月光菩薩殺人事件
 

                 清水愛一


         

          九月のある日のことである。
          旧知の俳怪宗匠より一通の封書が届いた。すわ、事件か、
         と珍探偵として有名な《ぱぉぱぱぉ》は考えた。おもしろ
         い事件なら大歓迎だ。封を切った。ポアロやホ−ムズにだ
         って解けない謎なら、探偵冥利につきるぜ。たとえ、全貌
         を解き明かすことができなくとも、そのプロセスを楽しむ
         だけだって、それはそれで乙なものだ。
          《ぱぉぱぱぉ》は喜んで手紙を開いた。
          しかし、《ぱぉぱぱぉ》は手紙を読みはじめて頭をかか
         えてしまった。
          手紙には、へんな一行が載っているだけだった。
       

          殺人鬼出合いがしらにまた一人殺せば育つ胃癌の仏像
 

         「何なのだこれは」
          短歌みたいだな。ゆびを折って音読した。
 
          5 +7+5+7+8=32
 

          あんまり詩的素養のない《ぱぉぱぱぉ》は溜め息をつい
         た。短歌って、31文字だったよな。でも、これは32 文
         字もある。これは短歌の顔をした偽物かもしれないぞ、と
         まずそんな想念が《ぱぉぱぱぉ》に渦巻いた。たとえば人
         間に化けようとして、着物の下から尻尾がにょっこりとで
         ている狐とか、そんな感じがしたのである。いやいや、ひ
         ょっとしたら、もののけかもしれない。短歌の姿をしたも
         ののけだよ、きっと。いろいろ考えると《ぱぉぱぱぉ》の
         ちいさな脳味噌は糠味噌になりそうだった。発酵しそうで
         ある。三日考えて《ぱぉぱぱぉ》は件の一行が載っている
         紙切れをポケットに突っ込み、お山に向かった。お山には
         お狐さまがいるのである。お狐さまに尻尾を隠し忘れた下
         手くそな化術の短歌の正体をお伺いしようと考えたからで
         ある。
          お山をいっぱい越えた。
          三日目に滝の縁で、瞑想なさっていらっしゃるお狐さま
         にお会いできた。《ぱぉぱぱぉ》は紙切れを掲げて、お狐
         さまに尋ねた。
         「これを一体どう解釈すれば可いのでしょう」
          お狐さまはちらと紙を見ると「事件」だな、とおっしゃ
         った。
         「事件?」
          するとお狐さまはお答えになった。
         「月光菩薩殺人事件じゃ」

          以下に記すのはお狐さまの推理です。「お狐さまかく語
         りき」ニ−チェ風に言いますとそうなるのかもしれません。
 

          いいかな、事件はまずそれぞれの要素を分解することか
         らはじめるのじゃ、とお狐さまはおっしゃる。すべてを簡
         単なものに還元して、バラバラに開く、そして、そのあと
         で必要な要素のみを寄せ集めて再構築する、それが難問解
         法のテクニックなのじゃ。
          
         殺人鬼    1
         出合頭    2
         またひとり  3
         殺せば育つ  4
         胃癌     5
         仏像     6

          てにをはをとっぱらうと大体こんな具合に分けられる。
         だから、これらをそれぞれに解剖することから、始めるの
         じゃ。まず、胃癌と仏像を解剖するぞ。解剖するぞ。解剖
         するぞ。修業するぞ。修業するぞ。お布施するぞ。お布施
         するぞ。お布施するぞ。
          お狐さまは胃癌と仏像をつぎのように解剖なさいました。
          このふたつはかなり近い。「胃癌の仏像」。助詞「の」
         で結び付いている。これは切り放せない。
         「胃癌に冒された仏像」と解釈するのが普通であろう。
          が、しかし、である。裏はないのであろうか。
          と、そこまで言うとお狐さまは目を閉じた。
 

