をとりかわすことによって逸脱を防ぐべきであると言いたいのであろう。
 しかし、実際には、「厳密な約束」は「逸脱」を防止しない。最初の約束は、何度となく破られるが、「叩き台」としての役目を果たす。
 第3項目、Aについて、患者および治療者自身の感情状態が重要であるということは確かである。ただし、すべてを「転移感情」「逆転移感情」と名づけることには疑問がある。
 第3項目、Bについては、誤りであると考える。境界性人格障害の原始的防衛機制(「分裂」「投影同一視」)は通常の感情的な影響と異なり、われわれの心の奥底に直接作用し、気づいた時には治療者は(患者と接する人はみな)巻き込まれている自分に気づく。巻き込まれることを避けるためには患者と接触しないという方法があるが、それでは治療は不可能である。この点に関し、成書からの引用を付す。
「青年期境界例の治療」(ジェームズ・F・マスターソン著、成田・笠原訳、金剛出版、1979年、351頁)より引用する。
 本書で述べる治療過程に関わろうとする医師は、患者の中にある感情、それも人間生来のものの中でもっとも強烈でもっとも基本的な感情に出会わなければならない − つまり、人を殺したような怒りとか、近親相姦願望とか、依存欲求、孤立無援感、見捨てられる恐怖、自殺したいような抑うつ、絶望、希望のなさなどに出会わなければならない。その表現の激しさに直面すると、患者だけでなく治療者も混乱するのは別に驚くべきことではない。
 治療者が自分の行動にはじめて気づくのは、患者に対する自分の行動にそれがおよぼす影響によってである。(下線は筆者による)
 ここでは、治療者が自分の混乱に気づく以前に患者の情緒状態に影響されて行動してしまうということが描写されている。
 すなわち、「巻き込まれないようにする」ことは不可能であって、必要なのは、巻き込まれたことに治療者自身ができるだけ早く気づき、巻き込まれながらも治療者自身を立て直していくという作業なのである。

 次に、Z氏の主張する治療態度(6項目)について検討する。
1.治療の目的をはっきりさせる。
 境界性人格障害の治療において、患者自身が治療の目標を持てるようであれば、治療はかなり進展しており、良い見通しを持てる段階に入ったと言える。治療の目的がはっきりすることが望ましいのは間違いない。
 しかし、患者自らから治療の目標が出てくるためには、治療構造、限界設定(どこまで許容されるのか)についての見直し作業と同様に、叩き台が何度となく壊されるという過程が必要になる。そのために、まず必要なのは安全感であり、前述の小此木の言う「まず安定した治療関係と治療環境を設定し、維持すること」であり、「いま現在の危機的状況に対する安定と適応」と「安定した上での支持的な援助と依存関係を得る」ことが必要である。
 従って、Z氏が、「治療者が治療の目的をはっきりさせる」または「患者に治療の目的を問いかける」ことが必要だと考えているならば、この主張は誤りである。
 本症例においても、治療者側はまず生命を大切にするという医療者として当然の目標を強く保持しているが、幸子さんは生命が一番大事であるということに同意していない。また、治療者側が「言葉にして表現することが大切だ」という前提を持っているのに対し、患者さんは「言っても無駄なのだ」と度々語っている。治療目標の確認は繰り返し行われているが、簡単には実現していない。

2.面接の頻度・曜日・開始時間・面接時間などをきちんと設定し、それを守る。
 私もこのことが治療を前進させるために重要であることに同意する。境界性人格障害患者は特に見捨てられ不安が強く、次の面接が予定通りに行われることは、安心感の基礎となる。
 本症例において、慶応大学病院カルテと過去のカレンダーを照合すると、面接の構造は一定して設定されていたと考えられる。すなわち、慶応大学病院入院当時の5月から7月初旬を例に取ると、

被告(指導医)週4回(火・水・金・土)
芳賀医師 研修医 週5回(月・火・水・木・金)
山田医師 研修医 週1回

 おおよそ以上のようになっている。
 面接時間が長くなった時、夜間になった時などには、その理由と考察がその都度記載されている。面接時間が大幅に延長した記録は、数回しかない。治療構造には十分な配慮がなされていたものと読みとれる。

3.自殺企図などの逸脱行為があった場合の対応方法(閉鎖病棟の使用、転院、治療の中断)等を明示する。
 患者の問題行動(手首切り、飲酒、無断外泊等)の繰り返しのパターンが分かっている場合には、それに対応する方針を立てておくことは必要であるが、しかし本症例のように、突然の自殺企図を起こす症例には、「自殺企図したら閉鎖病棟に転院します」と伝えることが治療的に有効であるとは思えない。逆に患者さんに対して、見捨てられ不安や脅威を与える可能性もあるものと考える。

4.医療スタッフに恋愛性の転移が生じた場合は、可能な限り早期に「治療の目的」を明示した上で、「恋愛関係になることはない」とはっきり告げる。
 治療者が患者から恋愛関係を求められた場合は、「恋愛関係にはならない」と全ての治療者が明言するであろう。
 恋愛性転移にも様々なレベルがあるので、「可能なかぎり早期に」というようなマニュアル的な対応ではなく、言い方によっては患者が傷付くこと、見捨てられたと思うことなどを配慮した上で、言い方と時期を工夫しながら伝えることになる。被告は、「恋愛関係にならない」と幸子さんに繰り返し伝えている。

5.医療スタッフ側には「患者を救わなければならない」というような(レスキューファンタジーと呼ばれる)感情や、また逆に患者を嫌うような感情が生じやすいので、それに注意する。
 境界性人格障害の治療過程では、治療者にはさまざまな感情が生じやすいことは確かである。「それに注意する」というZ医師の記述が具体的に何を示すのかが不明である。治療者は自分の感情に気づき、感情に動かされながらも自分をしっかり持ち続けることが必要であると考える。なお、当然のことであるが、患者を救わなければならないという感情が全てファンタジーではない。

6.患者の防衛機制や行動化を解釈・直面化し、より正常な対応をするよう働きかけていく。
 これに関しては、同意しない。前述小此木氏の欠かれているように、まず「いま現在の危機的状況に対する安定と適応を図る」ことが第一で、直面化(患者の問題点をはっきり指摘すること)はこの基盤の上ではじめて有効となり、安定した基盤のないところでは危機を増やすだけになりかねない。精神分析の専門家の小此木氏がこのように述べていることには重みがあると考える。

(2) Z医師は、慶応大学病院では適切な治療がなされていなかったとし、その理由として、一貫した治療方針が立てられていないとか、特に桜井医師の治療方針は不明瞭、曖昧であったなどと述べていますが、これらの指摘について、先生はどのようにお考えですか。
 
