1981年・夏 ネパール・インド小旅行記

 

              カジン・アーチャン

 

この旅行記はいまから20年前、友人と二人でインド・ネパールを2週間ほど旅したとき
の記録です。行きと帰りのトランジットのときバンコクに泊りました。友人とはわが親友
Nのことですが、パック旅行で味わったおいしい思いが忘れられず、翌年再度リピートの
旅を企んだのです。でも、パックはもう嫌だ、個人がいい、自由になってもう一度!と思
ったものの、ほんとに行くとなるとすごーく言葉が不安、「だれか道づれおらへんか?」
とこう思いを巡らすうちに「あいつや!」とヒットアポーンする奴がいた。
「Kがひまそうにしとってじゃけえ」(これ、我々のお国訛り)
わたしにピロローンと白羽の矢が立ったのです。
「カトマンズはおもしろいんじゃけぇねえ」

 とかなんとか言われると、自慢じゃないけど誘惑と名の付くものなら何に対してもメチ
ャ弱いわたし、おいしそうな話を受けないわけには参りません。かくて、弥次さん喜多さ
ん的お気楽道中が実現したわけですが、初の海外、飛行機初体験の身にとって、見る聞く
触るいっさいが何でもかんでも珍しく、好奇心バリバリ全開のままやみくもに見知らぬ 刺
激に反応したものでした。
 でも、読み返すと気取った文体が目障り。再録時に手を加えすぎたせいですが、見苦し
い点はどうか平にご容赦を!それでも一点だけ、あえて贅言を申し上げると、赤の他人の
ような自分の姿が予想以上に面白い、この一点だけは確かです。
新婚Nは誕生したばかりの娘を郷里の家に残し、わたしのぼろアパートに一泊後、翌朝の
フライトで半月の旅に出た。学校勤務で夏期休暇が活用できます。極楽とんぼのわたしは
仲間とやっていた塾の夏休みを使った。独身ゆえ矢でも鉄砲でももって来いの気ままな旅
のはずでしたが、臆病さが祟って踏み込みゼロ。アジア情勢への見識など無にひとしく、
隣国カンボジアで起こった大虐殺すら知らぬ脳天気な旅に終始してしまった。ちょっとし
た感性さえあれば、切迫した問題のひとつとして肌身に直に感知しえたはず。たいへん残
念なことでした。最近、1981年のバンコクを描いた谷恒生の小説「バンコク楽宮旅社」
をよみ、わが気楽さ加減におよよと情けない気持ちになったものです。まあ、しかし、時
代は超加速して過ぎていきます。現在絶版のこの小説、風俗小説の定めに従い、ディテー
ルがもう古びてしまっている。以降20年ずっと世界を席巻しているエイズ問題には当然
ながら言及なし。新手の性病という記述は見えるが、エイズという病名は出てきません。
要するに、この小説にしてもわが旅にしても、現在われわれが確実に感じとっているある
時代区分の前後どちらにあるものか?と問われたならば、以前の産物である、と答えざる
を得ません。即ち、これらは、淋病梅毒毛虱系の伝統的かつ懐古的な性病どもに注意すべ
し、という金科玉条を奉じた純情な時代の産物なのです。

1981年8月4日

pm1:20(成田空港ロビーにて)

 ガラス張りの内は涼しき荒野にて炎天の雲じっと動かず
 凹凸の地平の林その果てに海より空のうねりあるべし

pm5:00(機内にて)

 海賊と山賊つどい太鼓打ち笛吹きならす眼下は青海
 夕映えを浴び蛇行する川ならん人片々と地に生きてあり
 眼下に空されどわれらは雲の中かすかに旅をかたらいにけり
 雲海ははるかな下方 真実の海は何処や夕日の気圏

 ぼくらが生きている世界は再生装置がぼくらの五感をほとんど乗っ取っている。ぼくら
はその装置の化身として存在しているのだ。直かに自然(および人間)から生の情報を受
けるのではなく、二次、三次の加工を施された刺激を解読するコードとして、ぼくらは存
在している。

 日本時間夜9:35頃、バンコック着。(現地時間夜7:35)
宿泊するアマリンホテルへの道すがら、タクシー運転手がしきりに女を買えという。2
時間35$ ということで話がついた。しかるにホテル・ボーイが別の話をもってきてそっ
ちのほうが安全そうなので乗り替える。値段50$ 。
 九州の街によく似た路地の奥に目指す女郎屋があった。
 雛壇の中にいる女たちを、主人があれこれ客に勧めるのは記憶の中の歴史的情景である。
安手のマッサージパーラーだが、バンコックではこれが高級な部類かもしれない。ベッド
とバスタブだけの粗末な部屋で、することだけはした。
1$=22、5バーツ 空港〜ホテルのタクシー220バーツ ボーイのチップ20バーツ タクシー
のチップ40バーツ 女ひとり50$+5$ 帰りのタクシー20バーツ

8/5
 ホテル代55$ タクシー200バーツ 空港手数料100バーツ

 am5:30 起床、曇り。市街から空港までの風景を眺めていると、早朝の路上にマーケッ
トが立ち人がちらほら見える。全体としてスラム化したコンクリートの街、九州などのふ
つうの都市を髣髴させる。椰子が松に代わり、蛇神の祠が稲荷の祠となり、看板の文字が
漢字に変化すると違和感はほとんどゼロになるかもしれない。

