カジン・アーチャン
8/24(木)
am10:30成田発のJALでバンコクへ。夏休み最後の海外旅行へ出か日本
人が殺到して出国カウンターが渋滞。抜けるのに30分以上を要す。搭乗後も遅れた
乗客30名を待ち、小1時間遅れで成田を離陸した。
機長曰く「香港付近に強い台風があります。これを迂回してまいります」
少し不安だったが、うまく迂回したようでほとんど揺れもなく日本時間pm5:20
(現地時間pm3:20)、ドン・ムアン空港に着陸。
「台風を避け、時間ロスなく無事フライトを終了いたしました」と、機長得意のアナウ
ンスの声が弾んだが、世界に名だたるノリ悪日本人の我ら、戸惑ったまま拍手もなし。
陽気なラテン系の乗客なら自然に拍手が湧く場面だ。
安全飛行で運んでくれた機長&JAL乗員の皆さん、どうもありがとさん。でも、
飛行機コワイ我が輩みたいな客はたくさんいるぞ。よっく整備して安全に運んでくりゃ
れ。でないと、俺たちこぞってスチュワーデスきれいなタイ航空へ乗り替えちゃうぞ
(これ、ほんとのこと。最近タイ航空のチケット高い)。
入国審査を済ませ(入国カウンターに30分以上並んだ。日本人ばかり。欧米人は
オフシーズンで少ない。入国審査もそうだが、タイ人は一事が万事のろのろのろのろ。
でも万事のろさくな国をこれから漫遊して回ろう、ていうんだから、あせりは禁物
ね!)、
国内線ロビーへ回ると奥方(ちとざんねん!な二人旅…)が通
っているタイ語教室
の若い友人とばったり遭遇。彼は半月前からタイを旅しており、丁度いま北部のチェ
ンマイから戻ってきたところだという。で、彼が今夜泊まる市内のインデラ・レジェ
ンドホテルへ空港タクシーを相乗り。タクシー運ちゃんに2ヶ所別
々のホテルへ行け、
と命じると不服そう。
料金はずむというと途端に元気恢復、あっちこっちわけのわからぬ
道をぐるぐる
迷いながら一方通行の路地を抜け、屋台や買い出しの人たちの雑踏をかいくぐり、
何とか目的地へ接近しえた。友人とそこで別れ、次は我らが宿、中華街(ヤワラー)
のグランド・チャイナ・プリンセスホテルへ直行(空港タクシーは一律400バーツ。
《1バーツ=約3円。以後、バーツはBと略記》運ちゃんには約束の200Bを上乗
せ。メータータクシーに乗ればもっとずっと安く、200Bそこそこで市内へゆける
が、初日で疲れている上にブロークンイングリッシュの値切り交渉はめんどっちー)。
ホテルは日本で予約済み、フロントでさっさと手続きを済ませ15階の部屋で
バックパックの荷を解く。1泊2000Bの高級ホテルだが、雨期シーズンは
だいたい40%オフの手頃な値段。すぐ近くに中華街屋台通りがあるこの立地条件は
すこぶる刺激的なのだ。
奥方はシンハビールを飲んだ後、室内点検に移りさっそく巣作り開始。こういうの
が女のさが。男同士なら荷物を放っぽり出してさっさと遊びに出かけるが、女はそこ
が面倒。現在タイ時間で8時、ということは日本時間なら10時。1日中神経フル
稼働して大いに疲れたが、屋台通りで飯食わなきゃ中華街に泊まる意味がない、と
いう訳でこの前から贔屓にしている、客と従業員と車で雑踏した繁華なソイ入口に
あるとある中華飯店へ急いだ。そこは有楽町ガード下のような吹き抜けの店。奧に
道教の神棚が祭ってあり、その傍のテーブルにすわってアルバム大のメニューを開く
と、来店したタレントたちの記念写真がでかでか貼ってある。以前は料理の写
真しか
なかったから新しい宣伝戦略と思える。タレントの無邪気な笑顔も得意そうな店側も
開けっぴろげでかわいい。肖像権なんていうメンドーなことはあんまり考えないみた
い。
我が輩、虫歯の応急治療直後の旅ゆえ名物蟹料理、食う能わず。代役にカニ炒飯、