 この意見には反対である。「いま現在の危機的状況に対する安定と適応を図る」という方針がはっきりと立てられている。患者さんの希死念慮や危険な行動の程度に応じて行動制限がなされている。
 また、いきなりの自殺企図という行動で示すのではなく、言葉で表現できるようにという一貫した方針が示されている。これは精神療法行う者にとっては自明なことであるが、研修医・看護スタッフもこれを繰り返し本人に伝えている。「一貫した治療方針が立てられていない」とか、「治療方針が不明瞭、曖昧であった」という主張は正しくない。

(3) Z医師は、被告医師の6月13日の診療録の記述を挙げ、幸子さんの「助けてほしい」との訴えに対する回答が不適切であったと述べていますが(意見書8ページ)、これらの指摘について、先生はどのようにお考えですか。

 全く同意できない。Z氏の意見は事実に基づいたものではなく解釈のレベルのものであり、専門的にも常識的にも納得できないものである。
 意見書8ページにあるZ医師の意見(1)「故人の助けてほしいという訴えはこれまでの治療は不十分であり、何をしてくれているか分からないから、治療に至る道筋を示してくれという意味の訴えではないかと思われる」とあるが、これはZ医師の主観による解釈に過ぎず根拠を欠くものである。
 (2)「まじめでなかったと推量されても仕方がない」は、あまりにも一方的な解釈である。
 (3)「故人の病理の所在(どこがどのように病んでいるのか)、それに対する対応法に触れていない」という指摘については、被告は、日常の言葉で、人との関係を切ってしまう病理をうまく説明しており、関係を切らないことが改善につながること、死なないように努力することが大切であることなどをわかりやすく伝えている。
 (4)「自分で自分を助けられるようになるという、自立的な目標が全く示されていない」という指摘に対しては、幸子さんは誰も信用できず自分だけが頼りであることをくり返し語っており、Z氏の主張は患者の病理を強化する方向にも思える。
 (5)「そもそもBPDの患者は死なない、関係を切らないことが難しいのであり、‘死なずに、関係を切らずに’と言っても同語反復しているに等しい」という指摘については、死なないことを目標に努力するよう求めることは医療的にも常識的にも間違っていないと考える。
 また(6)以下の「私」、「確信」、「おつきあいします」という被告の言葉遣いに対してのZ医師の指摘ついては、あまりにも主観的で、恣意的な解釈を繰り返していると言わざるを得ず、全く承服できないものである。

(4) 桜井医師及びその他のスタッフの治療及び面接は、適切に行われていましたか。

 桜井医師の面接回数が過多で面接時間が長すぎるとの原告の主張があるが、面接の回数や時間はその時の患者の容態に応じて当然変化するものであり、患者に自殺の危険性が高い時には、十分な時間をかけて面接、治療を行う場合がしばしばある。
 また、慶応大学病院における入院治療は、桜井医師が独断で行っていたわけではない。
 幸子さん入院当時、慶応大学病院の精神科では、主治医は二人一組で、担当看護制を採っており、複数の医師や看護師らでチーム医療を行っていた。
 さらに、医療スタッフ間の症例検討会・ミーティングも定期的に行われ、意見交換と治療方針の決定が為されるなど、手厚い治療体制を整えていた。
 看護スタッフも、スタッフ間で慎重に協議された治療方針に従い、大変きめ細かく関わりケアに当たっていたことは、診療録を見れば明らかである。
 したがって、慶応大学病院では、当時の日本の精神医療水準としても最高レベルの治療とケアを提供していたものと考える。

4、慶応大学病院入院時代に幸子さんが桜井医師に恋愛性転移を生じた原因について、原告は、桜井医師が幸子さんに「思わせぶりな態度を取った」こと、治療構造を守らなかったことなどを挙げていますが、幸子さんが桜井医師に恋愛性転移を生じた原因は、何だと考えられますか。
 幸子さんが桜井医師に恋愛性転移を持ったのは、桜井医師に最も理解されている、本当の自分を明らかにできると感じていたからであって、今まで自分を十分に受け入れてもらえたという経験が希薄であったことと関係していると思う。つまり、他者を信頼した上で自己の本質を開示し理解してもらうことに、怯えと絶望を抱いていた幸子さんが、桜井医師の熱心の治療により、徐々に心を開き、桜井医師を自分の最もよき理解者と考え始める過程から、治療者に対する病的依存が生じたように思える。
 治療者に対する患者の依存や陽性転移は、しばしば治療の過程で生じるものであり、決して珍しいものではないが、幸子さんの場合、この依存が極めて強く生じたのは、幸子さん自身の精神的病理によるところが大きいと考える。
 原告の言う、桜井医師の「思わせぶりな態度」が何を意味するのかは理解ができない。桜井医師は真摯に患者と向き合い、患者に誘惑的な言動を行ってはいない。
 また、原告は、被告の治療の面接時間が長すぎまた頻回過ぎること、故人の「希死念慮」や「主治医へのしがみつき」に無原則に応じ、治療構造を守らなかったことなどを挙げている。しかし、実際の臨床場面において、「死にたい」と訴え、病的なしがみつきを示す患者に対し、硬直的な治療構造などは通用しないことが、しばしばあるのである。
 そもそも自殺念慮が強く、入院治療が約9ヶ月にも亘り必要であった症例では、自殺されないこと、危機対応の方が優先されるのであって、少なくとも慶応大学病院入院中の幸子さんは、狭義の精神療法の治療原則が適用されるような状態ではなかったのではないかと思う。慶応大学病院精神科病棟は開放病棟であり、自殺の危険性のある患者に対しては、物理的な障壁を設けるのではなく、豊富な医療スタッフができる限り密接に患者と接し、患者を守っていくことが特徴的な病棟であるので、一般の専門病院に比較して、面接の回数が多く、長くなる傾向がある。また、幸子さんの面接時間が他の患者より長かったとすれば、それは特別扱いではなく、故人の精神状態がそれを必要とするほど、重篤であったものと考えられる。

5、慶応大学病院入院時代及びそれ以降の経過の中で、原告は、桜井医師が、幸子さんの恋愛性転移を解消する努力をせず、かえってその後も思わせぶりな態度を取ったり治療構造を守らなかったり(原告)、過剰に接近的・保護的に幸子さんに接したり、幸子さんをダブルバインドの状況に置いたこと(Z医師)等により、転移を増悪させたと述べていますが、