          胃癌、The stomach cancer か。
          待てよ、Cancerとは蟹のことじゃないか。
          蟹か。
          古代中国では月のなかに桂男がいた。日本では兎がいる。
         アメリカのお月さまには蟹がいる。そうなのじゃ。この仏像
         は月に関係する仏像だったんじゃ。
          胃癌の仏像とは「月光菩薩」のことだったのじゃ。
          そこで《ぱぉぱぱぉ》は尋ねた。
         「月光菩薩」って何?
          Lunatic bodhisattvaか「気狂いじみた仏への修業者」と
         も読めるな、お狐さまはムニャムニャ言っている。
         「もったいぶらないで教えてくださいよ」
         「うむ、それはまたあとでのことじゃ。つぎは殺人鬼につ
         いての腑分けじゃな」
 

          殺人鬼。MURDERER。
          マダラ−。マダラ−と呪文のように呟いたあとで、お狐
         さまは「うふふふ」とお笑いあそばされた。  
          すると、《ぱぉぱぱぉ》君、とお狐さまは唐突に言った。
         「日本語にまだらという言葉があるが語源を知っているか
         ね」
         「いいえ。残念ながら」
         「まだらの語源は仏教で言う蔓陀羅なのじゃ」
         「すると、殺人鬼=マダラ−=まだら=蔓陀羅という図式
         が成立することになりますね」
         「そうじゃ」
         「殺人鬼の内的世界は蔓陀羅である、と謂うことでしょう
         か。なるほど。それで、1・5・6がとりあえず消えます
         ね。残るのは、出合い頭、またひとり、殺せば育つ、の解
         釈ですね」
         「……………」
         「殺人鬼が、道を歩いていた。角を曲がった。と、その出
         会い頭に、また殺人を犯してしまった。だから、ストレス
         のせいで胃癌になっていた殺人鬼のこころのなかの蔓陀羅
         にいる仏像は、またまた育ってゆくことになる。ああ〜。
         こんなんじゃ、ダメだ。まったく面白くない」
          《ぱぉぱぱぉ》は乱暴に頭を掻きむしった。
          すると、お狐さまが蔓陀羅について静かにしゃべりはじ
         めた。
 

          マンダラにもいろいろある。
          静かに遥かの上空を希求するだけのものや、破壊や殺戮
         や戦争に囲まれたものや、いろいろだ。
          たとえばわが国の密教のマンダラには胎蔵界蔓陀羅と金
         剛界蔓陀羅のふたつがある。もちろん前者はその字面どお
         り子宮的世界をシンボライズしたものであるし、後者は自
         己と宇宙の融合を説いたものである。ウパニシャットのア
         −トマンとブラ−フマンの融合に似ているのかどうかは、
         わしには解らないが。
          まあ、とにかく大日如来を中心にたくさんの仏たちが集
         まっているのがマンダラである。そこにはヒエラルキ−が
         ある。
          仏・如来 
          菩薩
          明王 
          天部
         の四つの階層があるんじゃ。          
          さて、月光菩薩として有名なのは東大寺三月堂の不空羂
         索観音の脇の両菩薩であるが、これは仏像だ。
         『白夜のごとき瞑想と涅槃への憧憬、その静かな思いが、
         脚下の地獄にふれてたちまち炎のような祈念の合掌となり、
         その悲痛から、今度は再び柔らかく和かな思いに帰る』と
         大和古寺風物誌に書いてあったが、これじゃ月光菩薩の役
         割がよく解らん。
          それに、不空羂索観音は藤原一族の守護仏だから、あま
         り一般性がないとも言えるな。
          普通、月光菩薩というと薬師如来の脇侍なんじゃ。
         薬師如来とは薬師(くすし)つまり、医者であり、医薬に
         かんする現世利益の強い仏なのじゃ。この点からも「胃癌
         の仏像」と微妙にシンクロナイズするのう。ふむふむ。「
         胃癌の仏像」である月光菩薩が薬師(くすし)の脇にいる
         のじゃ、もったいないことじゃ。
          ところが、薬師如来は胎蔵界蔓陀羅・金剛界蔓陀羅の双
         方から疎外されている。蔓陀羅のなかには入ってないのじ
         ゃ。仏像としてしか存在しない。おかしいとは思わんか。
         そこには何らかのカラクリがある筈じゃ。
          蔓陀羅から排除された月光菩薩の周辺に漂うカラクリ。
 