 am8:00 離陸。眠るとどこだか分からなくなった。一昨夜は都内の善福寺にいた。エア
コンの冷えでまだ機内にいると気付く。

 正午まえ、太陽が輝くネパールの首都カトマンズに降り立った。入国手続きに手こずっ
ていると、Nの知人・ガイドのアレックスが友人二人を伴い迎えに来た。ハイヤーで市街
へ移動。信州の高原にさも似た清涼の気がみなぎっている。
 食堂で昼食を摂り、おもむろに市内見物にでかける。露店がいっぱい並ぶ広場をひやか
し、神社仏閣がびっしり建ち並んだ界隈で、土産メタルを売りつけにきた少年物売りを適
当にあしらいつつ市場と吉祥天の祠のあいだを潜ってゆくと、気分はもう完全に中世へと
フラッシュバックしていくようだ。
(途中、手相見に見てもらう。アレックスの通訳によれば詩人の相ありとか。嬉しい)
今夜の泊りは高級ホテル「Yak&Yeti」。 ティルームのテーブルにローソクの燭
が点され、客がひそやかに話している。ミルクたっぷりの紅茶を飲み一服していると、急
にバンドが日本のメロディを奏で始めた。たちまちにしてどっ白け。
夜、濡れた髪を乾かすついでに闇の濃い町中へ散歩に出た。雲間から下弦の月が顔を出
している。昼間、暑さのために死んだように物陰に伏していた犬たちが、元気を回復しあ
たりを駆けずりまわっている。もの乞い少年たちは徒党を組んで大通りの噴水あたりにた
むろし、土と石の家から出てきた大人たちが興ずるトランプ賭博に参加したりしている。
そんな不思議になつかしい夜景が闇の中に広がり、私とNは茫然とそれを眺めているのだ
った。


8/6

 6:40起床。雲から太陽がうすく射している。庭の花はカンナとサルスベリ。早朝の町は
異邦を感じさせない。
 前日の出費。(1Rs=20円) 食事180Rs 手相20Rs 絵はがき・60Rs 夕食320Rs 
 お茶20Rs

 結婚前の女をクマーリと呼ぶ。女神が宿る特別な少女を選びだし、初潮まで神の化身と
して崇める。少女の聖なる姿を日曜毎に格子窓から拝観者に見せるのだが、写 真撮影厳禁。
それでもファラン(白人)どもは平気の平左、気にせずぱしゃぱしゃ撮っている。
 午前中、人力車(リュクシャとよぶ。こんな所に明治日本が残っていた)でかるく市場
を一周。午後、今後の予定を相談かたがた、インド大使館までビザを取りに行った(閉館
で無駄足)。木々は光り空気は澄明で、小高い空をたくさんの蝶が飛んでいる。ストライ
キ中の大学構内で少し休憩し、Nのお土産用サリーの買物につきあう。その後私ひとり市
場外れの迷路に入り込み、うろちょろ動いているうちに迷子になってしまった。意味不明
の声音の間をはいずり回ったが、何処にいるのかさっぱり見当が付かない。太陽と地図を
照合すること10分、やっと目印となる市場の塔を見つけ出した。ほっと安心して待ち合
わせ場所「チベッタン・レストラン」へ向かう途中、東の空に半分消えかかった虹が見え
た。カトマンズは虹ひとつとって見ても、太陽に祝聖された土地なのだ。
レストランで水牛の料理を食す(牛は神聖だが水牛は食べる。でも、不味い)。ホテルに
戻ってNに、ガイドのアレックスに対する態度が良くないと諭された。数枚ポストカード
を書く。


8/7

 6:30に起き出し売店で本とカードを購入す。N、チェッカーに似たタイガーゲームに非
常な関心を示す。10時すぎ、ふたたびインド大使館へビザを取りにゆくと、そこら辺が
縄張りの、ケシャーブと名乗るネパール人にアシストされた。ケシャーブはバラモン(僧
侶階級)、カースト最上位の階級だそうである。
 本日から安ホテルへ移った。「ホテル・スター」というゲストハウスで、ファランの旅
行者がおおぜいいる。料金1日60Rs、バス・トイレ付きの安宿だ。腹が減ったので近く
のレストランへ行くとミートいっぱいの鉄鍋入りパスタを運んできた。これもたぶんファ
ラン用だが、量が多いことに感嘆!
 食後、ケシャーブと別れ、アレックスと病院へ。恋人の妹が入院中で、そのお見舞。職
場でひどい火傷をして長期入院中の彼女のベッドのそばで、設備などろくにない粗末な病
室を眺めて嘆息す。
 午後、今度はバスでアレックスが下宿しているパシュパティナートへ。ここにはアレッ
クスの友人、ガンガ・ラムとラマ・クマールが住んでいる。市内からバス料金50psの郊
外にあるヒンズー教の聖地だが、異教徒はパシュパティナート寺院に入れない。門前市を
なす通りの露店で、木の実で作った数珠やつやつや磨いた玉石などを売っていた。奇妙に
心魅かれた。
 寺院の裏手には濁流の川が流れている。その畔に死者を火葬する台座がずらり並んでい
る。小さなガンガ、即ち小さなバラナシだ。橋を渡った高台から、寺院内部の木々の梢を
軽々と渡り動く猿の群れが見えた。ヒンドゥ教は猿を神として崇める。林立する塔がスト
ゥーパ、すなわち女陰(ヨニ)に男根(リンガ)を重ねた生命の象徴だ。昔からNは五輪
塔のことをよく話題にしたが、日本各地のストゥーパもまた、生命を吐き出す男根のシン
ボルである、と改めて納得す。川のそばの掘ったて小屋で、日がな一日老人たちがマリフ
ァナを吸って過ごしている。生死まさに一如なり、だ。
 周回して戻り、ラマ・クマールと会う。火葬地隣の茶店がガンガ・ラムのお店、そこの
2階へ案内され、マシュマロもどきの白い菓子と泡盛そのままの蒸留酒を振舞われた。ガ
ンガ・ラムの子供や妹も2階へ上がってきたので、一緒に記念写真を撮った。
 アレックスの下宿は石造りの建物2階、広さ2畳の質素な部屋。そこでNの生徒らが送
ってきた日本の写真を見て喋っていると、急にスコールが来た。停電して暗い室内にロー
ソクの火がゆらゆら揺れている。ベットと椅子だけの狭い部屋で、黙って暗緑に濡れた窓
外の木々を見ていると、奇妙な哀歓が心を掠めた。
 雨あがりの坂をバス停まで歩く。途中にレンガ造りの家が並び、軒先に裸電球を灯して
物を売っていた。その風景はなつかしい。異常になつかしくて切ない。
 ハイヤーで市内に戻る。午後6:45、イライラしながらケシャーブが我々を待っていた。
ゲストハウス地階のレストランの客はおおよそファランだが、なかにひとり、高校生ぐら
いに見える日本人女性が食事をしている。女と見ると必ず寄ってゆくケシャーブ、強引に
話をつけ相席することになった。山口ひとみさんという福岡教育大学の学生さんで、旅の
相方と待ち合わせ中。30分ばかり遅れて来た相方は奇遇にもNの知人で、兵庫で先生を
していたときの後輩。びっくり、びっくり!そのMiss原田嬢とたちまち話が弾み出し、
除け者になったケシャーブがプーッとふてくされた。 閉店までダベッたあと翌日を約し、
男3人で近くのバーへ。チベットギョーザをつまみにウイスキーを飲む。カースト最上位
のバラモンなる自分を、ケシャーブ、大いに売り込できた。堅く握手を交わし、我らがイ
ンド旅行(トリップ)の専属ガイドに任命す。