(1) 幸子さんの恋愛性転移に対する桜井医師の対応は、適切でしたか。
 桜井医師は、幸子さんの恋愛性転移に対し、恋愛関係になることはありえず、治療的関与に終始する旨を幸子さんに伝えている。一方、「見捨てられ抑うつ」から「自殺念慮」へ容易に発展する幸子さんの精神病理に配慮し、十分に保護的に接し、決して見捨てることなく治療者としてまた人間として誠実に対応し、見守ることを何度も話している。
 また、慶応大学病院での治療の限界が見えたときには、閉鎖病棟のある専門病院への転院を提案している。その後、治療関係が途切れ、他の医師との治療関係が始まった際にも、桜井医師の方から幸子さんに接近したり、自らの治療に引き戻すように誘導するような言動は行っていない。従って、桜井医師は、幸子さんの恋愛性転移に対して適切に対応していたと考える。

(2) Z医師は、「カルテから読みとれる被告の態度は、『恋愛性転移が生じないようにする努力』を怠っていたと言わざるを得ない。」と述べ(意見書9ページ)、その理由として、1)「無原則な面接日、時間の設定」、2)「面接時間の長さ」、3)「夜間の面接」、4)「役割の不明瞭さ」、5)「話題の取り扱い方・不必要な自己開示」、6)「言葉のつかいかた」を挙げていますが、これらの指摘について、先生はどのようにお考えですか。

 1)、2)については、慶応大学病院入院時、週4回1時間の定期的で構造的なものである。
 3)夜間の面接が必要となったのは、自殺の逼迫した状態の時であり、臨機応変に患者に対応するのは当然であり、必要であったと考える。
 4)役割の不明瞭さについては、研修医の治療を見守りながら、同時に治療に当たるという被告の指導医としての立場は明確であると考える。
 5)話題の取り扱いに問題はない。慶応大学病院入院時の面接での自己開示は決して多いとはいえない。
 自己開示をした際には、そのことをわざわざカルテに書くなど、自己開示については神経を使って、配慮していることがわかる。
 6)言葉のつかいかたについては、被告は日常用語によるわかりやすい言葉遣いで説明しており、特に問題のないものである。

『恋愛性転移が生じないようにする努力』を怠っていたとは言えない。

(3) Z医師は、平成7年6月頃にはかなり強い恋愛性転移が形成されていたと述べ、「この時点で被告は、故人と『転移について』話し合った上で、『主治医は治療を行うのであり、現実的な恋愛関係になることはあり得ない』、『今後も治療の目標は・・・・であり、そのために・・・をする』と明確化すべきであった。もし、そのことに合意できない場合は、それに合意できるまでは治療を中断するか、転移させるべきであったと思われる。しかしながら、被告は後述する逆転移のためか、故人の希死念慮の強さに圧倒されたため、中途半端な対応をしてしまっている。」と述べています(意見書10ページ〜)。先生は、Z医師の意見について、どのようにお考えですか。

 平成7年6月に、幸子さんは時に被告に対する恋愛感情のようなものを被告以外の(芳賀医師)スタッフに匂わせることはあったが、被告に直接恋愛関係を求めるようなことはしていない。芳賀医師も担当医が恋愛の印象にならないことを告げている(慶応大学病院診療録110頁)。この時期の主な執着の対象は別れた恋人である。
 実際に幸子さんは平成7年6月から8月にかけて別れた恋人の話題に集中し、8月には自らの強い希望で別れた恋人に会っている。被告に対する強い執着が生じたのは平成7年9月初旬と考えられる。この時点で、Z医師の言うように、「それに合意できるまで治療を中断するか転医させるべきであった」という意見は、治療的有効性からも問題があり、また見捨てられ不安からかえって自殺の危険性を高めたものと思われる。

(4) さらに、Z医師は、桜井医師の面接に関して、「主治医が自傷や自殺の危険に脅えて、頻回な面接や予定外の面接など、治療構造をないがしろにすれば、患者は落ちついていくのではなく、さらに要求をエスカレートさせる。この要求には際限がなく、やがて主治医はそれに応じきれなくなるので、結局は本当に患者を見捨てることとなり、患者は自殺を実行せざるを得ないところまで追い込まれてしまう」と述べ、批判しています(意見書11ページ)。先生は、Z医師の意見について、どのようにお考えですか。

 慶応大学病院入院中の面接の頻度は6月から8月に向かって多くなってはおらず、被告と幸子さんの関係が悪化しているようにも読みとれない。ところが、故人をとりまく環境の中には大きな出来事があった。
1.過去の恋人と会ったこと
 8月13日に昔の恋人と面会し拒絶されたことはこの患者さんにとって大きなショックだった可能性がある。
2.家族との関係の悪化
 7月3日の家族との会話のあとでの自殺念慮(慶応大学病院診療録107−108頁)。9月1日の家族(父)との会話の後で状態が悪化していること(慶応大学病院看護記録208頁)。
 9月2日、渡辺医師の記録(慶応大学病院診療録166頁)では、両親とのやりとり(父に「そちらばかり愛情の見返りを期待するな」と言われたこと)の記録がある。
 9月初旬の状態悪化が、これら患者の周囲との関係でおこった可能性が大きいものと考えられる。昔の恋人に拒絶され、両親との関係も好ましくないと感じて、幸子さんは被告にすがりついたと考えることができる。
 Z医師には、患者と治療者との関係で全てを解釈しようとする傾向がある。しかし、患者の回復を決める要因として、患者の病態そして患者をかこむ環境の問題も劣らず重要であり、大きな要因となっているのである。

(5) Z医師は、「恋愛関係をはっきりと否定し、それを受け入れない限り治療はできない」と述べるべきであった、と述べています(意見書11ページ)。先生は、桜井医師の対応が、不適切であったとお考えになりますか。

 不適切であったとは考えない。まず、被告は恋愛関係を否定している。Z医師の主張のように「それを受け入れない限り治療はできない」と伝えた場合、幸子さんが、さらに危険な状態に陥っていたことは疑いがない。この時点で安全をまず第一に考えることは間違っていない。
 また、閉鎖環境への転院は有力な選択肢であり、被告も退院時に強く勧めていた。しかし、両親は被告の閉鎖環境への転院の勧めを断って自宅に退院させ、幸子さんは被告の外来に通院することとなった。ここで新たな治療構造を作れなかったのは、治療者側の責任ではない。

(6) Z医師の意見書11ページに記載がある、「被告が恋愛性転移を適切に取り扱えなかった理由」について、先生はどのようにお考えですか。

 被告は断るべきところはしっかり断っている。適切に取り扱えなかったのではない。しかし、前述のように、患者さんを支える他の人間関係が十分に機能していなかったため、被告は患者を支え続けざるをえなかったのである。