          お狐さまの長口舌はつづきます。
          そこで、簡単に内容を整理すると、つぎのようになりま
         す。
 

          殺人鬼、それはすべてを包みこんだ宇宙であり、その内
         部空間はひとつの蔓陀羅でもある。ラスコ−リニコフしか
         り。「悪霊」のテロリストたちの内部もしかり、それはす
         べてを包み込んだ宇宙であり、宇宙そのものでもある。 
          そして、蔓陀羅の外部には胃癌の月光菩薩が立っている。
          殺人鬼がまた罪を重ねた、すると、こころの陰の世界を
         照らしている月光菩薩は彼のなかの宇宙原理をより高度に
         拡大するために、そのおおきさを増していくのじゃ。殺せ
         ば育つ、と謂うことじゃな。
          それが救済なのじゃ。

         善人尚以往生、况悪人乎  

          しかし、それもある臨界点までだ。
          映画『殺人狂時代』でチャップリン粉する独裁者が叫ん
         だのを覚えておるかのう。
         〈ひとりを殺せば殺人だが、百万人を殺せば英雄だ〉
          《ぱぉぱぱぉ》は頷きました。
         「そのバリアントを知ってますよ。〈ひとりを殺せば殺人
         だが、百万人の殺人は統計値にすぎない〉。スタ−リンで
         す」
          お狐さまは仄に笑いながら、つづけました。
          そこに月光菩薩殺人事件の真相が潜んでいる。わしゃ、
         そう盻んどる。ラスコ−リニコフが老婆だけではなく、殺
         しつづけて英雄になるためには、月光菩薩の暗殺が必要だ
         ったのじゃ。わかるかな、このメカニズムが。個人的な自
         我の救済を超越する原理が、そこに漂っている。だが、現
         代にあっては、月光菩薩も胃癌でほびゆく宿命にあるのじ
         ゃ。なにも、殺すまでもない。そこに、この32文字のア
         イロニ−が、この時代のアイロニ−が漂っている。淋しい
         時代じゃ。  

         「でも、お狐さま、まだまだ解釈が甘いように思うのです
         が。たとえば、出合い頭にまたひとりの解釈がてんでなっ
         てないような気がするんですが」
         「うむ−」
          お狐さまは呻吟していらっしゃいます。
         「しかし、この短歌は本当に俳句的だなぁ。32 文字でで
         きた俳句じゃよ、これは」
          お狐さまは苛立っていらっしゃいます。それが手にとる
         ように解ります。どうすればいいのでしょう。
         「あるいは母子関係として読むべきなのか、それとも、お
         とことおんなの情念劇として解釈すべきなのか、しかし、
         それだと月並みだなぁ、月並みだ」
         「ちかごろ流行のオウム真理教のタントラ・ヴァジラヤ−
         ナっていう観点からの読みはどうでしょう」
         「ポアかい」
         「ああPoorだなぁ」 
          《ぱぉぱぱぉ》は溜め息をついた。
          すると、お狐さまの全身がこときれたゼンマイのように
         ぴくりとはち切れたようでした。瞳から生気が失なわれ、
         硝子のように冷たい透明感に十月の空が映っているのを
         《ぱぉぱぱぉ》は見逃しませんでした。
          お狐さまは眠くなったとおっしゃって、勝手にゴロリ、
         滝のおとを聞きながら眠入ってしまいました。
         《ぱぉぱぱぉ》は重い疲労感を全身にかんじながら、お狐
         さまの許を放れました。お山を下るうちに、このまま歩い
         て行ったら、自分の体は錘になって地中に沈んでしまう、
         そんな気がして《ぱぉぱぱぉ》は紙切れを空に投げたので
         した。十月の風が吹いていました。紙切れは風にのって飛
         んでいきました。
          紙切れ。それは神切れともいえるかな。
         《ぱぉぱぱぉ》の頭のなかにそんな思いが回転していまし
         た。
          ところで、月光菩薩ってなんでしたっけ?
            