8/8

 7時すぎ起床。ゲストハウスで朝食。山口嬢、気分がすぐれず、原田さんだけが登場し
た。10時、モーターバイクを2台借りて(40Rs/h)ツーリングへ出た。Nと原田さんが
二人乗り、私はケシャーブの後ろ席。郊外のリング・ロードに出るとほとんど車が走って
おらず、舗装路のど真ん中を牛や山羊や人間が悠然とあるいている。 観光地ボタニカ庭園
へ行く途中、ケシャーブの家に寄り、彼の妹(20才)や家族の子供たちと一緒に記念写 真
を撮った。田舎道に青田がひろがり、日本の里山に酷似している。ライディングの最中シ
ャワーが降りだしたが、濡れても実に爽快だ!泥道をものともしないケシャーブのライデ
ィングはとても巧み。カトマンズの上流階級(役人など)や外国人がよく遊びにくる洋風
庭園のなかを、黒ヒカゲとタテハをミックスしたような蝶がひらひら飛んでいる。濡れた
梢に陽光が輝き美しい保養地だが、ぜんぜん面白味がない。
 12:30 市内に戻り、原田さんと別れて昼食。注文しないのにヤキソバとラーメンが出た。
日本人が多すぎるせいか。その店でケシャーブが熱弁開始。タイ買春ツアーの話や日本女
性とのラブアフェアなど、女がらみの自慢話を滔々と話す。こいつ、陽気な奴やんけ。
夜7時すぎマリファナを入手したケシャーブと、ホテルの前で落ち合った。われわれの
部屋へ彼女たちを招き、マリファナ吸飲を試みたがぜんぜん効かない。ラリることもなく
空しく就寝した。


8/9

 Gハウスで朝食。物売り小僧ランバドール(目が利発そう。タイガーゲーム好きの少年
で2日間われわれにくっつき歩いている)の案内で仏教寺院(眼玉の寺)を見たあと、N
と別行動に移った。市場を歩いていると急に便意を催した。あわてて飛び込んだ喫茶店に
は、秋の嵐をつげる切迫したメロディー!これ、ヴィバルディの「四季」じゃんか。さな
がら中野辺の名曲喫茶のおもむき、ヒッピー風アメリカ人が数人いるだだっ広いスペース
だ。small pot coffee & fruits salad を注文し、急いでトイレットへ。用を足して見
回せど、ティッシュペーパーなど皆無、バケツに水だけ入ってる。済んだら自分で流せと
いうこと。想像するに「不浄」な左手でまず尻の始末をして、その後バケツの水で洗浄せ
よということらしい。インド文化圏だからこんなことに戸惑っては失格。ここでエアメー
ルを書く。ヴィバルディに面喰らってシニカルな思いに駆られたが、腹がすっきりすると
気持ちも素直になるってもんだぜ。汚れた路地の、赤煉瓦の喫茶店で、近代曙光の音楽を
聴くも又楽し、という心境になってきた。