6、東京都済世会中央病院時代(平成8年4月〜8月)における被告医師の治療方法等につき、Z医師は、平成8年4月から8月には、治療が進んでおらず、桜井医師は適切な対応をせずにかえって退行を助長したなどと述べています(意見書13ページ)が、これらの指摘について、先生はどのようにお考えですか。

Z医師は、提起面接以外での電話での面接、緊急時の電話面接、母親との面接、Q氏の面接、等を「治療構造が安定していない」と非難している。しかし、これらは危機介入、環境調整といった治療の重要な部分であり、Z医師の批判は理解に苦しむ。危険な行動化のある患者の場合、面接だけで治療が成り立つわけではないことは精神療法以前に精神医療としても当然である。
 「危ない時は携帯電話に電話してくるように」という指示が、幸子さんを特別扱いしており、彼女をかえって退行させたという、Z医師の主張は、主観的なものであり、妥当性がないものと考える。
 この時期も被告が危機回避のため入院を勧めているにもかかわらず、家族が決断できず日時を空費している場面が見える(済世会中央病院診療録34頁)。
 なお、済世会中央病院での治療に関しては、幸子さんやご家族が桜井医師以外の医師との接触をほとんど望まれなかったこともあり、他の医師が直接、幸子さんの外来治療に関わることはなかった。
 桜井医師の治療中およびその前後には、看護師、他の医師ができる限り外来にいるように努め、幸子さんの様子を見守るようにしていた。また、桜井医師に対しては、適宜、治療方針などにつきアドバイスを行っていた。桜井医師の面接は、幸子さんが精神的に不安定で感情的となり、自殺念慮を持った時には、確かに長時間に及んだこともあったが、比較的安定されていた時には、通常の精神療法の時間内で終了していたように思う。

7、桜井医師は、幸子さんに対して逆転移を起こしていたと認められますか。

 通常、治療者は、治療関係の中で、患者に対しさまざまな感情を抱く、境界性人格障害の患者、特に自殺念慮が強く、衝動的行為を起こしやすい患者を担当した精神科医は、多くの場合、気が重くなるような感情を持ち、ネガティブな気持ちを抱きやすいものである。これは治療が円滑に進むことは少なく、患者によるさまざまな試しや瀬踏み(どこまでやれば、治療者は怒り、自分を見放すか)を受けたり、攻撃や激しい感情を浴びせられることが多いからである。桜井医師は、幸子さんに対しこのような陰性の感情は持たず、幸子さんの衝動的な言動や自殺念慮に対しても、忍耐強く対処し、あきらめることなく、治療を進めている。
 桜井医師は、死んでしまいそうな患者を何とか助けたいという強い意欲を持っていたように思われる。また、幸子さんの言語能力に優れ、感性の豊かな個性に感心し、幸子さんの健康な部分に注目していたようである。これは、逆転移と呼べないこともないものではあるが、幸子さんの、長所、健康な部分に注目することは、治療を前に進める力になるものであり、否定的に評価されるものではない。
 桜井医師が、幸子さんを恋愛や将来の結婚の対象として考えていたとは、到底思えない。
 これだけ治療が難しい深刻なケースで、治療者としても苦しみ悩みながら治療を模索していく過程にあって、桜井医師がそのようなお気軽な気分になるわけがない。「治療関係に名を借りた恋愛関係の構築」という原告の主張には、全く信じられないものがある。

8、桜井医師は、長谷川病院原医師、中久喜医師からの治療関係再開の要請に対し、これを回避すべきであったと言えますか。

 原告は、被告医師が長谷川病院の原医師からの治療関係再開の要請(1996年2月)を受け入れるべきではなかったと主張している(原告準備書面1、19頁)。また、中久喜医師の要請を受けて、治療を引き受けた(1997年11月)のも誤りであると述べている(原告準備書面1、21頁)。ところが、他方では、「私の自殺をその都度止めなさい」という幸子さんの電話での要請を桜井医師が拒否したことが、自殺の直接的な最大の原因と断定している(原告準備書面1、27頁)。これらの原告の主張は、桜井医師が治療関係を回避すべきであったかどうかの点において一貫性に欠けているものと思われる。
 被告医師が、長谷川病院の原医師及び中久喜医師の要請に基づき治療を再開したことはやむを得なかったと考える。
 いずれに場合も被告医師から希望して再開されたものではない。あくまでも、被告医師の治療的関与が必要との原医師、中久喜医師両氏の判断と要請に基づいたものであり、被告医師の逆転移や誘惑的な提案が、治療再開に関係していたわけではない。もちろん、被告医師は治療の再開を引き受けることも、回避して断ることもできたわけであるが、どちらを選択しても誤りであったとはいえないと思う。
 ただ、私は、中久喜医師より提案された「喪の仕事」という考え方には賛成できないので、私個人が桜井医師の立場であれば、治療を回避したであろう。この件については後述する。しかし、桜井医師が治療関係を回避すべきであり、治療を引き受けたことが誤りであったとは、私は考えない。
 桜井師の治療関係が再開してから約1年6ヶ月の間、むしろ大きな問題となるような自殺企図はごく少なかったのであり、治療の効果が見られていたと考えるのが、自然である。また、桜井医師との診療契約が終結したのは平成11年4月であり、その後幸子さんが自殺されるまで、1年以上の期間があったことを考慮すれば、桜井医師が当時治療関係を回避すべきであったとは思わない。
 平成12年3月以降の桜井医師と幸子さんとの接触については、診療契約にも至っておらず、治療が再開されたとは考えない。当時の幸子さんの主治医はあくまでも中久喜医師であり、原告久美子氏、婚約者M氏及び中久喜医師のたび重なる要請により、被告医師は幸子さんとの接触を受け入れたのである。被告医師が、自分が幸子さんと関わるのが治療的に悪い効果をもたらすことを懸念し、はじめ幸子さんとの接触を断っていたのである。中久喜医師より「幸子さんは相当に改善している。桜井医師との面接が、幸子さんに悪い影響を与えることはないだろう」という言葉があったからこそ引き受けたものと思われる。