春雨と海老の甘辛煮(これは車海老を生姜、ニンニク、ナンプラーで味付けして
甘辛く煮た1品)を注文した(シンハ・ビアと合わせて全部で320B)。
うまーい!(でも歯が変)、ヤワラーだ!とうっとり。がつがつ平らげた後、奥方
は屋台で春巻きを買って先にホテルへ帰ると言い出した。
ひとりになった我が輩、喜び勇んで屋台間をうろちょろ。どこもかしこも車道に
せり出したテーブルにまで客があふれ、空いた椅子がない。さんざん歩き回ったすえ
に、まっ赤に炭火を熾しその上で中華大鍋を3つ自由自在に操る火の調教師のよう
なコックを発見。その曲芸を見物すべく対面の店でビールを飲む。英語はいっさい
不通。身振り手振りでヤキトリを注文しさらに氷をいれたビールを所望。奧の部屋
には中国系のおやじどもが群れ集い、ソバなどを食いながらわいわい酒飲み話に興じ
ている様子。観光客はゼロ。異国の旅の第一夜、派手な炎の共演を見、ほろ酔いで
タイ語の渦に包まれていると、こいつはまっこと、至福と言わずして何と言おう
(140B。ヤキトリ一人前20本。食い残しのテイクアウトは別
々のビニール袋に
香辛料と一緒に包んでくれる。タイ旅行のスペシャリスト・下川裕治が記すとおり、
タイ人はビニール袋使いの名人だ)。
8/25(金)
雨期で空が曇っている。スモッグもひどいが(トゥクトゥクの運ちゃんは排気
ガス対策用のマスクで顔を覆っている。彼らは狂ったように車と車の間をジグザ
グ運転してぶっ飛ばす。経験上バンコクのトゥクトゥクは非常に危険!)、気温は
そんなに高くなく、日本の夏の方が断然熱帯ッぽい。あまり熱帯の国にいる気が
しない。
昼過ぎ、チォオプラヤー川を往来する乗合いボートの船着き場(ラーチャウォン
という場名)まで歩く。徒歩10分の距離。中華街マーケットの歩道には昼飯の屋台
がたくさん出ていて、地元の連中はそこで飯を食う。それを横目にぷらぷら歩いて
いくとすぐ船着場に出る。春に来たときそこらに屯していたトゥクトゥクに乗った
ら(料金30B)、運ちゃん、仲間と何やら言い合い(ボロい客だぜ、とかなんと
か)卑しくほくそ笑んだ。
(゚o゚) という間に到着し、近すぎた!ぼられた!と悔しさいっぱい。
この悔しさは脳裏にこびりつき、しつこいトラウマになった。だからこの距離は
ぜったいに歩く! 桟橋でボートを待っているのは楽しい。上流5つ目の船着き場、マハラートまで
行こうと、暫し川風に吹かれて待つ(マハラートに降りるとすぐ近くに名門タマサ
ート大学がある。前の旅のとき、どこかの路地からこの大学構内へ迷い込み、
ちょうど昼飯時だったので校内の屋台で付属の中高生らに混じって焼きそば系の
軽食を食べた。制服の女子高生らに混じって一緒に座って食べていてもマイペン
ライ!この辺がタイの大らかなところ。人間ならマイペンライなのだ)。
乗合いボートは快適。チャオプラヤー川はメナムというが、メナムはタイ国の母
という意味。三島由紀夫の遺作「暁の寺」は名勝ワット・アルンがモデル、そこの、
中国陶器の破片が象嵌されたストゥーパも船からちゃんと見え、三島が泊まった
著名なオリエンタル・ホテルが川沿いに別天地のように聳えている。
ボートに乗っていつも不思議なのはほとんど日本人を見かけないこと。白人は
大勢乗るし、タイ人学生も商売人たちも日常の足としてごくイージーに使っている
のに、数名の学生しか日本人とは遭遇しなかった。大多数の日本人は市内観光に
忙しくて、ボートなんてかったるいんだろうな。
船着き場が近づくと笛がピィーと鳴らされる。その笛の指示で着船の位
置が微調整
されるのだが、ロープを投げる助手もボートの操舵士も笛の音を頼りにてきぱきと
乗客を乗り降りさせ、そのリズミカルな動作が気持ちよい。
そうこうしているうちに目的地を乗り過ごしてしまった。
