芳賀真理子医師の陳述書

平成18年2月21日

芳賀真理子

東京地方裁判所 民事第35部
   合A2係 裁 判 官 殿

1.私は現在、都内の精神科の勤務医をしている芳賀真理子です。
  私が慶応大学病院で精神科専門医研修を行っていた際、桜井医師の下で亡幸子さんの診療に携わっており、その時期の診療状況についての質問を古谷和久弁護士、池尾奏弁護士から受けました。
  各質問に対しての回答は以下の通りです。

2.(1)幸子さんの病名はなんですか。

 重度かつ困難な境界性人格障害です。

(2)幸子さんの病状は、重篤な、きわめて困難な事例であったと認められますか。

 極めて困難な事例でした。
 幸子さんは、社会に適応できる理知的で強くてやさしい常識的な人格と、無力で弱々しい人格とをあわせもっていましたが、幸子さんにとって、この2つの人格を、連続性を保ちながら共存させていくことは、とても困難なことでした。
 この2つの人格が連続性をもって共存しているのであれば、衝動的に自殺に走りたくなった場合などでも、理知的で常識的な前者の人格が歯止めとなって衝動性を食い止めることができるのですが、幸子さんの場合、後者の人格になってしまうと、後者の人格のみが表に出てきてしまい、衝動性を食い止めたり、理知的に物を考えることがまったくできない状態になってしまうという特徴を有していました。
 治療においても、前者の人格が前面に出てきている場合には、理知的・論理的に面接が進むのですが、後者の人格が前面に出てくると、理知的な人格で衝動性を抑えることができず、突然自殺を試みるなど極めて破壊的な状況に陥り、治療関係自体が危機にさらされました。
 さらに、幸子さんは、無力で弱々しい後者の人格(”ダメな自分””弱い自分”など)が自分の中に存在していること自体許せず、このような自分を受け入れることに耐えられない状態でした。
 そのため、自分自身を信頼することができませんでしたし、他人に対しても、「”ダメな自分””弱い自分”を表に出せば、人は自分から離れていってしまう」と感じていましたので、本当の意味での信頼感を持つことができず、入院当初は完全に自閉した状態でした。

(3)原告の意見書を書いているZ医師は「慶応大学病院カルテでは、唯一芳賀医師が『医原性BPDに持ち上がった感がある』と書いてる以外にはBPDという言葉が使われておらず、したがって『BPDにふさわしい治療』については検討された形跡がない。」「一貫した治療方針は立てられていない。」と述べています。このような事実はありますか。

 このような事実はありません。むしろ、職種や臨床経験の違いを超えた医療スタッフ間で、透明性の高いミーティングを頻回に行っていました。
 慶応大学病院では、どの患者についても、状況が悪い時等に担当者が集まってミーティングを行っていましたが、幸子さんについても同様でした。
 幸子さんに関するミーティングに出席するのは、桜井医師、私、婦長、主任、担当看護師、その他の看護師で、看護の手が比較的空いている日勤帯の午前10時〜3時の間に、1時間程度のミーティングを行っていました。
 ミーティングでは、桜井医師等から幸子さんの状態について説明があり、対応方法について協議が行われました。看護側は、「問題リスト」「看護目標」「看護計画」を作成していますが(乙A3の4・93頁以降)、ミーティングなどを経て、必要に応じてこれらの見直しやすりあわせを行っていました。
 医師側から治療を提示しなければ、看護計画を立てることはできません(看護師の独断で計画を立てたりすることはあり得ません)ので、桜井医師から一貫した治療方針が提示されていたことは明らかです。
 このように、私たちは、ミーティングにおいて、治療方針等について多角的かつ慎重に協議しており、幸子さんにふさわしい、一貫した治療方針を立て、それを実行していました。
 当時では珍しいほど高度なチーム医療が提供できていたと思います。