9、平成9年11月、桜井医師は、中久喜医師の要請により、「喪の作業」を行うことを目的として、幸子さんとの面接を再開しています。
(1)中久喜医師の、面接再開の判断は、適切であったと考えられますか。
「喪の作業」とは、愛着依存の対象を喪失した後の心理過程で、喪失した対象から次第に心理的に離れ、立ち直っていく作業のことを表す。従って、幸子さんの場合、桜井医師に会うことは、少しも「喪の作業」とはならず、反対に、喪失したものを取り戻そうという気持ちを強化する機会となりかねない危険があったものと考える。本来、「喪の作業」を行うのは新しい主治医である中久喜医師であって、対象喪失の当事者が幸子さんのように依存としがみつきの強い相手にこれを行うことは、はじめから非常に困難であったのではないかと考える。
 また、中久喜医師が主治医として治療を行い、桜井医師が治療のサポート約として「喪の作業」を行うという治療構造がそもそも大変特殊で曖昧なものと言わざるを得ない。
 さらに、中久喜医師が指示した「喪の作業」の進め方は、桜井医師が幸子さんと面接した内容を中久喜医師にレポートし、これをそのまま幸子さんに見せるというものであったが、このような枠組みでは、桜井医師が真実どのような意図で幸子さんに対応したのかレポートできないことになってしまった。
 中久喜医師は幸子さんとの信頼関係が安定してきたところで、桜井医師に対し「喪の作業」への協力を要請したと陳述書の中で述べられている(中久喜医師陳述書4ページ、3行目)が、実際にはそのわずか約1ヶ月前、平成9年10月15日、幸子さんは自殺念慮が強く危険な状態とされ、八王子の精神科専門病院に入院し、ここでも治療に乗らず1日で退院されているのである。従って、幸子さんを桜井医師に会わせ、「喪の仕事」を行うのは時期尚早であり、幸子さんにとって、「喪の作業」を成就させることは困難であると中久喜医師は考えるべきであった。

(2) 中久喜医師のもとで行われた被告医師の面接について、問題点はありますか。

 桜井医師は、当初の約束を守り、各セッションごとにその内容を中久喜医師に対し詳細に誠実に報告している。
 中久喜医師の主治医のもと、桜井医師が幸子さんの面接をしていた期間は、平成9年11月12日より平成11年4月4日の約1年6ヶ月であるが、その間、幸子さんに大きな問題となる自殺未遂はごく少なかったことを考慮すると、桜井医師の面接の治療効果については、一定の評価をすることができる。桜井医師は、幸子さんの自殺念慮や心理的しがみつき、依存、周囲の人を巻き込んでの操作などに対し、辛抱強く受容的に接して板と思われる。確かに、時には、自殺のほのめかし等に恐れず、強く是非を断じるような父性的姿勢も、幸子さんとの心理的距離を保つためには必要であったとの考え方もあるが、幸子さんのこれまでの自殺企図の傾向からいって、強く対応した場合、一直線に自殺に走る可能性も高かったと考えられ、桜井医師の面接が治療技法として逸脱した不法なものであるとは到底考えられない。
 中久喜医師は、第2回目医の面接日(平成9年11月19日)に、桜井医師が「恋愛感情」を告白したため、「喪の作業」を当初予定していた3ヶ月で強制的に終結することが不可能になったとか、その後、平成9年12月27日、28日の会話により、「心理的な恋愛関係」に入ったとか、それにもかかわらず、その後「拒絶」して幸子さんの病理を深めたと述べている。
 しかし、前記のとおり、「喪の仕事」開始のわずか約1ヶ月前、平成9年10月15日、幸子さんは自殺念慮が強く危険な状態と判断され、八王子の精神科専門病院に入院している(武田病院診療録・乙A15号証、9−1頁、13頁)「喪の仕事」第1回目の面接日(同年11月12日)にも強い抑うつ感をにじませ(乙A第7号証46頁)、第2回目医の面接日(同年11月19日)には、「もう今回で終わりでいいですね」などと言外に死にますと告げるような状態であった(乙A第7号証49頁)。なお、その間、母が心配して桜井医師に電話をかけてきている(同47頁。幸子さんは具合が悪く、もう病院には行かないと言っているとのことであった。なお、その際の電話で、幸子さんが桜井医師が結婚したことを母から聞いて知ったことが明らかになった)。このような切迫した自殺の危険性がある状況下で、第2回目の面接が行われたことを理解しなければならない。その際の桜井医師の言動は、幸子さんの恋愛感情を過去に遡って全否定することは即自殺へ走らせることになるとの同医師の、ぎりぎりの状況下での判断により為されたものと思う。
 桜井医師は、幸子さんの自殺を防止するため、ひとりの人間対人間として、嘘偽りなく正直にお互いの気持ちを伝えあうという関係設定の中で、幸子さんに対し、基本的で人間的な愛情、いわばスピリチュアルでストイックな愛を伝えていっており、異性間の愛情や実際の恋愛関係などは否定している。言い方によっては患者が傷つくこと、見捨てられたと思うことなどを配慮した上で、言い方と時期を工夫しながら被告は、「恋愛関係にならない」と幸子さんに繰り返し伝えている。

○平成9年12月19日(乙A第7号証72頁)
「被告 “今回、「正直に事実を、気持ちをオープンに、話す」ということについては、(中久喜先生がどう思っているかは桜井は正確に知らないにしても)私は中久喜先生からのメッセージとしてもらっている気がするしそれに納得してそうしている。うそはない。」

○平成11年4月14日(乙A第7号証204頁)
「「治療者としてではなく(治療の責任はDr中久喜持ち)、人間対人間の関係での真実を開示する」という特殊な契約で面接することとした。

○平成10年1月22日(乙A第7号証89頁)
「実際に交際してほしい、という申し出が幸子さんからありました。桜井はこれを再度お断りしました。(延々と押し問答がありました)」

○平成10年6月12日(乙A第7号証136頁)
「<あなたのことは好きだ、が、実際に恋人としてあなたを選ぶことはしません>と言うことを伝える。」

○平成10年6月15日、16日(乙A第7号証138頁)
「土曜の電話で被告は幸子さんを恋人として選んでいないとはっきり言った。」

○平成10年11月18日(乙A第7号証174頁)
「1)愛情関係−非常に原初的なもの−は確かに存在したし、今もセッションに存在する。2)桜井はそれを現実の恋愛による交際という道で発展させることを選ばなかった(今も選ばない)」

○平成11年2月17日(乙A第7号証190頁)
「桜井が幸子さんに言ったこと<私があなたに対して持っている愛情は、生命の根元に関わっている、(これ以上大きなものはない)ものである。わたしが“恋愛”を選択しなかったのは確かであるが、この愛情を見てほしいと思う>」

 診療録を見ると、幸子さんも、上記面接を通して、桜井医師には恋愛感情がないということを理解していたと思われるし、桜井医師の治療前後の幸子さんの状況を見ても、幸子さんの症状が「増悪化した」等の事実は認められない。