 昼は力車で旧市街パタンへ。天心に太陽が輝き、炎暑である。ゲートへの坂を車夫は喘
ぎつつ上ってゆく。気の毒になったので途中で力車から降りた。だが、車夫はのこのこ連
いて来る。Erotic Temple のそばで、料金交渉開始。距離分くれ、というのが車夫の主張
だが、「途中から歩いたぞ」と切り返し13Rsに値切る。値切るのが当然ながら、でも炎
暑のさなか、帰ってゆく車夫の背をながめて少し可哀相と思ったのは、単にお人好しの感
傷か?
 空っ腹を抱え未知の町パタンをあるく。と、寺院を改修した2階に子供の顔がたくさん
見えた。下で手を振ると歓声で応えてくる。その様を写真に撮るべくカメラを取り出そう
とした瞬間、牛糞に足をとられた。ついでに帽子まで落っことし、上で見ていた子供たち
が大笑い!転ばなかったのはとても幸運。
 片蔭の町を歩く。ここでは人が寺院の中で生活している。街全体が中世の相貌を保ち、
生死未分の状態で死者と共存している。少年が私を呼び止め、「Golden Temple 」とい
う仏教寺院へ入って来い、と手招きした。小坊主たちが2階でお経を誦している。1Rs
喜捨、1Rsをガイド料として少年に与え外に出ると、場末のギャンブル場によくいるタ
イプの尾羽打ち枯らした面相の男が、すーっと近寄ってきた。いい鴨ござれ、と顔に書い
てある。無視すりゃよかったのに「レストランは何処?」と訊いたのが運の尽き。レスト
ランまでついてきてヤキメシを食べる私のそばを離れない。醜悪な顔の前で、ひとり飯を
食うのは非常にしんどい。でも、なめるなよ、と無視したまま、カードを書いて遣り過ご
す。観光客のダニのような奴はどこにでもいる。外に出て男を追っぱらい、炎天下をある
くとmain Temple 門前のバザール広場に出た。片目の潰れた黒ン坊が寄ってきて「日本
語勉強シテマス」と言いながら、ふたことみこと話しかけてきた。若い連中はみな、結構
ダニのようなことをして凌いでいる。何だか鏡に映った自分を見るようで、愉快でない。
この辺の店は地元人相手で、外国人にあまり媚びを売らない。ビシュヌ神像を2個20$で
購入。埃っぽいバス停の辻に佇み、往来を眺めた。昂然として歩くサリー姿の娘たち、莚
の上で薬と酒を売っている老人、交尾する鷄、頓走する豚、等々を呆然と眺めしばし過ご
す。
 さて、ところでお茶を飲む店がぜんぜんない。 四叉路のうち三叉を探したが、ない。さ
いごの一叉でやっと茶店に遭遇、店の 奥にいた少年と眼が合う。ほほ笑みかけると、とっ
さに日本語で返答あり。すてきな笑顔と日本語につられ、思わず「こんにちは」と答え一
緒にお茶を飲んだ。15才の少年はいろんな言葉が操れる。
「ボクノ兄サン、近クデ酒屋ヤッテマス。一緒ニ来マセンカ?」
 そこは横丁のヤキトン屋といった風情。奧の座席に掛け、ネパールビールという酸味の
ある濁酒を飲む。自家製の焼酎だ。つまみは、水牛の串焼き、モツにカシラetc。乾杯
して杯を重ね、アーリア人ヒンズー教徒、ネワール人仏教徒らと少年通訳を交えて話すう
ちに、わが脳味噌は英語ヒンズー語日本語ブレンド状態になった。いい気分で酔っ払って
る。
「ボク、ねぱーる語あるふぁべっと書キマスカラ、アナタ日本ノ字教エテクダサイ」
 と少年に請われ、ちょっとだけ文化交流している気分。だが、Nと約束があるので、ま

た来る、と言って店を出た。
 市内に戻り、ゲストハウスで、N、アレックス、ケシャーブ、原田嬢に山口さんらと会
食す。その後3人でふたたび昨夜の店へ。輪廻転生の大議論をしていると閉店時間になっ
た。外に出てケシャーブが悲鳴を上げた。なんと、なんと、宝物の自転車がない。「盗ま
れた!」天を仰いで青ざめるケシャーブ!


8/10

 悄然としたケシャーブがレストランへ来た。インドから無事帰ったら紛失補償してあげ
よう、とケシャーブを慰め、貸し自転車でインド大使館〜タイ旅行社を駆けずり回る。ヴ
ィザとバス・チケットを入手後その脚でパシュパティナートまで行こうとしたら、ケシャ
ーブの貸し自転車が絶不調。ずーっと自転車に祟られ通し。仕方ないので車で行く。
 ラムの店でアレックスと落ち合い聖地散策。火葬の骨灰を流す聖なる川の浅瀬で、おち
んちん丸出しのままぱしゃぱしゃ水を跳ね上げて遊んでいる少年たちを写真に撮った。縁
日に集うヒンズー教徒の女たちをリンガのそばから遠望していると、ここは生まれる何世
代も前に自分がいた所のように感じられてきた。
 店でお茶を飲んだあとパタンへ。そこの土産物屋で鋳物の仏像など購入す。わたしは男
女の交合像をひとつ買う。塾の相棒Mへのおみやげ(25Rs)。自分用としてたまご型の石を
15Rsで買った。ホテルにもどってまた買物、肩掛バッグを25Rsで買う。総じて今日は買
物の日。8時すぎ、Nと二人で夜の露店を冷やかしてあるくと闇のなかに灯火がほのめき、
深々と静かでなかなか趣が尽きない。


8/11

 朝6時いざインドへ出発せんとホテルを出た直後、「大事なもの」(ひみつです)を忘
れたことに気付く。ボーイをたたき起こすなど一騒動あり。時間ぎりぎりにケシャーブが
タクシーで到着。7時、国境の町ベルガンズ行きの特急バスに乗り込む。
 ネパール側からは登り道が続く。切り立った崖にはりつくジグザグの幹線道路を、バス
はぜいぜい喘ぎながら上ってゆく。インドから来るトラックやバスとしょっ中すれ違い、
狭い道の崖下は深い谷で肝っ玉が縮みそうだが、ドライバーの腕は確か。峠の茶店に停ま
り、お茶とalu curryの休憩をとる。 以下ノンストップ、12時に渓流傍の休憩
所でランチ。手づかみのカレーライスと、デザートのヨーグルトがなかなかうまい。車酔
いしたケシャーブが顔面蒼白になっている。それを見てNが「ネパール人なのにぃ、バス
なんかに酔ってぇ」と無情な揶揄をいれた。道が下りになるとどんどん気温が上昇してき
た。これからインド北原の熱帯樹林へ突入して行くのだ。乗客の構成は、ヨーロッパ人カ
ップルと我々以外は全てインド・ネパール系。国境越えのとき外国人だけパスポートチェ
ックを受け、他の連中はインドではインド人、ネパールではネパール人になりすまし密か
に越境するようである。当然ケシャーブもそうした。Nと私は通訳ケシャーブ抜きで、イ
ミグレーションに蟠踞する悪徳役人と交渉しなければならない。通り抜けるには賄賂が必
要らしいのだ。
 トイレ停車で降りると、すぐ物売りがパイナップルやココナッツを売りにくる。どれも
これも熟したて、天然の甘み滴るとれとれ果実で非常に美味い。ぼーっとしてたら突然ス
コールが来た。でもそんなに長く続かず(だからスコール。これは天然のシャワー)、す
ぐさま獰猛な太陽が雲間からどかんと現れ出て、ふたたび熱く大地に照りつけるのであっ
た。
 2時半ベルガンズ着。馬車に乗り国境の町ロクサールへ。ネパール銀行のトラベラーズ
チェック換金に手間取り40分経過。さらに、悪徳役人が待ち受ける税関で、記入用紙を
1枚無駄にしたという単純な理由だけで25Rs詐取された。言い返す術なし。非常に悔し
かったが、時代劇のひとこまを演じていると思って耐えた(馬車代は二人で40Rs也)。
ムジャファルプール行きバスは5時半に出る。少し時間があったので市場を散歩してみた。
大道芸人が大勢いる道端に、人だかりがある。人の輪越しに覗くと、コブラ使いが笛を吹
いて壷中のコブラを踊らせたり、ターバンを巻いた占い師がなにやらぶつぶつ唱えていた
り、いろいろある。インド北原のこの町には、動物精気が横溢していると感じられた。
 6時出発。大型バスの最前列を3人で占拠し、夕闇から夜へ沈む平原のど真ん中を疾走
す。夜、人々は動物と一緒に生気をとりもどすが、これが熱帯というものだ。ランプの点
った闇に一切の生類が蠢く気配がある。9時すぎムジャファルプール着。力車で「チャン
ドラドホテル」へ。晩飯にカレーを食べ、くたびれて就寝す。