3.幸子さんは、慶応大学病院入院時代(平成7年3月4日〜12月1日)、桜井医師に対して恋愛転移を生じています。
(1)原告は、幸子さんが「性愛性転移」を生じた原因として、桜井医師が幸子さんに対して、「思わせぶりな態度を取った」こと、治療構造を守らなかったことなどをあげていますが、幸子さんが桜井医師に恋愛性転移を生じた原因は、なんだと考えられますか。


 まず、桜井医師が幸子さんに対して「思わせぶりな態度」を取ったという事実はありません(桜井医師がこのような「態度」を取ったのを見たことはありません)し、桜井医師の態度がチームの中で問題になったこともありません。
 次に、Z医師が指摘している治療構造に関してですが、治療構造は杓子定規に守らなければならない一定の厳格なルールではなく、患者の状態に従って構築するものですし、患者の状態にあわせて変化していくものです。そうでなければ、医師は、”私の治療(治療構造)に合う人は治療するが、合わない人は治療しない”ということになってしまいます。
 特に、病状の重い人の場合には、治療構造を守るレヴェルに至らないことがあります。このような患者が危機的状況にある時には、生きていてもらうために、面接回数を多くしたり、面接時間を延ばしたりせざるを得ないことがあります。
 幸子さんの場合、理知的な人格でいられる時には、面接時間や回数を守らなければならないということを理解できるのですが、衝動的になっている時(例えば自殺すると言って泣いて叫んでいる時など)には、桜井医師が面接を終わらせようとすれば、”先生は治療構造を守るために面接を終わらせるのだ”ということが理解できず、”私は先生に見捨てられた”となって、自殺に走る危険性が非常に高かったと思います。
 桜井医師が治療構造を厳守しなかったがゆえに幸子さんの病状が悪化したのではなく、幸子さんの病状が悪かったために、桜井医師が面接時間を延ばしたり、面接回数を増やしたりせざるを得なかったということなのです。
 次に、幸子さんの恋愛性転移の原因ですが、これを検討するにあたっては、幸子さん自身の言葉を最も重視すべきことは言うまでもありません。
 カルテに保存されている幸子さんの入院前のメモ(乙A1・27頁以降)によれば、「(おつき合いしていた)彼と知り合うまでは、私は他人を必要としない人間だった」「言語−人間には様々な言語レヴェルがあると思う。ひとつの単語をとっても互いが思っていることが違うときがある→私にとって私の本当に言いたいコトを理解できる人はとても少ない。2人ぐらい」とあります。
 幸子さんの言葉にもあるように、幸子さんにとって、他者と信頼関係を結べたと思えた身近な体験は恋愛関係でしたが、信頼関係を結ぶ前提として、「自分の言葉を本当に理解してくれるかどうか」ということは、幸子さんには非常に重要なことでした。
 桜井医師は、治療の中で、幸子さんが自分の言葉を選び出す自由と時間を保証しており、言葉を通じて幸子さんを理解していこうと非常に努力していましたので、幸子さんは、疎外感を感じずに「自分の言葉を理解してくれる人」として、桜井医師を認識したのだと思います。
 そして、この、「疎外感を感じずに付き合える相手」という関係が、幸子さんがそれまで恋愛関係で得られた感覚と非常によく似ていたために、幸子さんは、桜井医師に恋愛感情を有するようになったと思われます。

(2)原告は、桜井医師が、平成7年6月ごろ、「『私が幸子さんの恋人役をやります。』などと、確立された精神療法の範疇に入らない怪しげな民間療法まがいの『治療方針』を言明し始めた。」と主張しています。このような事実はありますか。
 
このような事実はありません。
 仮に、原告が主張するような、不明確で怪しげな治療方針が提示されていたとすれば、治療チーム、主治医不在の際に主治医代行をする医師、回診する教授をはじめとした慶応大学病院精神科医局スタッフから、疑問の声や治療方針の改善要求が出てくるはずです。しかし、そのような事実はまったくありませんでした。
 また、私は、桜井医師から、そのような「怪しげな治療方針」を聞いたことは一度もありません。