ボートはみたこともない風景の中を進む。このまま遡るとアユタヤまで行けるが
乗合いボートじゃ無理。豪華なリバークルーズならアユタヤ観光も可能。でも、
我々のボートは1人6Bのお手軽水上バスだからアユタヤへなんか行きっこない。
市内を外れてきたので、キアカイという船着き場に下船して川に面
したバイキン
グ・レストランに入る(コーラとチップで110B)。一服後、下りボートに乗り
換えてモノレール(スカイ・トレインという)駅のあるサートーンという船着場
まで。
途中サーッと驟雨が走る。目の前に白い雨のレースが掛かりたちまちそれは走り
去ったが、雨の脚とは言い得て妙。まさしくこの現象だ。
下船してすぐ傍にあるスカイ・トレイン終着駅から電車に乗り込み、眼下にバン
コク官庁街を見下ろしつつ、若者の街サイアム・スクェアへ向かう。
サイアム・スクェアはバンコクの渋谷とでも称すべき若者の街だが、ここでタイ
航空オフィスを探そうとしても広すぎて見つけられない。勝手知ったる街だから
大丈夫と自惚れてサイヤム・センター・ビルの中まで探しまくったが、ない。
尻尾を巻いてやむなくヤワラーまで戻り、ホテル内のタイ航空オフィスで明日
以降の航空チケットを予約す。
タイ北東部のウドンターニーへ飛び、メコン川沿いの国境の町・ノーンカイに
一泊後、翌日バンコクへ戻り飛行機を乗り換えて当日中に北辺の古都チェンライへ
飛ぶ、という強行スケジュール。
代金は3フライト分2人で10520B必要だが手持ちの現金では足りない。
慌てて近くのATMへ金を下ろしに出た。外は激しいスコールのまっ最中。薄暗い
建物隅のATMから現金10000Bを引き出すと、ここはヤワラーという場所柄
か大金を手にして戸惑うにわかこそ泥気分になってきた。
夕闇が街をおおうまでTVをみていると日本アニメが大人気、とくに「クレヨン
しんちゃん」タイ語バージョンが妙に可笑しい。
でも、子供達に、誰もが日本じゃしんちゃん一家のように気ままに暮らしている
なんて思われたら、忸怩たるもんがあるよなあ。金があっても時間貧乏の日本を
脱出し、よろよろとムアン・タイ(自由な国)まで逃避して来たが、そこのTVで
すばらしい「日本」を見せられるとは…(大昔TVが普及しはじめた頃、我々は
アメリカのTV番組「奥様は魔女」や「名犬ラッシー」などを見て理想郷アメリカ
に憧れた。ちょっと似ており心中複雑)。
pm7時すぎに外へ出る。ファランポーン駅(バンコク中央駅)まで徒歩で行き
怪しいタイの夜を満喫しようという目論見。ヤワラーの屋台通
りを直角に抜けて
だらだらいくと、物売りの風体がだんだん怪しくなってきた。どうやら泥棒市場
あたりに迷い込んだらしい。でも、汁ソバ屋台はふつうだし、うす汚れた建物の
片隅に強盗が潜んでいるわけでもなさそう。クーロン黒沢の「バンコク電脳地獄
マーケット」(徳間文庫)によれば、この一帯は落ちぶれたヤク中どもが屯する
有名なクレージースポット。一緒に歩いていた奥方はプーッと膨れているし、今や
伝説と化したジュライホテルの残骸が残る7月22日ロータリーまで歩くと、自惚
れ屋の我が輩もやや不安になってきた。でも、まあ、こっちの方だろうと無理矢理
進むと、前に一泊した「スリクルンホテル」の裏門が見えた。
ここは正真正銘怪しげなホテルでクスリやり放題の特殊な環境らしいが、詳しくは
前述のクーロン黒沢本を読まれたし。
やっと駅出現。どぶ川運河の橋を渡って人でごった返す駅に入る。
奥方曰く「昔の上野駅みたい」という駅の2階手すり傍が、全体を見通
せる特等席。
2階のインターネット・カフェに入った奥方を放置して、駅周辺のソイなどを散策す。
ヤキトリ屋台が出て、腸詰め串がジュージュー炙られ脂がのってうまそうだ。