8/12

 早朝5時、閉め切った窓と天井の止まった扇風機のせいで暑苦しくなって起き出した。
窓を開けて蚊帳を釣る。泥棒の心配がありそうだが、睡魔に負けてうとうとまた眠る。
 9時、部屋で本場のミルクティを飲んだ。さすがに美味。
 すでに外は暑い。早速、街へ物色しに出た。トコロテンをトッピングしたようなアイス
クリームを見て、我々も試してみたが、これは非常に不味い。生命保険会社に勤務する友
人と会うというので、ケシャーブに同行。その友人の薦めにより、次の行き先はパトナム
と決定す。 炎天下、歩いてホテルまでもどり、昼食にカレーと紅茶を注文。だが名だた
る「インド時間」はどこでもつきまとい、出てくるまで40分強かかった。その間、隣席
にいた精悍な面構えの青年がしきりに話しかけてきた。我々の素姓が知りたいらしい。面
白いので腹の探りっこをしているとあっという間に2時間経過していた。ホテルの勘定は
155Rs也 。
 銀行でT.Cを換金。国境のときより簡単だが、それでも神経をすり減らす(騙される
んじゃないか、と疑心暗鬼で)。 駅への道すがらパイナップル屋台が多々みえる。露店
商多々。往来する人間も多々。目的地までジープ相乗りで行けるが、さすがにしんどそう。
1台チャーターすることになった。88Rs。
ガンガ(ガンジス川)の船着場ガルザァルバーグへまっしぐらに、インド北原をぶっ飛ば
す(3:15〜4:55)。 途中、ガンガ支流の橋を渡るとき、片道待機で停車した隙をぬ って
モンキーバナナを売りにくる子供がひとりいた。その逞しき商魂にシャッポを脱ぎ、カネ
をやって1房買うと、これがよく熟した小振りのバナナで旨い。正真正銘ほんまもんのバ
ナナの味だ。
 大河べりの船着場は熱帯のイメージそのまま、雄大極まる風景が眼前に広がっていた。
アフリカ原住民が頭に物を載せ往来している光景を思い浮かべればよい。椰子の葉っぱで
葺いた小屋で、水車が回っている。その向こうに、近世の蒸気船そっくりの船がいましも
岸を離れ、すーっと河面をすべってゆくのが見える。あの船に乗るのか?一瞬そう思った
が、よく訊いてみると我々が乗る船とはぜんぜん別便だ。
 切符売り場はやや立派な建物で、1stクラス一人12Rs。6時出発の予定が当然のよ
うに「インド時間」に侵犯され、船は7時になっても一向に出発しそうにない。 雲の向こ
う即ちガンガの向こう岸、つまり壮大なる彼岸へ、大地を統べる太陽が沈んでいった。特
別室に入ると風采の立派な老人がふたり、ともに従者を連れて座っている。ガンガはまこ
とに大河、流れるともみえず、悠々として波も立たず、そのうちいつしか知らぬ 間に船は
出航していた。我々の前にピカソによく似た老人がいて、息子と飯を食べている。活気づ
いた船内で、チャイ(茶)売りが声を張り上げている。下るともなく、遡るともなく、人
と物資を満載した船は目的地パトナムへ向け、ガンガの上を辷ってゆくのだ。やがて暗闇
の彼方に明るい岸が見えてきた。接岸間近、船は行きつ戻りつ漂いながら、やっとのこと
で桟橋に着岸した。夜の8時半であった。
 港は人力車と人間で溢れている。1台傭ってネパール人御用達ホテルへ急ぐ。途中、陸
橋の中程まで来て力車のシャフトが折れてしまった。車夫が慌てて石で叩いて直そうとし
たが、うまくいかない。陸橋の上から鉄路を見下ろすと、陸蒸気と呼んでもまるで違和感
のない旧式機関車が通り過ぎた。行きかう人々を見ていると、まるで百年前に逆行したよ
うな思いに捉らわれてしまう。
 9時、ホテル着。食事が出来るまで時間がかかるし、持ってきたビールは不味いしでイ
ライラが募るが仕方ない。ここはインドのど真ん中なのだ。食後、ネパールの神について
ケシャーブが熱弁を揮う。神国日本の民たる我ら、ふたりして日本の神をあれこれ持ち出
し応戦したが、信じてない神々は弱くずるずる後退、結局滅ぼされてしまった。くたびれ
果てて就寝す。(ほんとに熱帯の自然は、破壊と創造の凶暴な神である)