                 FIN
               95・10・13
 

          追伸 これを書き上げてしばらくした頃に、お狐さまか
         ら風の便りが届きました。以下、つぎのような文面が綴ら
         れていました。なにかの本からの抜粋らしいですが、全文
         を写しておきます。   

          衣食住が三道悪だと言うならば、即座に、意志的に死な
          ないことは矛盾でなければならぬ。かれらは、こういう
          自己矛盾を劇化する方向で思想的な死を徹底化していっ
          た。そして、それとともに深化させる自己欺瞞の耐え難
          さが、ますます、彼らをラヂカルな死の思想化へつっ走
          らせていったといえる。この自己欺瞞の絶対化を、一挙
          に解決するために、ときに自ら食を断ってミイラ化する
          即身成仏の儀式化へと走った場合もあった。これらの小
          思想家たちは、もちろん、その背後に無数の無名の同類
          たちをひかえていたはずだ。それは、ひたすら〈死のう〉
          を実践しようとする異様な群れが、底辺に発生し、横行
          したことを意味している。  

          お狐さまの便りはこれで終わっています。もう、お狐さ
         まのおっしゃる月光菩薩殺人事件とはなんの関係もなさそ
         うですが、《ぱぉぱぱぉ》にはよくわかりません。
          殺人が悪だと思ってましたが、それだけではなく、この
         文面から察するに、衣食住すら悪であるという前提に立っ
         ているではないですか。お狐さまは、殺人鬼なんて大した
         問題じゃない、とでもいいた気です。
          即身成仏。
          お狐さまは、上記の思想に殉じたのかもしれません。
         ソドムの町を振り返って石になってしまったひとのように、
         お狐さまがこの国のあちこちに石になって鎮座ましますの
         も、ひとえに、ラヂカルな死の思想化の結果なのかな、な
         んて考えてます。
          あるいは、お狐さま自身、仏像におなりあそばして、月
         光菩薩殺人事件の真相を実存的に探求なさろうとした、そ
         の末路なのでしょうか。あの石のお稲荷さまは、お狐さま
         のミイラ化した、壮絶なお姿でいらっしゃるのかもしれま
         せん。
          そもそも、お狐さまはシバァ神の残酷な妻であるカ−リ
         −に奉仕する魔女、茶吉尼(ダキニ)の乗物だった野干と
         いう動物がその起源だそうですが、インドでは墓場をうろ
         ついているジャッカルを指していたそうです。茶吉尼とい
         う魔女は野干(ジャッカル)に乗り、あちこちから子供を
         さらってきては、主人であるカ−リ−のいけにえにするた
         めに火に投げ入れていたそうです。野干は死や悪のほんと
         うに近くにいた動物だったのです。
          ですから、野干という動物がこの瑞穂のくににやってき
         て、お狐さまにおなりあさばされてからも、その深層に壮
         絶な情念を潜ませていたとしても、驚くには値しないこと
         なのかも知れません。
          ところが、この茶吉尼(ダキニ)は後期密教の蔓陀羅の
         なかでは、一種の乱行的、ブラック・マジック的な性の女
         神となってむすうの裸体をさらけだすようになったらしい
         のです。ストリッパ−茶吉尼ちゃんへの転身て訳。Hの神
         さまになっちゃったのです。殺人鬼が、いつの間にか、妖
         艶であられもない姿でHしろHしろと、人類を挑発するよ
         うになっちゃったらしいのです。
          《ぱぉぱぱぉ》は歴史に潜むへんてこりんなパラドック
         スを痛感しながら、化けものじみた人類のイメ−ジの底に
         とぐろを巻く不可解に恐怖すら覚えはじめてます。  
          そのとき、野干がどうしていたのか《ぱぉぱぱぉ》には
         解りません。
          もう一度、《ぱぉぱぱぉ》はお狐さまに「月光菩薩殺人
         事件」の真相をお伺いしたいと思い、何度かお山に向かい
         ました。しかし、あのときのお狐さまにお会いすることは
         できませんでした。
          とまれ、いまでは、お稲荷さまはこの瑞穂のくにの民衆
         の幅広い信仰の対象におなりあそばされております。