境界性人格障害に対する治療技法と治療者の態度:受身的か積極的か
以前ご紹介した『精神科治療学』より、境界性人格障害の患者に対する治療技法および治療者の態度について、興味深い見解が示されていましたので、ご紹介しましょう。それ以外にも、数年前に出版された専門書での意見などもみておきたいと思います。被告側準備書面での主張と比べてみると大変おもしろいです。
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被告側準備書面(2003年5月29日提出)より抜粋:
当時、被告は、患者の自由連想法及び対面法という精神療法技法を採用していた。この技法は、患者の自由な連想を治療者が引き出していく治療法であり、患者が沈黙を守っている間は、治療者も患者も口をきかずに時間を過ごすということもある。さらに、精神療法においては、治療者の「受け身性」が重要であるとされている(治療者の方が発言したり、質問したり、働きかけたりするのではなく、とにかく忍耐強く黙って話を聞くのが基本なのである。)。
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平島奈津子(昭和大学医学部精神医学教室)「一般外来における人格障害の治療」『精神科治療学』Vol.16 No.6 Jun. 2001, 627-632ページより抜粋。
(630ページより抜粋)
治療者のスタンス
多くの治療者が主張していることだが、筆者も人格障害の治療では受身的であるよりもアクティブに、沈黙をあまり作らずによく喋るようにしている。特に沈黙は患者を不安にさせ、時に“妄想的”に解釈されることがあるので、治療者の意図を説明したり、いま治療者が何をしようとしているか(検査の入力のためにコンピューターの端末を開こうとしている、書類をとるために立ち上がる)をいちいち口に出すようにしている。
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加藤敏「転移の諸相をふまえた境界性人格障害の治療的対応−治療者の欲望と転移性外傷」『精神科治療学』Vol.19 No.6 Jun. 2004, 719-728ページ。
(723ページより抜粋)
今日も境界性人格障害患者に行動化がみられることに変わりはないが、ひと頃と比べると激しい行動化が減った印象がある。その理由の一つに、境界性人格障害への治療的アプローチとして、少なくとも激しい転移が起こらないよう心掛け、患者の心理面への深入りは避ける支持的精神療法や、認知行動療法的アプローチが主流となってきたことが挙げられる。精神分析的アプローチは禁忌であるという意見さえ出ている。・・・
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参考資料
林直樹『人格障害の臨床評価と治療』2002年、金剛出版より抜粋
(112ページより)
治療者による面接状況の構造化が不十分だと、好ましくない事態が生じる。例えば、境界性人格障害の患者との面接では、患者に自由に話させることで、強烈な恨みや攻撃的衝動が広がり、それがコントロールできなくなったり、生々しい性的問題が表出された後に患者の不安や動揺が治まらなくなるといった事態が生じることがままある。それゆえ、治療者の受け身的な構えを維持することが原則とされる来談者中心療法(client-centerd therapy)のような対応のみでは、また、治療者が特別に受動的な構えを維持する自由連想法を用いることで、境界性人格障害(境界例)の治療で治療関係において恋愛妄想や被害妄想といった精神病性転移が生じ、多くの治療が失敗に帰したことは歴史的事実である。
患者の表出するものに傾聴しようとする構えは、もちろん重要であるし、それなしには面接自体が成り立たない。しかしここで必要とされているのは、積極的に面接状況を規定し構造化することと自由に話してもらうことのバランスを取ることである。治療者は、局面ごとの面接の流れを評価し、質問や説明をすることなどによって面接を構造化することが求められているといえる。・・・
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市橋元秀「境界人格障害の初期治療」『<境界例>論文集』1998年、121-132頁(初出『精神科治療学』第6巻第7号、1991年7月、789-800頁)
C:支持的か、非支持的か、解釈的か、被覆的か、母性的か
どの立場をとるかは報告者によってもっとも見解が別れることであろう。かつて筆者がとった立場は、支持的、受容的、解釈的、母性的、洞察志向的であったが、その結果は惨憺たるものであった。[中略]境界例のような破壊的で不安定な患者に対しては基本的に支持的な接近をとらざるを得ない。しかし、無原則な支持は事態を混乱させるだけである。問題はどこを支持してゆくかである。筆者は健康な自我の部分を支持するという立場をとっている。健康な自我とは、破壊的で衝動的で依存的で未分化な原始的な自我(病的な自我)に対して、現実見当識のある、現実原則に添った反省的な機能をもつ自我のことをいう。
患者に対しては程良く受容的でなくてはならない。しかし、無限受容を行えば、結局は際限のない要求に対して応じ切れなくなったときに、患者の最も怖れる見捨てられが実現する。そして激しい行動化が出現し、失敗に陥る。長々と家族の仕打ちがひどいことを攻撃する患者に、「でもそのときに××すれば問題なかったね。結局は君の中に問題があるじゃない?」と返す必要もある。最終的目標は先に述べたように「断念」を受け入れるようになることである。「あなたの淋しさはなくならないかもしれませんが、寂しさには耐えられるようにはなるでしょう」と語りかけることもある。・・・
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(2004年10月12日付、BLOGより)
ジェロルド・J・クライスマン&ハル・ストラウス、白川貴子訳・星野仁彦監修・巻末解説『境界性人格障害のすべて』ヴォイス、2004年、209−211ページより
・・・ 伝統的な精神療法では、患者は、意識に昇ってくる事柄を、精神分析医の誘導によらず、意識の抑制を解いて自由に話したりする「自由連想」を求められてきました。患者はそのようにして幼少時の記憶を探り、夢や随想に結びつけて考えるのが、その一般的な形でした。
ところがBPD[境界性人格障害]の患者に対するそうした型にはまらない様式の精神療法は、破壊的な結果を招きかねません。古典的な精神分析療法に拠れば、BPDの防衛機制が攻撃されることになりますが、BPDの人たちはそれをべつなもので代用する資質を欠いているのです。その結果、セラピストやほかの関係者に向けられる感情の転移が、ときには精神疾患の領域にいたるほどの激しいかたちをとる場合もあるのです。
精神分析者たちは、カウチ(精神分析用のソファーやベッド)に横になる治療は、BPDの人たちをいっそう悪化させることに間もなく気づきはじめました。軽度の患者の治療に対しては効果的な精神分析の刺激でも、BPDの人々に対してはパニックに陥れ、コントロールすることも解決することもできない不安を誘発してしまうことが多いのです。彼らは、現実感をなくしてしまうこともあったのでした。
過去30年以上もの間、BPDは、臨床精神科医の接する最も一般的な疾患としてほかの精神障害を凌駕してきました。最初は従来の神経症として扱われていたため、BPDの患者たちは旧来の精神分析療法を適用され、悲惨な結果を得ていました。しかし精神障害を患う人々の数の多さが認識されてくるにしたがって、これまでの精神分析の技法にも改善が見られるようになってきました。こうした治療法の調整は、「精神分析学的手法を目指す」[psychoanalytically-oriented]改変、もしくは「精神力動学的」[psychodynamic]改変と称することができるでしょう。それらは本質的には、精神分析学の基本論理を踏まえつつそこから不要な部分を取り除いたもので、「カウチ」、「寡黙」な分析者、それに「自由連想」などに対するものとして、差し向かいで双方向のコミュニケーションを尊重するセラピーに置き換えられた内容です。・・・・
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