8/13

 朝8時、道路を驀進するトラックの音と汽笛に悩まされて起床。 夜中、蚊に刺され悪
夢を三つみた。幽霊、殺人、性病検査の夢だ。 $とルピーの両替商がボーイを伴い部屋
にきた。N、30$を両替す。(1$=8Rs)
 力車に「駅まで行け」というと駅の裏口へ運ばれた。雨晒しの車庫に、旧式機関車がた
くさん見える。表口へ渡ると雑踏の中をいざりの子供が素早く通り過ぎた。プラットホー
ムに赤い唾を吐く男がいたので、ケシャーブに「何だ、あれ?」ときくと「ハッカのよう
な植物だ」という。試しに一口囓んでみたが、ひどく不味い。 列車の屋根に人が乗ってい
る。終戦直後のスシ詰め列車のようだ。駅前のロイヤル・ネパール・エアラインの事務所
でカトマンズヘの航空券を購入し、トラベリングチェック換金を済ませ郵便局へ回る。
(エアチケットはひとり36$)
 12時半、力車を傭い、公園のそばのチャイニーズレストランへ。ここは料理とビールが
旨かった。表向きビールは販売できないらしく、ティポットに入って出てきた。パトナム
の中流階級がくるレストランらしい。 前のテーブルに座った眼光鋭いふたりの紳士はビー
ル会社の代表、インド商人らしく社交的で、我々と記念撮影を所望してきた。食後、 ふた
たび駅に戻り、バザールでサリーの布を買う(69Rs50ps)。 帰路、線路を横切るとき、
水たまりの金魚草の中から突然ぬぅッと水牛が姿を見せた。ああ、インド的混沌だ、と実
感しホテルに戻る。
 シャワーを浴びて一息ついていると「インド映画を見にいこう」とケシャーブが逸って
いる。映画は「クランツ」という英雄譚。6時、公園の前の映画館へ。外の風景が戦後の
雑踏と似ているが、館内設備は立派なもので全席指定。ヘママリンという女優が極彩 色の
スクリーンの中で大活躍しはじめると、その一挙手一投足へ歌舞伎のように客席から声が
かかる。うとうとしながら終いまで見た。 その後昼間のレストランで食事して、祭りの
ように賑わう熱帯の夜の町を歩いた。ホテルの部屋に戻ってウイスキーを飲み、インドの
唄などを歌い、1時半に就寝した。


8/14

 朝起きるとケシャーブが冷汗を流している。咳もひどい。今日カトマンズへ戻るが、過
激スケジュールのため彼のほうが参ってしまった。中華レストランへ出向くが朝は不発。
屋台で茶を飲み、食料を買いこんでタクシーで空港へ。
 搭乗手続きのパスポートをケシャーブに託すと、インドの役人がケシャーブを引っ張っ
てきてなにやら凄い剣幕でまくしたてる。馬鹿な日本人が、いつ泥棒になるやもしれぬ ネ
パール人に大事なパスポートを渡したままのほほんと待機しているのが、高びーなインド
役人には我慢できなかったらしい。ま、しかし、余計なお世話だ。意地悪しないでさっさ
と通してくれ。入国のときも出国のときもインド役人とはそりが合わぬ。ケシャーブ、風
邪の高熱と屈辱感のため顔面蒼白になっている。さんざんトラブッた揚げ句、やっとのこ
とで解放された。
 1時間弱でカトマンズに到着するや、インドの不調はどこ吹く風とばかり、ケシャーブ、
晴れ晴れとした顔で日本の女に声をかけ軟派に精を出しはじめた。ほんと、負けるで、お
っさん!
 インドの暑熱と活力に比べ、カトマンズは実に端正。落ち着いた風土だ。4日間びっち
りつきあい疲労困憊したケシャーブと別れ、街中の茶店「レッド・ローズ」でチャイを飲
んだ。その後、床屋で散髪するなどのんべんだらりとして過ごす。酒場を探したい気分だ
が地理不如意。ゲストハウスへ戻ると、入り口のところで日本の女二人と出食わした。レ
ストランへ案内し、いろんな話をするうちに、ストリップショーの話題になって盛り上が
った。なかなかイケそうな女たちだ。オールドパー半瓶と、我々のマリファナ半分を物々
交換。それにしても20代後半の、亭主もちの女と亭主と別れた女二人が、どうやら芝居
関係者らしいが、女だけで1ケ月もインドを旅して回るのだから、どう考えても女の方が
度胸があるように思える。


8/15

 満月の夜。日本は敗戦記念日でお盆だ。暑い盛りに死者や先祖の霊が戻ってくる。帰省
した者も、都会に残る者も、みんな踊りを踊って戻ってきた霊をもてなすのである。
 カトマンズはちょうど満月の今夜、仏教徒もヒンズー教徒も祭礼を行う。アレックスと
大通りで別れたあと、右に大コウモリの宿る梢、左手に廃墟の三重の塔を眺め、怪談や恐
怖映画についておしゃべりして歩いた。東の空には月が輝き、皓々と地を照らしている。
廃寺の脇にあるレンガ造りの小屋から、お経とも呪文ともつかぬひとつながりの唄声が単
調な太鼓のリズムにのって響いてくる。外で遊ぶ子供たちはみな長い月影を曳いている。
実に幽暗な雰囲気の中にいる。バザールが長々と続く通りへとって返し、眼玉 寺の寝釈迦
祭礼に参加した。ローソクの火がゆらゆら揺れる回廊を、マントラを唱える信者の後につ
いて回ると、カトマンズは死者の住家であることがつくづくと感じられてきた。この薄暗
がりのなかで、魂と霊と心のあいまいな境界がますますぼやけてくるのだ。影のほうが濃
い実在のように思える。欧米のヒッピーが物心二元論の世界を逃れ、この地へ逃避してき
た理由がよく分かる。バザールがひけて祭りに出ていた人々がちりぢりに帰る路に、多数
のヨーロッパ人が交じっていた。