(3)平成7年8月、幸子さんは前の恋人と面会しましたが、原告は、「山田、芳賀両医師はこの計画に賛同せず、被告だけが、あいまいな理由から賛意を示す。…被告は他スタッフの見解を聞こうともしないで、偶発的に持ち上がった再開の話をそのまま進めさせた。」と述べています。
このような事実はありますか。

 私は、幸子さんと前の恋人との面会の時期は夏休みをとっており、この話を聞いたのは、幸子さんが前の恋人から拒絶された後のことです。
 したがって、私は、上記「計画」に、賛同も反対もできる状態にありませんでした。
 ただ、仮に、指導医である桜井医師と明らかに治療方針が違うとき(本件でいえば、例えば、桜井医師が元恋人との面会に賛成し、私は反対するという場合)には、治療現場の混乱につながる恐れもありますので、その都度話し合い、治療方針の確認をしていきます。
 したがって、治療者たちがまったく正反対の治療方針を抱いた状態を放置し、曖昧にしたままで、治療にあたっていたとは到底考えられません。
 また、平成7年7月28日桜井医師のカルテ記載によれば、幸子さんのお母様との面接中に、お母様から、「彼は仕方ないから会わせた方がいいのかと思う」という発言がなされたのに対し、桜井医師は、「この件については結論が出せない」と、慎重に対応しています。
 よって、桜井医師が「偶然持ち上がった再会の話をそのまま進めさせた」という事実はなく、桜井医師は慎重に対応するようアドバイスしていたと思います。

(4)先生はカルテ(平成7年9月25日)に、「桜井Dr、○○氏ともに未練あり、あきらめきれず。まだ何とかしたい、と思っているし桜井Drに関しては桜井Drの”思わせぶりな”言動がなぜ起こったのかというあたりにこだわっている」と書かれています。どのような趣旨で書かれたのかについて、ご教授ください。(先生から見ても、桜井医師は”思わせぶり”な言動をしていたということなのでしょうか?)

 平成7年9月7日の私のカルテの記載によれば、「話題としては彼の件と、Dr桜井の距離のとり方(思わせぶりな態度、という表現をする)につき終始」とあります。
 また、平成7年9月20日の私のカルテの記載にも、「…主旨としては、今までDrにすきだよといいつづけてきていたが、桜井Drは「それもいいね」など思わせぶりな言葉、態度をとって、ptに揺さぶりをかけていた、らしい。」と記載しています。
 いずれも幸子さんから発言を引用する形でのみ、”思わせぶりな態度”という記載をしています。
 これは、私がそのように判断していたというのではなく、あくまで幸子さんがそのように判断していたということを示しているにすぎません。

4.原告は、桜井医師が、幸子さんの恋愛転移を解消する努力をせず、かえってその後も思わせぶりな態度をとったり治療構造を守らなかったり(原告)、過剰に接近的・保護的に幸子さんに接したり、幸子さんをダブルバインドの状況に置いたこと(Z医師)等により、転移を増悪させたと述べていますが、幸子さんの恋愛転移に対する桜井医師の対応は適切でしたか。