1本10B、ヤキトリ串は1本5B。コンビニで買ったシンハの缶
ビール片手に
10Bの串を頬張ると、実に旅の気分が漲る。テイクアウトの袋にキャベツとソース
が添えられ、それをつまみにして駅2階の特等席で氷入りのビールを飲む。夜9時
すぎの駅構内はやや草臥れた空気がまったり纏わり、何だか去りがたい旅情がある。
でも、そろそろビール売店は閉店だし、不用の短期旅行者の長居する場所ではなさ
そう。適当に切り上げ、帰途につく。
今度は間違えず、明るい魚翅(フカヒレ)酒楼のある通り沿いに戻ることができた。
途中寄り道して、昨夜のヤキトリ屋で飲む。酒の後の白粥が抜群に美味。高価な
エビと白身魚をトッピングしたためやや割高な値段になった(全部で260B)。
でも、旅2日目にしてこんなに充実したバンコク巡りが終わり、今夜が最高の夜だ
ったらどうしようか、などというビンボーたらしい思いを抱きつつホテルに戻って
ばたんキュー。
8/26(土)曇
am10時、ホテルをチェックアウト。メータータクシーをつかまえて空港へ。
メータータクシーなら170Bで行けるが、空港タクシーは一律400Bをぼら
れる。運転手にチップこみで200B渡すと非常に親切だった。
12時45分発の国内便でウドンターニーまで小1時間のフライト。
ウドンターニーはベトナム戦争の時、米軍基地への経路であったこと及び現在
メコン川唯一の架橋のあるノーンカイへの中継地という関係上、今でも乗客はアメ
リカ人が多く、ほかは商売や里帰りのタイ人たちばかりで観光客が少ないという
印象が残った。着陸後、建物の外へ出ると雲間から暑い日差しが樹木に射した。
ボーッと立っていたらたちまちノーンカイ行き直行バスの車掌にキャッチされて
しまった(1人100B)。
バスは赤茶けた風景の中をとばす。舗装がはがれてぼこぼこの道をバウンドし
ながら走っていると、サーッとスコールがくる。車窓からはバナナ農園や草地が
見え、牛がたくさん放牧されていたがどの牛も痩せている。タイの食肉事情は鶏肉
がいちばんポピュラー、次が豚肉でラストが牛肉という順番。タイではステーキ
なんかたのむもんじゃありませんぞ(かたい、まずい!後で書きます)。
激しいスコールが降っているなか、終点ノーンカイのバス駅に到着。
バスから降りるとただちに雨よけシートを張ったトゥクトゥクが数台寄ってきた
ので英語の分かるタイ人を介して交渉す(とは言っても連中は仲間)。結局いい値
で町中まで行くことになった。
メコン河岸から200mの地点にあるファンタブーホテルに泊。
ここは素泊まり400B。朝食なしでこの料金は地方にしては相当割高。フロント
を仕切っているオカマのママにうまくしてやられた。このママが実に食わせ物で、
好みの男の子と女の子を従業員として雇い入れ、あれこれ指図して働かせている
のはいいとしても、客に提供する便宜のマージンを全部ネコババしているのは
ちょっといただけない。例えば我々に明朝空港へ行くリムジンを手配しようと申し
出て1人150B徴収した。ホテルまで直接リムジンを呼ぶ手間賃が50Bかと
思ったが、そうでもなさそう。差額50Bがママの懐に入ったのは確実で、その他
ホテル内で買うものは飲料水のボトルにいたるまで何でもかんでも少しずつ上前を
ハネられた感触があった。
このノーンカイという町は昔からメコン河の渡船場として発達した町らしく
これといった産業はなさそう。だから、交易だけが盛んで町で買い物した印象では、
日本でいう甲州商人とか富山の薬売りたちがまき散らしイメージ、つまり薄利を
セコク稼いで生き延びてきた商人の町という(勝手な)イメージを持ってしまった。
道路に面した2階部屋が確保できたので荷物を置いて一人でメコン河を眺めに