 今朝は9時頃目覚めた。ゲストハウスのレストランで、昨日知り合った鹿児島の女性ふ
たりと紫色のネパール民族服を着たN(膝に黒猫を抱いている)と4人でダベりながら、
11時にくる予定のアレックスを待った。アレックスの恋人が住むパンガという村へ出か
ける予定だ。
 バスで30分の郊外にある村は、バス停を降りてかなり歩いたところにあった。我々3
人は左右に広がる棚田の中を、なだらかな道に沿って歩いた。まるで中世の村に迷い込ん
だようだ。見慣れぬ日本人を子供たちが遠まきに見ている。女たちも子供たちの背後から
見ている。レンガ造りの建物が続き、どこも2階、3階からトウガラシの赤い束がぶらさ
がっている。入り組んだ小路のそこここで犬や鶏がぼんやり昼寝している。集落外れの家
に、アレックスの恋人アジャンタ嬢と同僚看護婦が間借りして暮らしていた。家の手前ま
で来て、突然アレックスがwitch(バンパイア)のことを話しはじめた。村にはバンパイア
がたくさんいて、女や子供の血を吸いにくる、というのだ。本当に村は中世のまま、村境
の大木が鎮守の樹で、そこは陽光が透明に輝いている。村人たちと大木を背景に記念写 真
を撮り、その後アジャンタ嬢らの手作りカレーをよばれた。話題はこんどは魔女の話。帰
りにお土産としてパタンで作られたカリ(鬼)の面をもらった。
 市内の「レッド・ローズ」でお茶。自然に幽霊の話になる。触れる女の幽霊とか熱帯の
夜に棲む妖怪のこと、その他もろもろの精霊たち、魔女たちのごく近しい物語だ。


8/16

 実質的にはカトマンズ最後の1日である。ケシャーブが早々に来て「盆」の祭りをやっ
ているバクタプールとパタンへライディングしよう、という。一昨日の薩摩女二人を誘い、
朝10時すぎ2時間のツーリングへ出かけた。私は例によってケシャーブの後ろ、Nが女
性一人を乗せ、もう一人はバイクが運転できる。
 たちまち郊外の寺院に着いた。塔の前の広場はお祭りの人出でいっぱい。少年と女装し
た男がかつぐ牛のお神輿が、広場中央を練り歩いている。ケシャーブが強引に人波を潜り
建物の陰にバイクを駐車した。我々もそうした。するとなんだか妙に陽気な気分が体中に
満ちあふれ、そのまま祭りの人たちと混ざり合って一緒に踊りたくなった。そしてぷあぷ
あ、はれほれ自分流に勝手な踊りを踊りはじめたのであった。
 その後、旧市街パタンへ回ったが道に迷ってワンダリング。正午、ホテルに辿り着く。
「ぶっとび」という日本料理屋でおじやの昼食。午後ずっとケシャーブとダベって過ごす。
 夕方から町の祭りを見物かたがた、アレックスが習った小学校長宅を表敬訪問した。歓
迎され、思わず長居してしまう。美味しい手料理を振る舞われ、お茶目でちょっと色っぽ
いお嬢さんの御酌で自家製焼酎をいただくと、酔っぱらってしまうのも当然。ほろ酔い気
分で夜の町を歩いて宿に戻る。薩摩女ふたりを呼び出し、ゲストハウスでお茶とお話。彼
女たちは明朝早くにポカラへ発つ、という。ちょっと心残りの別れだ。


8/17

 ネパールのカースト制は、第一階級がバラモン、次がチュトラ(貴族階級)、三番目が
バイシャ(商業に従事するシュレスタ、農民もふくまれる)、最下層がシュードラと呼ば
れ、皮革業者やネワール人はこの階層に分類されている。ケシャーブはバラモンで威張っ
ているが、アレックスはインテリらしく階級制度に批判的。だが、カースト制によってネ
パールの牧歌的な風土のかなりの部分が保存されるのだから、観光客の皮相な感傷や批判
で割り切れないアンビバレントなものが、この制度の中にあるようだ。
 ケシャーブが朝8時半にホテルにきた。インドでひき込んだ風邪が治らず、こじらせた
まま。9時、最後の朝食後、チェックアウトして空港へ。今日は快晴、ネパールとお別 れ
だが心はすでにバンコックへ飛んでいる。ケシャーブからネパール帽と小さな石の贈り物
をもらう。お返しに、ずっとかぶっていた帽子とサングラス、それとデジタルウォッチを
あげた。10時に空港着。ココアを飲んでいると、出国手続きを全部ケシャーブが代行し
てくれた。日本人のパック旅行者がたくさんいる。
 11時、待機ロビーに入り「アレックス、見送りにきてないね」と話していたら、向こ
うに遅れて立っていた。ガラス越しの挨拶を交わし、TG312便は正午過ぎカトマンズ
を飛び立った。