(3) 平成9年11月面接が再開されてから、面接が終了した平成11年4月までの間の中久喜医師の対応について、問題点がありますか。

 平成9年11月から始めたいわゆる「喪の仕事」の期間について、中久喜医師は、11月17日、桜井医師が恋愛感情を告白したため、当初予定していた3ヶ月で強制的に終結することが不可能になったと述べる。
 しかし、中久喜医師が、その当時、桜井医師の対応に問題ありとして、アドバイス、指導等を行った形跡はない。また、中久喜医師は、その後も、桜井医師の対応により幸子さんに抑うつ感と自殺念慮の強まりが繰り替えしみられたとか、桜井医師の面接時間が不適当に長かった旨述べているが、それらの是正のため桜井医師にアドバイス等を行った記録も全くない。中久喜医師が本当に当時そのように考えていたならば、どうして即刻是正させなかったのか、主治医の言動としては極めて不自然である。なお、中久喜医師より済世会中央病院に対し、幸子さんの治療、特に桜井医師の関わり方などに関して、相談、意見をいただいたことは一回もなかった。
 前述のとおり、中久喜医師の始めた桜井医師を巻き込んだ「喪の仕事」は不適切であり、中久喜医師は、その終結に向け、主治医としてイニシアチブを発揮するべきであったと考える。


(4) Z医師は、平成9年11月〜11年4月について、この時期は「このような大がかりなモーニングワークのセッションを持たないといけ「ここまでの治療操作が必要になることは滅多にない」とか、 「被告は『自分にとって都合がよい、恋愛関係でも、治療関係でもない関係への参加を故人に強要していた』と断ぜざるを得ず」このような「ダブルバインド」に置かれた対象は、「しばしば精神的病気を発症することが知られている」などと述べています(意見書13ページ〜)。
 これらの指摘について、先生はどのようにお考えですか(カルテを見て、桜井医師が、Z医師が言うような「強要」や「ダブルバインド」を行っていたと言えるかも含めて、ご教示下さい。)

 モーニングワークすなわち「喪の作業」とは、通常亡くなった人を諦めていく過程を言うことが多く、幸子さんの場合のような、中久喜医師の言う「モーニングワークセッション」は全く一般的なものではない。中久喜医師は3ヶ月を予定していたようだが、何かをしっかり諦めるためには人格の成熟が必要であり、境界性人格障害にあった幸子さんには、「喪の作業」自体が困難であったものと考える。
 「ダブル・バインド」については、幸子さんが自殺念慮を持ちながら立ち去ろうとすると桜井医師が引き止め、彼女が恋愛関係を望むと被告が拒絶する、ということをZ医師は「ダブル・バインド」と呼んでいるのであろう。被告の立場から見れば、患者を拒絶すれば自殺の危険が強くなり、実際の恋愛関係は当然あり得ないのであるから、桜井医師のこの態度はやむを得ないものである。桜井医師の幸子さんに対する姿勢は一貫しており、「ダブル・バインド」状況とは言えない。まして、「自分にとって都合がよい、恋愛関係でも治療関係でもない関係への参加を個人に強要していた」とは到底言えないものである。
 平成9年11月〜11年4月の期間、幸子さんの主治医は中久喜医師であり、被告の面接も含めた治療全体の管理責任は中久喜医師にあったものと考える。被告の面接が延長せざるを得なくなった時、中久喜医師は被告に助言・意見を与えず、今回事後の陳述書の中で被告を強く非難しているのは理解に苦しむ。

10、平成12年3月31日、桜井医師は中久喜医師の要請により、再度、幸子さんと連絡を取り、その後、電話などで話をしています。
(1) 中久喜医師の判断は、適切であったと考えられますか。

 それまでの経緯から考え、中久喜医師は幸子さんと桜井医師との関わりを容認すべきではなかったものと考える。幸子さんは、精神的に不安的な時ほど、桜井医師との接触を求める傾向を有していたと思われるからである。この点について、原告は、幸子さんが桜井医師と話をしたり接触すると、具合が決まって悪くなると考えているが、実際は因果関係が逆である。
 幸子さんは、前年、M氏との結婚を決めながら、他方結婚への不安を強く抱えていた。武田病院診療録(乙A第15号証、22頁-2)によれば、次のような記載が見られる。「11.12.8(母来院)本人の調子がこのところよくない、フィアンセとの関係が少しconflictualになっているらしい」、「11.12.22 今度大阪にひっこす事。結婚相手とのケンカ。閉塞感に陥り入院を考えた
平成12年に入ってからも、平成12年2月17日「結局、彼とうまくやってゆけるのか・・・<見捨てられ不安>」(甲A第2号証、8頁)、同年2月25日「Mさんが離婚したいという」(甲A第2号証、9頁)等不安定な状態であった。さらに、直前の平成12年3月5日に、幸子さんは、頸動脈を刺そうとしている(甲A第2号証、12頁)。これらの事実を桜井医師は当然知らなかったが、中久喜医師は把握していたし、同医師自身、当初関係再開に躊躇や疑念を抱きながら、結局被告医師に再開を働きかけている。中久喜医師は平成12年3月28日のセッションについて、「私は、幸子さんの積極的な、前向きな姿勢に大変感心いたしました」と述べている(中久喜医師陳述書、10頁、15行目)が、幸子さんの病気の重さの見積もりに甘さがあったのではないかと思われる。
 また、中久喜医師の判断・要請とはいうものの、ことの始まりは、幸子さんの母親や婚約者からの希望である。結局は、これは幸子さんの希望にほかならず、幸子さんが周囲の人を巧みに操作して彼らにそう言わさせていると考えることができる。
 実際、中久喜医師も始めは、幸子さんと桜井医師の関係再開に躊躇や疑念を提示したところ、幸子さんの強い不信感を招き、最終的に賛成することになることが中久喜医師の陳述書の中に語られている(中久喜医師陳述書、9頁)。幸子さんが中久喜医師をも巧みに操作して、自分の要求を実現しているように思われてならない。このように周囲の人間の心理を操作して、結果的に自らの希望を実現させる能力の高さは、境界性人格障害の大きな特徴のひとつである。
 なお、中久喜医師は、両者の関係には直接介入しないことで幸子さんと同意した旨述べているが、一方で関係再開を心配していたことと整合性がないように思う。中久喜医師は、「この1ヶ月の間の二人の間の交流は、「お茶のみ話」ということでしたので・・・直接的な介入はいたしませんでした。・・・お二人のコミュニケーションの内容は、私にはわかりません」と述べているが、主治医として責任ある態度か甚だ疑問である。