出た。雨が少し降っており、折り畳み傘をさしてふらふら歩くと、河岸に古ぼけた
寺院があり、聖なる蛇(ナーガ)または龍神の彩色された石像がびたびた雨に濡れ
ながら拝殿入口に鎮座している。犬や鶏が野放しで、そいつらが我が物顔で道を
横切って行っても車も人も大らかで無関心。土地の生き物を見ているとその地の
人間性の何パーセントかはわかってくる。
河岸に茅葺きの店が数軒張り出している。船着き場兼飲食店といった感じの店
だが、雨期で増水したメコンの大河がはるかに向こうまで見渡せる絶好のポジショ
ニング。対岸ラオスの家々が数百メートル向こう岸に見えている。客はいなかったが、
右端の1軒に入りビールと串焼きをたのんだ。お、珍しく物好きな客がやって来た、
という顔をしておばちゃんが出迎えた。雨よけのトタン屋根の下で女の子たちが
勉強したりおはじきみたいなゲームをして遊んでいる。店の女たちはトランプに
興じたままこっちに全然無関心、まるで商売っ気が乏しい。
なまぬるき雨を含んでくる風よ濁れる水はとぐろを巻いて
メコン河を眺めながらビールを飲んでいると「地球の歩き方」が湿ってきた。
それを潮時に店を出る。ハウマッチと言う代わりに試しにタイ語で「タウライ?」
と聞くと、おばちゃんにっこり笑って「ホックシップバーツ」と答えた。いったい
幾ら?と慌てて電卓を取り出せば、おばちゃん何ァんだという顔をして「60B」
と英語で言い直す。半分しか通じなかったが、でも嬉しい。
一旦ホテルの部屋に戻ると奥方が部屋のことで文句を言いつつ室内整理のまっ
最中、お腹が空いたというので夕暮れのメコン河を見せるべくさっきの店の数軒隣
にあるちょっと広めの店に連れ出した。アメリカ人の先客が3名テーブル席に座っ
てビールを飲んでいる。
店の人に「ラオ・ラーオ(ラオスの地酒)は?」と訊いてみたが、ないと言うの
でタイの酒メーコンのソーダ割りを飲んだ。奥方はパッタイを注文。我が輩、
こんな大河はみたことがないぞ、と奥方の同意を求めると奥方平然として「子供の
頃、毎年球磨川が氾濫して家が流されていた。こんな川幅など日常的な風景」などと
宣う。でも大陸の河はバカでかいぞ、と反論したが、我が輩家が流される光景など
TVでしか見たことがなく全然説得力に欠ける。別に口論するような話題でもなく、
目前に暮れなずむ大河の巨大な流れを呆然と見入るばかり。アメリカ人は男3人、
米軍関係者のようであり単なるトラベラーのようでもある。ラオスへ感傷旅行へいく
年輩のアメリカ人が空港リムジンに乗っていたから、この地は微妙にアメリカづい
ているように思えた。
奥方が、トイレはどこかと訊ねると、あの塀の隙の奧だ、と店の主人が言う。
塀の向こうは寺院だから寺のトイレを使え、ということらしい。こんな田舎でも
必ず1回3Bの使用料をとられる。観光客が使う公共トイレは必ず2,3Bの
使用料をとられるが、これは近年のアイデア賞もの。でも、タイ人には立ちションや
なんやらで無料らしいのはご愛嬌だ。(タバコのポイ捨ても罰金)
奥方はホテルへ戻り、我が輩ひとりノーンカイの町を探索す。電飾ぴかぴかの
鄙びた風俗店を見つけたが、コトバがわからないので入るのはとり止め。
屋台が出る通りを探し歩いていると、夕闇が下りた大通りが屋台ストリートに
変貌することを発見す。その通りを3往復して見当を付け、総菜満載の店で
ねえちゃんに「煙草はOKか」と訊くと、ダメだと答えた。
何だ、あのテーブルの客は吸っているじゃないか、と文句をつけると、店で買い
置きの煙草ならOK、とすごくセコいことを言う。不快だが、他の店を探すのも
手間だし諦めて路上テーブル席に座りビールと総菜をたのんだ。
貝を辛く炒めた1品&干し魚を揚げた1品。これを肴にビールを飲むと干し魚が