 PM 5:30 バンコック着。
 ケシャーブ御推薦の「キムリンスン・ホテル」へ行くつもりで、近寄ってきたタクシー
の運ちゃんにそう伝えると、運転手はノーノーとかぶりを振った。
「そのホテル、チャイナタウンにある。ダーティ&ディンジャラス!わたくしニティが安
全かつ女を連れ込めるナイスナイスホテルを紹介するよ」
 と言ってるらしい。コトバ不如意ゆえ話に乗らざるを得ない(タクシー代300B+100B+アルファ)。
ホテルは「スーパーホテル」。翌日、「バンコックホテル」と思い込んだまま外出し、戻
れなくなって往生したが、それは後で記そう。部屋に通されて驚いた。円形ベッドの周囲
は総鏡張り、立派な浴室が完備され、高級ラブホテルの部屋そっくり(650B/1日)。大い
に興奮し、ニティを伴って夕食を食いに出た。大通りに面したオープンな中華料理屋だが、
ビールが非常に旨くペキンダックのサラダも抜群。店内の客はファランばかり。
(註・バンコクの何処ら辺か、今もって不明のままです)
 腹もくちたので、「ジェームス・ボンド」という娼館へ回る。マジックミラー越しの雛
壇にずらり並んだ女のうちから、気に入った女を指名するシステムである。30人ばかり
いる中からキスリーというスリムな娘を見染めたが、Nの方がちょっと早く目を付けたと
いうのでNにゆずり、アンニュイなグラマーを択ぶ(50$/1晩)。ホテルに同伴し、それぞ
れ別室で1晩を過ごした。しかるに、私の選んだキャーツという女が大外れ。こちとらが
えっちらおっちら励む下でまぐろ女を決め込み、空虚に目を見開いたままお義理で腰を動
かすだけ。ちっとも情が感じられない。異国で女と寝ている、という格別な思いを掻き立
てねば、気を遣ることもできやしない。さらに悪いことに、夜中じゅうクーラーをつけっ
放しにしたせいで、強烈な風邪をひき込んでしまった。帰国後数日間、風土病に罹ってし
まった、と怯えたほどの悪性の風邪だった。


8/18

 午前中さすがに気が乗らず、4人で街のパーラーに出て軽食を摂った。女も一緒だが言
葉が分からぬ。同伴のお礼に400B渡すと、後でNから「こういう態度で接するから日本人
が舐められるんよ」と非難された。なるほど尤もな御意見ではある。
女を帰した後、ふたりで昼の町へ出た。もうふらふらな気分、憩える店を探したいが、
冷房の効いたレストランなどどこにもない。エレクトーンを生演奏している店を見つけて
店内に入ったが、冷房がなくプロペラ型ファンが回っているだけ。ぬるい風を浴び、昨日
飲んだ旨い銘柄ビールを咽喉に流し込んだ。熱っぽくモーローとした午後である。 道端
の露店で、熱帯の果物がたくさん売られている。土色の殻のついたブドウみたいな奴とか、
イソギンチャクかホヤのような醜い姿をした奴(ランブータンやライチー)などをしこた
ま買い込み、さてホテルに戻ろうとしたが、ナムサン!ホテル名がわからない!間違った
ホテルへなど、アバウトなバンコックの運ちゃんが行けるわけない。 最初のタクシーに
乗ると「0K、0K」と安請け合いして路地をうろちょろ。次も適当に街中を流したため
いっそう迷子になった感じ。3台目はクーラー付き。良い感じの運転手だったが、我々の
英語力不足のせいか運ちゃん、誤解して新手のラブホテルへ乗り付けた。そこの入口で、
ああっ、と頭を抱え込んでいると、ルームキィを持っていることにNが気付いた。やっと
迷子から脱出できる(タクシー代・200B)!この迷走のせいで、風邪に加えて、さらに
日射病にまでやられてしまった。ホテルに戻ったのが5時。ラブホテルの1室でうんうん
熱に呻されていると、まるで何かの業罰のよう。夜7時、Nに起こされ、ふらふらしなが
らオレンジジュースを啜る。ホテルには日本人客などいない。インド系アラブ系その他ア
ジア諸国の通商関係者が豪勢に女遊びするホテルのようだ。夜目にもきれいな複数のねえ
ちゃんたちが、ターバン巻いたアラブ人どもの脇に華やかに寄り添っているのを、ただぼ
ーっと見ているだけの、我が身のなんたるうとましさ!部屋で伏せっているとふたたび熱
病が再発した。さながら天罰の如し。


8/19

 朝6時半、熱がやや引いていた。体は軽く魂の脱け殻のようだ。搭乗手続きを終えると、
まさに精も魂も尽き果てていた。空港ロビーで飲むオレンジジュースがこの日の最初の一
口である。
 9時半 離陸。機内サーヴィスの水とオレンジジュースを飲み、ひたすら早く着くことを
祈念して過ごした。イメージ療法というか、大根おろしの冷たい舌触りだけを思い浮かべ、
長時間のフライトに耐え続けた。はた目にはおそらく幽鬼のごとし。
 PM 5:25 成田着。
 京成電車の車窓から見える晩夏の日本は、風に靡く青ススキに象徴されるすこぶる植物
的な世界だ(獰猛な熱帯にいて心身ともに緊張していたから、ふっと気が緩んだ瞬間、熱
病のお土産をもらったのだ)。命からがら生還したあと、衰弱しきった目にふっと映った
非日常の情景ゆえにそう感じたのか? 7:50 上野着。Nの荷物をチッキにして送る40分
間、トランクに腰掛け、往来する人々を茫然と眺めて過ごす。 9:30 西荻窪。フライト中
ずっと思念し続けた大根おろしをようやく口にできた。だが、イメージしたほど冷たくな
い。でも大根おろしを食べ、なんとか生還できたことを実感す。二日間、わが親友Nには
迷惑をかけてしまった。旅は道連れ世は情けというが、恕しておくれや、竹馬の友よ。


8/20

 朝7時、荻窪行きバス停で帰宅の途につくNとお別れ。これにて旅はすべて終了、ふた
たび日本の日常が始まる。
(後日談として。Nは淋病に罹ったらしく完治までほぼ1ヶ月、奥さんに隠すのが大変だ
ったと後で告白しました。私は熱病快癒まで1週間かかったが下半身の方は被害なし。す
ぐ後日にエイズが世界に蔓延したことを思うと冷や冷やとした感じになりますな。事に及
ぶときは皆さん、ぜったいコンドームを装着しましょうね)


 ■泰國漫遊記・2000年・夏の部(前半)
 ■泰國漫遊記・2000年・夏の部(後半)

 ■RAKUDA