(2) 平成12年3月30日から幸子さんが亡くなるまで(同年5月3日)の桜井医師の対応について、問題点はありますか。

 まず、桜井医師が幸子さんとの会話を承諾したことは、幸子さん本人のみならず、母親及び婚約者から懇願されたこと、当時の幸子さんの状態を最も把握していた主治医中久喜医師から強い要請であったことからいって、問題はない。
 桜井医師と幸子さんの関係は、全く診療契約ではなく、かつての知人が世間話をする関係ということで、両者に合意があった。ただ、再び幸子さんの要求や依存が高まり、精神状態の悪化が予測されたため、桜井医師はこの関係に猶予を求め、当分は接近しない方がいいと提案した。この点に関しても、桜井医師の対応に、何ら問題点はないと考える。
 幸子さんが自殺未遂をおこない、極めて危険な精神状態にあることを知った時にも、桜井医師は診療契約がないにもかかわらず、主治医である中久喜医師に迅速に報告している。決して無責任な対応はとっていない。幸子さんが自殺されたことは、本当に残念な結果であり、何か別の方法はなかったものかと考えるが、桜井医師としては彼の力の限界まで幸子さんを救おうと努力したと考える。桜井医師が、治療関係以外の関係で幸子さんを定期的に援助することはできない、と伝えたことはやむをえないことであったと思う。

(3) 平成12年3月30日から幸子さんが亡くなるまで(同年5月30日)の中久喜医師の対応について、問題点はありますか。

 平成12年5月1日、中久喜医師は、幸子さんが自殺企図を起こしたことについて、桜井医師からFAXで警告を受け、距離をとった方がよいと考えているので話し合いのため連絡をほしい旨連絡を受けたのに対し、桜井医師に連絡を取ることなく、そのFAXをそのまま、自殺企図をした幸子さんに転送している(乙A9)。これは、精神科医として全く理解しがたい行動である。M氏も「この転送されてきたファックスを見て、幸子のそれまでのなごやかな表情ががらりと変わり、大変厳しい表情になり、また怒りをあらわにしはじめました」と述べている(甲B7・45頁)。
 中久喜医師は、当日午後5時45分ころ、電話で幸子さんと話、桜井医師との友人としての関係性を明確に再定義することを提案し、幸子さんは納得されたようで、気持ちもリラックスされたように感じたと述べている。そして、そのときの電話は、短い会話であったが、幸子さんが自殺念慮を持っているような緊迫した感情を感知しなかったと述べている(甲B3・16頁)。しかし、前日の自殺企図は、頸動脈に注射針を刺して死のうとしたものであった。直近の4月26日の中久喜医師のカルテには、幸子さんの結婚を前にした不安定な状態が克明に記載されている(乙A15・27頁)。桜井医師からもFAXで上記の通り警告を受けていた。中久喜医師は、主治医として、幸子さんの不安定な精神状態、衝動的な自殺の危険性を察知できる立場にあったといえる。主治医であれば、自殺企図後受診した外科医に状態を聞くとか、短時間ではなく十分時間をかけて本人、家族からその後の状況を含め事情を聞くとか、場合により自ら診察に赴くとか、家族に目を離さないよう指導するとか、入院を勧める等の対応がされて然るべきであるが、全くこのような対応は為されていない。

11、桜井医師と幸子さんが連絡をとり始めた平成12年3月30日ころから、幸子さんが亡くなるまで、幸子さんは桜井医師に対して恋愛性転移を有していたと考えられますか。または、恋愛性転移は解消されていたと考えられますか。

 この時点では、幸子さんはM氏との婚約された上で、同居生活をしていた。通常は、他の男性と婚約し生活を共にされているとすれば、桜井医師に対する恋愛性転移は消失していたと考えるのが自然である。
 さらに、幸子さんは、約一年間近く、桜井医師と連絡を取らない期間があった。長期に亘り接触をせず、別の男性と婚約し生活ができていたのであるから、恋愛性転移は解消されていたと考えられる。
 平成12年4月の、電話によるやりとりを見ても、世間話に終始しており、4月26日には、「私には、黄色い花束(恋愛)でなければいやだと言って、白い花束(恋愛ではない愛情)を受け取らなかった。それが生きるのに必要なものだとも知らないで」と述べている(乙A第7号証211頁)。5月1日の自殺企図も桜井医師が原因ではないと幸子さん自身が断言している。
 また、幸子さんの桜井医師に対する思いは陽性のものばかりでなく、桜井医師を告訴しようと何回か弁護士に相談するなど、非常に強力な陰性感情を伴ったものに途中から変化している。これは、そもそも恋愛性転移というものかどうかすら疑問に思える。「理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式」という境界性人格障害の診断基準の一項目がまさにぴったりと当てはまる。

12、原告は、幸子さんが最終的な自殺を決行する直前、「桜井医師は電話等で再び問題のある対応をし、さらに中久喜医師に適切な連絡や報告をしなかったことが、最後の引き金になった」と述べていますが、この主張についてはどのようにお考えになりますか。

 同意できない。桜井医師の電話での対応に問題はなかった。また、桜井医師は中久喜医師に適切な連絡や報告を行っている。
 前述したように、桜井医師と会話を交わすと幸子さんの自殺念力が強まるという原告の考え方は、因果関係が逆である。幸子さんは具合が悪くなり自殺念慮が強まった時、救いを求める最終対象として桜井医師を選択し、桜井医師に接触を図っていたと考えられる。

13、幸子さんの自殺の原因は、桜井医師への恋愛性転移が原因であるである[原文のまま]と考えられますか。

 そのようには考えられない。前記のとおり恋愛性転移は解消されていたと考えられるし、そもそも恋愛性転移というものかどうかすら疑問に思える。自殺の原因については、本人の話をもはや聞くことができない以上、最も信用できる資料は、自殺直近の本人の残された記述である。遺書は残されていないようであるが、自殺当日、幸子さんから中久喜医師に宛てたファックスの文章には、「今回の自殺未遂(注:5月1日の自殺未遂)ははっきり言って全く彼(桜井Dr.)に関係がないのですが・・・」と記述されている。このことから考えても、5月2日の自殺企図が、桜井医師への恋愛性転移が原因となって行われたものとは考えられない。
 中久喜医師の「FAXの転送」を契機とした桜井医師に対する怒りの感情はあったようであるが、また結婚に対する不安が根深くあったものと思われる。
 
○平成11年10月30日(甲A1号証の1・243頁)
「“もうこのようなことをしていてはあなたの研究がだめになると、私のバイオリンもだめになる。結婚を破きましょう”と置き手紙があった。」

○平成11年12月8日(乙A15号証・22頁)
「(母来院)本人の調子がここのところよくないが、フィアンセとの関係が少しconflictualになっているらしい。」