しょっぱい! 他の客の食い方を観察してみるとみなライスを注文してぶっかけ飯
にして食べている。ノーンカイのあるイサーン地方はタイでいちばん貧しい一帯で、
昔は粟稗の粥にしょっぱい干し魚の塩分で味付けしたものを食って生き延びてきた
んじゃないか。
やがて夕闇の中、雨が降り出した。雨に濡れた通りと屋台の灯りを見ていると
侘びしい感傷にとらわれてきた。だが、いくら待っていても雨は止まないので濡れ
たままホテルへ戻ると、奥方はホテルでガイヤーン(鶏丸焼き)をツマミに
メーコンを飲んでいた。我が輩さすがにもう飲めずにベッドにもぐり込むと、
湿っぽい。こんなベッドで1晩過ごすのはイヤだが、交渉はうんざり。400Bも
とるんだから、もうちょっと部屋管理しろよ!と心中オカマのママを罵っても全く
空しい。夜中なかなか寝付けず。
8/27(日)小雨
寝苦しい夜だった。奥方ブーブー文句をいう。もう一度メコン河を見て来ようと
思い、外へ出た。
大病院周辺に朝の屋台が出ている。タイにいると食事を作る必要が無い。
どこでも安い総菜や汁ソバが手に入る。朝食代わりに一杯ソバを食った。麺は
ハルサメ風。昨日の寺院はルアンペーハイソークというらしいが、その周辺に安い
ゲストハウスがたくさんある。でも日本の安普請の木造アパートみたいでびたびた
濡れて湿っぽそう。1泊200B。あんまり泊まりたくない佇まいだ。
pm1時すぎのバンコク行きの飛行機に乗るのだが、リムジンは予定より30分
以上遅れてまだやってこない。ホテルのフロント係にきくと、大丈夫、大丈夫という。
他に当てのない我々はやきもきしながらバスを待った。結局1時間遅れで大型バン
のようなリムジンが来る。乗り込むとバスは雨中の道路を飛ばす、飛ばす、で
大楽勝で空港到着。
搭乗まで30分以上時間があるので空港レストランでバイキングを食う。
ここのバイキングがうまかった。もっとゆっくり食事できたら辛口のグリーン
カレーも味わって食えたのに中途半端に急いでいたのは残念。
これまたオカマのママの悪縁じゃ。
2時すぎバンコク着。チェンライ便へ乗り換えるまで4時間近く時間があり、
空港レストランでエアメールを書いてうだうだ過ごした。
pm6時離陸。1時間半のフライトで夕闇のチェンライ空港に着陸した。
ここへは3度来ているので勝手が分かっていて安心感あり。インフォメーション
でチェンライ最上のワンインホテルを予約。オフシーズンで安い(1100B/日)。
ホテルの送迎車が空港に来ており、それに乗ってチェンライ市街へ。空港は
街からは相当離れた位置にある。はじめてこの街へ来たときなんという広い平原の
中を夕陽に向かって走っているのだ、と不安だったが、今はもう慣れて勝手の分か
った街へ行く、という感覚しかない。でも道路を対向車のライトは明るいが、他は
相当な闇である。古都という磁場は方向感覚を消滅させる傾向がある。
車は想定したのと逆方向の道路から目指すワンインホテルの前に到着した。
この街いちばんのホテルだけあってロビーとフロントが非常におしゃれ。
カードキィでドアを開けるのも最新式(このカードキィが壊れて翌日奥方が
大往生することになる)。部屋に荷物を置いたりしていると時刻は9時近くになり、
バス駅の隣のナイトマーケットへ急いで出掛けた。舞台でタイダンスと音楽が演じ
られる。広場にテーブル席がずらりと並び、その外側を屋台がずらりととりまいて
いる。
オープンエアのビアガーデンといった形式だが、実にのんびりしてなつかしい
時代を彷彿とさせる場所だ。山岳少数民族が民芸品を路上に並べ、そのそばを地元
のカップルたちが通る。観光客も多いが、地元チェンライの人たちの憩いの場、
という印象の方がつよい。その証拠に街のOLたちを引き連れた上司たちがそこ
