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             −「企業小説」−

 

          
            

             桐生かずゆき


  ■大切な会議   ■存在への問い
■時間と自由
  販売の神様   ■セールスマンの恋(1)
■所沢インターナショナル
  ■ヒシハシ産業(1)   ■牛尾田磐太郎の大予言
■文明のあけぼの
  牛尾田磐太郎詩集   ■革命戦士707
■いちばん高い塔の歌
  ■ヒシハシ産業(2)   ■セールスマンの恋(2)    

 

 


 大切な会議

 これは日本スニーズ株式会社営業本部営業第五部第三課、その課長とセールスマンたち
の苦闘の物語であり、栄光と受難の物語である。

 営業本部営業第五部第三課に課長がひとり、セールスマンは五人いる。営業本部営業第
五部第三課は、ごくありふれた職場である。セールスマンたちの仕事はセールスをするこ
とだ。課長はセールスマンたちを指導し、管理し、アドバイスし、はっぱをかける。褒め
るときはおおいに褒め、叱るときは叱り、ときにはプライベートなことがらの相談にものっ
てやる。日々、課長とセールスマンたちは力を合わせて販売活動をしている。客先での重
要な局面では、セールスマンと課長はいっしょに出かける。とくにトラブルが起きたとき
などには、そろって頭をさげる。
 課長に名前はなく、ただ課長と呼ばれている。課長に名前がないことを怪しむものはい
ない。営業本部営業第五部第三課課長は、ただ営業本部営業第五部第三課課長である。そ
れならば課長そのひとが課長に昇進する前、いったいまわりからなんと呼ばれていたのだ
ろう。いまとなっては誰もそれを知らないが、だからといって業務に差し障りがあるわけ
ではないし、あえてそのことを問うものはいない。
 課長は課長らしい。というより、課長そのものだ。職場にあって、課長の人格を体現し
ているのが、まさしく課長である。そして、課長の人格も課長なら、ちいさな癖やものの
いいかた、趣味、嗜好など、課長に付随する課長らしさも課長である。また、少々せりだ
した腹、薄くなりかけた頭髪など、課長の外貌も課長である。課長は、傍目からは課長で
あることの歓びと悲しみを存分に享受しているように見える。課長とは、営業本部営業第
五部第三課において実現された課長のイデアである。
 いっぽうのセールスマンたちには、当然のことながら、ひとりにひとつずつの名前があ
る。セールスマンの名前は、社員番号順に田中、鈴木、佐藤、斉藤、山田という。ただし
佐藤はいつも不在、誰もその顔を知らない。だが、セールスマンたちを仔細に観察をする
ものは、ときどきその名前が入れ替わっていることに気づくだろう。正確にいうなら、入
れ替わるのは、名前でなく人物かもしれない。けれども名前が入れ替わることと、人物が
入れ替わることは同じだという論理もなりたつ。

 火曜日の朝、営業第五部第三課は緊急臨時ミーティングを行った。この日、佐藤はやは
り欠席で、課長とセールスマンは四人だった。そこは、ビルの北側にある、陽のあたらな
い、かび臭く狭い会議室だ。壁の額には、うまくはないが見ようによっては味と勢いのあ
る毛筆の、「己れを売る」という言葉が飾られている。創業社長田中畦道の揮毫である。
セールスマンたちは、無駄話を交わしながら、椅子に着いた。議題は「何を売るか」であ
る。課長と四人のセールスマンたちは活発に討論した。
 深刻な不況の波は容赦なく、われらが日本スニーズ株式会社にも押しよせている。これ
までどおり新味のない商品を販売しても、業績の劇的な変化は望むべくもなかった。それ
は、課長以下共通の現状認識である。誰もが、もういちど根底から考えなおす時期がきて
いる、と思っていた。いや、そんなおおげさな話でなくとも、営業本部営業第五部第三課
は、北は北海道から南は沖縄、海外営業拠点まで加えた全社営業ユニットのなかでも最低
ラインを低迷している。なんとしてでも、起死回生の、というより、六月の半期の締めま
での、残り少ない日数を考えれば、一発逆転の方策を、いまこのとき見出さなければなら
なかった。だがさて、問題は何を売るか、だ。
 口火を切ったのは田中だった。「口のなかではじけるガム、なんてどうかな」
「あるよ、ある」と斉藤はいった。「ありふれてるよ、田中さん」
「いや、問題ははじけかたさ。これまでのどんな口のなかではじけるガムより、口のなか
ではじけるってわけさ」
「痛くないのかなあ」
「ふうむ。そりゃあ痛いさ。だけど、それくらいでなきゃあインパクトが弱いだろ」
「子どもが噛んで、危なくないですか」
「そりゃあ危ないかもなあ。そうかもしれないけど」
「血が出ないか」
「死んだり」
「苦情が集まるぞ。誰が受ける」
「お客様相談センターでしょう」
「問題ですよ」
 田中は、腕組みをして黙りこむ一同の顔を見渡し、つまらなそうに「斉藤、おまえはな
にかいい案があるのか」といった。
 斉藤は、にやりと勝ち誇ったように笑い「豪華客船」といった。
「引退した小金持ちの夫婦がね、豪華客船で世界一周するってのが流行だって、雑誌に書
いてあったんですよ」
「パッケージ・ツアーを売るんですか、斉藤さん」
「そうじゃないよ、豪華客船を売るんだよ。一度旅にでて、豪華な気分を味わったら、今
度は自分で船が欲しくなるのが人間てやつだ。な。そうだろう。売るんだよ。豪華客船を
リーズナブルな価格で」
「斉藤さあ。買った豪華客船をどこにおくんだよ。床の間にでも飾るか」
「おお、田中さん。それだよ。それ、いいよ。豪華客船用のゴージャスな床の間もセット
で売ろうよ」と斉藤は、意地悪くまぜっかえされても、真顔でいいつのる。鈴木が欧米人
のように、オーバーなアクションで両手を広げてみせる。
 営業第五部第三課のあきれた表情に、さすがの斉藤も少しふてくされて「鈴木、おまえ
はどうなんだよ」
 鈴木が「自作犬小屋キット」といった。「おれねえ、このあいだ犬小屋をつくろうとし
たの。これがけっこうむつかしくて、簡単に、誰でも造れる犬小屋キットがあればと思っ
たんですよね。いいでしょ。現実味があるでしょ。赤とか青とかモスグリーンとか、カラ
フルなやつ、屋根にスヌーピーが描いてあるのもいい。どう?」
 会議を支配しているのは重い停滞の空気であった。
 最も齢若い山田は、おずおずと「フローラルな香りのする越中ふんどし」というと、み
んながじろりとにらんだ。「じゃあ、カレー味のコンドーム」といってはみたが、山田は
一同の顔色を伺い、すぐにその案を引っ込めた。
 課長が咳払いをひとつした。結局は、常識をわきまえた課長の判断で、これまでどおり
の「かわりばえのしないもの」を継続販売することになった。
 そしてセールスマンたちは、いっせいに深いため息をついた。