○平成11年12月22日(乙A15号証・22頁)
「今度大阪にひっこす事。結婚の相手とのケンカ。閉塞感におちいり入院を考えた。」

○平成12年2月25日(甲A2号証・9頁)
「Mさんは“・・・離婚したい”という。大変なのはこっちだったのだし・・・離婚した方がいいだろうといったらこっちの云い分をみとめてくれた。」

○平成12年4月26日(乙A第15号証27頁)
「結婚がせまってきている(5月13日)。・・・全体的な体(?)つきの変化が起こっているのに心がついていけない。sexのあと体が疲れて2時間位体が動かない。その間家事ができない。・・・大阪を仮の宿と思っていたが、それが本当(?)の宿と思わなくてはならなくなってきた。桜井医師が自分の生死をにぎっているのではないことが分かった。夫もにぎっていない。・・・音楽をひいても生命力を感じない。人形のような状態。」

○平成12年5月2日(乙A第15号証27頁)
「不安定、結婚する不安」

 幸子さんは、5月13日に結婚式を控えていたが、このように、結婚に対する不安とそれに基づく不安定な状態が、多くの箇所に読み取れる。これらを背景として、さまざまな人間関係の中で、多くの複合した要因により動揺され、かなり衝動的に自殺企図を行い、不幸にも既遂となってしまわれたものと思われる。
 なお、Z医師は、桜井医師について、「特に『境界性人格障害患者への治療』において重要とされる『治療構造の維持』『治療的距離の確保』『患者の転移感情の把握と対処』『自らの逆転移感情の把握とその克服』という面で不適切であり、その結果、故人は著しく強い被告への転移感情を長期間にわたって持ち続け、故人のそれからの人生は被告の存在に翻弄されることになり、最終的な自殺既遂の誘因となった。」と述べる(意見書14ページ)。
 しかし、幸子さんには強い自殺念慮が絶えず存在しており、そのための危機対応が必要であった。自殺を予防することが第一であり、Z医師が主張するように「治療構造の維持」と「治療的距離の確保」を原則的に重視すれば、治療関係自体がより早く破綻した可能性が高い。患者の転移感情については、被告はしっかり把握していた。Z氏はマニュアルに則って治療を行えば患者の心理状態を好転させられるかのように主張しているが、誤った主張である。被告は患者の自殺に向かう危機を正しく把握して自殺防止のために手段を尽くしたのであり、逆転移感情に動かされていたのではない。被告の存在が故人の死の誘因になったという意見は論外である。
 桜井医師は、幸子さんの衝動的な言動や自殺念慮に対して、決して陰性感情を持つことなく、忍耐強く対処し、あきらめることなく、治療を進めている。桜井医師には、死んでしまいそうな患者をなんとか助けたいという強い意欲があったのである。長谷川病院の原医師や中久喜医師の要請に基づく治療の再開、平成12年3月以降の幸子さんとの接触は、いずれも、中久喜医師らや家族らに懇願されて引き受けたものであるが、ここにも桜井医師の患者を死から救いたいという精神科医としての熱意と人間としての暖かさをみることができる。桜井医師は、最後の最後まで、幸子さんを救おうと努力した[4月27日には、「もう一週間生きてみるよう」必死で説得している(乙A第7号証211頁)。5月2日、中久喜医師にFAXで前日の自殺企図を知らせ、話し合いを求めている(乙A第9号証)。その後も、幸子さんに「私は、あなたが自殺(企図)すると絶望的に傷つくんです」と説得している]。

 以上、故幸子さんのご冥福を心より祈りながら、私の意見書を修了いたします。 以上

略歴
半田貴士(はんだたかし)

1954年10月 東京都生まれ
1979年 3月 慶応義塾大学医学部卒業
1979年 5月 医師国家試験合格
1979年 5月 慶応義塾大学医学部精神神経科研修医
1981年 5月 慶応義塾大学医学部精神神経科専修医
1984年 5月 慶応義塾大学医学部精神神経科助手
1987年 5月 医療法人大泉病院勤務
1988年 6月 精神保健指定医
1989年 5月 医学博士(慶応義塾大学)
1993年 5月 東京都済世会中央病院精神神経科部長

専門領域
  臨床精神医学

所属学会
  日本精神神経学会
  日本神経心理学会
  日本総合病院精神医学界など

資格
  医学博士、精神保健指定医、日本精神神経学会指導医、産業医、労働衛生コンサルタント

論文  (1)不眠、medicina, vol.4, p.557, 2004 (2)新・必修精神科研修プログラム―主要病院における研修プラン 精神科、3 (2); p.172, 2003 等


履歴書
久場川 哲二

生年月日 昭和19年7月16日(満61歳)
勤務先  川崎市立川崎病院 精神神経科
     神奈川県川崎市川崎区新川通12−1 〒210-0013

TEL 044(233)5521(代)
FAX 044(245)9600 学歴
昭和35年 3月 小石川高等学校卒業
昭和39年 4月 慶応義塾大学医学部入学
昭和45年 3月 慶応義塾大学医学部卒

職歴
昭和45年 5月 慶応義塾大学医学部訓練医(精神神経科)
(昭和46年4月まで)
昭和46年 5月 大泉病院精神神経科医師
(昭和62年10月まで)
昭和48年 9月 国立栃木病院精神科兼任−医長
(平成 6年12月まで)
昭和53年 4月 松戸クリニック 非常勤精神科医として勤務−主に児童精神科医指導医として勤務−現在も指導・勤務医として継続
昭和62年11月 1日より 亀田総合病院精神神経科部長
(平成6年12月まで)
平成 7年 1月 川崎市立川崎病院精神・神経科部長(現在に至る)
平成 7年 4月 神奈川県国民保険団体連合会・医部会審査員(現在も継続中)

賞罰 なし

資格・学位
昭和45年 6月 医師免許(第206898号)
昭和52年 4月 精神鑑定医−(現在−精神保健指定医−3923号)取得)
昭和62年11月 慶応義塾大学医学部・客員講師
平成 1年 7月 博士(医学)号取得(慶応義塾大学第2053号)
平成12年 4月 慶応義塾大学医学部・客員助教授−現在も継続中
平成14年 4月 日本総合病院精神医学会・専門医−専門医 第267号
平成17年12月 日本精神神経学会・専門医

所属学会・役職
日本精神神経学会医学会・専門医
日本アルコール・薬物医学会
日本児童青年精神医学会
日本社会精神医学会
日本総合病院精神医学会/指導医
神奈川精神医学会評議員(平成7年4月より現在まで)
日本精神科救急学会

専門領域:児童青年期のメンタルヘルス、司法精神医学、てんかん学、サイコセラピー等
著書:父親不在、他に分担出筆[原文のまま]多数 以上の通り、相違ありません。


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