ここのテーブルに陣どってわいわいがやがやと飲んでいるし、5,6人の若者達
がビールを飲みながら話に興じている。ステージでは古風なタイダンスが舞われて
いるのだが、それをみるともなく見ながらみんなで酒を飲んでいる。
でも、この素朴でなつかしいビアガーデンも時々刻々に移り変わっていくようだ。
半年前は花売りの少女たちが客席をぐるぐる回って纏わり付きうっとおしかった。
今回はこの場所から追い払われていなかったし、タイ風屋台のなかに突然クレープ
屋が出現してそれが結構賑わっているのを見ると、なつかしい夢のような体験も
はじめの一度っきりだったように思えてくる。
雨期の空は曇って星が見えないが、3こだけ光を放つ星が見えた。先に奥方を帰し、
夜のチェンライ市街をぷらぷら歩いた。華やかな電飾の店でビールを一杯飲んで、
ホテルに戻る。
8/28(月)くもり
チェンライでいちばんの寺院・ワット・プラケオへ行く。
途中、マーケットを抜けたが、いろんな食材や食い物のにおいが混ざり合って
まさに庶民の市場。
ワット・プラケオは立派なお寺で、そこの本堂にはエメラルド仏が安置されてい
る。靴を脱いで参拝すると偉そうな老僧が話しかけてきた。
「奈良ハドコニ大仏ガアルノカ?」と達者な英語で問いかけられ、こちらは
たどたどしく「エエト、東大寺ジャナイデショウカ?」すると「奈良ト東京ハ
ドレクライ離レテイル?」などと色々問われたが、その度にまごまご答えていると
「デハユックリゴ覧ゼヨ。私ハ昼食ランチヲノ時間」と言い放ち老僧は瓢然と出て
行かれた。かくて堂内には我が輩ひとり。お坊さんとは言え何ともアバウトな
マイペンライ・タイ流儀で楽しい。
堂内四壁に中世壁画があり、ランナータイ王朝の物語がシンボリックに表現され
ている。
特徴的なのは女性の胸。どうやら既婚女性は乳房を人前に誇らしげに見せる習俗
らしく、貴人も庶民も女はバストを露出し、バストの斜め上の右肩からショールを
羽織っている。でも、未婚女性は胸を隠しており、そこには恥じらいが感じられて
我が輩のような中年男にとっては非常に嬉しい壁画だ。もちろん歴史絵巻なので絵の
半分は戦闘の場面によって占められているが、中世絵画らしくその片隅には愛を
交わすカップルの様子まで描かれていて飽きない。我が輩は目を皿のようにして
半裸体姿に眺め入っていると、堂の前にクソ暑いのに黒の洋装礼服のご婦人を先頭に
TVクルーまで連れたご一行様が到着した。よくわからないが、たぶん王族の参詣
なのだろう。こっちはだらしない短パン姿なのでいち早く退散。
途中でサンダルを買ったり、汁ソバを食べたりして、昨夜ビアガーデンになって
いたナイトマーケット傍のバス・ターミナルへふらふら歩く。
日が射すとさすがに熱帯で暑い。ベンチに座って1時間ばかり風俗を観察した。
ほそり切ったからだを厚底靴に乗せエイズの少女人なかをゆけり
その横をするり制服少女ふたりすり抜けていく村のバスへ
故郷の訛りを聞かなバス駅にて口を押さえてエイズの少女
だれが死んでも人は平気で生きてきたいまも生きてるチェンライ、チェンライ
昭和中期のバスの姿がなつかしいエンジン音をひびかせており
左手の小指の麻痺はわが悪のひそかなかすかな徴なるらん
年中をゆるく飛ぶ蝶ゆるくゆるくなべて等しき日照雨のなか
エイズの少女がほそり切った足で流行の厚底靴を引きずりながら、売店で買った
ビニール入りの原色ギトギトの色つき氷水をストローで飲みながら歩いていても、
誰も気にもかけない。これが北の古都チェンライの日常なのか、と思うとさすがに
少し感傷的になった。
まだ暑いさ中なので時間があるし、タイマッサージにでも行ってみるか、と思い
立つ。
前に行った店は奥方と二人並んでマッサージのおばちゃんに羽交い締めにされた。