 陽のあたらない会議室から戻ると、課長のデスクのうえには、広報室が毎月作成し、営
業各課に配布するA2サイズの「みんなでまねよう販売成功事例!」が筒に丸めて置いて
あった。各課の島に一枚ずつ設置されているホワイト・ボードに、それをマグネットで留
めながら、ほら見てみろ、みんな、と、一同に向かって課長は言った。
 北国の営業所が、「かわりばえのしないもの」の売上を倍増させたことが「みんなでま
ねよう販売成功事例!」に載っていたのだ。「かわりばえのしないものだからこそ、安心
して、自信を持って売れる」と、北国の営業所長はコメントしている。
 やはり、お客様は安心を求めている。今回の結果はそのことを実証していると私は確信
しています。「かわりばえのしないもの」の長年の実績は、そのまま、お客様のわが日本
スニーズに対する信頼なんですね。迷いを振りきり、営業所員一丸となって邁進しました。
私たちの意気込みが、数字に現れてなによりうれしいです。
 売上棒グラフのまえに立ち、月間売上トップ賞に与えられる創業社長田中畦道をあしらっ
た記念メダルを猪首にかけ、喜色満面、黄色い歯を剥きだして笑う、北国の営業所長の写
真。セールスマンたちは、「かわりばえのしないもの」を説明するかわりばえのしない資
料を鞄につめ、いっそう深いため息をついた。
「いってきます」「いってまいります」「それでは」
 山田、斉藤、鈴木、田中、年若い順に、セールスマンたちは街に出かけていった。課長
は頷いてセールスマンたちを見送る。営業部からの書類、本社総務からの書類、地方の営
業拠点からの連絡書、部下たちからの報告書に目を通し、書類のいくつかにデータ印を押
すと、もう正午のベルが鳴った。
 課長が昼食に出かける。妻が寝坊をして、今日は弁当がないのだった。日本スニーズま
えのけやき通りにも春が訪れていた。春だなあ、とつぶやいてみた。空は大きな潤んだ眼
のようだ。行き交うひとびとも、一様に眠たげな顔をしている。課長は、十円単位 で財布
の中身を常に把握しており、煙草とスポーツ紙など、一日の終わりまでに必要な金額を考
慮したうえで、駅前の牛丼屋にはいった。それでも牛丼並盛りにおしんこと生玉 子をつけ
る余裕はあった。爪楊枝で歯をせせりながら会計をし、店を出たとたん、午後からの月例
会議のことを思い、課長の胃がちくちくと痛みだした。
 課長は、缶コーヒーを買った。一階の自動販売機のまえに立ち、HOTにするかCOL
Dにするか、しばらく悩んだが、後ろにひとが並んだので、昨日までの習慣に従い、HO
Tのボタンを押した。春の訪れは、飲みものの選択にも微妙な影響をおよぼさずにはおか
ない。席に着いて、パソコンを起動させる。営業第五部第三課のメンバーに宛てて、欠席
者佐藤からのEメールが届いていた。そこには、朝の大切な会議に出席できず申し訳あり
ません、新規販売商品について、特にわたしの意見はありません、今週もがんばりましょ
う、とあった。課長はちいさく舌打ちをした。ますます胃が痛くなってきた。

 

                   
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