 桜井医師は、どの患者に対してもとても親身で、どこまでも理解しようと努力すると同時に、患者の転移にまきこまれずに私的感情を内的に処理し、あたたかみのある冷静さを保つという、難しい技術を身につけている医師でした。
 たとえば、患者が医師に陰性転移(怒り等)を抱くと、治療者側も陰性転移を抱くことが多くなり、判断にぶれが生じることがあるのですが、桜井医師は、患者が陽性転移や陰性転移を抱いた場合でも、医師としての態度を崩すことなく、また、転移に巻き込まれたり、転移に基づく判断のぶれを起こしたりすることもなく、どのような治療が適切なのか、周囲の環境にどのような配慮をしたらいいのかということを常に考え、客観的な指針を持ちながら治療にあたっていました。
 このような桜井医師の対応は、幸子さんの場合も同じで、桜井医師は、幸子さんの恋愛転移に対しても、医師としての態度を崩さず、冷静かつ適切に対応していました。
 私は、桜井医師の面接や治療を間近で見ていましたが、私から見ても、桜井医師は、桜井医師と幸子さんの関わりは治療としての関与であり、恋愛としての関与ではないことを明確にしていました(たとえば、平成7年9月20日の私のカルテの記載では、幸子さんが話された内容の要約として「…昨日、今日と「おつきあはできない」と(桜井医師より幸子さんは)いわれた。理由は「医者−患者間の恋愛はタブーだから」とのこと。」とあります。)。
 桜井医師が、過剰な接近・保護していたのを見たこともありません。
 桜井医師は、幸子さんを親身になって理解しようと努力し、治療上の必要性に応じて適切な処置を施しながら、治療チーム全体で治療的な保護環境を作ろうとしていました。

5.原告は、平成7年6月ころから、「桜井医師との面接→幸子さんの容態が悪化する→希死概念が生まれる、というパターン」があり、このパターンは繰り返されて次第に重篤なものとなっていったと述べていますが、このような事実はありますか。

 このような「パターン」はありませんでした。このような「パターン」があったら、かえって治療方針が立てやすかったと思います。
 幸子さんの希死念慮、容態の悪化は、家族との接触後であったり、知人との接触後であったりと、様々な事柄をきっかけに現れており、そのために、私たちは苦労していたのです。
 さらに、「このパターンは繰り返されて次第に重篤なものとなっていった」という事実もありません。
 治療経過をみても、それまで幸子さんは、予測不可能な自殺企図(しかも致死的なもの)を突然敢行していましたが、この頃からは、状態が悪化して強い希死念慮を抱いたとしても、徐々に調子の悪さを言葉で伝えられるようになっていました。
 つまり、幸子さんは、それまでは、”無力な自分””弱い自分”をさらけだすことができず、他者を信頼することができずにいましたが、治療者を信頼し始め、言葉で語るようになったのです。
 このように、幸子さんは、入院前または入院直後と比べて徐々に改善の兆しを見せていたのであって、重篤になっていったと断定できる根拠はまったくありません。

6.先生は、カルテ(平成7年10月26日)に、「いわゆる医原性borderline personality disorderまで持ち上がった感があります」と書かれており、原告はこれをもって「まさに桜井医師の精神療法によって故幸子がより重篤な精神障害へと追い込まれていったことが示されている」と述べています。先生が上記カルテをどのような趣旨で書かれたかについて、ご教示ください。