そこで、サバーイ(気持ちいい)という言葉を教えられた。さすがに同じおばちゃん
に羽交い締めされたくなかった。迷っていると隣の店で誘っている。おばちゃん
ではなく長い黒髪の女なので店へイン。1階では店の者がトランプなどに興じて
おり相当暇そうだ。2階がマッサージ場。6人並ぶスペースには当然お客はいない。
パンツ一枚の上から薄い上下を羽織り仰向けになってマッサージ開始。
このマッサージ嬢は英語がほとんど通じず、痛い、とか日本語で訴えた方が通
じる。
足下から順に丁寧にマッサージしていくが、太股の付け根のリンパ腺を掌でおさえ
られると変な気分になるというもんだ。粗チンがもこもこ半勃ちしたものだから、
それを見て女が笑った。昼下がり、誰もいないマットの上で女と二人だけ、
という図式は奥方には見せられない。でも、タイマッサージは風俗ではなく、
そこはいかにアバウトなタイとはいえよく弁えられているようで、女は笑った
だけで後は手痛い折り曲げマッサージに移った。
胸中いろいろ邪悪な思いが渦巻いたが、何も起こらずまともなマッサージ終了。
200B払って外へ出ると西日が強烈。
近くのファラン(欧米人)が出入りするオープンエアの店に入りスパゲッティ
をたのむと15分待たされ上に、まずいまずいスパゲッティが出てきた。
それにかけるグリーンカレーは美味いのだから、やっぱり地元の物を食べるに限る。
味音痴のファランどもの食い物なんか食うもんじゃない。
ホテルに戻り、夕闇が下りてふたたびビアガーデンへ。今度はもちろん奥方同伴。
タイ舞踊の女性はまことにもの悲しいメロディの古謡を歌い、それはとても哀愁が
あってよいのだが、伴奏のバンドリーダーがやたら目立ちたがるうるさい音を立て
るので酒がまずくなった。奥方が飽きたというのを潮に帰る。近くのテーブルでは
制服姿のタイ航空のスッチーが男の乗員とふたりで来て飲んでいた。大柄な女だが、
彼女も厚底サンダルを履いており、いかにブームとはいえ、昼間バス駅で見たエイズ
少女との対照は記憶に刻まれた。
奥方は先にホテルに帰ったが、まだ遊び足りない我が輩は一人で夜の町へ。
むろん行き先は決まっている。前に入ったゴーゴーバーだ。
チェンライあたりでは少女売春は違法だが、それでも平気で少女のからだが売ら
れている。
日本人のお馬鹿なおっさんが少女を買って日本とタイの両方で捕まり恥をさらし
ている。(ファランも平気で買うが、奴らは日本人ほどバカじゃなく、実にうまく
やる、と相棒が言っていた)我が輩は度胸がなく(奥方曰く「じゃぁ、遊んできた
ら。でも、もし女を買ったらちょん切る」と脅かされた。奥方は本気でちょん切る
タイプだから怖い)、店内で酒を飲みながらストリップティーズの見物だけ。
演し物は日本のストリップと同じ花電車とか風船割りの類。100Bそこそこで
色んな女のヌードが見れるのだから、お得用と言えば言える。
でも店側も女も本来はテイクアウト式の売春が本業だが、客が少ないのでひや
かし客にもオープンしてる。風船割りの女が傍にきたのでコーラを一杯奢って
話をした。売春目的でない、とわかってもその女は親切だった。ちょっと姉御風
の凄みがありなかなか。あまり遅くなると奥方が疑うので1時間で出て、店じまい
の最中のナイトマーケットでシンハの小瓶を軽く飲む。(奥方へカムフラージュ
のため)かくしておずおずとワン・インホテル413号ルームへ入ると奥方は
メーコンコーラ割りを飲んでいた。
そして一言「もう、今まで大変だったんだから。ルームキィが壊れていままで
ホテルマンが出たり入ったりで」とトラブルについて訴えるので内心ほっとしながら
こちらもコーラ割りを作りふんふんと相づちを打ったのであった。
(チェンマイ篇へ続く) 