 カルテに保存されている幸子さんの入院前のメモ(乙A1・27頁以降)には、「私の存在そのものが無意味だと感じる」「私がこれから先生きていく価値があるのだろうか?それだけの意味があるのか?」「この世に私の居場所がない/なくなった」「もう何もほしくない/もう十分!」と記載されており、自分の存在自体の無力感、虚無感が前面に出ています。
 この、自己の存在を無に帰す方向へと向かう自閉的思考が前面に出てくる面接においては、一見他者との関係性(自分を理解してもらったり、他者を信頼したりという関係性)を求めているようでいながら、完全に自閉してしまっており、他者との信頼関係を構築するきっかけすら見出せない状況でした。
 それが、桜井医師との面接を通して、幸子さんが自分の存在を無に帰す方向で自閉するのではなく、他者を信頼しようとする過程における「他者との関係性」の問題へとレヴェルを上げてきている、「関係性を生きる」という現実的な課題への対話や対応が可能となるレヴェルまで持ち上がっている、と評価したため、私は、「医原性borderline personality disorderまで持ち上がった感があります。」と記載したのです。
 つまり、幸子さんは、それまで、人格障害ではあるものの、自閉状態であったがゆえに、どのタイプに属するか不明な人格障害としか言いようがない状態でした。しかし、桜井医師が、治療や面接を通して幸子さんに働きかけ、心を開かせたことによって、幸子さんが真の問題点が表面に出てくるようになり、幸子さんが境界性人格障害の特徴((1)現実に、または理想の中で見捨てられることを避けようとするようなりふりかまわない努力、(2)理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式、(3)著明で持続的な不安定な自己像または自己感、の3つで、特に(1)と(2)。DSM−W「境界性人格障害」)を有していたことが、浮き彫りになったのです。
 このような意味で、私は、医原性borderline personality disorderまで持ち上がった感があります。」という記載したのです。
 以上のように、桜井医師の治療により、それまで曖昧模糊として輪郭がはっきりしていなかった幸子さんのタイプが、はっきり輪郭を持つようになり、治療の的が絞りやすくなりました。さらに、突然現れる自殺企図がその前に言葉や感情で表現されるようになり、自殺防止がそれまでに比べ可能となりました。
 このような、患者の真の問題点を浮き彫りにするという作業は、よい治療者でなければできないことです。なぜなら、治療がうまくいかないと、治療者は患者の”鏡”になれず、患者は真の問題点を治療者にさらけ出すことができないからです。その意味でも、桜井医師は非常にすぐれた治療者であると思います。
 また、以上のように桜井医師の治療的関与により、特に対人関係、感情の不安定および著しい衝動性の様式に関してはBPDの特徴を有していることが浮き彫りになり、治療の的が絞りやすくなっていたのですが、それでもなお診断名を吟味し続けていたのは、幸子さんの時折見せるよそよそしさや、独自の考えに没入し固執傾向があるところと、機転や融通の利く柔軟な二面性を併せ持つ点など、なにかまだ別の病理が隠されているのではないか、という疑いを常に持ちつつ慎重に治療を進めていたためです。

7.桜井医師は、幸子さんに対して逆転移を起こしていたと認められますか。

 上記4の回答で記載したとおり、桜井医師は、幸子さんへの関与は治療としての関与であり、恋愛としての関与でないことを明確にしていました。
 また、私の目から見ても、桜井医師の幸子さんに対する対応は100%医者としての対応であり、桜井医師が幸子さんに対して恋愛性逆転移を起こしていたとは考えられません。

8.桜井医師は、治療関係を回避すべきであったと言えますか。

 信頼関係を保てるかどうか極めて不確定な状況にある時期(しかも幸子さんは桜井医師にすがりついていました)に、無責任に治療関係を回避することは、幸子さんを「見捨てられた」「誰も信用できない」という状態に陥らせる可能性がありました。
 幸子さんは、桜井医師に会うまでは、”無力な自分””弱い自分”をさらけ出せずにじましたが、桜井医師によって、やっと、このような自分もさらけ出せることができるようになったのです。その桜井医師が治療を回避してしまえば、「無力な自分、弱い自分をさらけ出すと、やはり人は逃げてしまい、本当の自分は理解されない。そうであれば死ぬしかない。」となって、幸子さんが自殺に走っていた可能性は高かったと思います。
 よって、治療関係を回避するという選択は、その時期の幸子さんにおいて、不適切でした。

9.(1)慶応大学病院時代に行われた桜井医師の治療および面接は、適切に行われていましたか(特に、桜井医師の面接方法についてZ医師が意見書で述べていますので、ご参考いただければと思います。)。
 
治療構造については、前述したとおりです。
 幸子さんは、致死的な切迫した希死念慮、自殺企図を有していましたので、面接が切迫した状況になることもたびたびありました。
 よって、面接において厳格で機械的な枠組み設定を尊重することは、幸子さんにとって常に有効であるわけではなく、かえって症状が悪化し、治療継続や生命維持自体が困難になる危険性をはらんでいました。
 そのため、桜井医師は、面接の枠組みを厳守すべきときと、柔軟に対応すべきときとを慎重に吟味していました。
 また、2(3)、4で回答したこともあわせてみても、桜井医師の治療および面接は適切でした。

(2)原告は、桜井医師の面接について「二人は『恋人』としか見えないものであった。この面接の場に居合わせた女性のB医師は、いたたまれない様子で席を立つほどであった」と述べていますが、このような事実はありますか。

 このような事実はまったくありません。

(3)原告は、「原告らも不安を感じ、同年(平成7年)10月ころ婦長に相談したところ、他の医師および看護婦らも被告と故幸子の親密な関係を問題であると考え、被告だけを故幸子の担当とせず他の医師や看護婦等もグループで担当することにして、被告の面接も他の患者と同様に週2回とすることにした」と述べていますが、このような事実はありますか。
 
 当時、慶応大学病院の精神科では、主治医は二人一組で、担当看護師制(各患者に一人の担当看護師がつく制度)を採っていました。
 当然、私が同病院で研修を始めたころ(私は、平成7年5月、幸子さんが千鳥が淵で自殺未遂を行う前に、慶応大学病院での研修を開始しています)にも、複数の医師や職種でのチーム医療を行っており、平成7年10月以前から、すでに、幸子さんの担当は、桜井医師だけではなく、研修医(A医師や私)も担当していましたし、桜井医師が休暇の際には別の指導医が担当するなどしていました。
 このように、慶応大学病院でに治療は、幸子さんが入院した当初から、桜井医師だけが幸子さんを担当するのではなく、チーム全体で治療方針を確認できる透明性の高い治療構造でした。
 また、平成7年7月29日の山田医師との面接後に出現した、幸子さんの山田医師との面接の抵抗感について、桜井医師は、カルテ(平成7年8月1日)に、「ptにとっての山田Drはどうでもいい存在ではないと思われる」「山田先生には思っていることをぶつけてみてほしい。Dr山田とは(金)pm7時過ぎに被告と一緒に面接するようアレンジしてみる」と記載しています。このことからもわかるように、桜井医師自らが、桜井医師だけを幸子さんの担当にするという形を選らぶことなく、「基本的にはptが(山田医師との面接を)必要かどうかによって決まる」事も明確にした上で、幸子さんの治療を複数の医師で継続することとしています。
 しかし、幸子さんは、そのように設定された複数の治療チームのスタッフに援助を求めようとするのではなく、桜井医師一人に全面的にすがりつくという問題が顕在化していたため、面接回数についての制限が提示されら事実はありました。
 ただ、これは、桜井医師の治療や面接方法に不適切な点があったためではありません。

10.慶応大学病院時代の桜井医師の治療、対応が、平成12年5月の幸子さんの自殺に影響を与えているとお考えになりますか。

 前述のとおり、桜井医師の治療によって、幸子さんが境界性人格障害であることや、幸子さんの真の問題点が浮き彫りになり、その後の治療者に指針を与えることになりました。
 また、幸子さんは、桜井医師の治療を通して、”無力な自分””弱い自分”でも受け入れてくれる人がいるのだということを実感することができました。
 慶応大学病院における桜井医師の治療があったからこそ、幸子さんは、以後、その他の医師を信頼して治療を受けることができたのです。
 桜井医師がいなかったら、幸子さんは、違う医師にすがりついていたかもしれませんが、「他者との関係性」を構築しようとするレヴェルに達することもなく、もっと早い段階で自殺していた可能性が高いと思います。
 また、桜井医師は、前述のように、慶応大学病院において、治療者として最大限の努力を尽くし、医師としての態度を崩さず、極めて適切に幸子さんに対応していました。
 したがって、桜井医師の治療や対応が、平成12年5月の幸子さんの自殺に影響を与えたとは、到底思えません。
以上

精神科医を訴えるTOP